山中城(やまなかじょう)

山中城の基本情報

通称・別名

羽栗城

所在地

愛知県岡崎市舞木町字城山

旧国名

三河国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

西郷氏(大草松平家)

築城年

戦国時代

主な改修者

主な城主

松平氏、今川氏、酒井氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、堀切

指定文化財

市史跡(山中城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

上ノ郷城(愛知県蒲郡市)[6.0km]
深溝城(愛知県額田郡)[7.9km]
箱柳城(愛知県岡崎市)[8.2km]
岡崎城(愛知県岡崎市)[9.4km]
井田城(愛知県岡崎市)[10.8km]

山中城の解説文

山中城(やまなかじょう)は、三河国額田郡山中(現在の愛知県岡崎市羽栗町)にあった城。

概要
戦国時代に三河西郷氏(大草松平家)が築城する。
3代西郷信貞(松平昌安)の時、松平清康とその家臣大久保忠茂の奇襲で一夜にして落城。
1535年(天文4年)森山崩れで清康が亡くなると、山中城は今川氏の西三河攻略の拠点となる。1560年(永禄3年)桶狭間の戦いで今川義元が討たれると松平元康(後の徳川家康)が久松俊勝とともに攻め落とし、再び松平氏のものとなる。
1563年(永禄6年)の三河一向一揆では一時的一揆衆に占領された。
1564年(永禄7年)以後は酒井忠次が山中を領し、酒井氏の居城となった。
現在は岡崎市指定史跡。

山中城の口コミ情報

あきおこ弾正大弼様[2017年05月10日]
【アクセス】登城路は東西2か所あり案内板のある場所から登ります。いずれも駐車スペースは無いようです。ただし西側は墓地がある場所まで舗装路となっており簡易車止めをどかせば数台停めれそうです。各部に案内板があるので分かり易く、主要部は遊歩道が縦断しているのでハイキング気分で登れます。
【見どころ】西側からは10分程度で西端の堀切に至り、連続する堀切を経て数段の帯郭を登ると低い土塁に囲まれた副郭と主郭に至ります。南側は樹木が刈られ県道を見下ろせます。主郭から東側に降りると複数の郭、小型の馬出、堀切、食い違い虎口などがあります。北側に尾根が続く為、縦堀や堀切で厳重に遮断しています。特に中央北尾根と北西尾根の堀切、東尾根の土橋横の堀切は見応えがありました。この地域有数の巨大山城で技巧的な部分も多く、著名な伊豆の山中城程ではないですが見どころの多い城でした。

león飛騨守氏郷様[2015年06月17日]
名鉄名古屋本線・名電山中駅より県道324号線を南に15分程、案内板から右折してフェンス(紐で結んでありました)を開けて登城しました。

周辺に駐車場やトイレはありません。

散策路はよく整備されており、登りもさほどきつくないので登城しやすい山城です。
しかし散策路を外れると藪や倒木が多いので、じっくり隅々まで遺構を見たい方は足元を固めていた方が無難です。

小豆坂の合戦時に今川氏の重要拠点となった他、東三河と西三河の境界線として各氏の争奪戦の舞台となった為か、規模が大きく多数の郭が残ります。
竪堀・深い堀切・馬出と思われる小郭など見所も豊富でした。

大宰大弐川より河。様[2014年12月03日]
近くの岩略寺城も併せてどうぞ。

三河守コーキしゃん様[2012年12月21日]
羽栗病院から川を挟んだ北西の山が山中城跡です。

専用の駐車場はありませんので、登城口付近の空きスペースに停めました。

主郭部には土塁、空堀、竪堀等、広い範囲で見る事ができます。

特に二曲輪の北側にある堀切はかなり深く迫力があります。

三河守コーキしゃん様[2010年10月13日]
ちょっと遠いですが市内に久保城や滝山城や奥殿陣屋等があります

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