羽城(はじょう)

羽城の基本情報

通称・別名

(大浜陣屋)

所在地

愛知県碧南市羽根町1

旧国名

三河国

分類・構造

平城

天守構造

なし

築城主

徳川家康

築城年

天正4年(1576)

主な改修者

水野忠友(陣屋)

主な城主

長田重元、永井直勝、水野氏(陣屋)

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑(陣屋址)、説明板

周辺の城

西尾城(愛知県西尾市)[6.0km]
富貴城(愛知県知多郡)[8.2km]
本證寺(愛知県安城市)[9.6km]
東条城(愛知県西尾市)[10.8km]
桜井城(愛知県安城市)[11.0km]
緒川城(愛知県知多郡)[11.4km]
刈谷城(愛知県刈谷市)[12.5km]
安祥城(愛知県安城市)[12.9km]
大野城(愛知県常滑市)[14.9km]
吉川城(愛知県大府市)[15.1km]

羽城の口コミ情報

2026年05月27日 松平長七郎左近衛少将長頼
専修坊[羽城  寺社・史跡]

このお寺が所蔵する由緒書によると、徳川家康公が1560年(永禄3年)の桶狭間の合戦から岡崎に逃げ帰る際に立ち寄ったとされている。

2026年03月18日 松平右近衛中将屏風折土塀元康
羽城



中世の羽城の跡に江戸時代に建てられた大浜陣屋です。今は模擬門や塀が造られて公園として整備されている。

2025年10月13日 尾張守たまきち
西端藩陣屋[羽城  周辺城郭]



元和2年(1616年)酒井忠次の次男である康俊が、三河伊那城主の本多忠次の養子に入って本多康俊となり、その次男の本多忠相が西端村などに千石余りを領して旗本となったのが西端陣屋の始まりとなる。

忠相は1000石の所領から始まったが、加増を重ねて徳川家光が将軍となった時は8000石の上級旗本であった。その後、子孫の代にも加増があり、元治元年(1864年)十代目の本多忠寛の時に石高1万500石となり西端藩が設立された。

西端藩は忠寛の嫡男忠鵬が跡を継いだが、忠鵬は戊辰戦争で新政府に与した為に西端陣屋は新政府軍の兵舎となり、廃藩置県を迎えた。

現地を訪問したところ、宅地化されており、遺構は無く、解説板等もありませんでした。しかし最後は1万石以上の石高になっているので、それ相応の構えだったと思われます。

2025年10月11日 尾張守たまきち
東端城[羽城  周辺城郭]



築城年は不明。安城松平家が水上交通の拠点としており、松平信忠のころに整備された。1576年(天正4)以降、碧南市羽城の長田重元の子:尚勝を城主とし、1584年(天正12)に、小牧・長久手の戦いで池田恒興を討ち取る功績のあった尚勝の弟直勝が、1000石を加増されて城主となる。

徳川家康の関東移封に従って多くの家臣団が関東へ移住するが、直勝は姓を永井に改めて永井伝八郎直勝と名乗り、この地に留まり続けた。1617年(元和3)の大阪冬の陣でも活躍したことにより、常陸国笠間城32000石の城主となり転出しました。このとき東端城は廃城となった。

現地は城山稲荷となっており、廃城後400年にわたり当時の曲輪の状況をよく残していました。主曲輪は、方形あるいは台形に近い形で高さ8~10mの土塁に囲まれています。北東から南の土塁の外側には幅10~15mの帯曲輪が取り付いています。また、土塁の東側と西側には、周囲より高くなった方形の平坦部があり、その場所は物見櫓跡と思われます。隣の念空寺との間にある道路が、空堀に見えました。

2025年10月09日 尾張守たまきち
根崎陣屋[羽城  周辺城郭]



慶安4年(1651年)、根崎村が東端村から独立した時に築かれた陣屋。当時の領主は松平正綱で、島原の乱で活躍した知恵伊豆こと、松平信綱の養父。正綱は小牧陣屋(現・吉良町)を本拠として幡豆郡で三十六ヵ村、碧海郡で七ヵ村を領していましたが、根崎村が独立したので、これを加えた碧海郡八ヵ村を管理するために、この地に陣屋を築いた。

現在は地元で遺跡の丘と呼ばれ、小牧長久手の戦いで池田恒興を討ち取った永井直勝の側室:由利姫の祠がありました。東端城の城主:永井直勝の妻・由利姫は、故あって東端城から船で実家へ送り返される途中、この地に一人上陸し、幼い我が子を思いながら自害したと伝えられている。姫の死を知った根崎の村人たちは、姫を哀れみ、塚を築いてその霊を弔い、『百合姫講』をつくり、四百年途絶えることなく姫の命日(七月七日)に追善供養を続けています。由利姫は、江戸時代にこの地を治めた大河内松平の祖『松平正綱』の姉にあたる人物です。

2025年10月08日 尾張守たまきち
鷲塚城[羽城  周辺城郭]



鷲塚村は1561(永禄4)年まで吉良氏の支配を受けていたが、吉良義昭が藤波畷の戦いにおいて岡崎の徳川家康に敗れると、家康の支配地に変わった。

1562(永禄5)年、家康は鷲塚城の築造を命じ、鷲塚村の片山家に身を寄せていた刈谷城主:水野忠政の九男水野忠重を城主に任じた。水野忠重は徳川家康の生母:於大の方の弟に当たる。忠重は1561(永禄4)年より家康に仕え、1563(永禄6)年から翌年にかけて勃発した三河一向一揆において戦功を挙げた。

忠政が亡くなると、家督を継いだ水野信元(於大・忠重の兄)は織田方へ与し、忠重と対立したが、1575年信元は武田勝頼との内通を信長に疑われ、家康の家臣:石川数正・平岩親吉に大樹寺で嫡子信政と共に殺害された。

忠重は1580(天正8)年まで鷲塚城主を務めた後、織田信長に追放された佐久間信盛に代わり刈谷城主となった。鷲塚城は1590(天正18)年まで代官が置かれていたが、以後は廃城となった。

鷲塚城は、東西470m,南北360mの規模で、東浦と呼ばれた入江に突き出た半島部分に築かれ、浸食谷を中央に挟んで南に突き出た二つの半島状台地にあった。西の丘は「水野氏の馬場」と呼ばれ、東の丘の曲輪に居館があった。

往時は舌状台地であったが、現在は整地され宅地に変わり、遺構は無く、削り取られた大量の土砂は伊勢湾台風の復興工事の際に利用された。現地は、尾城公園となっており、公園内に城跡碑と解説板がありました。

2025年10月07日 尾張守たまきち
棚尾古屋敷[羽城  周辺城郭]



鎌倉時代に熊谷若狭守が地頭として赴任してきた際に築いた城館跡。旧地名は「字上屋敷」。現地は宅地化されており、遺構はありませんでした。岡崎と直接航路でつながる矢作川の河口にある湊であり、古くから重要な拠点とされていた事は感じました。

2025年10月05日 尾張守たまきち
永井直勝生誕地[羽城  寺社・史跡]



長田重元の屋敷跡。重元の次男:永井直勝は徳川家康に仕え、小牧長久手合戦で、羽柴軍の池田恒興を討ちとった。大阪の陣でも活躍している。 長田屋敷跡は現在の宝珠寺一帯で、境内に永井直勝生誕地の石碑があります。

2025年10月05日 尾張守たまきち
長田屋敷[羽城  周辺城郭]



羽城の城主:長田重元の屋敷跡。駿河出身で平家の流れをくむ長田平右衛門尉重元が、大浜城跡を改修して羽城主になり、この場所に屋敷を構えた。

重元の次男・直勝は徳川家康に仕え、天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦で、羽柴軍の池田恒興を討ちとるという大功を立て、大阪の陣でも活躍している。

所在は現在の宝珠寺一帯とされており、境内には重元の息子・永井直勝生誕地の石碑のほかに、重元・重吉兄弟のお墓がありました。

2023年05月05日 中務大輔与助
羽城



名古屋鉄道三河線碧南駅(終点)から西へ約200mの交差点を右折し北進、約300mの交差点を左折すると、約100m先の左手に「大浜陣屋広場」があります。城跡の遺構は見当たりません。塀の内側に貼られた羽城をはじめとする歴史を記したプレートで当時の様子を偲んでください。ちなみに駐車場はありません。

2022年11月30日 松平長七郎左近衛少将長頼
棚尾古屋敷[羽城  周辺城郭]

建久年間(1190年〜1199年)に熊谷若狭守が地頭として棚尾に住んだといわれてます。宅地で遺構は残ってません。
住所・愛知県碧南市弥生町3-140

2022年11月30日 松平長七郎左近衛少将長頼
長田屋敷[羽城  周辺城郭]

宝珠寺付近にあったと、伝えられており、屋敷の遺構は残ってません。
住所・愛知県碧南市音羽町1-1-48

2021年12月20日 尾張守マクシミリアン
羽城



羽城があった地に、江戸時代には大浜陣屋が置かれ、現在はその一部が公園(広場)になっている。羽城の遺構は何もないが、近くの常行院に、陣屋の門が移築されている。小さな門で、看板もないためガイドさんの説明がないと見逃してしまう。

2021年08月04日 井伊能登守直憲
神君伊賀越え三河上陸地[羽城  碑・説明板]

信長公記では本能寺の変の後、伊賀越えの後に桑名から熱田と書かれているが、この地の伝承では白子からここに上陸したとされている。

2021年08月04日 井伊能登守直憲
十三塚[羽城  碑・説明板]

織田信長が初めて出陣した地。家康側の武将に敗れたと書かれている…が。

2021年06月10日 北風
羽城



三河地方随一の湊とのこと。JR駅名にもある逢妻川の河口で、あのミツカン酢の半田の対岸という位置です。東隣は岡崎様は五万石でも城の下まで舟が着く矢作川です。信長ならずとも交易拠点を抑えたくなります。半田の酒粕から作られた酢は江戸へ千石船で運ばれて、江戸前の握り寿司が安くファーストフードとして繁盛したそうです(酢の博物館請け売り)。


2021年01月07日 sigesige主税頭信繁
羽城



ドミー大浜店の前です。
駐車場は無いのでドミーに駐車させてもらいドリンクでも購入すれば良いかなぁと思います。

2017年10月18日 我流尾張守クール
羽城

築城は家康公とされています。
後に海上交易の要衝として発展していくのですが、大浜は三河国随一の湊町として、昭和初期まで栄えたそうです。
マップが示す場所は「大浜陣屋広場」として整備されておりますが、羽城ではなく大浜陣屋跡としての案内板掲示でした。近くには永井直勝の生誕地もあります。(羽城廃城から陣屋建築までには200年の歳月)
名鉄三河線碧南駅から徒歩圏内です。お車なら広場目の前がスーパーだったりしますが、碧南臨海公園駐車場が便利です。
また、大浜街道沿いは「大浜てらまち地区」とされていて、寺院が多く路地に入るとタイムスリップです。毎年10月第三日曜日にはウオークラリー等のイベントが開催されます。大浜陣屋裏門が同地区常行院に移築されていますが、傷みが激しかったです。

羽城の周辺スポット情報

 大浜陣屋移築裏門(遺構・復元物)

 辰巳櫓(遺構・復元物)

 山門 (吉良氏代官所移築屋敷門)(遺構・復元物)

 十三塚(碑・説明板)

 神君伊賀越え三河上陸地(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 鷲塚城(周辺城郭)

 棚尾古屋敷(周辺城郭)

 長田屋敷(周辺城郭)

 西端藩陣屋(周辺城郭)

 根崎陣屋(周辺城郭)

 東端城(周辺城郭)

 高取古屋敷(周辺城郭)

 永井直勝生誕地(寺社・史跡)

 織田信長初陣の地 伝承地 (津島社)(寺社・史跡)

 三州大濱東東照宮(寺社・史跡)

 専修坊(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 公衆トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

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