雨山城(あめやまじょう)

雨山城の基本情報

通称・別名

雨山砦、雨山村古屋敷、阿知波城

所在地

愛知県岡崎市雨山町東アチワ

旧国名

三河国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

阿知波定基?

築城年

永正3年(1506)頃

主な改修者

主な城主

阿知波氏

廃城年

天正18年(1590)頃

遺構

消滅

指定文化財

市史跡(雨山砦跡及び雨山合戦地)

再建造物

石碑、説明板(雨山合戦跡)

周辺の城

野田城(愛知県新城市)[7.9km]
亀山城(愛知県新城市)[8.0km]
牧野城(愛知県豊川市)[8.5km]
古宮城(愛知県新城市)[9.1km]
牛久保城(愛知県豊川市)[10.0km]
新城城(愛知県新城市)[10.4km]
日近城(愛知県岡崎市)[11.4km]
伊奈城(愛知県豊川市)[12.5km]
月ヶ谷城(愛知県豊橋市)[12.8km]
宇利城(愛知県新城市)[14.0km]

雨山城の解説文



阿知波城(あちわじょう)[1][2]、または雨山城(あめやまじょう)[3]・雨山村古屋敷(あめやまむらふるやしき)・雨山砦(あめやまとりで)[4]は、三河国雨山(現愛知県岡崎市雨山町東アチワ(旧額田郡額田町)にあった日本の城。阿知波氏(のちに雨山奥平家)の居館[5]。「雨山砦跡及び雨山合戦地」として岡崎市指定史跡[6]

概要 

矢作川水系乙川の最上流部にある支流・雨山川の渓谷最奥部に位置する。矢作川流域では、村落規模の国人らの城館跡として「古屋敷」の伝承地や地名が残っており[7]、阿知波城(雨山村古屋敷)も阿知波氏に始まる雨山奥平氏の居館と見なされているが、東アチワ地内での正確な遺構位置は解っていない。ただし館跡と見られる削平地や、中世の宝篋印塔などが地域各所に見られると言う。

築城時期は『額田町史』では1543年(天文12年)以前としているが。『愛知県中世城館跡調査報告Ⅲ(東三河地区)』 は、存続期間を1506年(永正3年)から1590年(天正18年)とする。初代城主は尾張国知多から雨山に移った阿知波定基といわれ、元亀年間(1570年-1573年)より奥平氏(雨山奥平氏)を名乗ったとされる。

三河の国人衆が今川氏に対して起こした反乱三河忩劇における戦闘の1つである1556年(弘治2年)の雨山合戦では、奥平貞勝・貞能親子に呼応した阿知波定直・阿知波定助・奥平貞良らが籠り、今川方の菅沼定村らを迎撃した[8]。なお阿知波城の雨山砦と言う別称は、この雨山合戦の際に造られた防御施設を示しているとする見解がある[9]

雨山砦跡と古戦場は、1992年(平成4年)6月15日付けで岡崎市の史跡に指定された。

参考文献 

  • 平井聖ほか 1979「雨山砦」『日本城郭大系』第9巻(静岡・愛知・岐阜)新人物往来社 p.320

  • 額田町教育委員会 1986年11月1日「中世城址一覧」『額田町史』p.146

  • 黒屋直房 1987『中津藩史』国書刊行会

  • 文化財図書普及会編 1997『愛知県中世城館跡調査報告Ⅲ(東三河地区)』 (愛知県教育委員会編 2001『都道府県別・日本の中世城館調査報告書集成』第10巻〈中部地方の中世城館4-愛知-〉所収)
    • 「額田の諸城」pp.194-197
    • 「雨山城」 p.237

  • 新編岡崎市史額田資料編編集委員会 2010年3月31日「雨山村古屋敷」『新編岡崎市史 額田資料編 Ⅰ』p.300

  • 新編岡崎市史額田資料編編集委員会 2011年3月31日「戦国織豊時代」『新編岡崎市史 額田資料編 Ⅱ』pp.154-157

雨山城の口コミ情報

2023年04月30日 てつ&あゆ右兵衛督
雨山城



雨山ダムを目指します。ダムカードは無いですが駐車場とトイレがあります。ダムの上も歩けます。ダムから少し下った山側に雨山合戦の説明板と菅沼定村、合戦没者の供養塔があります。

さらに下ると雨山合戦地の石碑があります。ここの脇道を下ると雨山ダムの下に出ます。放水路近くまで行けますので、下から見たい方は後から車で行くことをお薦めします。小さいですが藤棚もありました。

ダムから300mで雨山城入り口。 石碑とマップの板があります。(行きには無かったけど、帰りに見ると石碑の上にマップが書かれたパンフが置かれておりました。謎石よりも謎!地元の方に感謝です。)

整備の軽トラが走ってると思われる登山道を登ってすぐに分岐と獣捕獲の檻があります。 謎石見たく、左に進むも、(整備途中か?)曲がり角付近から道が狭くなって両脇シダになったので、謎石を諦め元の道に戻り直進。 途中、ツルニチソウが群生⁉︎朝ドラの主人公気分で青い花を鑑賞。 登山道脇には小川が流れ、水の音とカジカの鳴き声に癒され、縦割れした巨石も。 

突き当たりまで道を進み、案内に従って上に上がると、雨山城と天使の森への分岐になります。 分岐を進むと石ゴロゴロ道。視界が開け、堀切?を上がると城址碑が建つ本曲輪に出ます。木も伐採されており、ベンチもあって景色を楽しみながらしばらく休憩。

下山は謎石ルートと思いましたが、降りれそうな感じはするが、道がどこかがハッキリ分からなかったので、やっぱり断念。来た道を戻って下山。休憩無しなら登り30分、降り15分位です。

雨山ダムまで来る道路の脇では猿を見ましたが、雨山城の散策では猿の声も樹々のザワザワもありませんでした。

真っ白な案内板も何枚か立っていたので、まだまだこれから整備が進んで行くのかな。 整備とともに、何か新しい遺構が発見されると良いですね。

2022年07月02日 近江守フロクニ
鳥川城[雨山城  周辺城郭]

鳥川城址
ここに、戦国時代奥平一族の出城があったといわれる。
城主、奥平次郎左衛門は天正三年(一五七五)の長篠の戦に当地の者と共に参戦し、戦場に没したと伝えられる。
(現地案内看板より)

2021年06月28日 織部佑おだんごぱぱ
雨山城



宮崎まちづくり協議会、歴史文化探訪委員会に置いて、雨山城趾の整備をしています。令和3年6月6日に雨山城趾石碑の除幕祭を行いました。

2021年05月16日 近江守フロクニ
登城口[雨山城  その他]



雨山城への登城口。道は整備されてる途中か。看板が有るので間違え難い。

2021年05月16日 近江守フロクニ
雨山城



雨山城
県道382号線沿いに進み雨山ダム付近に城跡表示の石碑が有る。ここから林道を登る.道沿いに駐車して登った。登城口となる入道沢から南東に進み、尾根に登ったら北北西に尾根を進むと、城跡に到着、、?。城マークは一段下の先っぽを指しているのでちょっと違うのかも不明。でも1番高い場所なので景色は非常に良い。登城口からダム方面に進むと右に古戦場石碑、左の崖上にその時の戦死者の墓が見えます。ダムに一応トイレは有ります。

2021年03月27日 しげしげ主税頭信繁
雨山城



県道382号沿い雨山ダムの下側に『雨山合戦場跡』が有ります。そこから直ぐの所に雨山城登城入り口(立て看板有り)が有ります。入り口は車が通れる程そこそこ広いですが、奥の方の城址手前からは檄狭になりますので徒歩で入られた方がいいです。登城入り口から20分程で城址に辿り着けます。お決まりですが、歩きに適した靴が良いと思います。

2021年03月23日 JC大宰大弐VD
雨山城



遺構はあまりないですが、恐らく地元の方々のお力で、登城路がキレイに整備されています。

雨山城の周辺スポット情報

 雨山合戦跡石碑(碑・説明板)

 滝山城看板(碑・説明板)

 久保城看板(碑・説明板)

 国分寺北遺跡案内板(碑・説明板)

 鳥川城(周辺城郭)

 久保城(周辺城郭)

 城の腰城(周辺城郭)

 萩城(周辺城郭)

 滝山城(周辺城郭)

 国分寺北遺跡(寺社・史跡)

 登城口(その他)

 久保城登城口(その他)

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