山中城(やまなかじょう)

山中城の基本情報

通称・別名

所在地

愛知県岡崎市舞木町字城山

旧国名

三河国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

西郷氏(大草松平家)

築城年

戦国時代

主な改修者

主な城主

松平氏、今川氏、酒井氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(山中城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

上ノ郷城(愛知県蒲郡市)[6.0km]
深溝城(愛知県額田郡)[7.9km]
箱柳城(愛知県岡崎市)[8.2km]
岡崎城(愛知県岡崎市)[9.4km]
井田城(愛知県岡崎市)[10.8km]
形原城(愛知県蒲郡市)[12.4km]
桜井城(愛知県安城市)[12.8km]
安祥城(愛知県安城市)[13.2km]
本證寺(愛知県安城市)[13.2km]
日近城(愛知県岡崎市)[13.2km]

山中城の解説文



山中城(やまなかじょう)は、三河国額田郡山中(現在の愛知県岡崎市舞木町・羽栗町)にあった戦国期の愛知県内最大級の山城。山中城は鎌倉街道(旧東海道)を北に見下ろし、舞木、山綱の両方から南行分岐する鎌倉街道(吉良道)を南の眼下に見下ろす、通称城山、岩尾山、医王山とも呼ばれる標高約195m(比高約100m)の山上一帯に築かれている。現在残る遺構は、徳川家康の関東移封当時のままの姿をとどめ、東西約400m、南北約250mで、愛知県内の戦国期山城の中で最大級の規模である。

概要 

戦国時代、大草(現幸田町)西の坊に室町時代より本拠を置き、三河守護仁木義長の目代(守護代)として勢力をつちかってきた西郷氏の築城(15世紀なかば)によると思われる。三河西郷氏の青海入道は岡崎明大寺の東矢作にあった仁木義長の館の東に明大寺城(平岩城)を築き、ここにも根拠地を設けた。次いで乙川北岸の竜頭山の先端に岡崎城(砦)を築いた。この岡崎城は近世岡崎城の本丸部分(青海堀以西)と言われる。これによって西郷氏は西矢作と東矢作をめぐる東西交通の要を押さえることとなった。大草の居館と明大寺城までの直線距離は約8km、明大寺城から山中城までは約9km、山中城から大草までは約6kmの距離である。『新編岡崎市史』では、山中城を明大寺城、岡崎城の詰めの城としているが、距離がありすぎるので、ある時期西郷氏の本城としての性格をもったとみられる。この西三河の交通の要所を抑えた西郷氏は、まず岩津を本拠として勢力を拡大しつつあった松平宗家との対立を生んだ。この軋轢は松平宗家の圧迫を受けた西郷氏が屈服し、松平3代信光の5男光重を養子に迎え自身は大草に引退することで決着をみた。

その後、岩津を本拠とした松平宗家は、今川氏の武将として来攻した伊勢新九郎(後の北条早雲)によって岩津城を落とされ消滅した。この時期安城に分家していた松平親忠(信光の3男)によって今川勢は追い払われた。この時期の山中城の状況については不明であるが、岡崎松平は明大寺付近に引き、明大寺城付近で今川勢と対峙したものと思われる。今川勢追撃の伝承についても、山中城の近くの山綱町中柴付近に残っている。

その後、総領家となった安城松平家は松平本家となり、松平親忠 ― 長親 ― 信忠 ― 清康 ― 広忠 ― 家康へと続くことになる。

しかし、清康の時代になって、岡崎城に本拠を置く岡崎松平家(西郷氏)との対立が顕著になる。岡崎松平家は光重―親貞―信貞と続くが、東三河と西三河をつなぐ鞍部の道筋を完全に押さえることとなり、松平本家(安城松平)と対立することとなった。大永4年(1524年)、3代信貞(松平昌安)の時、松平清康の命を受けた、家臣大久保忠茂等の奇襲で一夜にして落城した。

現在本丸に建っている石碑「山中城址」の文字を揮毫した子爵大久保忠言は大久保忠茂の後裔にあたる。山中城陥落後、清康は最大の功労者大久保忠茂に対して領内17カ所の市銭の徴収権を与えた。忠茂は市銭を撤廃して楽市楽座とした。時に大永4年(1524年)5月28日、岡崎市はこれを以て「岡崎開市」として忠茂の功績を顕彰している。大正13年(1924年)5月、岡崎開市400年祭が岡崎城址と岡崎市内で盛大に行われ、記念誌『岡崎の開市』も発行されている。

1535年(天文4年)森山崩れで清康が亡くなると、山中城は今川氏の西三河攻略の拠点となる。

1548年(天文17年)今川義元と織田信秀との2度にわたる小豆坂合戦時、山中城は、岡城、生田城と共に今川軍の重要拠点となり、これ以後「医王山」として史料上にたびたび登場している。

1560年(永禄3年)桶狭間の戦いで今川義元が討たれると松平元康(後の徳川家康)が久松俊勝とともに攻め落とし、再び松平氏のものとなる。

この時期、対織田、今川に対する戦略上、大給城、岡崎城、山中城、岩略寺城などは大規模な改修がなされたと思われる。

1563年(永禄6年)の三河一向一揆では一時的一揆衆に占領された。

1564年(永禄7年)以後は酒井忠次が山中を領し、酒井氏が維持管理したと思われる。

天正18年(1590年)の家康の関東移封によって廃城となり現在に至っている。

現在の城跡遺構はこの時点の状況をよく残していると思われる。しかし、現在整備されている「山中城遊歩道」は往時の城道ではなく、多くは大正13年(1924年)5月の「岡崎開市400年祭」の際に整備されたもので、各曲輪間の城道も少なからず破壊され、短絡されている。現在確認されている城域は東西400m南北200m、愛知県内の戦国期山城としては最大規模のものである。本丸には「山中城址」の碑が地元領家変成岩の板を使って建てられている。この裏面には志賀重昂の揮毫になる説明文が刻まれている。本丸からは西北、北、東に広がる3本の尾根の主要部に曲輪をつらね、西部は二重堀切で尾根筋を断ち切ると共に3段にわたる大規模な帯曲輪で防備を固め、処々に腰曲輪、竪堀を配している。竪堀の多いのも一つの特色である。

平成28年(2016年)地元民を中心に「山中城址保存会」が発足し、曲輪内の立木の伐採、城道の整備が進んでいる。

現在は岡崎市指定史跡[1]

参考文献 

  • 『愛知県岡崎市 山中城についての一考察』小林清司著 著者 1冊(157頁) 2017.11.15
  • 『800年の時空をさかのぼる 鎌倉街道はどこに-愛知県岡崎市山中学区における鎌倉街道についての一考察-』小林清司著 著者 1冊(173頁)2015.12
  • 『浅野文庫蔵諸国古城之圖』 矢守一彦編 創美社 1981 262頁
  • 『愛知県岡崎市周辺の歴史と石造文化財』 池上年・池上勝次著 69頁 図版7
  • 『岡崎市史 第壹巻』柴田顕正編 岡崎市役所 1926 509頁 図版49 22cm
  • 『新編岡崎市史 中世2』 新編岡崎市史編集委員会 新編岡崎市史編さん委員会 1989 1170頁
  • 『岡崎開市450年祭』 岡崎開市450年祭記念誌編集委員会 岡崎市教育委員会 1974 20頁
  • 『岡崎東海風土記』 岡崎市立東海中学校現職教育社会科 岡崎市立東海中学校 1974 226頁
  • 『岡崎のおこり』 佐々木訓司編 岡崎市役所 1942 10頁
  • 『岡崎の開市』 佐々木訓司編 岡崎市役所 1924 10頁
  • 『郷土誌』額田郡山中尋常高等小学校編 編者 1933 58頁
  • 『〔額田郡山中村〕郷土誌』額田郡山中尋常高等小学校編 小林清司 2011 105頁 (翻刻復刻)
  • 『ふるさと山中』 ふるさと山中編集委員会編 岡崎市立山中小学校同窓会 1987 326頁
  • 『松平氏』 愛知県岡崎工業高校郷土資料クラブ編 編者 1965 17頁
  • 『三河山中城』 東海古城研究会編 編者 1980 11頁
  • 『山中城』 池上年著 岡崎文化財研究会 1971 14頁
  • 『山中城跡実測平面図 昭和57年5月調査』 岡崎市厚生経済部観光課編 岡崎市 1982 1枚 73×104cm
  • 「西郷氏が築城した明大寺の「平岩城」の位置について」(浅井敏著)(『研究紀要 第28号』 岡崎地方史研究会 2000 )
  • 「岡崎市明大寺地区の城館と寺社―城館遺構とその周辺の考察―』(奥田敏春著)(『愛城研究報告 第16号』愛知中世城郭研究会 2012)
  • 「矢作東宿・明大寺・岡崎」(新行紀一著)(『岡崎市史研究 第3号』岡崎市史編さん委員会 1981)
  • 「山中城についての一考察」(小林清司)(『研究紀要 第47号 岡崎地方史研究会 2019.3 P1~32)

山中城の口コミ情報

2022年04月16日 兵庫頭☯️
生田城[山中城  周辺城郭]

小豆坂の戦いで今川軍の重要な拠点となった城です。遺構はありませんが石碑があります。

2022年02月18日 在来線男右京進
山中城



登るのに20分くらいかかりました。歩きやすいように木で階段を作ってあります。曲輪や竪堀はよく残っています。石垣はあまり見あたらないようでした。駐車場は3台くらい停めれます。ベンチがたまに置いてありますがトイレはありません。なぜか登城口に扉があります。見晴らしのいいお城でした。

2022年01月22日 左近衛少将天天丸
山中城



遊歩道入り口の扉を自分で開けて入ります。木の杖が10本位あり、1本持って正解! 地図ではすぐ着くと思っていましたが、登山みたいでした。真冬の夕方で防寒対策していましたが、往復で汗びっしょり。昔の人はすごいです。

2022年01月18日 虹ノ松能登守
山中城



駐車場は県道沿いにあります。舗装ありで3~4台。Google Mapで検索可能。そこから北の山を見ると入口の柵が見えたので迷わず登山口へ。簡易のフックのかかった扉があるので、開けたら必ず閉めましょう。ここに全体のマップがありましたが、登山道は幾つかあるようです。入口に自由に使える杖の貸出しあり。
遊歩道は綺麗に整備され、案内看板もあるので、堀切、曲輪、馬出などを見ながら坂道を登っていくと主郭と二の郭跡の広場に出ます。南方面の見張らしは良いです。

なお、2022年3月末まで岡崎市役所 社会教育課で現地の写真を見せると、愛史協の記念御城印がもらえます(但し土日祝日は除く)。

2021年12月12日 RED副将軍
登屋ヶ根城[山中城  周辺城郭]



ロードサイドにあり、登ることなく、お手軽に堀切、横堀遺構を見ることができます✨

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。
室町時代初期に今川氏一族の関口刑部によって築かれたと伝わります。
桶狭間合戦の後は、今川家臣の糟谷善兵衛・小原藤五郎鎮宗が入城し、家康に対抗。
1561年、家康により松平信一が登屋ヶ根城を侵攻。城将の糟谷氏と小原氏は討死し、落城しました。

見所
比高15m程の舌状台地を空堀で区画した縄張り。
台地先端部の主郭はラブホテル建設で消失するも、主郭北東部には長大な空堀が残っています。

2021年09月26日 ばらく~だ
山中城



二の郭の下に物見郭があります。羽栗口登城道を降り、三段腰郭の一番下の郭から入って行った先にあります。眼下に旧東海道、向いの山上に一畑山薬師寺を臨めます。すぐそばに、堀切と竪堀もあります。

2021年03月17日 がっくん
山中城



三河にある山中城も割と整備されている。主郭には訪れた人が書き込むノートがあり、書くのは勿論 読むのも楽しい。堀切、竪堀が良かった。道路沿いの駐車場には3台ほどのスペースがあります。

2020年10月29日 【7】赤母衣衆VI7右近衛少将
山中城

駐車場は、分かりづらいけど
ちゃんとあります(^^)

2020年10月11日 左兵衛佐やまち
山中城



ちょっと狭いが舗装された駐車場(34.8949739, 137.2356193)があり、ここからの登城口は東からとなります。
登山道入り口にフェンスありですが、開けて入れます。
迷いそうなところに案内があるので山頂までは大丈夫かと。
曲輪、堀切、といった簡単な案内はありますが、縄張り図があるほうが楽しめます。
道を外れると藪。蜘蛛の巣注意。
木々のせいで竪堀はほとんど見えず残念。

2020年08月17日 陸奥守たろす
山中城駐車場[山中城  駐車場]



先達さまの口コミ通り、今は県道324号線沿い(羽栗の里入口)に駐車場が整備されています。
Googleマップには「山中城跡駐車場」で登録されています。
駐車場前県道横断歩道を渡り南西に進むと城跡を示す看板が現れ、山側に進めば登城口があります♪

2019年06月02日 冴城秋田城介忠政
山中城

駐車場ですが、県道324号線の信号付近にあります。介護老人保健施設 羽栗の里の看板下に、手書きの山中城址駐車場看板があり、数台分のスペースがあります。そこから少し西へ行くと山中城址遊歩道の道標があり、登城口がみえます。

2018年10月22日 OROKA参議
山中城

【じゃない方の山中城?への車でのアスセス情報等】

三河地域で最大規模を誇る山城で遺構も豊富ですが、最大のネックとして基本的に駐車場がありません。自己責任で路駐などする際の参考にしてください。

名鉄「名電山中」駅のある国道1号線の「山中小学校北」交差点から南西に入り、県道324号を進みます。

東口から登る場合は、老人福祉施設 羽栗の里の正面くらいで右折、農道の先の山の手前にすぐ城の説明板が見えます。地元の方はここに車が一台停めれると言ってましたが、印象としては少し厳しめ。

西口から登る場合は、県道324号をもう少し進んで羽栗町集会所の次の角を右折、細い道を道なりに行くとすぐまた農道の先に城の説明板が見えます。しかし、駐車スペースはないです。(お墓の手前はフェンスができ入れません)
山沿いに細い道をそのまましばらく進むと、2回直角に曲がって最終的に工場の裏手に出ますが、このコーナー付近から道幅が広くなり車は停めやすくなります。西口から200~300メートル離れますが、今回はここに路駐しました。保証はできませんので悪しからず。

2017年05月10日 あきおこ
山中城

【アクセス】登城路は東西2か所あり案内板のある場所から登ります。いずれも駐車スペースは無いようです。ただし西側は墓地がある場所まで舗装路となっており簡易車止めをどかせば数台停めれそうです。各部に案内板があるので分かり易く、主要部は遊歩道が縦断しているのでハイキング気分で登れます。
【見どころ】西側からは10分程度で西端の堀切に至り、連続する堀切を経て数段の帯郭を登ると低い土塁に囲まれた副郭と主郭に至ります。南側は樹木が刈られ県道を見下ろせます。主郭から東側に降りると複数の郭、小型の馬出、堀切、食い違い虎口などがあります。北側に尾根が続く為、縦堀や堀切で厳重に遮断しています。特に中央北尾根と北西尾根の堀切、東尾根の土橋横の堀切は見応えがありました。この地域有数の巨大山城で技巧的な部分も多く、著名な伊豆の山中城程ではないですが見どころの多い城でした。

2015年06月17日 
山中城

名鉄名古屋本線・名電山中駅より県道324号線を南に15分程、案内板から右折してフェンス(紐で結んでありました)を開けて登城しました。

周辺に駐車場やトイレはありません。

散策路はよく整備されており、登りもさほどきつくないので登城しやすい山城です。
しかし散策路を外れると藪や倒木が多いので、じっくり隅々まで遺構を見たい方は足元を固めていた方が無難です。

小豆坂の合戦時に今川氏の重要拠点となった他、東三河と西三河の境界線として各氏の争奪戦の舞台となった為か、規模が大きく多数の郭が残ります。
竪堀・深い堀切・馬出と思われる小郭など見所も豊富でした。


2014年12月03日 蔵人頭ピロシキ
山中城

近くの岩略寺城も併せてどうぞ。

2012年12月21日 三河守コーキしゃん
山中城

羽栗病院から川を挟んだ北西の山が山中城跡です。

専用の駐車場はありませんので、登城口付近の空きスペースに停めました。

主郭部には土塁、空堀、竪堀等、広い範囲で見る事ができます。

特に二曲輪の北側にある堀切はかなり深く迫力があります。



2010年10月13日 三河守コーキしゃん
山中城

ちょっと遠いですが市内に久保城や滝山城や奥殿陣屋等があります

山中城の周辺スポット情報

 曲輪 遊歩道案内(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 馬出(遺構・復元物)

 東郭(遺構・復元物)

 腰曲輪(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 物見曲輪(遺構・復元物)

 登り口(碑・説明板)

 長沢城(周辺城郭)

 登屋ヶ根城(周辺城郭)

 生田城(周辺城郭)

 西大平陣屋(周辺城郭)

 本宿古城(周辺城郭)

 岡城(周辺城郭)

 長沢城(周辺城郭)

 観音堂城(周辺城郭)

 長沢御殿(寺社・史跡)

 旧東海道 長沢一里塚跡(寺社・史跡)

 山中城駐車場(駐車場)

 標識(その他)

 舞木口、八幡口分岐点(その他)

 八幡口(その他)

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