岡崎城(おかざきじょう)

岡崎城の基本情報

通称・別名

龍城、竜城、竜ヶ城

所在地

愛知県岡崎市康生町561

旧国名

三河国

分類・構造

平山城

天守構造

複合連結式望楼型[3重3階/1617年築/破却(廃城令)]、複合連結式望楼型[3重5階/1959年再/RC造復興]

築城主

西郷頼嗣

築城年

享徳元年(1452)(享徳4年説あり)

主な改修者

松平清康、田中吉政

主な城主

西郷氏、松平氏、石川氏、田中氏、本多氏、水野氏

廃城年

明治6年(1873)

遺構

曲輪、石垣、堀

指定文化財

市史跡(岡崎城跡)

再建造物

復興天守、門、石碑、説明板

周辺の城

井田城(愛知県岡崎市)[2.4km]
箱柳城(愛知県岡崎市)[4.4km]
安祥城(愛知県安城市)[5.6km]
上野上村城(愛知県豊田市)[6.4km]
桜井城(愛知県安城市)[7.2km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

45 岡崎城

設置場所

天守1階[地図

岡崎城の解説文

岡崎城(おかざきじょう)は、三河国岡崎藩(現・愛知県岡崎市康生町)にあった日本の城。徳川家康の生地である。別名、龍城。

戦国時代から安土桃山時代には松平氏の持ち城、江戸時代には岡崎藩の藩庁であった。岡崎城は当初、「岡竒城」と記された。また、『三河国名所図会』には、「岡崎は享禄(1528年(享禄元年) - 1531年(享禄4年))以来の名號にして、其以前は菅生郷なり、」と記載されている。

1959年(昭和34年)に天守が復興された。

概要
菅生川と矢作川の合流地点にある龍頭山という丘陵を利用して造られている。元は、龍頭山の砦として三河国仁木氏の守護代であった西郷稠頼(つぎより、つぐより、又は、ちかより)、そして、その子頼嗣(よりつぐ)が北方に対する防御として築城したものである。当時は、龍燈山城(りゅうとうざんじょう)と呼んだ。それを、松平清康が西郷信貞(松平昌安)から奪い取り改修拡張整備したものが岡崎城である。

龍頭山はもともと小高い丘で、山頂に本丸が置かれた平山城として築かれていたが、本多康重から3代忠利(1600年(慶長5年) - 1645年(正保2年))にわたる改修によって平城となっている。この際、本丸に複合連結式望楼型3重3階の天守(1617年(元和3年))が建てられた。

本丸の北方に持仏堂曲輪、その北方下に二の丸、その北方に北曲輪、二の丸の東側には三ノ丸と東曲輪、その東に備前曲輪と大手門があった浄瑠璃曲輪、本丸と二の丸の西方下に坂谷曲輪、その西に白山曲輪と搦手口に当たる稗田門があった稗田曲輪、本丸の南は、菅生川沿いに菅生曲輪があり、それに、本丸から北側へ6重、西側へ4重の外堀を廻らせていた。

存城当時の東海地方の城では3番目に数えられる規模であったが、1873年(明治6年)の廃城令によって廃城となった。城内の天守以下の建物及び土地を払い下げ、現在は一切の建物を失い、本丸と周辺の持仏堂曲輪、隠居曲輪、風呂谷等の曲輪と石垣、堀などの遺構を残すのみである。敷地は龍城神社、岡崎公園として整備された。

1959年(昭和34年)3月、天守が復興された。

2010年(平成22年)3月、東隅櫓が再建された。望楼式二重櫓と呼ばれる木造2階建で、入り母屋造りの屋根は、岡崎藩主を務めた本多氏の家紋立ち葵が刻まれた本瓦葺き。壁は白漆喰塗り。高さ約9.4メートルで、かつて東曲輪だった岡崎公園駐車場の南東角に位置する。1781年(天明元年)の「岡崎城絵図」を基本資料としているが、東隅櫓の図面は現存しなかったため、愛媛県松山市に現存する同時代の松山城の野原櫓などの形式を参考にして、江戸時代の工法を忠実に再現し建設した。城内で発掘された石材を使い、空積みの石垣も築いた。隣接して同時に整備した長さ約45メートルの城壁と合わせ、総工費は約1億円。年中無休で内部を公開している。

歴史・沿革
1452年(享徳元年)または1455年(康正元年):龍頭山の砦として三河国守護仁木氏の守護代西郷氏が築城。...

岡崎城の口コミ情報

玉手箱さん[2018年11月18日]
石垣マップを入手すると、遺構をくまなく
巡ることができます。マップは天守閣、または事前にネットからダウンロードできます。

オバケの左衛門尉ぷ~太郎さん[2018年08月25日]
三河武士のやかた家康館で、マンホールカード配布してます。
100名城スタンプは、天守入口で確認すれば出してくれます。

【単騎駆】右衛門督かげちゃんさん[2017年12月03日]
岡崎城のモミジとイチョウ、良い感じに色付いていました。来週いっぱいが、見頃だと思います。

【単騎駆】右衛門督かげちゃんさん[2017年12月03日]
管生曲輪(グランド)横の駐車場だと、バイクは、タダでした。料金所手前に駐輪場入り口があります。

権中納言織田晃司さん[2017年08月04日]
岡崎公園駐車場に停める。

岡崎公園(二の丸)はかなり観光整備されて、どれが遺構かわからない。

岡崎城天守も撮影ポイントが少なく、天守正面が辛うじてといったところ。
やはり2本の木が邪魔(そう思ってる人は多いと思う)

山手乃不二さん[2017年05月09日]
名鉄岡崎公園駅から攻略する場合、近くの 大正庵釜春 という うどんやさんで腹ごしらえはいかがでしょうか。釜揚げうどんと もろこしうどん(とうもろこしでうどんが見えません)がオススメです。

かよぱぱ雅楽頭さん[2017年05月08日]
外観復元の天守もいいですが、ココに来ると誰もが「前に立ってる木が邪魔」と思います(;゜∀゜)30分毎に家康さんが能を舞うからくり時計がおもしろいですよん。

悪戯相模守ラスカルさん[2017年04月28日]
公園の、平八郎と写真を是非ともとりましょう(笑)電話ボックスも、趣きあり(笑)

鶴亀仙人さん[2017年04月28日]
現地にて攻略‼(当たり前ですな)
100名城スタンプは券売所で一声かけて。
シャチハタではなかったです。

刑部少輔緑木さん[2014年06月10日]
計り知れない家康ワールド(笑)城内で色んな家康像に会うことが出来ます(笑)
青海堀や、家康のえな松、産湯の井戸は当時を偲ぶ貴重な遺構で、おすすめです!

富士丸式部大輔孫兵衛さん[2013年11月02日]
閉館間際の16時30分に滑り込みました(^_^;)
前回来たときは、耐震補強工事で天守閣に登れなかったので、駐車場から走りました(>_<)
自分同様滑り込みした客に天守閣見学しなくても100名城のスタンプ出してくれたり、親切な職員さん達でした。自分はせっかくなのでチケット買って天守閣昇りました。
それにしても、今回も本丸で工事中で、重機が写らないように撮影するの面倒でした(-.-;)

b-it内記さん[2013年08月11日]
三河武士のやかた家康館前の広場にある時計塔から能を舞う徳川家康公の人形が30分に1回登場するよ。

守屋内匠頭龍聖さん[2012年12月03日]
初めての岡崎城登城。なんか学生とか若い人が多いなぁと思ったら「エヴァンゲリヲンと日本刀展」開催中って…うーん…家康公…いかがされた…

徳川内大臣源朝臣康武さん[2012年04月08日]
東照神君と竹千代くんの石像ベンチ「出世ベンチ」が平成24年3月に完成!
天守をバックに、肩を組んで記念撮影は如何かな?

本多ゆみたん三河守忠勝さん[2011年03月03日]
住所の『康生町』は、家康が生まれた地なので『康生町』と呼ばれています

テキーラさん[2010年11月01日]
隣の家康館にある、関ヶ原のジオラマが素晴らしいです 各隊の動きがよく分かります。

三河守コーキしゃんさん[2010年10月18日]
空堀がかなり深く迫力があります復元天守、石垣、家康の産湯井戸などがあります

岡崎城の周辺観光情報

三河武士のやかた家康館

岡崎公園内にある歴史観光資料館です。常設展示室では、三河武士の源流から家康公の祖・松平氏の歴史と家康公の75年の一生を8つのテーマに分けて、時代を追って展示しています。

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岡崎城下二十七曲がりの碑・冠木門

東海道五十三次の中でも屈指の規模を誇る宿場町であった「岡崎宿」。欠町から伝馬通り、材木町から八帖町、矢作橋へとつながる旧街道は、多くの曲がり角があったことから「岡崎城下二十七曲がり」と呼ばれています。

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伊賀八幡宮

松平家(徳川家の祖)の4代親忠は、文明2年(1470)に氏神として伊賀八幡宮を勧請しました。5年後に氏寺(菩提寺)として創建の大樹寺と共に、江戸時代にわたっても将軍家の厚い崇敬をうけました。

情報提供:岡崎市経済振興部観光課

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