吉田城(よしだじょう)

吉田城の基本情報

通称・別名

吉祥郭、峯野城、歯雑城、今橋城

所在地

愛知県豊橋市今橋町他

旧国名

三河国

分類・構造

半円郭式平城

天守構造

築城主

牧野成時

築城年

永正2年(1505)?

主な改修者

池田輝政

主な城主

牧野氏、戸田氏、小原氏、酒井氏、池田氏、竹谷松平氏、深溝松平氏、水野氏、小笠原氏、久世氏、本庄松平氏、大河内松平氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀

指定文化財

再建造物

模擬鉄櫓、石碑、説明板

周辺の城

二連木城(愛知県豊橋市)[2.0km]
牛久保城(愛知県豊川市)[4.4km]
伊奈城(愛知県豊川市)[6.0km]
牧野城(愛知県豊川市)[6.3km]
月ヶ谷城(愛知県豊橋市)[8.2km]
高縄城(愛知県豊橋市)[10.3km]
宇津山城(静岡県湖西市)[12.9km]
野田城(愛知県新城市)[14.2km]
雨山城(愛知県岡崎市)[14.3km]
田原城(愛知県田原市)[15.7km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)151 吉田城

設置場所

吉田城鉄櫓内[地図
豊橋市役所東館13階 手筒花火体験パーク(吉田城鉄櫓休館日のみ)[地図

吉田城の解説文



吉田城(よしだじょう)は、三河国渥美郡今橋(現在の愛知県豊橋市今橋町、豊橋公園内)にあった日本の城。

戦国時代の16世紀初頭にその前身が築城され、16世紀末に大改築が行われた。戦国時代には三河支配の重要拠点の1つとして機能し、江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たした。別の城名としては、築城当初に今橋城と呼ばれ、明治維新後に吉田藩から豊橋藩に改名されたことに伴い豊橋城とも呼ばれた。

歴史 

戦国時代初期

永正2年(1505年)に宝飯郡の長山一色城主・牧野古白が今川氏親の命により、渥美郡馬見塚村(豊橋市今橋町。現在の同市馬見塚町とは位置が異なる。)の入道ヶ淵に臨む岡に築城したとされる。[1][2]築城目的は、西三河で勢力を広げつつあった安祥城の松平長親による東三河進出に備えるため、もしくは、その松平氏の縁戚としての友好関係を保持しながら渥美郡全域で勢いをつけていた戸田宗光を警戒するためのもの、と考えられている。

翌永正3年(1506年)松平氏と今川氏の戦いの後、牧野古白・野瀬丹波が討死。今橋城から近い東方の二連木城(豊橋市仁連木町)や半島の田原城に拠点を持つ戸田氏と、牧野氏が争奪戦を繰り返すため城主が次々と入れ替わった。

享禄2年(1529年)、西三河から松平清康(長親の孫)が進出し吉田城を攻略。戸田氏まで屈服させて、三河支配権を、ほぼ確立させた。しかし、天文4年(1535年)には清康が横死して松平氏の直臣の城番が撤退、かわって非直臣の城番の一人牧野成敏がそのまま城主となるが、天文6年(1537年)には牧野氏を追った戸田宣成が城主となった。

天文15年(1546年)、牛窪城主(長山一色城主)の牧野保成の要請を請けて今川氏が戸田宣成を攻めて吉田城を陥落させ[3]、これを管理下に置いた。今川氏が直接支配に乗り出したことで東三河における最重要戦略拠点となった。

今川氏の統治

今川義元は駿河から城代に伊藤左近・後に小原鎮実を派遣。支配力を強化する為、東三河の国衆にも城代を補佐させて統治協力を強いた。その後、松平氏の弱体化によって新たに今川氏の統治下に組み込まれた岡崎城を後方から支える責務も負った。だが、永禄3年(1560年)5月、今川義元が桶狭間の戦いで討たれると支配力を低下、次第に歯止めが利かなくなる。永禄8年(1565年)には、今川氏を離反した松平家康によって攻略され、小原鎮実は退避。今川氏は三河支配権を喪失する。

戦国時代末期から

豊川を後背地とする背水の陣となるのを嫌ったのか、家康は本城として用いずに信任の厚い重臣の酒井忠次を城代に任命。並びに、南方の田原城の城代に本多広孝を配置。吉田城を中心とし戸田氏や牧野氏、西郷氏などの東三河4郡の諸豪族を統率させた。永禄11年(1568年)末からの遠江侵攻では、掛川城を攻囲するまでの東三河衆は酒井忠次の指揮の下、家康本隊とは別行動であった。

遠江を併呑した当初、まだ本格的ではなかった武田氏との対戦が想定され、城の北方では設楽郡の長篠城野田城が、東方では遠州の浜松城二俣城高天神城などが牙城となった。

その武田氏とは、元亀2年(1572年)より天正10年(1582年)に至るまで攻防戦を三・遠の両国で繰り広げるが、天正3年(1575年)の長篠の戦いまでは徳川氏が劣勢であった。特に元亀2年の春には設楽郡の防衛網を容易に突破した武田軍が南進。吉田城下にまで押し寄せられるが、頑強に守り抜いた。その後も城代・酒井忠次を旗頭とする東三河国衆が武田氏による東三河・西遠江への侵略対応に心血を注いだ[4]

池田輝政時代

天正18年(1590年)、豊臣秀吉により家康が関東に移封されると、池田輝政が東三河4郡を統べる15万2千石の城主となった。

輝政は吉田城および城下町の大改築や吉田大橋(豊橋)の架け替えを行った。整備は11年間にわたって行われたが、関ヶ原の戦いの翌年慶長6年(1601年)に輝政は播州・姫路に移封された。現存する城跡は近世城郭ではあるが、輝政の統治下では完成しなかった。

江戸時代

幕藩体制の下で吉田城に三河吉田藩の藩庁が置かれた。ただし、東海道の重要な防衛拠点の1つに挙げられていたため、江戸幕府の老中・大坂城代・京都所司代格など有能な譜代大名が城主に選ばれ出世城などと呼ばれていた。竹谷松平家をはじめ、深溝松平家や水野氏、小笠原氏など3万から8万石の譜代大名のみに託されるが、国替えは頻繁であった。そのため、ほとんどの藩主は菩提寺を吉田に造らず、唯一の藩主の菩提寺は小笠原家四代の廟の有る臨済寺{通称、殿様寺(とのさまでら)。豊橋市東田町}のみである。最後に入ったのは、大河内松平家である。

歌川広重の『東海道五十三次』の中で、橋と城が同時に描かれているのは、吉田と岡崎だけである。吉田大橋は東海道では数少ない大きな橋で、川に面した城郭と橋を同時に描くことができる吉田城は、東海道でも屈指の景観として多くの絵師に描かれている。

近代

明治維新後、松平信古(後の子爵大河内信古)が明治2年(1869年)に版籍奉還したため、明治政府下の豊橋城(豊橋藩)となり、明治4年(1871年)、敷地は兵部省の管轄となった。明治6年(1873年)、失火により多くの建物が焼失した。また、城趾内に名古屋鎮台の豊橋分営所が設置され、明治8年(1875年)には大日本帝国陸軍歩兵第18連隊が置かれた。

太平洋戦争後、三の丸内側は一部を除き豊橋公園として整備され、本丸には1954年(昭和29年)に隅櫓(鉄櫓)が模擬再建された。隅櫓(鉄櫓)の中は簡易的な資料館となっている。その他、豊橋市美術博物館や、豊橋球場などのスポーツ施設、文化会館などが整備されている。また、豊橋市役所(豊橋市今橋町1番地)も三の丸に立地している。

  • 1954年(昭和29年)3月20日 吉田城隅櫓(鉄櫓)を豊橋産業文化大博覧会に際して復元、期間中は郷土資料館として公開。設計は名古屋工業大学教授城戸久博士(当時)。[5]
  • 2005年(平成17年)10月 築城500年に合わせ、長らく非公開だった吉田城鉄櫓内部の改装の他、鉄櫓下石垣の補強工事を行い一般公開。[6]
  • 2016年(平成28年)3月26日 吉田城鉄櫓リニューアルオープン[7]
  • 2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(151番)に選定された[8]
  • 2022年(令和4年)3月30日 豊橋公園内の本丸・二の丸・三の丸跡の他、水門跡、総堀土塁跡、合わせて約73,370平方メートルを豊橋市指定史跡に指定[9]

城名について 

築城当初のこの城の命名について、「牛窪記」には吉田城とあり、後の成立である「牛窪密談記」・「宮嶋伝記」には今橋城となっており、また「今橋物語」には峯野城や歯雑城(おかさわじょう)と古名を紹介していて、今橋城の城名には諸説がある。

大永2年(1522年)、城主であった牧野信成(古白の子)によって吉田城と改められたというが、『宗長手記』では、大永4年(1524年)に「十日に今橋牧野田三一宿」、大永6年(1526年)、「三河国今橋牧野田三」とある。

また、明治42年(1909年)発行の『豊橋志要』(豊橋市参事会)には、天文年中に、今川義元が、今橋から吉田に改称したとしている。

立地、構造 

立地

吉田城は豊川が大きく蛇行した淵と支流の朝倉川が合流する場所に位置し、豊川左岸の河岸段丘のうちでも周囲より小高い場所で豊川とは約十メートルの段丘崖で接していることから、周囲を見渡すことができ豊川が自然堀の役割をはたす、自然の地形を利用した後堅固の平城である。

縄張

戦国時代
戦国時代の吉田城の構造は史料などが乏しくよくわかっていない。これまでの発掘調査の結果などから、今橋城と呼ばれていたころは最低でも東西300m南北240mで複数の曲輪で構成されていたと考えられる。酒井氏の治政のころには新たな堀が作られ東西700m南北400mほどに拡大されていたと考えられる。このころの大手門は後の飽海口門付近にあったといわれている。池田氏の治政のころは近世の構造に近いと考えられるが酒井期の堀等を踏襲しているところも有ると考えられる。
近世
本丸を中心に東方には金柑丸・南方西方には二の丸・北方には腰曲輪が置かれ、その周囲を三の丸、更に周囲を外郭(藩士屋敷)があり外周は総堀で囲われている、一般に半輪郭式と云われる形式に分類される縄張りである。総堀の外周はで西1400m南北700mの規模で、東海道沿いの近世城郭の中では岡崎城に次ぐ規模である。

本丸・腰曲輪

吉田城は総石垣造りではく本丸の内側・門周辺、及び、豊川に面した側は腰曲輪を含め石垣となっている。本丸はほぼ方形で周囲の石垣の四隅には4基の隅櫓があり、そのうち北西の鉄櫓(くろがねやぐら)は穴蔵を有した3層の隅櫓が天守相当の櫓だったと考えれている。南側と北側には多門、東側には裏門があった。本丸内には将軍上洛の際に使われる本丸御殿が元和8年(1622年)に完成したが宝永4年(1707年)の宝永地震で崩壊し以後再建されなかった。本丸北の段丘崖下に豊川に面して腰曲輪があり1基の櫓と水門(埋門)があった。石垣のうち本丸北西の鉄櫓(くろがねやぐら)下はチャートが使われ池田氏治政のころ築かれ、他の部分は花崗岩が多く使われ矢穴や刻印の残る石も存在している事から松平忠利治世時の施工と云われている。

二の丸・金柑丸

本丸の南方から西方に二の丸があり、南には二の丸御殿・二の丸口門と土塁の上に2基の隅櫓があり、西は花畑と呼ばれその北西に隅櫓があった。本丸の東方には金柑丸があった。牧野古白による築城当時の本丸はこのあたりにあったといわれている。

三の丸

二の丸の外周にあり、内部は堀・土塁・土壁等で区画され蔵や馬場・地方役所などがあり周囲も土塁・空堀で囲まれていた。三の丸西方の豊川に面した位置には門(水門)があった。

外郭(藩士屋敷)

三の丸の外側は藩士屋敷が広がり総堀で囲われ東部のみ総堀が二重になっていた。総堀は当初空堀であったが小笠原氏治世のころ向山大池(豊橋市向山町)が築かれ、その水を総堀に流入させ吉田方面の灌漑に、さらに城下の下水道に利用した。大手門は札木町(豊橋市札木町)付近にあった。

遺構 

公園化された本丸から三の丸には石垣、土塁、堀が残る。

  • 2005年(平成17年) 復興櫓[10](鉄櫓)の建つ鉄櫓台の石垣補強の際に行われた測量の結果から、一部に積み直しの形跡が見られるものの従来の評価どおり池田期に築かれたとみられる。
  • 2017年(平成29年) 発掘調査により復興櫓(鉄櫓)下の野面積み石垣が、高さ約12.7mの規模で戦国時代の石垣では東海地方最大級のものであることが明らかになった。

静岡県湖西市鷲津の本興寺の奥書院(静岡県指定文化財)と山門(惣門)(湖西市指定文化財)は、吉田城の御殿と城門を移築したものと伝えられている[11]

その他 

2013年9月21日に豊橋青年会議所により、吉田城前の広場で10万4,840個(語呂で、とよはし)のアルミの空き缶で吉田城櫓のモニュメントが作られ、「アルミ缶でできた最大の像」部門のギネス世界記録に認定された。完成した城は、底辺の幅6.6m、奥行き5.5m、高さ5m、重量は缶だけで約3tもあり、製作途中の同月16日に豊橋を直撃した台風18号にも耐え抜いた[12]

現地情報 

所在地
愛知県豊橋市今橋町
交通
JR・名鉄 豊橋駅前から豊橋鉄道東田本線(市内電車)で豊橋公園前停留場もしくは市役所前停留場で下車、徒歩で約5分。
JR・名鉄 豊橋駅から徒歩で約20分。
吉田城鉄櫓
開館時間:10:00~15:00 休館日:月曜日・年末年始(月曜日が祝日の場合は開館),入場無料[13] (2022年3月現在)

参考文献 

  • 【書籍】「吉田城遺跡」
  • 【書籍】「吉田城址(I)」
  • 【書籍】「とよはしの歴史」
  • 【書籍】「吉田城址(VIII)」
  • 【書籍】「三河吉田城」
  • 【書籍】「市内遺跡発掘調査-平成29年度-」
  • 【書籍】「市内遺跡発掘調査-平成30年度-」

吉田城の口コミ情報

2022年05月06日 武蔵守さとし
吉田城



無料駐車場があります。現在、正面入口が改修工事中でしたが、裏門から建物を見学できます。

2022年03月26日 近江守吉川
吉田城

入城料無料で、役場に車を停めると直ぐに城内に入れます。

2022年01月21日 おっちゃん868号
吉田城



豊橋公園の無料駐車場に停めて攻城出来ます。鉄櫓も無料で観れます。御城印は、美術館又は市役所で頂けます。

2021年12月12日 やしち尾張守
吉田城



愛知の観光ガイドブックで、家康三河統一戦のページを見てリア攻め。Yahooナビで向かうと、河川敷に案内されました。キチンと駐車場に停めたい方は、美術館の駐車場を設定された方が良いです。御城印も美術館で購入できます。

2021年10月24日 がおこ尾張守
吉田城



豊橋駅から歩いて本陣、西惣門などを通って攻めてきました。お城は池田輝政の石垣が残っていて石垣マニアには必見です。

2021年08月10日 マークⅡ大宰少弐政宗
吉田城



豊橋駅から歩いて登城しようとしたら、観光案内所で、歩いたら30分かかると言われ、市電に乗り10分で豊橋公園着。鉄櫓で百名城スタンプを頂いた後、豊川の河川敷を歩き、国道の橋を渡り、橋の上からと対岸から、鉄櫓を撮影しました。

2021年05月30日 ばらく~だ
吉田城



先日の大雨により、本丸冠木門跡の石垣が崩れ、その付近は通行禁止になっています。(本丸へは他の入口から入れます。)

他にも石垣から木が生えている箇所があり、そこからまた石垣が崩れたりしないか心配ですね。

2021年05月06日 左衛門督日本三景を観に行こう
吉田城

新幹線豊橋駅より徒歩で30分弱です。現地は広い公園で、地元の人達の憩いの場になってます。二重の鉄櫓が有ります。広い駐車場が有ります。

2021年01月24日 三河守フロクニ
吉田城



美術館南東の駐車場は美術館に入れば無料。美術館の前を通過し回り込む形で進むと石垣等が見えて来る。

2020年12月06日 陸奥守たろす
吉田城



【新発見された池田輝政時代の高石垣】

◆本丸裏御門東側、金柑丸との間の空堀に築かれた高石垣で、豊川側から空堀に入り間近で石垣が観られます。
◆今回新発見された石垣は池田輝政がまだ"照政"を名乗っていた天正18年に築かれた物で、高さは約5.7m幅約13.7mの野面積み石垣です。
◆根の周囲は江戸期に積み直しており、良く見ると石垣に境目が観られます。
◆その他石垣等の詳細は添付のお写真をご覧下さいませ♪

2020年11月27日 【城郭道】尾張守たっきー
豊橋市美術博物館[吉田城  その他]



豊橋市美術博物館にて吉田城の御城印を一枚三百円で購入することができます。旅の記念におすすめです。

2020年10月06日 のなぼ式部卿三太夫Jr.
吉田城



戦争遺構と中世城郭と近世城郭を一度に味わうことができます。戦前戦中は第十八歩兵連隊が置かれていたそうで、本丸にも二の丸にも旧陸軍の施設跡が多く残されています。

2020年08月31日 相模守こうちゃん播磨の守♡
吉田城



吉田城の印象は石垣よりも空堀でしたね😳土塁も有りましたが、空堀が印象的でした😳堀と言えば水堀をイメージしてしまいますが、空堀こそ堀の原点やと思います!空堀、必見です!

2020年08月12日 鵜乃 左近衛少将 朋征
吉田城鉄櫓内[吉田城  スタンプ]



各階毎、説明項目を換えてあります
2階は、築城から廃城までをパネルで説明されてます
3階は、城下町、宿場町としての吉田
4階は、天守についてです
パネルの他にも復元模型等の展示物があり、4階は吉田城が描かれている浮世絵のパネルが展示されてます。また、窓からは豊川の流れを見下ろすことができます。
1階には、スタンプや御城印などをまとめてあるファイルなどが置いてあります。

2020年08月12日 鵜乃 左近衛少将 朋征
本丸御殿跡[吉田城  碑・説明板]



本丸御殿跡の碑は、堀と石垣に囲まれた広場の一角にあります。刻印の残された石垣も使われており、時間の流れを感じられます。

また、吉田城復元築城をめざす会さんが分かりやすく簡易看板を立ててくれており散策しやすくなってます。

2020年08月02日 陸奥守たろす
豊橋市美術博物館[吉田城  その他]



【御城印】
◆豊橋市美術博物館にて取り扱い

◆オリジナルは池田家家紋「丸に揚場蝶」をあしらってます

◆2020.8.1から酒井家家紋「丸に酢漿草(かたばみ)」版が登場!

◆以下は酒井家家紋ver.の紹介記事(時事通信)
「愛知県豊橋市は、かつて市内にあった吉田城の御城印の第2弾を作成した。1565年に城主となった酒井忠次の家紋をあしらったもので、3000枚を用意。8月1日から市役所1階「じょうほうひろば」と市美術博物館で1枚300円で販売する。城郭や御城印の愛好家に、市を訪れてもらうのが狙い。

第1弾は1590年に城主となった池田輝政の家紋を使ったもの。2019年8月から販売し、今年6月末までに4935枚を売り上げた。ファンから「違う城主の家紋入り御城印もほしい」などの声があり、第2弾の作成を決めた。

 城名の文字は市出身の書道家・鈴木愛さんによるもの。御城印の多くは城名を垂直に配置しているが、第2弾は斜めにした。家紋のカタバミの葉はハート形にも見えるため、男女問わず親しんでもらう効果も期待する。」

2020年07月28日 織田上総介晃司
吉田城

豊橋公園入口に有料駐車場。奥に無料駐車場があります。

復興鉄櫓には奥の駐車場の方が近いです。

2020年01月07日 鵜乃 左近衛少将 朋征
吉田城



御城印 
吉田城の御城印が販売されてます
リアル城攻めのよい記念になりますね

2019年08月18日 酒楽
トイレ(豊橋市役所東館13F)[吉田城  トイレ]

続百名城スタンプ、自販機あり。
ここからの眺めは素晴らしい。

2019年08月18日 酒楽
スタンプ設置場所[吉田城  スタンプ]

豊橋市役所13Fで月〜日の8:00〜22:00までスタンプ押せます。13Fからの眺めは素晴らしく、東西南北の豊橋の街並みが一望できるので行く価値あり。13Fには豊橋の歴史を綴ったパネル、トイレ、自販機、レストラン「こすたりか」がある。公園側の入り口から入ると市役所に入る手前にエレベーターがある。

2019年07月10日 ago主計頭
スタンプ設置場所[吉田城  スタンプ]



鉄櫓が休館の場合、こちらでスタンプが押せます。
市役所庁舎東館13F 手筒花火体験パークです。

2019年05月27日 三河武士
吉田城



静岡県湖西市の本興寺にある、吉田城城門の移築と伝わる山門(惣門)です。
案内板によりますと、門の形式は高麗門で、1674年に三河吉田城から移築され1727年に現在のような本瓦葺きに改修されたとあります。
なお本興寺の奥書院も同じく吉田城からの移築された建物であると伝えられています。

2019年04月28日 ago主計頭
説明板2枚[吉田城  碑・説明板]



説明板2枚
大きい方は吉田城、小さい方は歩兵第十八聯隊

2019年04月28日 ago主計頭
空堀に掛かる橋と地図[吉田城  遺構・復元物]



スポットが固まっている場所なので、まとめました。
空堀に掛かる橋と地図があります。
写真奥に神社があり、神武天皇像があります。
鳥居に向かって行くと金柑丸跡の石碑があります。

2019年04月27日 アッツ参議蝦夷守
吉田城

市役所の展望台にある続100名城スタンプですがちょっと分かりにくいところにあります。
市役所の開設時間外の場合、正面玄関口を向かって右側に回って、吉田城との間を通るように進むと13階の展望台とレストラン「こすたりか」に繋がるエレベーターのある入口が見えます。
それにのって13階まで行って、展望台のレストランの方へ進んでください、天筒花火体験パークのパネルとピアノがおいてあって、そのピアノの後ろに隠れるようにおいてあります。

2019年04月25日 ago主計頭
無料駐車場[吉田城  駐車場]

無料ですが、市役所とか市の施設の職員の駐車場でもある様で、台数は多いですが空きが少ないです。

2019年04月23日 ago主計頭
土塁端の石垣と堀跡[吉田城  遺構・復元物]



土塁端の石垣と堀跡
石垣手前は旧陸軍歩兵第18連隊哨舎
堀跡は埋め立てられて道路になってます。

2019年03月02日 ばるん
吉田城

市役所の展望台に続100名城のスタンプありました。3時以降でも押印できます。

2018年04月14日 みやび姫
吉田城

Yahoo!カーナビを頼りにすると土手の突き当たりに案内されるので要注意です。豊橋公園で検索した方が良さそうです。

2016年04月11日 図書頭伊藤茶
吉田城

2016年3月リニューアルオープン。鉄櫓の展示物は外国語でも表記されています。
開館時間:水木金土日の10時~15時
月火(祝日を除く)と12月29日~1月3日は閉館

2015年11月24日 まるき〜主殿助
吉田城

豊橋公園内、野球場や美術館と共に城址がある。本丸と二の丸を寸断する堀切は迫力があります
街中にありながら凄く立派な石垣が揃っている隠れた名所かもしれません
腰曲輪の石垣は丸みを帯びた造りになっていて面白いし
その他のあちこちの石垣が、はらみ石になっていて…原因は石垣上の木の根っこが成長して中から石垣を押すからだそうです。
それを現代になって修復してあるので石垣の上から石垣で押さえてある…ような変?な所も有り
城址碑は千貫櫓跡の上にぺらぺらのがあります。(笑
中にはパイロンが立てられ立ち入り不可の箇所もあり
再建された鉄櫓(くろがねやぐら)は日曜、祝日のみ入場無料で入れます。
内部はプチ資料と天然の堀、豊川を眺める事ができます。
この櫓の石垣は池田輝政が築いた物らしいです。
石垣の刻印が至る所にあるのですが素人目には探す事が困難、ガイドさんが居れば詳しく教えて頂けますし、パンフも頂けます。

手前に有料駐車場があるがその奥に無料の広い駐車場があります。


2014年12月07日 ルーク三河守
吉田城

日曜の10時から15時の間のみ鉄櫓に入れます。ボランティアさんが数名常駐しており色々教えてくれますよ。パンフも置いてあります。

2010年10月18日 三河守コーキしゃん
吉田城

本丸は石垣で囲まれています外側はかなりの深さの堀があり土塁もあります見応えかなりあります

吉田城の周辺スポット情報

 土塁端の石垣と堀跡(遺構・復元物)

 空堀に掛かる橋と地図(遺構・復元物)

 土塁と堀跡(遺構・復元物)

 鉄櫓(遺構・復元物)

 空堀(遺構・復元物)

 鉄櫓(遺構・復元物)

 水門跡(遺構・復元物)

 冠木門跡の石碑(碑・説明板)

 説明板2枚(碑・説明板)

 大手門跡の碑(碑・説明板)

 裏御門跡の石碑(碑・説明板)

 本丸御殿跡(碑・説明板)

 武具所跡(碑・説明板)

 南御多聞跡(碑・説明板)

 吉田城の説明板(碑・説明板)

 石碑、案内板(碑・説明板)

 石垣の上の城碑(碑・説明板)

 川毛口門跡(碑・説明板)

 龍拈寺観音堂(寺社・史跡)

 吉田城鉄櫓内(スタンプ)

 スタンプ設置場所(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(豊橋市役所東館13F)(トイレ)

 無料駐車場(駐車場)

 豊橋市美術博物館(その他)

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