亀山城(かめやまじょう)

亀山城の基本情報

通称・別名

作手城

所在地

愛知県新城市作手清岳字城山

旧国名

三河国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

奥平貞俊

築城年

応永31年(1424)

主な改修者

主な城主

奥平氏

廃城年

慶長15年(1610)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(亀山城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

古宮城(愛知県新城市)[1.1km]
雨山城(愛知県岡崎市)[8.0km]
日近城(愛知県岡崎市)[9.6km]
野田城(愛知県新城市)[10.0km]
新城城(愛知県新城市)[10.1km]
長篠城(愛知県新城市)[13.3km]
田峰城(愛知県北設楽郡)[14.4km]
宇利城(愛知県新城市)[14.8km]
牧野城(愛知県豊川市)[15.4km]
牛久保城(愛知県豊川市)[17.6km]

亀山城の解説文



亀山城(かめやまじょう)は、愛知県新城市作手清岳にあった日本の城。作手城と表記されることもある。

概要 

作手盆地の南東部に位置。

上野国から作手地方に移住した奥平貞俊は当初、川尻城を本拠としたが、応永31年(1424年)に亀山城を築き移った。

駿河国の今川氏や尾張国の織田氏など転属先を変えて生き延びてきた奥平氏の本拠地であった。

元亀年間(1570年 - 1573年)には、奥平貞能の子貞昌(信昌)が甲斐国の武田氏に従属したため、武田氏の三河侵攻の拠点となる。だが、天正元年(1573年)には徳川氏へ再転属。徳川家康によって貞昌が長篠城主となったため、主要な城ではなくなった。

関ヶ原の戦いの後、慶長7年(1602年)には信昌の四男松平忠明が城主となり作手地方支配の拠点となるが、慶長15年(1610年)に伊勢国の亀山城へ移封されると、城は廃城となった。

遺構 

土塁や曲輪、空堀などの保存状態は比較的良く、奥平氏の屋敷群推定地があり、岡崎街道沿いには短冊形地割も確認されている。ただし城跡の発掘調査の結果、出土遺物が16世紀後半のものにほぼ限定され、甕や茶碗などの生活用品類がほとんど出土しなかったことから、奥平氏の居住地でなく軍事拠点的な城であった可能性が高い、との見解が新城市によって示されている[1]

亀山城の口コミ情報

2023年10月29日 宇治ひろの勘解由長官ふくやん
亀山城



古宮城から至近だったので登城しましたが、景色良し、土塁や堀が立派で感動しました。

2023年09月10日 RED副将軍
亀山城



虎口と横堀が特徴的な奥平氏の居城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

1424年に奥平貞俊により築城。
奥平氏は、上野国甘楽郡奥平郷が発祥と云われ、奥平貞俊が三河国作手に移り、三河奥平氏の初代となり川尻城を築きましたが、勢力拡大に伴い手狭となり、築城から8ヶ月後には亀山城を新たに築いて本拠地を移しました。
その後、奥平氏は貞久・貞昌・貞勝・貞能と続き、武田信玄に従っていたため亀山城は三河侵攻の拠点として機能しました。
1573年に
奥平貞能、奥平貞昌の父子は武田氏を離反し徳川家康に帰属。奥平貞昌は長篠城の城主として武田氏との最前線に配されたため、亀山城の重要性は薄れた様です。
1575年、武田勝頼は三河へ侵攻し長篠城を包囲。しかし、奥平貞昌は猛攻を耐え凌いで設楽原の戦いは織田・徳川連合軍の勝利となりました。この軍功により、奥平貞昌は織田信長より「信」の字を賜り信昌と改名し、徳川家康の長女である亀姫を娶り、徳川家康の重臣となります。
1590年、豊臣秀吉による小田原征伐後に徳川家康は関東移封となり、それに伴い奥平氏も上野国甘楽郡に移封となりました。
関ヶ原の戦い後、1602年に奥平信昌の四男である松平忠明が上野国長根から作手藩を領して亀山城を居城とします。
松平忠明が1610年に伊勢国亀山へ転封となると廃城となりました。

見所
作手清岳に突き出た丘陵上に築かれています。
山頂の主郭は楕円形で周囲を土塁が巡り、東西に平入り虎口が開口。主郭東の二郭は北側に桝形虎口が開口しています。主郭西の虎口は土橋が付いた横堀を通り小郭群を抜けていく構造です。
主郭南下には深い横堀が巡り、北西には竪堀が落ちています。

行き方は、道の駅つくで手作り村を目標に設定。東側丘陵が城跡であり、南東側に専用駐車場があります。
よく整備されているので気軽に行くことができます。

2023年05月11日 織田上総介晃司
亀山城

道の駅「つくで手作り村」の第2駐車場に停めると登城口が近く、徒歩5分ほどで本丸に着ける優良物件です。

2023年GW遠征で時間に余裕ができ、亀山城を含めた4城は追加分となります。
でもいずれ行く予定だったので下調べはしてました。

2023年04月12日 RED副将軍
川尻城[亀山城  周辺城郭]



奥平氏の初期の居城跡🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1424年、奥平貞俊により築城。
奥平氏は、上野国甘楽郡奥平郷が発祥と云われ、奥平貞俊が三河国作手に移り、三河奥平氏の初代となり、最初に築いたのが川尻城でした。
勢力拡大に伴い手狭となり、築城から8ヶ月後には亀山城へ本拠地を移しました。その後は亀山城の支城として機能しました。
奥平氏は、6代信昌は1575年の長篠の戦いにおいて戦功をあげ、徳川家康の娘である亀姫を娶ります。その後も外孫として松平性を与えられ普代大名として繁栄しました。

見所
現在は、創造の森城山公園として整備され模擬冠木門や馬防柵が建てられています。
比高40mほどの丘陵上ピークに主郭を置き、周囲に帯郭が巡るシンプルな縄張り。
主郭東端に土塁が残り、東の尾根に薄めの堀切と土塁が残っています。
北東下の尾根にも土塁が残り、ここが一番残存状態が良いです。
公園化による改変で遺構の消失が感じられました。

2023年04月04日 弾正尹龍之輔
亀山城



道の駅作手の第二駐車場より徒歩で2分で本丸に着きます。本丸からは良い景色が見れます。

2023年03月25日 RED副将軍
文殊山城[亀山城  周辺城郭]



武田氏との境界に位置する松平氏の拠点🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

元亀年間(1570年〜1572年)に亀山城の奥平氏により築かれたと云われます。奥平氏は、武田氏との和睦の証しとして、塞ノ神城と共に築くはずでしたが引き延ばしていました。武田氏から迫られた奥平氏は一夜にして築いたので一夜城とも呼ばれました。

見所
善福寺背後の標高661mの山頂に築かれています。奥平氏の居城である亀山城の北西、武田氏の拠点である古宮城の南西に位置し、武田氏の拠点である塞之神城とは尾根続きです。単郭の縄張りで、土塁囲みの主郭は鋭い切岸に周囲に帯郭が巡ります。塞之神城へと続く北東の尾根は堀切で遮断され土橋が架かっています。
現在は、文珠堂が鎮座し、公園整備され櫓が設置されています。

行き方は、古宮城から塞之神城に登り、尾根続きの文珠山城を経由して麓の石橋城、亀山城を回るのがオススメです。

2022年12月24日 RED副将軍
石橋城[亀山城  周辺城郭]



道の駅の向かいにあるお手軽城🏯
土塁と空堀が残っています✨

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

応永年間の1394年頃に石橋弾正久勝により築城。
石橋久勝は、奥平氏二代当主の奥平貞久の二男で、この地に屋敷を構えて石橋氏を名乗りました。
1537年、石橋繁昌は主家への謀反が露呈。奥平貞勝の命を受けた土佐定雄により攻められ、一族郎党四十人余が討死し、一つの穴に埋められたと伝わります。

見所
現在は、慈昌院の境内となっています。
一段高い地形に残る方形の居館跡で、北から西にかけて土塁や空堀が残っています。

行き方は、道の駅つくで手作り村を目指してください。向かいにある慈昌院境内が城跡です。

2022年08月20日 はなこ
亀山城



道の駅の駐車場は広いです。登るための階段も整備されているので、アクセスしやすいです。

2022年06月19日 在来線男右京進
川尻城[亀山城  周辺城郭]



国道から入るには短い橋の横にある細い道を入って行きます。しばらく行くと食堂があり、左に登って行けば公園に着きます。公園の奥に城跡はあります。

2022年06月18日 在来線男右京進
亀山城



小雨の中、登城しました。駐車場はかなり広いです。草も刈ってあり登りやすいです。道の駅で五平餅を売っています。

2022年05月16日 永久楽武蔵守マクシミリアン
亀山城



道の駅「つくで手作り村」のすぐ横。第二駐車場に停めると、登り口が近い。歩道が整備されている(され過ぎという意見も強い😅)ので、歩きやすい。奥になる二の曲輪のさらに奥には、手付かずの立派な堀切が残っていました。

2022年04月25日 コバ駿河守
亀山城

道の駅から上がるルートは柵や舗道が整備されています。

2022年04月23日 ya田
亀山城

道の駅つくで手作り村の一部でした、奥の駐車場横に入り口があります。

2021年07月31日 zato尾張守
亀山城

30年位前に1人で城攻めに行きました。そうしたら亀山城跡使ってサバゲーやってる集団が撃ち方やめ~などとみんなで言いながら自分の前には20人位は居たでしょう。こちらは説明板読むだけで精一杯あちらさん達は早く帰れよと言わんばかりの目つきでこちらが悪者になってました⁉️五分も居れなかったです

2021年06月24日 北風
亀山城



道の駅とは反対側からの登城坂です。県道から少し入って舗装林道を僅かに茂みを登って、駐車区画が2台分くらいあります。北斜面藪山ですから陽射し無し。ただ緩斜面でも足下不如意に付き蒸し暑くなります。

2020年12月09日 龍馬備中守【】
川尻城[亀山城  周辺城郭]



愛知県の新城市にある川尻城☆

上野国甘楽郡奥平郷発祥と云われる奥平氏が三河に移って最初に築いた居城です☆初代・奥平貞俊は築城後わずか8ヶ月で新たに亀山城を築いて移りました☆その後も支城として使われました☆

主郭は現在、公園になっていて東端に土塁が残ってます☆東へ続く尾根には浅い堀切に土塁がついて残ります☆北東下の尾根の北側に土塁が残ります☆

2020年12月06日 ばらく~だ
亀山城



道の駅つくで手づくり村の裏山が城跡です。本丸の一段下の腰曲輪からは、古宮城がよく見えます。

2020年09月15日 VTR美濃守シゲ籠城
亀山城



駐車場は道の駅つくで手作り村の第二駐車場に止めました
トイレは第一駐車場に有ります

9月に登城ですが、草が刈ってあり手入れされているので登城しやすかったです

曲輪、土塁、切岸、空堀、初めて土の城跡を訪れる方に説明するには良い城跡と思いました。
古宮城とセットで訪れて、違いを探し比べるのも面白いと思いました


2020年09月13日 しんこう4/20九州
鴨ヶ谷城[亀山城  周辺城郭]

【指定史跡】なし
【遺構】曲輪、虎口?
【歴史】日本城郭大系を見てみるとわずかに「奥平伯耆守水心の居城」と書かれていました。奥平氏とは上野国からこの作手地方に移住してきた奥平貞俊が始まりらしく、当初、川尻城を本拠としていましたが、応永31年(1424年)に亀山城を築き、移ったとのこと(作手歴史民俗資料館資料より)。この時期に鴨ヶ谷城に居を構えていたのでしょうか。
奥平氏はこの作手地方に移住して時には小さな小豪族だったと思いますが、厳しい戦国時代を生き抜き、江戸時代には下野国宇都宮、豊前国中津などを領し、廃藩まで存続しています。
【感想】
現在、甘泉寺があり、その裏山が城跡とされているようです。今の甘泉寺には往時居館があったのかもしれません。裏山には足を踏み入れておらず、どなたか行かれた方がおられれば教えて頂きたいです。甘泉寺には、長篠の合戦の際に長篠城で磔にされた鳥居強右衛門の墓があるということでお参り兼ねて訪城してきました。
城の遺構は残されていないようでしたが、お寺には珍しい冠木門があったり、入口がコの字型の桝形になっていて容易に入れない構造になっていたりと城郭の雰囲気のある寺院でしたね。古宮城や亀山城へ来られた方で時間があれば訪れてみてはいかがでしょうか。

2020年06月19日 陸奥守たろす
文殊山城駐車場[亀山城  駐車場]



車の場合、国道301号から「作手総合庁舎東」の信号を入り新城市役所作手総合支所を通りすぎ、数百mで「←文殊山城」の案内板に従い左の林道に入ります。
舗装された林道です。
作手総合支所から3分30秒程進むと突き当たりが文殊山城の駐車場になります。

2020年06月18日 陸奥守たろす
文殊山城[亀山城  周辺城郭]



【文殊山城】
先達様のリア攻めマップに口コミさせて頂きます

【概要】
この城は元亀年間(1570~1573)に亀山城主であった奥平氏と武田氏が和睦の証として武田氏の塞之神城と同様に奥平氏が築城予定であったが延引した。
しかし、武田氏の催促により一夜で築いたため「一夜城」と呼ばれた。

文殊山城の名称は、江戸期に麓にある善福寺奥院にあたる文殊堂が建てられたのに因んでいる。

【遺構】
遺構はいたってシンプルで縄張りとしては単郭と言ってよく、楕円形の主郭Ⅰがメインで主郭の周囲を横堀が囲む。
武田氏方の塞之神城とは尾根続きであるため、塞之神城側の尾根を切り、馬出状の曲輪を配し防御力向上を図っている

現在主郭Ⅰには復元された物見櫓や柵があります

2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
亀山城

道の駅の裏の山に遺構があります。
看板が大きく出てますから、わかります。
車で進むと駐車場あり。

2014年07月01日 ともっち♪丹波守
亀山城

亀山城はつくで手作り村のすぐ横。駐車場に車停めて簡単にのぼれます。フォトは緑のジュータンですが、刈り込んであり草深くはありません。のぼる道も整備してありきれいです

歴史の小径☆
歴史民俗資料館 ・塞之神城址 ・文 殊山城址 ・善福寺(仁王尊) ・石橋城址 ・亀山 城址 ・古宮城址 ・甘泉寺 ・川尻城址を巡るコー スがあり、つくで手作り村に看板があります。

2014年05月21日 コロ助
亀山城

道の駅「つくで手作り村」の第二駐車場横に登城口があります。

城歩きに慣れていない親と訪れたのですが、草も刈ってあり綺麗に管理されているので、お散歩気分で楽しんでくれたみたいです。規模は大きくないですが、土塁や、濠から見上げる本丸はなかなかです。

道の駅に、亀山城を含む周囲のお城の簡単な説明と縄張り図が載ったパンフレットがありました。



2014年03月26日 風の吹くまま
亀山城

作手道の駅前のお寺も実は城跡なんですよ!作手には七箇所城跡がありますが全部は登録されていないのが残念です!

2013年02月07日 中務卿〓わりばし〓
亀山城

道の駅の裏にあり駐車場もあり
行きやすいと思います。
今回、訪問した時は
駐車場の工事をしていたので
反対側から行きました。
こちらは林道のような道を
車で少し上りました。
土塁とか見応えあると思います。

2012年11月04日 越前守obstetrics
亀山城

つくで手作り村のすぐ裏手ですそこから徒歩五分程度で本丸に到達できお手軽です帰りには五へいもちがおすすめです

2012年05月05日 伯耆守雄三
亀山城

古城祭りをしていました。

亀山城の周辺スポット情報

 二の丸(遺構・復元物)

 腰曲輪(遺構・復元物)

 亀山城址の図(碑・説明板)

 武士塚(碑・説明板)

 文殊山城(周辺城郭)

 石橋城(周辺城郭)

 川尻城(周辺城郭)

 鴨ヶ谷城(周辺城郭)

 石橋城址・慈昌院(寺社・史跡)

 作手歴史民俗資料館(御城印)

 文殊山城駐車場(駐車場)

 慈昌院駐車場(駐車場)

 道の駅つくで手作り村第2駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

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