上ノ郷城(かみのごうじょう)

上ノ郷城の基本情報

通称・別名

神ノ郷城、西之郡之城、宇土城、鵜殿城

所在地

愛知県蒲郡市神ノ郷町城山36他

旧国名

三河国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

鵜殿氏、久松氏、池田氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸

指定文化財

市史跡(上ノ郷城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

深溝城(愛知県額田郡)[4.4km]
山中城(愛知県岡崎市)[6.0km]
形原城(愛知県蒲郡市)[6.8km]
伊奈城(愛知県豊川市)[11.3km]
東条城(愛知県西尾市)[12.3km]
岡崎城(愛知県岡崎市)[14.1km]
箱柳城(愛知県岡崎市)[14.1km]
本證寺(愛知県安城市)[14.3km]
牛久保城(愛知県豊川市)[14.9km]
桜井城(愛知県安城市)[14.9km]

上ノ郷城の解説文



上ノ郷城(かみのごうじょう)は、愛知県蒲郡市神ノ郷町にあった日本の城。別名は西之郡之城・宇土城・鵜殿城・神ノ郷城。1957年(昭和32年)1月10日に蒲郡市指定史跡に指定されている。

歴史 

築城年代は「平安時代末期に五男十郎と言う者が壇ノ浦の戦いで勝った褒美として当地をもらい、城を建てた」と言うものや、「戦国時代になって建てられた」など諸説あるが、正しい年代ははっきりとしていない。ただ鵜殿長将の頃には駿河国今川氏家臣の鵜殿氏の居城となっていたようで、この城を拠点として鵜殿氏は、現在の蒲郡市のほぼ全域と幸田町の一部を勢力下に治めていた。

永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで、鵜殿氏の主君であった今川義元が討たれると、三河国の松平元康(のちの徳川家康)が今川家から独立し、周辺の諸将が松平家に服属した。しかし、上ノ郷城主・鵜殿長照は義元の妹の子であり、今川方に留まったため、同城は松平氏の勢力圏内に孤立した。

永禄5年(1562年)の上ノ郷城の戦いにおいて、元康と松平清善ら松平勢の攻撃を受けるが、堅城である上ノ郷城はなかなか落城しなかった。そのため元康は伴与七郎ら、甲賀流忍者(甲賀衆)を用いて城内に火を放ち、その混乱の中から攻め入ったと伝わる。鵜殿長照は討死にし、長照の子・鵜殿氏長、鵜殿氏次は捕らえられ、落城した。

なお、この戦いで戦死した城主を鵜殿長持とするのは誤り。長持は鵜殿長照の父で、弘治2年(1556年)に死去している。

徳川家康の伝記である『烈祖成績』によれば、甲賀衆によって火が上がった上ノ郷城内は造反者が出たとの誤解から混乱し、城主の鵜殿長照も落ち延びようとしたところを伴与七郎(伴与七郎資定)によって討たれたとしている。 他に与七郎と同様、上ノ郷城攻めに参加した甲賀衆として伴中務勝永、伴太郎左衛門資家、伴伯耆守資綱ら80余人の名がみられ、資綱は城主の鵜殿長照の子供である氏長・氏次兄弟を捕縛する功があったという。

元康は二人の身柄と引き換えに、今川氏に臣従していた時期に今川家へ人質として差し出していた正室の瀬名姫と嫡男の竹千代、長女の亀姫らを返還するよう今川氏に要求した。当時今川氏の当主で義元の子であった氏真にとって、近しい親族であった鵜殿兄弟を見捨てることはできず、交渉は成立し双方の人質が交換された。

以降は後は攻め手に加わっていた久松俊勝の居城となった。俊勝の子の松平康元に継がれ、家康が関東に移封となると池田輝政が有し、のちに廃城となった。

遺構 

現在は大部分が私有地のミカン畑となっており、郭や空堀、土塁、井戸などが残存している他、城があったことを示す石碑が建てられている[1]

上ノ郷城の口コミ情報

2025年09月19日 まるすみ商店
赤日子神社駐車場[上ノ郷城  駐車場]

先人様の登録されたスポットに補足……
神社の駐車場ではありますが、訪城の方の利用も可能です。ただし神社⛩️の祭礼等がある折は、そちらの利用が優先されます。

2025年08月23日 松平長七郎若狭守長頼
蒲郡市西部公民館[上ノ郷城  御城印]



追加パンフレットです。一応載せときます。

2025年08月10日 3人のパパ右衛門督は単身赴任
上ノ郷城



神社の駐車場に車を停められるのですが、そこまでの道のりがわかりにくいです。個人のお土地の間を通らせて頂き郭跡まで上がります。蒲郡の海が見える景観が良かったです

2025年07月13日 こんちゃん
上ノ郷城



潮干狩りの帰りに、鵜殿氏の居城の上ノ郷城を攻めました。Pパーキングまでの道のりが、なかなか狭くて、すぐには辿り着けませんでした。南側からの鳥居の中央をくぐる道のアプローチが、良いです。ただそのアプローチも対向が少し厳しかったです。ご注意を!城跡としては、廓等わかりやすくなっていて、良かったのですが、やはり、夏場は草が多くて、除草が追いついていないのが現状でした。やはり、シーズンは、秋冬ですね。

2025年04月12日 尾張守たまきち
蒲郡市西部公民館[上ノ郷城  御城印]



上ノ郷城祉から、徒歩5分程です。御城印やパンフレットがありました。特に、城郭模型は必見です。

2025年04月10日 尾張守たまきち
不相城[上ノ郷城  周辺城郭]



永禄五年(1562)、西三河を平定した松平元康は東三河進出の手始めに、今川方の鵜殿氏の攻略に着手。鵜殿氏は東三河一帯に勢力を張る土豪で、諸所に一族が蟠踞していた。鵜殿本家は上ノ郷城を居城とし、分家筋が下ノ郷城(蒲形城)、柏原城、不相城とそれぞれ城を持って支配地を固めていた。松平元康が上ノ郷城を攻める際に下ノ郷と柏原の鵜殿氏は松平方に属したが不相鵜殿氏は本家とともに今川方に残った。本家の鵜殿長照は松平方との上ノ郷城合戦の末に討死。孤立無援となったここ不相城の鵜殿平蔵長成は子の藤九郎以下一族を率いて城を脱して落城。不相城は長成一代で終わった。

古図によると、城山全体に曲輪が多く配され、堀や土居が巧妙に入り組んで描かれている。昭和九年(1934)にこの城跡にホテルが建設され、遺構の多くが消失。現在では、[蒲郡クラシックホテル]として営業を続けており、城郭風建築で醸し出す雰囲気は、観光地蒲郡を見下ろすを象徴的な建物となっていました。

2025年04月09日 尾張守たまきち
蒲形陣屋 (蒲形城・下ノ郷城)[上ノ郷城  周辺城郭]



今川家有力家臣の上ノ郷城主∶鵜殿家が、分家して城館を構えた地。これが蒲形城であり、下ノ郷城とも呼ばれている。分家築城の時期は明応年間(1492-1501)の頃。江戸期に描かれた絵図によると水堀に囲まれた方形の本丸を中心として周囲に外郭を備えたものであった。

永禄三年(1560)の桶狭間合戦で今川義元が敗死した後の三河国は、今川方と松平方が対立。鵜殿氏は本家である上ノ郷城とここ下ノ郷城(蒲形城)そして柏原城、不相城に分家して城館を構えていたが、下ノ郷と柏原の鵜殿氏はこの時松平方に付いた。家名存続のためであったと云われている。松平家が攻城した上ノ郷城の戦いは、今川方鵜殿本家上ノ郷城主∶鵜殿長照が討死して終わった。その後、下ノ郷鵜殿氏は酒井忠次配下に置かれたと言われている。

添付した写真の土塁の遺構は、昭和32年(1957)に下ノ郷城(蒲形城)の名残として市の文化財に指定されたが、調査の結果、江戸期に下ノ郷城(蒲形城)趾に整備された松平氏陣屋跡(蒲形陣屋)の土塁であることが分かり、平成17年(2005)に指定が解除されたものです。

2025年04月08日 尾張守たまきち
鵜殿長照墓所[上ノ郷城  寺社・史跡]



上ノ郷城城主∶鵜殿長照の墓所。かつて上ノ郷鵜殿氏の菩提寺だった「長応寺」があった場所で、長応寺は上ノ郷城落城の際に焼失。

永禄3年(1560)、桶狭間の合戦で織田信長が今川義元を討ち取った後、それまで今川氏につかえていた松平元康は岡崎城を拠点として独立。三河国は松平方と今川方に分かれ、鵜殿長照は今川方として、永禄5年の上ノ郷城合戦に挑んだ。城攻めは、松平元康自身が出馬し、上ノ郷城北西の名取山に陣を構え、夜陰に乗じて配下の忍者が上ノ郷城内に忍びこんで火をつけ、城中が混乱したところを攻め落としたと伝わる。城主の鵜殿長照は討ち死にし、二人の子は生け捕りにされ、岡崎城へ連れていかれました。

現地は、綺麗に清掃されており、お供え物などを見ても、地元に愛されている殿様だったと感じました。

2025年04月07日 尾張守たまきち
竹谷城[上ノ郷城  周辺城郭]



天文17年(1548年)松平守家によって築城。 松平守家は松平信光の長男で竹谷に居して竹谷松平氏の祖となった。四代清善のときには今川氏に属していたが、桶狭間合戦の後に家康に仕えた。 天正18年(1590年)徳川家康の関東移封に従い、六代家清は武蔵国児玉郡に一万石を領して武蔵国八幡山へ移った。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦後、松平家清は三河国吉田にて三万石を領して大名となった。

現地は、比高10m程の丘陵で、山上はみかん畑になっており、主郭には竹谷城の石碑が建てられていました。途中に、空堀がありましたが、その城名の通り、竹藪に阻まれて入れませんでした。

2025年01月27日 二郎三郎三河守
上ノ郷城

蒲郡西部公民館に停めてミカン畑のビニールハウスの間を通り抜けると近いです。

2024年04月26日 もいち
上ノ郷城



蒲郡市西部公民館で資料をいただき、みかん畑の傍を歩いて登ると見つかります。道は狭いけれども、登ってみると広く、四方を見渡すことができます。鵜殿長輝が奮戦したことが想像できます。

ナビで検索すると細い道に迷い込むので、公民館を目指してきてそこから歩くことをお勧めします。

2024年01月08日 ᴿᴱᴰ 副将軍
岩略寺城[上ノ郷城  周辺城郭]



無数の腰郭群が配された東三河最大規模の山城🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代、築城主等の詳細不詳。
文安年間(1444年〜1449年)に今川氏一族の関口満興が築き、弟の関口直幸が入城し長沢氏を名乗ったとされ、この長沢城が岩略寺城であるとの説がありますが、長沢古城または登屋ヶ根城の可能性もあり定かではありません。
1458年に松平信光が長沢城に侵攻し落城。嫡男の松平親則が長沢城に入城し長沢松平氏の祖となりました。
その後、松平清康が没すると内紛により松平氏は弱体化。今川氏が三河に勢力を拡大し、1547年には牧野田三郎は長沢へ兵の配置を命じられ、1551年には匂坂長能は長沢城への在城と普請を命じられており、西三河と遠江の境目にある今川氏の重要拠点であったと考えられます。
1560年の桶狭間の戦いで今川義元が没すると今川氏は弱体化。長沢城には糟谷善兵衛と小原鎮宗が城代として徳川家康からの侵攻に備えましたが、1561年には徳川家康の侵攻により落城。徳川家康は深溝城の松平伊忠を長沢城に置いて今川氏に備えました。
1590年に徳川家康が関東に移封となると廃城に、なった様です。

見所
標高169mの城山頂部に築かれており東海道を押さえる交通の要衝です。
山頂の主郭は土塁が巡り北西部に虎口が開口。北側に腰郭状の二郭が配され、周囲には他にも多数の腰郭群が広がります。西側の腰郭下には城道を兼ねた空堀も敷設。
主郭北西下の切岸に三日月堀がありここが一番の見所と感じました。
主郭から北・北東・南東に伸びる三本の尾根筋に鋭い切岸の小郭群が展開され、北へ伸びる尾根には食い違い虎口もあります。
城域には井戸跡とされる竪穴が五か所も残っています。
プリミティブな山城で派手さはありませんが、徳川氏または今川氏による改修の跡も見られる東三河を代表する巨大山城で、山城の残存が少ない愛知県にとっては希少な存在です。

行き方は、国道1号の長沢交差点から南へ集落に入り、突き当たりを左折すると林道に入ります。そのまま城域直下の駐車場まで行くことができます。
私の場合は比高は100mくらいなので麓から登りました。帰りに降りる尾根を間違えて主郭まで引き返したのでご注意を。

2023年11月27日 中務少輔RedKing
上ノ郷城



蒲郡市を見渡せるミカン畑の中にあります。式内赤日子神社から誘導看板とおり登ります。いずれも鵜殿氏の関係の説明がされています。周辺のミカン畑には入らないようにしましょう。石垣と言うか山畑の法面は、しっかりしています。

2023年09月26日 mitt
上ノ郷城

みかん畑の中をちょっと登って、蒲郡港が望めます。なかなかいい雰囲気です

2023年07月22日 ペスカトーレ
上ノ郷城



上ノ郷城跡、どうする家康の序盤で出てきた城ですね。

地形はわりと残っているものの、そもそも石垣の無い、平山城なので遺構が少なく、比較的短時間で見て回れます。

2023年04月03日 今川党山県右兵衛尉ニャン八
上ノ郷城



大きくないように見えて、結構大きな城でした。周辺に池があったり、「矢倉場」の地名があったりと、堀がどうあったか想像ができます。城の遺構の方もしっかりとしていて、高い土塁などが素敵でした。今は大河ドラマの影響により人がそこそこいるようなので迷うことはないと思います。

2023年03月13日 ᴿᴱᴰ 副将軍
上ノ郷城



今川氏重臣である鵜殿氏の居城🏯徳川家康が攻め落とし瀬名姫との人質交換を成功させた舞台の城跡

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。今川氏の重臣である鵜殿氏によって築かれたその居城。
鵜殿氏は、紀伊国牟婁郡鵜殿が発祥と云われます。いつ頃にどの様な経緯で三河に土着したのかは分かっていませんが、南北朝時代には南朝方でした。鵜殿長持は今川義元の妹を妻に迎えているほどの重臣。
1560年に桶狭間の戦いにより今川義元が没した後も、今川氏家臣が徳川家康へと離反する中でも鵜殿長持とその子の鵜殿長照は今川氏真に従いました。
1562年、松平元康(徳川家康)は上ノ郷城に侵攻。伴氏を中心とした甲賀忍者を偲ばせ火を放って落としたと伝わります。鵜殿長照は討死。その子である鵜殿氏長・氏次兄弟を捕縛し、今川方の人質となっていた徳川家康の正室である瀬名姫、嫡男の竹千代、長女の亀姫と人質交換をしたのは有名なエピソード。
その後は徳川家康の義父である久松俊勝が入城し、1590年に徳川家康が関東に移封となると池田輝政の所領となり、その後に廃城となりました。

見所
東西に長い丘陵頂部に主郭を配し南側に虎口が開口、主郭南下に二郭、南東下に東郭が配されています。
二郭は東西に土塁が巡り南側中央に虎口が開口。土塁上に城跡碑が立っています。外郭の堀が南側に池として残っています。

行き方は、城域南東部にある赤日子神社を目標に設定。ここが駐車場でありパンフレットもあります。比高15m程の低い丘陵であり気軽に登れます。

徳川家康ゆかりの城跡であり大河ドラマファンの方はぜひ!

2023年02月12日 八咫烏紀伊守鉄龍
上ノ郷城



大河バブルで、すんげぇ人が来てました。まあ、僕もその一人何ですが(笑)近くの公民館にお城の復元模型があります。

2023年02月11日 もと兵庫頭
上ノ郷城

蜜柑畑の中を通って坂を登ると、思いのほか広い主郭跡がありました。目を転ずる遠くに海ものぞめ、とても良い感じでした。

2022年07月06日 在来線男右京進
蒲郡市博物館[上ノ郷城  御城印]



駐車場は広く、屋外に、門や石碑や機関車、古墳があります。展示品は変わった物はありません。やたら広いので1つ1つがゆったりと置いてあります。節電のため、冷房は弱めになっています無料で入れますが、御城印は300円です。いろいろなパンフレットがあり、上ノ郷城跡のもありました。休館日が月曜と第3火曜日です。

2022年07月06日 在来線男右京進
上ノ郷城



ちょっとわかりにくくて、探しました。神社の大鳥居が見つかれば直ぐです。神社の横に駐車場があり、10台くらい停めれます。神社のトイレは最新式でとてもキレイです。橋を渡って標識にしたがって行けば城まで10分かかりません。土塁や郭がよく残ってます。ちょっと畑が多いですが、見晴らしの良い城跡です。登城道は狭いですが、草刈りはしてあるみたいです。御城印は2kmくらい離れた蒲郡市博物館で売っています。ただ休館日が月曜と第3火曜日です。それと冷房が弱めでした。無料なので仕方ありません。なぜか機関車のデコイチや古墳があります。石室はとても涼しいです。

2022年06月16日 左近衛中将かめかめ
岩略寺城[上ノ郷城  周辺城郭]



南曲輪の目の前に駐車場あります。クルマでいかれる際は山の北西側からのルートを選択するといいでしょう。南からも行けますが、結構な山登りになるので要注意です。

写真1:登り始めて1分で出会える堀切
写真2:本曲輪北西の(おそらく)登城路にある石垣
写真3:駐車場にある縄張り図
写真4:北東尾根の段曲輪
写真5:本曲輪北西の(おそらく)登城路を斜めから。竪堀にしか見えない
写真6:本曲輪北西の腰曲輪下にある三日月堀。

2022年01月23日 Yana右衛門督
上ノ郷城



ライオンズクラブさんが綺麗に整備して頂いています。春になって枝垂れ桜が咲く時にまた来て見たいです。

2021年11月07日 中務卿スーさん
上ノ郷城



赤日子神社の横に駐車場あります。蒲郡駅から歩いて30分くらいです。みかん🍊畑の中を登っていきます。矢印があるので、間違って畑に入ることはないかと。主郭、東郭、北郭から成っていて、東郭に子供たちが水仙を植えていました。来年には水仙が咲きほこっているかも⁉️

2021年01月27日 近江守フロクニ
上ノ郷城

先ずは赤日子神社を目指す。247号バイパス貴船交差点を北上、信号を越えて中部中学→の看板の所を西に。神社の4時付近に出たら時計回りに9時の場所まで進むと駐車場と看板、パンフレットが有ります。ここからは徒歩で150m程進みますが要所に案内が有るので迷いません。ミカン畑をちょっと進むと石柱が有ります。そこからもうちょっと登ると本丸跡に。本丸のブルーシート掛けてある場所は凹凸あるので立入り禁止ですね。

2020年11月15日 我流尾張守クール
不相城[上ノ郷城  周辺城郭]

蒲郡市竹島町城山に所在していた城。蒲郡クラッシックホテル(旧蒲郡プリンスホテル)が建っています。
同ホテル、名称変更はありますが、かつてはベーブ・ルースが泊まったことがあるらしく、最近では某ドラマのロケ地にされたらしいです。

2020年11月03日 ばらく~だ
上ノ郷城



赤日子神社の駐車場へは鳥居をくぐって参道を通って行きます。主郭からは、蒲郡の街から三河湾、渥美半島まで見渡せ、いい眺望だと思いました。

2020年11月03日 摂政やつた
上ノ郷城



みかん畑に囲まれた城跡です。近くの神社に説明板があり、そこから城跡までは案内標識通りに進めば迷いません。
城跡碑は上をしっかり見てないと見逃します…

2020年10月26日 左近衛少将やまち
上ノ郷城



駐車場(34.8410860, 137.2256780)ありますが、至る道がかなり狭いので、要注意。
駐車場脇に上ノ郷城の看板とパンフレット置場があり、無料で貰える。
城跡調査の様子が看板とパンフレットでわかり易く説明されてますが、城跡の主郭は埋め戻された状態で何も無し。一部ブルーシートあり。
私有地の中にあるので、主郭への道以外には行けず、東郭、北郭、縄張り図にある城池は明確にわからず、残念。
主郭までの道、入っては行けない方向は都度、看板があってわかりやすい。
土塁は草木が茂っていて、こちらも明確には、わからず。
草木を除けば、なかなか大きい土塁かと思われ見応えがありそうなだけに、残念。
きちんと発掘調査が行われているだけに、遺構の保存にも期待したい。

2020年08月15日 JUMP三河守
上ノ郷城



南側の神社のところに駐車場があります。案内板に沿って道を行くと、主郭跡にたどり着きます。
北側から入ると、道がとても細くて車では難儀をします。

2020年06月24日 OROKA中務卿
岩略寺城[上ノ郷城  周辺城郭]



【東三河最大級のザ・山城!】

岩略寺城は上ノ郷城の北東に位置する城で、関口氏の一族である長沢氏が築いた城です。しかし、その後に松平氏に攻め落とされ家康の関東移封まで改修されながら使われたようです。

アクセスとしては、国道1号線の長沢の信号で南西の道に入り、さらに突き当たりを左折すると林道に入ります。この林道(整備されてますが、たまに枝や小石が落ちていたので注意)をウネウネ登ると、案内板のある城のすぐ横に出ます。ここに駐車スペースも確保されています。
ここから5分ほどで岩略寺城に行けるので、これほど楽なことはありません。

遺構としては、素朴な山城から拡張を重ねてきた複雑さがあります。
主郭は土塁に囲まれ、それなりの広さがあります。また、主郭の下には空堀があり、これが三日月堀(形としては)になっていて浅いながらも嬉しくなります。
他にも井戸跡や高低差のある帯郭と虎口など、基本を押さえた遺構が楽しめます。
また、帯郭をくまなく探索すると石積(というよりは切岸を補強した物かな)が出てきたりして、かなりワクワクします。他にも、城の遺構かは不明ですが長い猪垣(いうなれば登り石積)もあり、ついつい城の細部まで探索してしまいます。

車から5分でこんなに本格的な山城の遺構が楽しめてしまうなんて…興味を持ったそこのアナタ、これは行くしかないですよ!

2020年05月04日 OROKA中務卿
竹谷城[上ノ郷城  周辺城郭]



竹谷城(たけのやじょう)は、竹谷松平氏の築いたお城のようです。

登り口は城の西側に、民家と民家の間にあります。いちおう登り口の案内板はあったはずですが、なかなか勇気のいる立地です。
そして、駐車場はないので自力で何とかするしかありません。

登りと言っても、大した高さではなく5分くらいで着きます。

本丸はだだっ広い空き地で「何もないじゃん」と思うと予想されますが、南側にはガッツリした空堀があり、ギャップにテンション上がります。
しかもこの空堀、竹やぶでコーティングされてます。この空堀に埋もれてみれば、竹の優しさに包まれること間違いありません。城の名前の由来はコレ…ではないと思いますが。

ちなみに、この空堀以外の遺構らしい遺構は発見できませんでしたf(^_^;

2019年05月18日 しげぽん
上ノ郷城



上ノ郷周辺は細い道が多いので。車で来る場合は赤日子神社の西側にある駐車場に停めるとよいです。4代程度駐車でき、案内パンフも用意されてます

2017年12月26日 我流尾張守クール
上ノ郷城

赤日子神社を目指して向かって下さい。
神社西隣に乗用車5~6台分の駐車場が有り、案内板と一緒にA4三折りのパンフレットが置いてあります。
そこから案内標識に従い主郭まで5分足らずで到着です。
郭跡はみかん畑に造成してあり、石碑が建てられている土塁の保存状態は良好です。
足元めブロックやコンクリートで整地してありますので、革靴でも大丈夫でした。
東側を流れる兼京川(用水みたい)を天然の堀に、南側には熊ヶ池(防火貯水池みたい)が堀の一部だったと言われているそうですが、面影はありませんでした。
主郭は平屋建ての住居や井戸があったそうで、三河湾を一望出来るロケーションでした。
家康公が攻め落とした際には甲賀忍者が活躍したとか…
付近の地名には「矢台」「矢倉場」「市場」と残っていて、城下町があったことが知ることが出来ます。


上ノ郷城の周辺スポット情報

 熊ヶ池(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 主郭(遺構・復元物)

 名古屋城築城時の石切丁場(遺構・復元物)

 蒲形陣屋移築大手門(遺構・復元物)

 上郷城址石碑(碑・説明板)

 上ノ郷城跡について(碑・説明板)

 竹谷城(周辺城郭)

 岩略寺城(周辺城郭)

 不相城(周辺城郭)

 丹野城(周辺城郭)

 蒲形陣屋 (蒲形城・下ノ郷城)(周辺城郭)

 赤日子遺跡(寺社・史跡)

 鵜殿長照墓所(寺社・史跡)

 竹谷松平四代五輪塔(寺社・史跡)

 蒲郡市博物館(御城印)

 蒲郡市西部公民館(御城印)

 トイレ(トイレ)

 赤日子神社駐車場(駐車場)

 蒲郡市西部公民館駐車場(駐車場)

 城入口(その他)

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