田原城(たはらじょう)

田原城の基本情報

通称・別名

巴江城、今宮城

所在地

愛知県田原市田原町巴江

旧国名

三河国

分類・構造

梯郭式平城

天守構造

築城主

戸田宗光

築城年

文明12年(1480)頃

主な改修者

池田輝政

主な城主

戸田氏、伊木氏、三宅氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀・水堀)、井戸

指定文化財

再建造物

模擬櫓、模擬門、石碑、説明板

周辺の城

高縄城(愛知県豊橋市)[6.4km]
伊奈城(愛知県豊川市)[14.7km]
形原城(愛知県蒲郡市)[15.1km]
吉田城(愛知県豊橋市)[15.7km]
二連木城(愛知県豊橋市)[17.1km]
牛久保城(愛知県豊川市)[18.3km]
上ノ郷城(愛知県蒲郡市)[19.2km]
深溝城(愛知県額田郡)[20.3km]
牧野城(愛知県豊川市)[21.2km]
月ヶ谷城(愛知県豊橋市)[23.7km]

田原城の解説文



田原城(たはらじょう)は、三河国渥美郡田原(現在の愛知県田原市田原町巴江)にあった戦国期から江戸期の日本の城。江戸時代には田原藩1万2千石の藩庁であった。

歴史 

文明12年(1480年)ころに戸田宗光(全久)によって築城され、戸田氏の三河湾支配の拠点となった。 16世紀になると近隣の戦国大名の拡大に伴って、はじめは松平氏に属し、さらに今川氏に転じた。天文16年(1547年)、戸田康光のとき、人質として今川氏の本拠地駿河国に送られる松平氏の嫡男竹千代(後の徳川家康。康光は義母の父に当たる)を護送する任を受けるも、寝返って竹千代を今川氏の敵方の織田信秀に送ってしまったため今川義元の怒りを買い、田原城は今川方の攻撃を受けて落城、城主康光も戦死した。

ただし、2010年後半になって岡崎城を織田氏に攻め落とされた松平広忠が自ら竹千代を人質に出したとする説が有力となったことで、戸田康光の裏切りそのものが事実として成立しなくなってしまった[1]。加えて、田原城周辺の状況から天文16年の田原城攻撃の際には落城には至らず、実際に田原城が落城したのは天文19年(1550年)頃であったと推定されている[2]

その後今川氏に属する城代が入るが、桶狭間の戦いの後、今川氏から自立した家康によって攻略され、松平氏譜代の本多広孝が城主に入って、東三河の旗頭として吉田城(豊橋市)を与えられた酒井忠次の指揮下に入った。さらに天正18年(1590年)、家康が関東へと移封すると代わって吉田城に入封した池田輝政の持ち城となり、田原城には重臣筆頭の伊木忠次が城主となって田原に在城した。輝政の統治期に、石垣の修築や曲輪の整備などが行われたと考えられる。

江戸時代になると、田原城には三河の他の主な城と同様に譜代大名が置かれ、1万石そこそこと少ないながらも藩を形成した。はじめ田原戸田家の支族、戸田尊次が入り、その後寛文4年(1664年)に三宅氏が1万2千石で入封、そのまま明治維新を迎えるまで200年強支配した。三宅氏は、現在、最高裁判所の別名の三宅坂で名を残す。 廃藩置県後の明治5年(1872年)、他の多くの城と同様に田原城の建築物も取り壊された。

歴代城主 

時代 城主
1480年 - 1499年 戸田宗光
1499年 - 1509年 戸田憲光
1509年 - 1526年 戸田政光
1526年 - 1542年 戸田宗光(康光)
1542年 - 1547年 戸田堯光
1547年 天野景貫
1548年 朝比奈元智
1561年 岡部輝忠
1562年 - 1565年 朝比奈元智
1565年 - 1577年 本多広孝
1577年 - 1590年 本多康重
1590年 - 1601年 伊木清兵衛
1601年 - 1615年 戸田尊次
1615年 - 1647年 戸田忠能
1647年 - 1664年 戸田忠冶
1664年 - 1687年 三宅康勝
1687年 - 1726年 三宅康雄
1726年 - 1745年 三宅康徳
1745年 - 1755年 三宅康高
1755年 - 1780年 三宅康之
1780年 - 1785年 三宅康武
1785年 - 1792年 三宅康邦
1792年 - 1809年 三宅康友
1809年 - 1823年 三宅康和
1823年 - 1827年 三宅康明
1827年 - 1850年 三宅康直
1850年 - 1869年 三宅康保

城の特徴 

海に面した小さな丘に築かれており、海や水堀に囲まれた城郭の形状から別名を巴江城という。

築城当時は東側から北周りに西側にかけて海に面し、巴型に水堀を張り巡らせて主郭を守った。16世紀はじめの戸田氏は渥美郡全域(現在の田原市から豊橋市の豊川・朝倉川南岸まで)及び知多半島の一部を領有していた。渥美半島のみならず三河湾の海上支配をもくろみ、半島の中ほどにあり海に面した田原城を本拠としたのである。また、戸田氏が半島内に築城した老津城大崎城二連木城はいずれも三河湾または三河湾に注ぎ込む朝倉川に面しており、戸田氏が海上支配を重視していたことがよくわかる。

天正18年(1590年)池田輝政が東三河に入ると、本拠地を吉田城に構え、田原城も城代として入った伊木忠次によって整備がなされた。現在残る曲輪の配置や石垣などは基本的にはこの時期か、池田氏の後に入った戸田氏によってなされたものと考えられている。江戸時代になると田原城の南側に城下町が形成された。また、17世紀後半ころに田原城の東側の大きな入り江に大規模な干拓が行われ、海に面していた田原城本丸は陸地にむき出しとなり、現在に至っている。 また、一部の武家屋敷や藩校・成章館などを囲むように外郭も形成されていた。明治初年に撮影された古写真によると、主郭の壁は海鼠壁となっており、二ノ丸の櫓は層塔式二階建てのものとなっている(現在再建されたものとは形状が異なる)。

現在の田原城址 

石垣を初めとした遺構は多く残るが、建物は昭和以降の再建である。また、城地の多くは地域住民の公共的な施設になっている。内郭は、本丸が三宅氏の家祖である南朝の忠臣児島高徳を祀る巴江神社になっており、9月半ばには年に一度の祭りが大々的に行なわれて、地区住民のシンボルとなっている。この神社は、三宅氏が文化年間に二ノ丸に建立した社から、魂を移したものである。二ノ丸には二の丸櫓が再建されているが、古写真で見ると櫓は下見板張となっており、過去にあったものとは異なる外見となってしまっている。郭内は田原市博物館となっているが、1990年代の博物館建設の際、施設と通路の再整備のために多くの遺構を崩してしまったことは批判も受けている。なお、博物館建設以前は町立保育所となっていた。三ノ丸は護国神社となっており、併せて渡辺崋山・村上範致・岡田虎二郎など郷土の偉人の顕彰碑が建設されている。

そのほか、大手門が再建されているが、やや装飾過剰なようである。石垣は16世紀と思われる野面積みのものがそのまま残っている。石も田原市北部から産出する石灰岩が混ざっていて、地域性が出ている。

城の外郭にも長らく土盛りなどが残っていたが、近年の再開発で多くは崩されてしまった。現在でも田原中部小学校の南側にわずかながら石垣と土盛りが残されている。

藩校の成章館の跡は田原中部小学校となり、またその北側に渡辺崋山を主神とする崋山神社を建設した。なお、藩校の成章館の名は、田原城の西郊にある愛知県立成章高等学校に引き継がれている。

また、城の南側・西側などの道は当時武家屋敷が並んでいたところで、再開発で道の多くはなくなったり拡幅されてしまったが、一部に城下町の風情を残している。

本丸跡には巴江神社が建てられている。

アクセス 

  • 豊橋鉄道渥美線 三河田原駅から北へ徒歩約15分[3]

田原城の口コミ情報

2021年12月20日 虹ノ松能登守
田原城



城跡は博物館になっていて、立派な建物と無料の駐車場があります。
空堀と石垣の一部が現存のようです。復元の二の丸櫓が無料の展示場になっていて、田原城の歴史とかつての様子が模型で復元されていました。本丸跡は神社になっています。

2021年12月10日 やしち尾張守
田原城



愛知県の観光ブック 百花城乱の三河統一戦を見てリア攻。桜門の両横に袖池、枡池がありコンパクトに回る事が出来ます。桜門の前を通過し、突き当たりを右に行けば無料駐車場入口になっています。

2021年12月03日 しげしげ右馬頭信繁
田原城



12月2日いきましたが博物館は休業中でした。無料御状印は入り口に置いてありましたのでありがたく頂きました。勿論一人一枚ですので。

2021年04月02日 若狭守ぽぽた
三河田原駅[田原城  その他]

駅舎は安藤忠雄建築研究所の設計。
田原城跡まで約1.3kmの歴史ウォーキングトレイルルートが設定されており、数十mごとに案内板が設置。見所紹介や豆知識があって楽しめました。

2021年03月22日 犬走りより荒ばしり上総介
田原城



桜門とそれを支える石垣に水堀、再建された二ノ丸櫓もあり、正直いい意味で期待をはずしてくれた趣ある城でした😅

2021年01月24日 三河守フロクニ
田原城



北西に大きな駐車場有り。そこから中央に移動すると看板、南西側に石碑が有る。二の丸にある説明文や模型を見てから回ると良いかも。

2020年11月04日 蔵人頭ピロシキ
田原城

11/7さわやかウォーキング限定御城印販売。500枚限り。一人三枚まで。
田原城初の限定版です。

2020年10月04日 ばらく~だ
田原城



田原城の見所は、やはり二の丸櫓、桜門、水堀、野面積みの石垣ですが、本丸跡(巴江神社)と二の丸の間の空堀もけっこう深く見ものだと思いました。また、県道28号線からお城を臨むと、本丸は、高い崖の上にあるので、攻めづらいかんじでした。

2020年07月10日 陸奥守たろす
御城印[田原城  御城印]



【田原城御城印】
すでに先達さまが口コミされてますが、2020.7.4より田原市博物館にて御城印取り扱いが始まりました♪
御城印には田原城の城主であった、戸田家の家紋「六曜紋」、三宅家の家紋「輪宝紋」があしらわれ、田原城の文字は城跡石碑の文字を使用。
また、購入時に「田原城趾之印」の生印と日付印が押されます♪
1枚300円です

2020年07月07日 真田大宰帥信泰
田原城

本日7月7日より田原城御城印が時代の流れ?にのって発売となっております。
博物館受付で購入できます!

2018年05月19日 織田上総介晃司
田原城

田原市民俗資料館に停めさせていただきました。

田原城散策の後、資料館に戻り館長さんに話を聞くとカーナビで検索するとここ(資料館)に停めるそうです。
停めるのは構わないが、近くの小学校の先生の駐車場にもなっているのでその時は2〜3位しか停めれません。

広い駐車場があるそうです。知らなかった…

2015年11月23日 まるき〜主殿助
田原城

県道28号線から少し入った所に広い無料駐車場があります。
通路を上がって行くと正面に石垣、左手に空堀が見える
二の丸櫓は無料で見学できる文化財収納蔵になっていて田原城の再現模型等が展示されている。
二階は発掘された土器や貝塚等の展示、城内の田原市博物館は一般500円、小・中学生は無料
桜門を出た所にある田原市民族資料館は無料で見学できます。
巴江神社、護国神社が隣接しており探索、散歩するのに雰囲気の良い所でした。




2012年06月24日 【隠者】史学会帰新参
田原城

城内に田原市博物館があるが、渡辺華山の事は詳しく展示しているが、田原城や田原の歴史の展示はあまりなかった、書籍も多数販売しているがそそるものがなかった。ニノ丸櫓の文化財収蔵庫に田原城の模型や解説があった。

田原城の周辺スポット情報

 桜門(遺構・復元物)

 惣門跡(遺構・復元物)

 水堀(遺構・復元物)

 二の丸櫓(遺構・復元物)

 井戸(遺構・復元物)

 田原城跡説明板(碑・説明板)

 城趾碑(碑・説明板)

 仁崎御殿(周辺城郭)

 波瀬館(周辺城郭)

 巴江神社(寺社・史跡)

 崋山神社(寺社・史跡)

 御城印(御城印)

 駐車場(駐車場)

 三河田原駅(その他)

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