西尾城(にしおじょう)
西尾城の基本情報
通称・別名
- 西条城、西丘城、鶴城、鶴ヶ城、錦丘城
所在地
- 愛知県西尾市錦城町231-1
旧国名
- 三河国
分類・構造
- 梯郭式平山城
天守構造
- 複合式望楼型[3重4階/1585年築・1645年頃改/解体]
築城主
- 足利義氏
築城年
- 承久年間(1219〜1222)
主な改修者
- -
主な城主
- 吉良氏、酒井氏、松平氏
廃城年
- 明治11年(1878)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀
指定文化財
- 市史跡(西尾城跡)
再建造物
- 丑寅櫓、復元門、石碑、説明板
周辺の城
-
本證寺(愛知県安城市)[5.1km]
東条城(愛知県西尾市)[5.2km]
羽城(愛知県碧南市)[6.0km]
桜井城(愛知県安城市)[7.3km]
安祥城(愛知県安城市)[10.0km]
深溝城(愛知県額田郡)[12.1km]
富貴城(愛知県知多郡)[12.8km]
重原陣屋(愛知県刈谷市)[13.9km]
岡崎城(愛知県岡崎市)[14.2km]
緒川城(愛知県知多郡)[14.6km]
西尾城の解説文
[引用元:Wikipedia「西尾城」の項目]
西尾城(にしおじょう)は、三河国幡豆郡西尾(現在の愛知県西尾市錦城町)にあった日本の城。別名は、「鶴城」、「鶴ヶ城」、「錦丘城」など。また、「西条城」が旧称とされるが、その改名時期については諸説がある。
概要
三河国守護に任じられた足利義氏が築城した西条城が始まりと伝わる[1]。創建当時、中世期の規模については不明である。1585年(天正13年)に酒井重忠によって、東の丸と帯曲輪の拡張と堀や石塁の造成、櫓門、櫓類、天守などが増築された。1590年(天正18年)田中吉政によって、三の丸の拡張や大手黒門、新門の楼門2棟、櫓門2棟が建てられている。このとき東の丸にあった大手門は、太鼓門と改称されている。
1657年当時の城郭構造は梯郭式の平山城で、西南部から本丸、二の丸、姫の丸、北の丸、東の丸、三ノ丸、それを取り囲む惣構えが構えられていた。本丸には3重櫓と3棟の2重櫓、二の丸には1棟の2重櫓、南東隅に複合式望楼型3重の天守が建てられ、北の丸、東の丸、三の丸にそれぞれ2棟の2重櫓が建てられていた。
天守は元々、本丸の北東隅に建てられていたと考えられており、1585年の改築のときか正保2年頃までにで天守を本丸から移したといわれている。正親による初代天守については、1585年に二の丸天守が建てられた後も本丸隅櫓として残されていたとしている[2]。
城趾の現況
本丸、二の丸跡の一部は、西尾市歴史公園として整備されている。1975年10月、元西尾市長の杉浦喜之助が死去すると、その遺志により西尾市は多額の寄付を受け、1977年(昭和52年)8月に姫の丸跡に西尾市資料館を建てた[3]。東の丸跡は、西尾市立西尾小学校の敷地に利用され、それ以下は住宅地や市街地となっている。
西尾市歴史公園
1996年に本丸丑寅櫓(3重櫓)、二の丸鍮石(ちゅうじゃく)門、本丸と二の丸の土塁や堀などを復元し、歴史公園として整備されている。
2020年6月26日、二の丸丑寅櫓と土塀の復元工事が完成した。この土塀は二ヶ所の屏風折れがある全国的に珍しいものである。さらに天守の再建が計画されて、すでに天守台は完成している。
沿革
- 1557年(弘治3年[4])に、西尾城の存在が認められる。
- 1561年(永禄4年) - 酒井正親が城主となる[5]。
- 1585年(天正13年) - 城主が酒井正親の子、酒井重忠の時に徳川家康の命により改修され、二の丸に天守が築かれる。
- 1590年(天正18年) - 重忠が徳川家康の関東移封に従うと、近江国より転封し岡崎城主となった田中吉政が西尾城主も兼ね大手門や櫓門を増築した。
- 1601年(慶長6年) - 本多康俊が表高2万石で初代西尾藩主として入城。以降、松平成重、本多俊次と続く。
- 1638年(寛永15年) - 太田資宗が表高3万5千石で入封。城下町を囲む総構えの工事に着手。
- 1657年(明暦3年) - 井伊直好(1645年・正保2年に入封)が総構えを完成させた。以降の藩主は増山氏2代、土井氏4代、三浦氏2代と続く。
- 1764年(明和元年) - 出羽国山形藩から松平乗祐(大給松平家)が表高6万石で入封。以降5代続く。
- 1869年(明治2年) - 最後の藩主となった松平乗秩が版籍奉還をする。
- 1871年(明治4年) - 西尾県の県庁が置かれるが、同年に額田県に併合される。
- 1872年(明治5年) - 天守以下の建物が解体される。
- 1878年(明治11年) - 西尾城が廃城となる。
- 1995年(平成7年) - 近衛家の数奇屋棟と茶室棟が移築される。
- 1996年(平成8年) - 本丸丑寅櫓と鍮石門が再建され、西尾市立歴史公園が開園された。
- 2020年(令和2年)6月26日 - 二の丸丑寅櫓と土塀の復元工事が完成。
アクセス
名鉄西尾線西尾駅下車徒歩15分。
城名について
酒井正親による改名
西尾城の別称には西条城がある。これは、承久3年(1221年)に、足利義氏が、三河守護に任命されて、幡豆郡吉良庄西条に、西条城を築き、その後、永禄4年(1561年)に徳川家康の家臣の酒井正親が西条を西尾に改名したという言伝えによるものである[6]。
しかし、徳川氏が奪取する以前から、「西尾の城」と呼ばれていた可能性もある[7]。『三河物語』では西尾城と東祥(東条)城が、並べて記載されており『東照宮御実紀 巻二』[8]、には「西尾の城」と記されている。他に、『家忠日記』には「吉良之城」との記述が見える。[9]。また『三河物語』に、「又有る時は、西尾の城を得、…(中略)…又有る時は、東祥(東条)の城を得」とある。『改正三河後風土記』には、「西條」は領名、「西尾」は城名のように記述されている[10]。徳川家康朱印状に、天正9年10月28日、西条之内西尾…、という記述があり、西尾が吉良荘西条の一地名にすぎないことがわかる。
三河国二葉松;元文5年(1740年)には、西尾城 号西条。三河堤;天明末から寛政2年(1790年)頃には、西尾 城下古の西城。西尾城 諸書曰く古の西条にて。と記載されている。三河古城記;安永9年(1780年)には、西城 西尾酒井雅楽助。と記載され、江戸時代中期以降の地誌に、現在の西尾城は、昔の西条城(西城)なりという主張が見える。
今川氏給付の判物の事例
- 永禄3年(1560年)には「西条」の記述 ; 『今川氏真判物写(永禄三庚申年十二月二日・松井宗恒宛)』[11]では、「吉良於西条、味方令敗軍之刻、宗信相返敵追籠、依其防戦、同心両人・益田兄弟四人、遂討死之事」
- 永禄4年(1561年)には「西尾」の記述 ; 『今川氏真判物(永禄四年酉年六月十一日・稲垣重宗宛)』[12]に、「…殊子藤助、西尾走廻、父子励忠信条、…」
逆説の西尾市史―西尾城の変遷から
永田大典『逆説の西尾市史―西尾城の変遷から』(三河新報社、1999年)によると、「西尾城創建は一般的に、鎌倉時代前期の武士、足利義氏が承久の乱(1221年)の武功で三河守に任じられ、この地に築城したとされる。由来は『鶴城記』・『三州幡豆郡西尾城主由来記』などによる。
このほか、花山院忠邦が吉良山(八ツ面山)の麓にあった旧城を取り起こして築いたとする説(『西尾草創伝』)や源範頼がこの地に居城を築き、後に足利義氏が在城したとする説(『三河刪補松』)もある。だが、いずれの文献も後世の記述であり、信憑性に欠く」とされる。また「初期の西尾城の解明を阻んでいるのは、史料の不足にほかならない。ミッシングリング、失われた鎖の環があまりに多い」と指摘している。
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西尾城の口コミ情報
2024年05月06日 名香音刑部丞
西尾城
西尾城の近くの近衛邸でのお菓子とお抹茶はお薦めです。
2023年12月18日 あゆみん駿河守
西尾城
石垣、堀が立派なお城です。駐車場も整備されていて、訪ねやすいです。
しかし、ポケモンがいっぱい出現するようでハンターがうじゃうじゃいました💦
2023年12月15日 鬼殺隊桃太郎
西尾城
10数年前に訪れた時より、いろいろと整備されていて、立派な櫓が増えてました。
2023年12月02日 だい
西尾市資料館[西尾城 関連施設]
改装して綺麗になり、展示も見やすくなっています。現在は巡見使の企画展を開催中です。
2023年08月17日 たか
西尾城
行きやすく、駐車場もそれなりに台数が停めれます。
2023年03月11日 世界左京大夫三郎太
旧近衛邸[西尾城 寺社・史跡]
こちらではお庭から本丸丑寅櫓を臨みながら西尾のお抹茶とお菓子をいただだけます。
2023年01月31日 daipapa左兵衛督
西尾城
木造復元された櫓は趣があります。最近復元された櫓が立ち入り不可なのは残念でした。
2023年01月30日 だい
西尾城
櫓や天守台が有名ですが、近衛邸の庭は馬丸出跡を模した庭園になっています。
2022年12月16日 松平長七郎大学頭長頼
赤羽古城[西尾城 周辺城郭]
赤羽根古城は現在の親宣寺から一色高校付近に築かれていたと考えられていますが、遺構は残ってません。親宣寺の山門脇に石碑と案内板があります。
住所・愛知県西尾市一色町赤羽上郷中14-1
2022年12月07日 在来線男右京進
西尾城
駐車場は無料、櫓の見学も無料、資料館も無料です。お城とあまり関係ありませんが近衛邸のお庭はいいです。有料でお抹茶が頂けます。西尾は抹茶の産地として有名です。丑寅櫓は再建されましたが木造です。屛風折塀は新しいので輝くばかりです。資料館で御刀印を売っています。御城印帳もあったみたいです。
2022年11月30日 松平長七郎大学頭長頼
巨海城[西尾城 周辺城郭]
構造・平城
築城主・不明
築城年・不明
廃城年・不明
主な城主・巨海新左衛門
遺構・無し
住所・愛知県西尾市巨海町若宮西23
寺津中学校から寺津小学校一帯に築かれていたといいます。
2022年11月30日 松平長七郎大学頭長頼
中田陣屋[西尾城 周辺城郭]
旗本・榊原氏の陣屋 近くの長久寺というお寺の山門が陣屋の門を移築したものだと言われている。
陣屋 住所・愛知県西尾市一色町池田字松原
長久寺 住所・愛知県西尾市一色町池田字寺後39
2022年10月09日 兵部卿さんちゃん
西尾城
復元された本丸櫓の中は木の匂いがして居心地が良くて雰囲気よし!思っていたよりも立派で、地元民としてはなんだか嬉しかった☺️旧近衛邸で抹茶飲みながらみる庭と本丸櫓もまたおつでしたー
2022年06月08日 宮内卿シンシン
西尾城
西尾城公園内にある資料館に4年ぶりに入ってみました。入場無料。リニューアルされておりとても綺麗でした。只今、発掘調査成果展開催中7月3日まで
2022年02月13日 右近衛中将かじくん
西尾城
再建された本丸丑寅櫓や鍮石門等撮影スポット📷も沢山あってよかったです♫
京都から移築された旧近衛邸では本丸丑寅櫓を眺めながら抹茶(抹茶)を一服なんて至福の時間が過ごせますよ(o^^o)
2022年01月10日 やしち右衛門督
西尾城
夕方に伺った為、じっくり見れませんでしたが、屏風折れ土塀、丑寅櫓と見所は多いです。御城印は旧近衛邸で500円で購入できます。
2021年11月08日 ヨシキ
西尾城
無料の資料館あり、駐車場無料、御城印500円、なかなか良かった。
2021年06月23日 みずのみや出雲守
西尾城
歴史公園内の西尾市資料館は、改装のため令和3年9月30日まで休館とのことです。
2021年02月27日 【城郭道】たっきー
鍮石門[西尾城 遺構・復元物]
二の丸御殿へと繋がる鍮石門も再建されている。間口9m、奥行き5m、高さは7m程度。扉に真鍮が飾られていたことから名付けられたともいう。
二の丸の正門であり、小さいが堂々たる風格をもつ二階建ての櫓門。1996年に再建された。 ディアゴスティーニ日本の城43巻、61巻より
2020年10月30日 としなお大膳大夫
西尾城
無くなった部分の城を築城してた。石垣と本丸土台と櫓を新たに作ってあり見所たくさん増えてます。
2020年10月11日 美濃守レスタト
西尾城
限定800枚の御城印は木曜日発売で土日を待たずに売り切れてしまったようです。
2020年07月28日 織田上総介晃司
西尾城
二の丸に駐車場があります。
歩いてすぐ鍮石門。本丸へ向かうと丑寅櫓が見えます。櫓内の見学も可能。木造復元なので風情があります。
二の丸の天守台も復元完了。
2020年7月に二の丸丑寅櫓と土塀の復元が完成。
電線が邪魔ですが本丸丑寅櫓と二の丸丑寅櫓のツーショットも撮影できます。
後は天守復元ですね。
二の丸に天守があるのは珍しいです。
天守の復元模型が西尾市資料館にあります。
西尾市は鰻の産地で「一色うなぎ」のブランドがあります。
美味しいんだろうなぁ…
食べてみたいなぁ…
2020年07月18日 宮内卿ピロシキ
西尾城
二の丸丑寅櫓および続塀が復元され公開開始されてます。
御城印は秋頃の予定だそうです。
2020年05月05日 【城郭道】たっきー
西尾市資料館[西尾城 関連施設]
西尾市資料館は故杉浦喜之助氏の遺志により多額の寄付を受けて昭和52年8月、西尾城姫丸跡につくられたそうです。建物は周囲の歴史公園にマッチするようにつくられたそうです。
2019年06月02日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
西尾城
二の丸丑寅櫓台。奥は天守台。天守台とともに発掘調査を経て復元された。
2017年05月12日 三河守きみのぶ
西尾城
駐車場は二の丸天守台跡の所にありますが、お花見の時期とかは混雑しているので、満車の場合は南側の西尾公園か西尾市文化会館の駐車場があります。
西尾城より北へ5〜600m程の所に「穂積堂」という西尾市名産の抹茶を使った御菓子屋さんがあります。その中でも特にお勧めなのが「濃茶・茶ぼーず極み」というスイーツです。地元のTVでも紹介された一品です。遠方から来られる方にはお土産にも良いと思います。
2016年03月01日 ソバッソ80.0
西尾城
扇状地やったんか、見渡す限り平地で、そこいらに水路があります。
南から車で城跡目指すと、急に少しだけ地面が上がります。そこはもう城郭内やと思ってもらって大丈夫やと思います。
六万石と大きくない国ですが、かなりキレイに整備された総構えです。
お茶が有名みたいで、茶道具のお店がちらほら。
オススメは再建櫓っす。
木造なんすね。お金かけはったなぁ。
新しい木材使ってるんですごくキレイです。
駐車場は無料、歴史資料館あります。天守台立派ですが、石垣は新しく積み直した物だそう。
無料で見て回れますので、ふらっと立ち寄ってみてはいかがでしょう。
2015年12月29日 かげちゃん参號
西尾城
二の丸天守台は、石碑が設置してあってそこから本丸丑寅櫓を撮ることが出来ます。
もしかしたら、天守台から見て、本丸は、南側にあるから、もしかしたら、丑寅櫓と月の2ショットが撮れるかもしれないです。
2013年09月28日 はくやく内大臣
西尾城
2013年9月現在、天守閣石垣の再現工事中、来春に完成予定のようです。(写真投稿しました。)
工事模様は、北川の道路の一部仕切を透明アクリルにしてあるので、そこから見ることが出来ます。
また、通常通り資料館、本丸も見学可能です。
2012年10月05日 熊谷三河守一哉
西尾城
資料館に市が3億円の予算を計上した記事の切り抜きが貼ってありましたよ。
全国でも珍しい二ノ丸天守櫓の復元に是非とも期待したいですね。
2012年07月25日 Narita
西尾城
天守閣再建計画はまず石垣を再建し様子をみて建物を建造すると西尾資料館の館長さんが言っていました。
2011年08月07日 ぎっちゃん
西尾城
天守再建予定は金銭的理由で頓挫したようです。
以前は天守跡石碑があったようですが体育館跡はただの空き地になり、その石碑は見当たりませんでしたが撤去されたのでしょうか?
ご存知の方がいらしたら教えて下さい。
2011年04月12日 三河守コーキしゃん
西尾城
小さながらもちゃっかり鉢巻腰巻石垣な西尾城がいい
西尾城の周辺観光情報
西尾城姫丸跡に建設された入母屋造瓦葺の歴史資料館「西尾市資料館」は、昭和52年8月に西尾城姫丸跡に完成しました。これまで開催された企画展の図録や、西尾の歴史と文化財に関する調査報告書を頒布している。
詳細はこちら
西尾城の周辺スポット情報
天守台(遺構・復元物)
井戸(遺構・復元物)
二之丸丑寅櫓台(遺構・復元物)
鍮石門(遺構・復元物)
本丸丑寅櫓(遺構・復元物)
二之丸広場(遺構・復元物)
丸馬出(遺構・復元物)
姫丸辰巳櫓跡(遺構・復元物)
水堀(遺構・復元物)
土橋(遺構・復元物)
土橋(遺構・復元物)
二之丸丑寅櫓(遺構・復元物)
西尾城外郭土居(遺構・復元物)
堀跡(遺構・復元物)
土塀(遺構・復元物)
中田陣屋移築陣屋門(遺構・復元物)
石碑(碑・説明板)
説明板(碑・説明板)
太鼓門跡(碑・説明板)
今川氏発祥の地(今川城跡)(碑・説明板)
西尾城姫丸門趾(碑・説明板)
寺津城(周辺城郭)
中田陣屋(周辺城郭)
巨海城(周辺城郭)
徳永城(周辺城郭)
赤羽古城(周辺城郭)
八ヶ尻城(周辺城郭)
旧近衛邸(寺社・史跡)
御劔八幡宮(寺社・史跡)
大手門跡(寺社・史跡)
西尾神社(寺社・史跡)
養寿寺(寺社・史跡)
中根山遺跡(寺社・史跡)
渡舟場遺跡(寺社・史跡)
一色氏発祥の地(寺社・史跡)
大河内氏発祥の地(寺社・史跡)
旧近衛邸(御城印)
管理事務所(トイレ)
トイレ(トイレ)
無料駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
西尾市資料館(関連施設)
西尾市歴史公園(関連施設)
撮影スポット(その他)
西尾市文化会館(その他)