雨山城(あめやまじょう)
雨山城の基本情報
通称・別名
- 雨山砦、雨山村古屋敷、阿知波城
所在地
- 愛知県岡崎市雨山町東アチワ
旧国名
- 三河国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 阿知波定基?
築城年
- 永正3年(1506)頃
主な改修者
- -
主な城主
- 阿知波氏
廃城年
- 天正18年(1590)頃
遺構
- 消滅
指定文化財
- 市史跡(雨山砦跡及び雨山合戦地)
再建造物
- 石碑、説明板(雨山合戦跡)
周辺の城
-
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雨山城の解説文
[引用元:Wikipedia「雨山城」の項目]
阿知波城(あちわじょう)[1][2]、または雨山城(あめやまじょう)[3]・雨山村古屋敷(あめやまむらふるやしき)・雨山砦(あめやまとりで)[4]は、三河国雨山、現在の愛知県岡崎市雨山町東アチワ(旧額田郡額田町)にあった日本の城。阿知波氏(のちに雨山奥平家)の居館[5]。「雨山砦跡及び雨山合戦地」として岡崎市指定史跡[6]。
概要
矢作川水系乙川の最上流部にある支流・雨山川の渓谷最奥部に位置する。矢作川流域では、村落規模の国人らの城館跡として「古屋敷」の伝承地や地名が残っており[7]、阿知波城(雨山村古屋敷)も阿知波氏に始まる雨山奥平氏の居館と見なされているが、東アチワ地内での正確な遺構位置は解っていない。ただし館跡と見られる削平地や、中世の宝篋印塔などが地域各所に見られると言う。
築城時期は『額田町史』では1543年(天文12年)以前としているが。『愛知県中世城館跡調査報告Ⅲ(東三河地区)』 は、存続期間を1506年(永正3年)から1590年(天正18年)とする。初代城主は尾張国知多から雨山に移った阿知波定基といわれ、元亀年間(1570年-1573年)より奥平氏(雨山奥平氏)を名乗ったとされる。
三河の国人衆が今川氏に対して起こした反乱三河忩劇における戦闘の1つである1556年(弘治2年)の雨山合戦では、奥平貞勝・貞能親子に呼応した阿知波定直・阿知波定助・奥平貞良らが籠り、今川方の菅沼定村らを迎撃した[8]。なお阿知波城の雨山砦と言う別称は、この雨山合戦の際に造られた防御施設を示しているとする見解がある[9]。
雨山砦跡と古戦場は、1992年(平成4年)6月15日付けで岡崎市の史跡に指定された。
参考文献
- 平井聖ほか 1979「雨山砦」『日本城郭大系』第9巻(静岡・愛知・岐阜)新人物往来社 p.320
- 額田町教育委員会 1986年11月1日「中世城址一覧」『額田町史』p.146
- 黒屋直房 1987『中津藩史』国書刊行会
- 文化財図書普及会編 1997『愛知県中世城館跡調査報告Ⅲ(東三河地区)』 (愛知県教育委員会編 2001『都道府県別・日本の中世城館調査報告書集成』第10巻〈中部地方の中世城館4-愛知-〉所収)
- 「額田の諸城」pp.194-197
- 「雨山城」 p.237
- 新編岡崎市史額田資料編編集委員会 2010年3月31日「雨山村古屋敷」『新編岡崎市史 額田資料編 Ⅰ』p.300
- 新編岡崎市史額田資料編編集委員会 2011年3月31日「戦国織豊時代」『新編岡崎市史 額田資料編 Ⅱ』pp.154-157
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雨山城の口コミ情報
2022年07月02日 近江守フロクニ
鳥川城[雨山城 周辺城郭]
鳥川城址
ここに、戦国時代奥平一族の出城があったといわれる。
城主、奥平次郎左衛門は天正三年(一五七五)の長篠の戦に当地の者と共に参戦し、戦場に没したと伝えられる。
(現地案内看板より)
2021年06月28日 織部佑おだんごぱぱ
雨山城
宮崎まちづくり協議会、歴史文化探訪委員会に置いて、雨山城趾の整備をしています。令和3年6月6日に雨山城趾石碑の除幕祭を行いました。
2021年05月16日 近江守フロクニ
登城口[雨山城 その他]
雨山城への登城口。道は整備されてる途中か。看板が有るので間違え難い。
2021年05月16日 近江守フロクニ
雨山城
雨山城
県道382号線沿いに進み雨山ダム付近に城跡表示の石碑が有る。ここから林道を登る.道沿いに駐車して登った。登城口となる入道沢から南東に進み、尾根に登ったら北北西に尾根を進むと、城跡に到着、、?。城マークは一段下の先っぽを指しているのでちょっと違うのかも不明。でも1番高い場所なので景色は非常に良い。登城口からダム方面に進むと右に古戦場石碑、左の崖上にその時の戦死者の墓が見えます。ダムに一応トイレは有ります。
2021年03月27日 しげしげ主税頭信繁
雨山城
県道382号沿い雨山ダムの下側に『雨山合戦場跡』が有ります。そこから直ぐの所に雨山城登城入り口(立て看板有り)が有ります。入り口は車が通れる程そこそこ広いですが、奥の方の城址手前からは檄狭になりますので徒歩で入られた方がいいです。登城入り口から20分程で城址に辿り着けます。お決まりですが、歩きに適した靴が良いと思います。
2021年03月23日 JC大宰大弐VD
雨山城
遺構はあまりないですが、恐らく地元の方々のお力で、登城路がキレイに整備されています。