岡崎城(おかざきじょう)

岡崎城の基本情報

通称・別名

龍城、竜城、竜ヶ城

所在地

愛知県岡崎市康生町561

旧国名

三河国

分類・構造

平山城

天守構造

複合連結式望楼型[3重3階/1617年築/破却(廃城令)]、複合連結式望楼型[3重3階/1959年再/RC造復興]

築城主

西郷頼嗣

築城年

享徳元年(1452)(享徳4年説あり)

主な改修者

松平清康、田中吉政

主な城主

西郷氏、松平氏、石川氏、田中氏、本多氏、水野氏

廃城年

明治6年(1873)

遺構

曲輪、石垣、横堀(空堀・水堀)、井戸

指定文化財

市史跡(岡崎城跡)

再建造物

復興天守、門、石碑、説明板

周辺の城

井田城(愛知県岡崎市)[2.4km]
箱柳城(愛知県岡崎市)[4.4km]
安祥城(愛知県安城市)[5.6km]
上野上村城(愛知県豊田市)[6.4km]
桜井城(愛知県安城市)[7.2km]
奥殿陣屋(愛知県岡崎市)[8.8km]
本證寺(愛知県安城市)[9.2km]
山中城(愛知県岡崎市)[9.4km]
知立城(愛知県知立市)[12.3km]
堤本地城(愛知県豊田市)[12.9km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

45 岡崎城

設置場所

天守1階[地図

岡崎城の解説文



岡崎城(おかざきじょう)は、三河国岡崎藩(現在の愛知県岡崎市康生町)にあった日本の城。徳川家康の生地である。別名、龍城。

戦国時代から安土桃山時代には松平氏の持ち城、江戸時代には岡崎藩の藩庁であった。岡崎城は当初、「岡竒城」と記された。また、『三河国名所図会』には、「岡崎は享禄(1528年(享禄元年) - 1531年(享禄4年))以来の名號にして、其以前は菅生郷なり、」と記載されている[1]

1959年(昭和34年)に天守が復興された。

概要 

三河国仁木氏の守護代であった西郷稠頼(つぎより)は永享年間(1429年~1441年)に、菅生川(乙川)南岸の明大寺付近に居館を構えた[2]。この居館は「平岩城」と呼ばれた。位置は、岡崎市上明大寺町2丁目のペデストリアンデッキの徳川家康像が置かれた広場辺りであることが判明している[3]

1452年(享徳元年)から1455年(康正元年)にかけて、西郷稠頼は、菅生川北岸の龍頭山(標高約24メートル)と呼ばれる半島状段丘の先端に、北方に対する砦を築いた。築城当時は、菅生川南に東海道が通り、明大寺が「岡崎」と呼ばれた。つまり、西郷氏の居館が旧岡崎城に当たることとなる。

3代目当主の西郷信貞(松平昌安)は明大寺の平岩城を居所として、岡崎市南部および大草城(愛知県幸田町北部)を支配した。

1524年(大永4年)、松平清康の命を受けた、家臣大久保忠茂等は奇襲により一夜にして、信貞の持城である山中城を落城。清康は信貞に岡崎城を明け渡させ、本拠を安城から岡崎へ移した[4]

1530年~1531年(享禄3~4年)頃、清康は明大寺より龍頭山の砦へと本拠を移し、本格的な岡崎城を構えた。これが現在の岡崎城である。清康は、明大寺の地から岡崎松平家菩提寺の大林寺を城北に、安城からは甲山寺を城の北東にそれぞれ移し、菅生川の南に龍海院を建て周辺を整備した。

龍頭山の岡崎城は、山頂に本丸が置かれた平山城として築かれていたが、本多康重から3代忠利(1600年(慶長5年) - 1645年(正保2年))にわたる改修によって平城となっている[5]。この際、本丸に複合連結式望楼型3重3階の天守(1617年(元和3年))が建てられた。

本丸の北方に持仏堂曲輪、その北方下に二の丸、その北方に北曲輪、二の丸の東側には三ノ丸と東曲輪、その東に備前曲輪と大手門があった浄瑠璃曲輪、本丸と二の丸の西方下に坂谷曲輪、その西に白山曲輪と搦手口に当たる稗田門があった稗田曲輪、本丸の南は、菅生川沿いに菅生曲輪があり、それに、本丸から北側へ6重、西側へ4重の外堀を廻らせていた。

存城当時の東海地方の城では3番目に数えられる規模であったが、1873年(明治6年)の廃城令によって廃城となった。城内の天守以下の建物及び土地を払い下げ、現在は一切の建物を失い、本丸と周辺の持仏堂曲輪、隠居曲輪、風呂谷等の曲輪と石垣、堀などの遺構を残すのみである。敷地は龍城神社、岡崎公園として整備された[6]

1959年(昭和34年)3月、天守が復興された。

2010年(平成22年)3月、東隅櫓が再建された。望楼式二重櫓と呼ばれる木造2階建で、入り母屋造りの屋根は、岡崎藩主を務めた本多氏の家紋立ち葵が刻まれた本瓦葺き。壁は白漆喰塗り。高さ約9.4メートルで、かつて東曲輪だった岡崎公園駐車場の南東角に位置する。1781年(天明元年)の「岡崎城絵図」を基本資料としているが、東隅櫓の図面は現存しなかったため、愛媛県松山市に現存する同時代の松山城の野原櫓などの形式を参考にして、江戸時代の工法を忠実に再現し建設した。城内で発掘された石材を使い、空積みの石垣も築いた。隣接して同時に整備した長さ約45メートルの城壁と合わせ、総工費は約1億円。年中無休で内部を公開している。

歴史 

江戸時代以前

  • 1452年(享徳元年)または1455年(康正元年):三河国守護仁木氏の守護代西郷氏が北方に対する砦として龍頭山に築城。
  • 15世紀後半(文明年間初め):松平氏3代松平信光が城主西郷頼嗣を破り、西郷氏娘婿となった五男松平光重が城主となり岡崎松平家が成立。
  • 1531年(享禄4年):岡崎松平家を破った松平清康(徳川家康の祖父)が城主となり、城郭を整備して勢力を広げる。
  • 1535年(天文4年):清康は尾張国の陣中で家臣の謀反により命を落とす(森山崩れ)。子の松平広忠が跡を継ぐ。
  • 1542年(天文11年):城内で竹千代(後の徳川家康)が生まれる。当時、櫓や門の屋根も茅葺で、当地は石の産地ながら石垣などもなく、ただ堀を掘ったその土をかきあげて、芝を植えただけの土塁がめぐっていた。
  • 1549年(天文18年):広忠が死去(死因には諸説ある)。岡崎城は今川家の支城として城代が置かれ、山田景隆、三浦義保、糟谷備前らが城代を務めた。
  • 1560年(永禄3年):桶狭間の戦いで今川義元が敗死すると、松平元康(後に家康、徳川へ改姓)は岡崎城を取り戻し、今川家から独立する。
  • 1570年(元亀元年):徳川家康は本拠を浜松城に移し、岡崎城は子の松平信康が入った。しかし、信康は謀反の疑いをかけられて自刃。以後、重臣の石川数正、本多重次らが城代を務めた。
  • 1590年(天正18年):家康が関東に移封となると、豊臣家臣の田中吉政が入る。家康に対する抑えの拠点の一つとして、吉政は城を拡張し、強固な石垣や城壁などを用いた近世城郭に整備した。また、城下町の整備も積極的に行い、岡崎の郊外を通っていた東海道を岡崎城下町の中心を通るように変更し、「岡崎の二十七曲がり」といわれるクランク状の道に整備され、現在の岡崎城の原型を造った。
  • 1602年(慶長7年):徳川氏譜代の重臣である本多康重が上野国白井より5万石で入城。以降、徳川政権下では家康誕生の城として重要視され、譜代大名が歴代の城主を務めている。
  • 1617年(元和3年):3重の天守が完成する。
  • 1644年(正保元年):岡崎藩主の本多忠利が石垣を完成。

近現代

  • 1869年(明治2年):本多忠直が城主となる
  • 1873年(明治6年):廃城令によって廃城処分となり、天守以下の建物が撤去された。
  • 1959年(昭和34年): 鉄筋コンクリート造で天守が再建される。設計者は名古屋工業大学工学博士の城戸久。
  • 2006年(平成18年)4月6日:日本100名城(45番)に選定された。
  • 2007年(平成19年):材木町で、マンション建設に伴う発掘調査によって石垣が見つかり、日本国内で4番目の規模の城であることが判明した[7]
  • 2010年(平成22年):東隅櫓が再建される。
  • 2015年(平成27年):中心市街地再開発「乙川リバーフロント地区整備計画」の工事で河川敷を掘り起こしたところ石垣の一部が発見される。

歴代城主 

  • 松平信康:1570年~
  • 田中吉政:1590年~
  • 本多康重:1601年~
  • 本多康紀:1611年~
  • 本多忠利:1623年~
  • 本多利長:1645年~
  • 水野忠善:1645年~
  • 水野忠春:1676年~
  • 水野忠盈:1692年~
  • 水野忠之:1699年~
  • 水野忠輝:1730年~
  • 水野忠辰:1737年~
  • 水野忠任:1752年~
  • 松平康福:1762年~
  • 本多忠粛:1769年~
  • 本多忠典:1777年~
  • 本多忠顕:1790年~
  • 本多忠考:1821年~
  • 本多忠民:1835年~

遺構 

現存建物

北曲輪門が額田郡額田町の民家に、北門(二の門)が西尾市西浅井町の宿縁寺に、念沸堂赤門が市内東阿知和町の謁播神社に、それぞれ移築され現存する。また、市内下青野町の慈光寺に、太鼓楼を移築したものと伝わる建造物が残る。

大林寺郭堀跡の石垣

2007年(平成19年)、材木町で発掘調査によって石垣が発見された。

現地を視察した広島大学大学院教授の三浦正幸は、大林寺郭堀跡のこの石垣は、豊臣秀吉の命令で、1590年(天正18年)に岡崎城主となった田中吉政が築いたと推定している。野面の乱積みによる犬走りの構造は、1608年(慶長13年)以前の形式のためであるという。

菅生川端石垣

2015年(平成27年)、中心市街地再開発「乙川リバーフロント地区整備計画」の工事で河川敷を掘り起こしたところ石垣の一部が発見された。この石垣は岡崎城の絵図にも描かれた江戸時代前期の石垣「菅生川端石垣(すごうがわばたいしがき)」であり、発掘調査により総延長は400mにわたり現存する城壁としては国内最長となる。

石垣は地下3mにまで及び地上部分を含めると最大5mで、敵の侵入を防ぐための射撃用の突出部「横矢枡形(よこやますがた)」が3か所あり、80m間隔で続いている。

復興天守 

岡崎城の復興天守は1959年(昭和34年)3月30日に完工式が行われ[8]、4月5日に一般公開された。以下の記述は主に『中部日本新聞』三河版連載の「岡崎城物語」(全10回)に依った[9][10]

概要

設計者 城戸久
施行 施工実績 | 清水建設(https://www.shimz.co.jp/works/jp_shri_195903_okazakijou.html)')">[11]
(清水建設が請け負った主体工事の落札価格は3,160万円)
構造 鉄筋コンクリート3層5階[12]
高さ 28メートル[13]
873m
総工費 5,700万円
(市費:3,700万円、県補助金:1,000万円、国債:1,000万円)

沿革

1955年
  • 6月9日 - 岡崎市観光協会の創立総会で岡崎城再建運動の推進を満場一致で決定。

1956年
  • 4月27日 - 城戸久博士が城跡を調査。
  • 10月9日 - 岡崎市観光協会は岡崎城建設小委員会を設け、12人の委員を選任。
  • 10月31日 - 城戸に仮設計を依頼。
  • 12月7日 - 仮設計図が完成。

1957年
  • 2月6日 - 市の総務商工委員会は観光協会が進めた再建案を了承。
  • 2月15日 - 岡崎市議会全員協議会で起債申請の事業主体に市がなることを承認。
  • 9月28日 - 市議会で建設事業費予算を可決。
  • 10月3日 - 愛知県議会で1957年度分補助金1,000万円を可決。
  • 11月11日 - 岡崎城復元協議会が市の諮問機関として設置される。

1958年
  • 1月8日 - 城戸に本設計を依頼。
  • 3月4日 - 地耐力検査のくい打ち工事が始まる。
  • 4月5日 - 本設計図が完成。
  • 4月10日 - 地鎮祭[14][15]
  • 8月21日 - 堀の水抜きを開始。底面に川石を敷いた。
  • 8月23日 - 主体工事を清水建設が3,160万円で落札。石垣の内部コンクリートパイルや屋根瓦葺き工事などの費用は別途、市が負担した。
  • 8月28日 - 起工式。
  • 9月5日 - 市文化財保護審議会によって瓦の紋章が決まる。
  • 9月19日 - 瓦8万5,000枚の製造を業者に依頼。
  • 9月22日 - シャチの製作を依頼。
  • 9月27日 - 台風22号(狩野川台風)が日本に上陸。この影響で工事が20日間遅れる。
  • 10月3日 - 市へ国の起債1,000万円の確定の通知が入る。
  • 11月29日 - 岡崎城再建募金委員会が発足。

1959年
  • 2月5日 - 瓦葺きが始まる。シャチが取り付けられる。
  • 3月25日 - 工事完了。
  • 3月30日 - 完工式。
  • 4月5日 - 一般公開。

立地 

所在地

  • 愛知県岡崎市康生町561:岡崎公園内

交通アクセス

  • 名鉄名古屋本線 東岡崎駅から徒歩で約15分。
  • 名鉄名古屋本線 岡崎公園前駅または愛知環状鉄道・愛知環状鉄道線 中岡崎駅から徒歩で約10分。
  • JR東海道本線 / 愛知環状鉄道・愛知環状鉄道線 岡崎駅からはバス(名鉄バス)で約15分。「殿橋」停留所下車。

駐車場

  • 岡崎公園駐車場(有料)

周辺施設・近隣建造物ほか 

三河武士のやかた家康館
1982年(昭和57年)、岡崎公園の西隅(旧岡崎城二の丸跡)に開館した歴史資料館。

菅生神社
 岡崎市最古の神社。岡崎城主であった本多忠利が寄進した明神型石鳥居は、市の指定文化財。

船着場
「五万石でも岡崎様は お城下まで船がつく」(民謡「岡崎五万石」)で有名。

その他 

城のある岡崎公園は日本さくら名所100選に選ばれた桜の名所。公園には、名物の八丁味噌を使った田楽料理を食べられる店「八千代本店」がある。

東名高速道路に岡崎城の看板が設置されているが、道路上からは見ることはできない。

東海道新幹線の車内からは、豊橋駅と三河安城駅の間で、遠くに見ることができる。

参考文献 

  • 「岡崎城物語」全10回。『中部日本新聞』三河版、1959年2月12日~2月22日連載。
  • 【書籍】「岡崎城―城と城主の歴史 第5版 」

岡崎城の口コミ情報

2022年05月14日 【城郭道】尾張守たっきー
天守心柱礎石[岡崎城  遺構・復元物]

穴蔵の中央に一つだけ残る大きな礎石。心柱の礎石とされ、この上に一階または二階まで通る太い心柱が建っていたとされる。このような礎石は岡崎城と姫路城のみである。

2022年05月09日 須岐山信濃守一茂
岡崎城

名鉄岡崎公園前駅・愛知環状鉄道中岡崎駅(クロスしています)から徒歩10~15分です。中岡崎駅の反対側には名産の八丁味噌の蔵元が建ち並んでいます。

2022年02月01日 あしがる三河守
銅像[岡崎城  碑・説明板]



岡崎市の特産品である石製品により、道路に沿って徳川四天王の像があります。

2022年01月16日 永久楽武蔵守マクシミリアン
岡崎城



岡崎城のかつての外堀を埋め立てて造られた御旗公園(材木町)。そこに、関ヶ原までの城主で、岡崎の町割りを決めた田中吉政像がある。

2021年11月30日 ポール駿河守マッカートニー
岡崎城



公園化されつつも、遺構もしっかり見られます。紅葉がキレイでした。四天王パフェのひとつ、井伊直政パフェ。美味しかったです。

2021年11月10日 ago主計頭
大樹寺[岡崎城  寺社・史跡]



若干、距離がありますが、徳川家歴代将軍の位牌が安置されていたり、所謂ビスタラインといわれるもの(岡崎城と大樹寺の間に眺望を妨げる物を建てない)が存在したり縁の深い寺社です。

2021年11月06日 すぎすぎ修理大夫
岡崎城

2度目の訪問。家康館の関ヶ原シミュレーションは見ものですよ。是非、共通券を買ってください。

2021年09月27日 やすやす
岡崎城

家康の出生地として知られる岡崎城。明治の廃城令で破却されたのは残念ですが、家康時代の空堀や馬出しの遺構、家康の関東移封に伴い城主になった田中吉政の築いた石垣なども残っています。

2021年09月26日 特にありません
岡崎城



何度行っても遺構と観光がバランスとれた素晴らしい城です。関係する皆様、岡崎市の皆様の歴史愛に敬服します。
下の茶店で四天王パフェがあり、私は榊原康政パフェ(黒蜜とブルーベリーで黒系)、妻は井伊直政パフェ(苺で赤揃え)を頂きました。

2021年08月27日 在来線男右京進
岡崎城

駐車場が広くて30分100円はありがたいのですが分かりにくいです。1号線を西から来ると反対側なので回って来ないと行けないです。帰りも西行きにしか出れません。

2021年05月31日 ニセロー
岡崎城



駐車場から徒歩5分くらいのところに城郭があります。駐車場から城は少し見えにくい。

2021年03月22日 無言中田氏
岡崎城



昨日、風雨の中行って来ました。天守に登った後にいただきました。¥600です。

2021年02月10日 チーフ弾正忠半町
岡崎城



水のある堀と石垣の城しか見たことが無く石垣と土塁と空堀が絶妙に配置されていたので時間のたつのも忘れて見とれていました。(感動ものです。)

2021年01月16日 大納言大納言0123489
アラモの碑[岡崎城  碑・説明板]

地元岡崎出身の地理学者志賀重昴氏は、テキサス独立戦争アラモの戦いと日本の長篠城の戦いが似ていることに関心を寄せられ、1914年に岡崎城内にアラモの碑を建立され、また同時にアメリカのサンアントニオ市のアラモ砦址にも岡崎の石と長篠の石を運んで自作の漢詩を彫刻して記念碑を建立されました。

長篠城の戦いはあの鳥居強右衛門が城を脱出して主君徳川家康に援軍の伝令をし、その帰りに武田方に捕まり磔にされるあの話ですね。

アラモの戦いは1836年、メキシコの圧政に耐えかねて、テキサスをメキシコからの独立を志した180余名が、約5000人のメキシコ軍相手に戦い、援軍の要請に砦を脱出した青年ボナムを除いて全員玉砕した話で、「アラモを忘れるな」の合言葉のもと、その後のサン・ジャシントの戦いで独立軍はメキシコ軍を撃破し、メキシコからの独立を果たしました。映画化もされましたよね、

この記念碑は今後人気スポットになるのではと期待しています。

なお、アラモ砦は、もともとアラモ伝道所という教会であったが、宗教機能は別の場所に移されたため要塞化された。アメリカ、テキサス州サンアントニオにあり、世界遺産に登録されています。

2021年01月07日 ⚡雷権現豊後守
岡崎城

石垣がよいよ!堀の深さも見事です。
本丸の龍城神社は初詣にもぴったり

2021年01月06日 しばっち主計頭
岡崎城

天守は再建ですが、城内のお堀や石垣は現存で趣があります。家康館という歴史資料館があり、家康が天下を取るまでのながれを知ることができたり、や関ヶ原の戦いのジオラマが見られます。桜の季節は特にオススメです。静かに歴史に浸りたいかたは
他の季節がオススメですが…😊


2020年12月26日 春の山風大宰大弐
岡崎城



家康公所縁の岡崎城
とても五万石の格とは思えない規模のお城でした。駅からも徒歩圏内なのでアクセスも良いですね。コロナ禍で家康館は休館でした。

2020年12月12日 【城郭道】尾張守たっきー
東隅櫓[岡崎城  遺構・復元物]

東隅櫓が存在する東曲輪は二の丸の東前方に位置する曲輪で南下には水堀が入り込んでいました。絵図によれば南東隅に二重櫓が描かれています。2010年、木造により望楼型の二重櫓は復元されました。
中に入ることはできます。

2020年11月08日 UG
大手門跡地[岡崎城  寺社・史跡]

現在の大手門は岡崎公園入口としての模擬施設であり実際の大手門は浄瑠璃寺の建つこのあたりにあった。案内表示がないのが惜しい処

2020年11月08日 UG
上和田城[岡崎城  周辺城郭]

三河一向一揆の最前線となった城跡 大久保一族の城でもあった。


2020年10月04日 JB
岡崎城

バイクは駐車場無料です。土日は結構混むと思います。城以外でも芝生利用者や犬の散歩とか多数。

2020年10月04日 のなぼ式部卿三太夫Jr.
岡崎城



家康産湯の井戸水に触ることができます。井戸の脇にある蛇口で、ポンプから汲み出した井戸水に直接触れるようになっています。飲むことはできません。水温は、ぬるめです(10月初旬)。

2020年09月12日 みずのみや出雲守
岡崎城



大樹寺ー岡崎城のビスタラインは、大樹寺の山門から南に向き、総門(大樹寺小学校南門)を通して岡崎城の天守閣を望みます。
よく写真に写っている門は総門です。
大樹寺の中に入らなくても観ることができるものですが、逆に、本堂に上がると観ることができませんのでご注意下さい。

2020年08月30日 JUMP三河守
岡崎城



駐車場は2箇所。248号線から、国一を東京方面に来て大手門の見える信号右折したところに一つ、もう一つは次の信号を右折したところ。大手門近くの駐車場の方が狭いです。どっちも1時間100円で良心的。中の天守は、博物館になっており、三河武士の館も博物館的な展示があります。岡崎城の出土品や刀剣の展示が多いと思います。公園は整備されており、至る所に縁の人物の銅像や石像があります。それを見て回るだけでも楽しいです。堀は見事ですが残念ながら下には降りられません。見上げたらまた、違った目線で見られそうなのですが…。また、近くの籠田公園近くの観光案内所で縄張り図がもらえます。今の岡崎城公園よりも大きい城であっとことがそれを見るとわかります。よければそちらもどうぞ。

2020年05月06日 【城郭道】尾張守たっきー
本多忠勝像[岡崎城  碑・説明板]



二の丸跡にある三河武士のやかた家康館の近くにあります。

2019年05月20日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
岡崎城



清海堀。創築者の西郷清海入道に因む。本丸北の防衛のために設けられた。右側の持仏堂曲輪と共に家康時代の遺構。

2019年05月19日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
岡崎城



風呂谷門跡。往時は重層の櫓門があった。隘路となっているため敵は散開しにくい。門跡前の橋は後世のもの。

2019年05月17日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
岡崎城



本丸埋門跡と石垣。かなりな急坂である。門をくぐるとすぐに龍城神社がある。家康の偉業を讃えるために建立された。

2019年05月16日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
岡崎城



廊下橋跡からの本丸鉢巻腰巻石垣。
かなりの落差のある空堀が本丸を守る。鉢巻、腰巻の主な理由は石垣の節約。

2019年05月15日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
岡崎城



坂谷門跡からの天守。伊賀川が往時の外堀。坂谷門の外側には馬出もあったが改変により今は無い。

2019年05月15日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
東隅櫓[岡崎城  遺構・復元物]



木造復元された東曲輪の東隅櫓と城壁。東曲輪は二の丸を守る砦の役目を担っていた。

2019年05月14日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
岡崎城



往時はL字型二回櫓の辰巳櫓があった。苔むした石垣と水堀のコラボが美しい。

2019年05月12日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
岡崎城



持仏堂曲輪と二の丸間の空堀。石垣と土塁のコラボになっている。家康が出生し、近世城郭に変貌を遂げているものの地味な作りである。

2019年04月29日 世良田縫殿助元虎
岡崎城



右側手前本丸腰巻石垣と、左側奥持仏堂曲輪の腰巻石垣。中世城郭(本丸)と近世城郭(曲輪)の特徴がよく出ていました。

2018年11月18日 玉手箱
岡崎城

石垣マップを入手すると、遺構をくまなく
巡ることができます。マップは天守閣、または事前にネットからダウンロードできます。

2018年08月25日 ☘️ぷ~太郎
岡崎城

三河武士のやかた家康館で、マンホールカード配布してます。
100名城スタンプは、天守入口で確認すれば出してくれます。

2017年12月03日 右衛門督かげちゃんⅢ号
岡崎城

岡崎城のモミジとイチョウ、良い感じに色付いていました。来週いっぱいが、見頃だと思います。

2017年12月03日 右衛門督かげちゃんⅢ号
岡崎城

管生曲輪(グランド)横の駐車場だと、バイクは、タダでした。料金所手前に駐輪場入り口があります。

2017年08月04日 織田上総介晃司
岡崎城

岡崎公園駐車場に停める。

岡崎公園(二の丸)はかなり観光整備されて、どれが遺構かわからない。

岡崎城天守も撮影ポイントが少なく、天守正面が辛うじてといったところ。
やはり2本の木が邪魔(そう思ってる人は多いと思う)

2017年05月09日 山手乃不二
岡崎城

名鉄岡崎公園駅から攻略する場合、近くの 大正庵釜春 という うどんやさんで腹ごしらえはいかがでしょうか。釜揚げうどんと もろこしうどん(とうもろこしでうどんが見えません)がオススメです。

2017年05月08日 かよぱぱ図書頭
岡崎城

外観復元の天守もいいですが、ココに来ると誰もが「前に立ってる木が邪魔」と思います(;゜∀゜)30分毎に家康さんが能を舞うからくり時計がおもしろいですよん。

2017年04月28日 悪戯相模守ラスカル
岡崎城

公園の、平八郎と写真を是非ともとりましょう(笑)電話ボックスも、趣きあり(笑)

2017年04月28日 鶴亀仙人
岡崎城

現地にて攻略‼(当たり前ですな)
100名城スタンプは券売所で一声かけて。
シャチハタではなかったです。

2014年06月10日 刑部少輔緑木
岡崎城

計り知れない家康ワールド(笑)城内で色んな家康像に会うことが出来ます(笑)
青海堀や、家康のえな松、産湯の井戸は当時を偲ぶ貴重な遺構で、おすすめです!

2013年11月02日 富士丸式部大輔孫兵衛
岡崎城

閉館間際の16時30分に滑り込みました(^_^;)
前回来たときは、耐震補強工事で天守閣に登れなかったので、駐車場から走りました(>_<)
自分同様滑り込みした客に天守閣見学しなくても100名城のスタンプ出してくれたり、親切な職員さん達でした。自分はせっかくなのでチケット買って天守閣昇りました。
それにしても、今回も本丸で工事中で、重機が写らないように撮影するの面倒でした(-.-;)


2013年08月11日 -it内記
岡崎城

三河武士のやかた家康館前の広場にある時計塔から能を舞う徳川家康公の人形が30分に1回登場するよ。

2012年12月03日 守屋内匠頭龍聖
岡崎城

初めての岡崎城登城。なんか学生とか若い人が多いなぁと思ったら「エヴァンゲリヲンと日本刀展」開催中って…うーん…家康公…いかがされた…

2012年04月08日 徳川内大臣源朝臣康武
岡崎城

東照神君と竹千代くんの石像ベンチ「出世ベンチ」が平成24年3月に完成!
天守をバックに、肩を組んで記念撮影は如何かな?

2011年03月03日 本多ゆみたん忠勝☘️
岡崎城

住所の『康生町』は、家康が生まれた地なので『康生町』と呼ばれています

2010年11月01日 テキーラ
岡崎城

隣の家康館にある、関ヶ原のジオラマが素晴らしいです 各隊の動きがよく分かります。

2010年10月18日 三河守コーキしゃん
岡崎城

空堀がかなり深く迫力があります復元天守、石垣、家康の産湯井戸などがあります

岡崎城の周辺観光情報

三河武士のやかた家康館

岡崎公園内にある歴史観光資料館です。常設展示室では、三河武士の源流から家康公の祖・松平氏の歴史と家康公の75年の一生を8つのテーマに分けて、時代を追って展示しています。

詳細はこちら

岡崎城下二十七曲がりの碑・冠木門

東海道五十三次の中でも屈指の規模を誇る宿場町であった「岡崎宿」。欠町から伝馬通り、材木町から八帖町、矢作橋へとつながる旧街道は、多くの曲がり角があったことから「岡崎城下二十七曲がり」と呼ばれています。

詳細はこちら

伊賀八幡宮

松平家(徳川家の祖)の4代親忠は、文明2年(1470)に氏神として伊賀八幡宮を勧請しました。5年後に氏寺(菩提寺)として創建の大樹寺と共に、江戸時代にわたっても将軍家の厚い崇敬をうけました。

情報提供:岡崎市経済振興部観光課

詳細はこちら

岡崎城の周辺スポット情報

 月見櫓跡(遺構・復元物)

 天守(遺構・復元物)

 東隅櫓(遺構・復元物)

 二の丸御殿の井戸(遺構・復元物)

 家康公産湯の井戸(遺構・復元物)

 大手門(遺構・復元物)

 清海堀(遺構・復元物)

 天守心柱礎石(遺構・復元物)

 本多忠勝像(碑・説明板)

 東照公遺訓碑(碑・説明板)

 徳川家康しかみ像(碑・説明板)

 本多平八郎忠勝公銅像(碑・説明板)

 アラモの碑(碑・説明板)

 銅像(碑・説明板)

 上和田城(周辺城郭)

 龍城神社(寺社・史跡)

 大手門跡地(寺社・史跡)

 龍神神社 御朱印(寺社・史跡)

 大樹寺(寺社・史跡)

 御城印(御城印)

 天守1階(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 三河武士のやかた家康館(関連施設)

 からくり時計塔(関連施設)

 岡崎公園(その他)

 天下人家康公 出世ベンチ(その他)

 撮影スポット(その他)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore