形原城(かたはらじょう)
形原城の基本情報
通称・別名
- 稲生城、海岩城
所在地
- 愛知県蒲郡市形原町東古城37、38
旧国名
- 三河国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 松平与副
築城年
- 長享年間(1487〜1489)
主な改修者
- -
主な城主
- 形原松平氏
廃城年
- 元和5年(1619)
遺構
- 曲輪
指定文化財
- 市史跡(形原城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
深溝城(愛知県額田郡)[5.5km]
上ノ郷城(愛知県蒲郡市)[6.8km]
東条城(愛知県西尾市)[10.0km]
山中城(愛知県岡崎市)[12.4km]
伊奈城(愛知県豊川市)[13.6km]
田原城(愛知県田原市)[15.1km]
西尾城(愛知県西尾市)[15.2km]
本證寺(愛知県安城市)[15.3km]
桜井城(愛知県安城市)[16.8km]
高縄城(愛知県豊橋市)[17.7km]
形原城の解説文
[引用元:Wikipedia「形原城」の項目]
形原城(かたはらじょう)は、三河国宝飯郡形原(現在の愛知県蒲郡市形原町東古城・北古城・南古城)にあった日本の城。蒲郡市指定史跡[1]。
概要
形原松平家の居城で、江戸時代初期のごく短い時期に形原藩が置かれた。別名は「稲生城」。海に囲まれていたことから、「海岩城」の異称もある。
三河湾沿いの現在の形原港近く、海に突き出た小高い海岸段丘上に立地する。形状は平山城であるが、ごく近年に至るまで段丘のすぐ足元まで海水が迫っていたといい、往時は三方を海に囲まれた天然の要害であった。
沿革
伝説的に平安時代後期の方原師光の築城とされるが、根拠はない。現在に残る城の遺構は、長享年間(1487年 - 1489年)、松平氏第3代信光の四男である与副が築城したと伝えられる。
与副の子孫は代々この地に拠って750貫ほどを領し形原松平家となるが、16世紀中頃には松平氏の宗家筋である安祥松平氏とは距離を置き、東から勢力を伸ばした今川氏に服属した。ところが永禄3年(1560年)5月、今川義元が桶狭間の戦いで敗死し、岡崎で松平宗家の元康(まもなく徳川家康と名乗る)が今川氏から独立すると、西三河のみならず東三河でも多くの豪族が今川氏から松平宗家に寝返った。時の形原城主家広もまた松平宗家へと鞍替えを行うが、これに怒った今川氏当主・今川氏真によって人質であった妻子をみせしめに形原城から見下ろせる稲生の浜で串刺しにして処刑されたという。
その後の形原松平氏は、家広の娘が家康の重臣石川数正に嫁ぐなど徳川氏の傘下で東三河の国人領主のひとりとして一定の地位を守り、天正18年(1590年)、城主松平家信は家康の関東移封にしたがって形原を離れることになった。
関東で上総国五井(現在の千葉県市原市)に5千石を領していた家信は、関ヶ原の戦い後の1601年に居城を形原に戻し、旗本となった。元和4年(1618年)、家信は1万石を与えられて大名に列し、その所領は形原藩1万5000石となる。しかし翌元和5年(1619年)に家信は摂津・高槻城に移封となって形原を再び離れることになった。これにともなって形原城も廃城となり、二度と城としての機能を果たすことはなかった。本丸のあった丘の峰には、地元の稲荷大社が建てられた。
城跡
現在、城跡は多く宅地化されてしまって城の痕跡が少なくなってしまったが、一の曲輪・二の曲輪の痕跡が残っている。現在残る曲輪の西側に大規模な曲輪があったと考えられ、「北古城」「南古城」などの地名もそれに由来すると考えられる。1971年(昭和46年)10月21日には形原城跡として蒲郡市の市指定史跡となっており、何度か発掘調査も行われている。
交通手段
- 名鉄蒲郡線 形原駅から南に徒歩で約10分。または同線 西浦駅から東に徒歩で約10分。
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形原城の口コミ情報
2024年05月19日 でぇすけ駿河守
形原城
車(プリウス)で登って行ってしまいました。降りてくるのに車を擦らなかったのは奇跡でした。まあ、同乗者に左側を確認してもらいながらでしたが。口コミをよく読んでいけばよかった。現地にはお稲荷さんと、碑があるくらいです。
2023年11月26日 桶狭間参議湯吉郎
形原城
三河湾沿いの形原港に近くで海に突き出た小高い丘の上に有る平山城です。
三方が海に囲まれた天然の要害でした。
現在は城趾の多くが宅地化されており城の面影は少なくなっています。
交通手段は名鉄形原駅から南に徒歩10分程よくです。
車の場合は城趾まで道が繋がったますが、100m手前から道幅が狭く、急勾配で曲がっており、お薦めできません。
但し、近所の方々が親切で駐車場を貸して頂き、リヤ攻めが出来ました。
2023年11月26日 桶狭間参議湯吉郎
形原城
三河湾沿いの形原港の近くで海に突き出た小高い海岸の丘に有る平山城です。3方が海に囲まれており天然の要害でしたが、現在は多くが宅地化されており、城の痕跡は少ないです。
交通手段は名鉄形原駅から南に徒歩10分程度です。
車の場合は城趾まで行けますが、最後の100mは道が狭く、急勾配で曲がっている為、お薦め出来ません。
但し、近所の方々が親切で駐車場を貸して頂きました。
2023年08月17日 たか
形原城
最後の最後狭い道を車で行き帰りに車を擦ってしまいました🥲手前の駐車場に停めて徒歩で行くと良いですよ。
2023年05月29日 最上中務大輔一輝
形原城
小高い丘の上?のような場所にあり、海からも近く眺めも良かった。往時は戦略の上で重要だったようだが、現在はもしもの津波にはここに逃げるのが重要となりそう。
2023年02月12日 もと兵庫頭
形原城
海際の小高い山の上に神社があり、ここが元の城とのことです。とくに何も残っていないみたいですが、海を見下ろすような立地は新鮮な感じがしました。
2022年09月20日 しげしげ主税頭信繁
形原城
小型車一台分程の舗装された道路があり50m程で城址です。稲荷神社がありました。
2021年08月01日 JUMP三河守
形原城
稲荷さんの横に車は置けますが、途中でUターンは無理です。また狭いので車をこすらないように注意が必要です。
2021年03月08日 武蔵守マクシミリアン
形原城
形原漁港を見下ろす丘全体が城と思われる。「形原城跡」の看板に従って進むとぽこんと盛り上がった丘の頂上が「古城稲荷」の鳥居⛩がある。車は丘に続く舗装の坂道の入り口脇のやや広めの道に止めるしかない。短時間なら怒られないだろう。
2021年01月25日 近江守フロクニ
形原城
形原港町交差点を南下すると左に曲がる道と真っ直ぐ登る道が有り、真っ直ぐ登る道の横に形原城こちらの看板が有ります。100m行かないうちに左に曲がると突き当たりが城址に通じる道です。軽なら何とか。上で向きも変えれましたがお勧め出来ません。
2020年11月04日 ばらく~だ
形原城
実際に稲荷神社まで車で乗り入れてみましたが、入ることはできても出られなくなる可能性が高いです😱
2020年07月12日
形原城
名鉄の形原駅・西浦駅のどちらからも徒歩10~15分です。
形原漁港と形原漁港大橋の南にある小高い丘が城跡で、山頂の稲荷神社に石碑と説明板があります。
城跡の丘の前西麓に「北古城」「南古城」という地区がありますが、すべて形原城の縄張りで中だったようです。
城の全景は、形原漁港大橋の上からよく眺められます。
2019年05月18日 しげぽん
形原城
かつては海岸に突き出た丘陵にあった城郭で、今は稲荷神社の敷地になっています。
形原城跡を記す案内板があるので、迷わず現地にいけますが、神社に続く坂道は損傷がひどく凸凹なので、マイカーでの侵入は控えた方がよいです
2012年06月23日 にけたん
形原城
ちょっと離れているけど形原漁港に車を止めて歩く事をお勧めします。城跡の下の道は狭く 軽自動車でも 邪魔になってしまうと思います
2011年02月25日 弾正大弼みー助
形原城
形原温泉内に三河湾国定公園があり6月には5万株の紫陽花が見れますよ