文殊山城
文殊山城([亀山城 周辺城郭])
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文殊山城の口コミ情報
2023年03月25日 RED副将軍
武田氏との境界に位置する松平氏の拠点🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
元亀年間(1570年〜1572年)に亀山城の奥平氏により築かれたと云われます。奥平氏は、武田氏との和睦の証しとして、塞ノ神城と共に築くはずでしたが引き延ばしていました。武田氏から迫られた奥平氏は一夜にして築いたので一夜城とも呼ばれました。
見所
善福寺背後の標高661mの山頂に築かれています。奥平氏の居城である亀山城の北西、武田氏の拠点である古宮城の南西に位置し、武田氏の拠点である塞之神城とは尾根続きです。単郭の縄張りで、土塁囲みの主郭は鋭い切岸に周囲に帯郭が巡ります。塞之神城へと続く北東の尾根は堀切で遮断され土橋が架かっています。
現在は、文珠堂が鎮座し、公園整備され櫓が設置されています。
行き方は、古宮城から塞之神城に登り、尾根続きの文珠山城を経由して麓の石橋城、亀山城を回るのがオススメです。
2020年06月18日 陸奥守たろす
【文殊山城】
先達様のリア攻めマップに口コミさせて頂きます
【概要】
この城は元亀年間(1570~1573)に亀山城主であった奥平氏と武田氏が和睦の証として武田氏の塞之神城と同様に奥平氏が築城予定であったが延引した。
しかし、武田氏の催促により一夜で築いたため「一夜城」と呼ばれた。
文殊山城の名称は、江戸期に麓にある善福寺奥院にあたる文殊堂が建てられたのに因んでいる。
【遺構】
遺構はいたってシンプルで縄張りとしては単郭と言ってよく、楕円形の主郭Ⅰがメインで主郭の周囲を横堀が囲む。
武田氏方の塞之神城とは尾根続きであるため、塞之神城側の尾根を切り、馬出状の曲輪を配し防御力向上を図っている
現在主郭Ⅰには復元された物見櫓や柵があります