津城(つじょう)
津城の基本情報
通称・別名
- 安濃津城
所在地
- 三重県津市丸之内
旧国名
- 伊勢国
分類・構造
- 輪郭式平城
天守構造
- 型式不明[5重/1577年築/焼失(火災)]
築城主
- 細野藤敦
築城年
- 永禄年間(1558〜1570)
主な改修者
- 織田信包、藤堂高虎
主な城主
- 細野氏、織田氏、富田氏、藤堂氏
廃城年
- 明治4年(1871)
遺構
- 曲輪、石垣、横堀(水堀)
指定文化財
- 県史跡(津城跡)
再建造物
- 模擬隅櫓、石碑、説明板
周辺の城
-
上津部田城(三重県津市)[3.2km]
木造城(三重県津市)[6.6km]
宮山城(三重県津市)[6.7km]
安濃城(三重県津市)[8.1km]
伊勢上野城(三重県津市)[8.9km]
松ヶ島城(三重県松阪市)[12.7km]
高城(三重県松阪市)[13.5km]
阿坂城(三重県松阪市)[14.6km]
枳城(三重県松阪市)[15.1km]
長野氏城館(三重県津市)[15.5km]
日本100名城・続日本100名城スタンプ情報
番号・名称
- (続)152 津城
設置場所
- 高山神社 社務所[地図]
津城の解説文
[引用元:Wikipedia「津城」の項目]
津城(つじょう)は、三重県津市にあった日本の城。別名安濃津城(あのつじょう)。三重県指定史跡。
概要
津城は三重県津市丸之内にあり、津市街の中心部に位置する。北は安濃川、南は岩田川に挟まれ、これらを天然の大外堀としていた。江戸時代初期に築城の名手・藤堂高虎により近代城郭として大改修され津藩の藩庁となった。江戸期の津城は中央に内堀で囲まれた本丸と、それに付属して東丸・西丸があり、本丸・東・西丸を取り囲んで二の丸が配された輪郭式の平城であった。
現在の城跡は「お城公園、お城西公園」として整備されている。城跡内には高山神社が存在する。また、その他の城址には津市役所や津地方裁判所、津警察署などが建ち並んでいる。
沿革
現在の津市の古称は安濃津(あのつ)であり、平安時代より伊勢国政治経済の中心地となっていた。鎌倉時代は藤原南家の流れの工藤氏を祖とする長野氏が支配していた。
津城の起源は戦国時代の永禄年間(1558年 - 1569年)に、長野氏の一族の細野藤光が安濃・岩田の両河川の三角州に小規模な安濃津城を構えたことに始まる。
永禄11年(1568年)織田信長の伊勢侵攻により織田掃部頭(津田一安)が入城。翌年には織田信包が入城した。信包は城郭を拡充し、石垣を普請し堀を巡らせて、本丸・二の丸・三の丸を整備した。天正5年(1577年)には5重天守と小天守を落成した。
後世に津藩が古老の伝え語りや実見をまとめた『累世記事』によると、伊勢情勢に詳しかった滝川一益がこの地に城を建てるよう進言し、一益が縄張りをして信包に渡したとされている。
また信包は母の土田御前や妹のお市の方、姪の茶々、初、江を引き取り、この津城もしくは伊勢上野城(伊勢国)で保護をしていたとされてきた。しかし、近年の研究によると、当初、お市の方と三姉妹を保護したのは信包ではなく、信長、信包、お市達の叔父である織田信次であることが明らかとなっており、お市と三姉妹が滞在していたのも守山城であることが証明されている(『溪心院文』)。
豊臣家の時代になると、文禄3年(1594年)信包は秀吉の命により丹波国柏原へ移され、翌文禄4年(1595年)7月、豊臣家家臣の富田一白が5万石(6万石とも)を与えられ入城した。一白の子、信高は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで東軍につき、西軍方の毛利秀元・長宗我部盛親軍3万の軍勢に城を攻撃された。迎える信高と援軍にきた分部光嘉の連合軍は1,300人と劣勢であったため苦戦を余儀なくされ、城内の建造物の大半を焼失した。奮戦の末、木食応其の調停により開城となった。しかし、この奮戦により戦後、江戸幕府より2万石の加増を受けた(安濃津城の戦い)。
慶長13年(1608年)信高は伊予宇和島藩に移封となり、代わって伊予今治藩より藤堂高虎が伊勢・伊賀22万石をもって入城した。高虎は城の大改修に着手し輪郭式の城郭に変貌させ、城下町を整備した。以後、明治維新まで藤堂氏の居城となった。
大坂の陣の功により元和元年(1615年)と元和3年(1617年)に5万石ずつの加増を受け、藤堂氏は32万3,000石の大大名となった。
なお、天守は関ヶ原の戦いで焼失し再建されなかったとされる。しかし、近年の研究では寛永年間(1624年 - 1643年)に描かれた絵図に三重天守と二重小天守が描かれており、これは富田氏が再建したと思われる。そして、その天守は寛文2年(1662年)の火災で焼失し、幕府への遠慮から再建されなかったと考えられている。
津は江戸期を通じて伊勢神宮参拝の宿場町として栄え「伊勢は津でもつ津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と伊勢音頭に謡われた。
明治4年(1871年)廃藩置県により廃城となり、以後、建造物は破却されていった。その後、「お城公園」として本丸跡に日本庭園が整備され、昭和33年(1958年)に丑寅櫓跡に隣接する多聞櫓跡地にコンクリート製の模擬隅櫓(三重櫓)が復元された。旧来の丑寅櫓とは場所も形も全く異なっており、史実を無視した観光用の模擬櫓である。
現在本丸跡の日本庭園入口には藩校有造館の正門の入徳門が移築現存している。
平成29年(2017年)4月6日、続日本100名城(152番)に選定された。
歴代城主一覧
1.細野藤光 2.細野藤敦
- 細野氏
1.織田信包
- 織田氏(長野氏)
1.富田一白 2.富田信高
- 富田氏
1.藤堂高虎 2.藤堂高次 3.藤堂高久 4.藤堂高睦 5.藤堂高敏 6.藤堂高治 7.藤堂高豊 8.藤堂高悠 9.藤堂高嶷 10.藤堂高兌 11.藤堂高猷 12.藤堂高潔
- 藤堂氏(津藩主、津藩知事)
参考文献
- 【書籍】「定本 日本城郭事典」
- 【書籍】「 誰も知らなかった江 」
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津城の口コミ情報
2024年10月12日 RED副将軍
津城
藤堂高虎が譜勢した津市のシンボル
続日本100名城
永禄年間(1558年〜1569年)に長野氏一族の細野藤光が築城。
1568年、織田信長の伊勢侵攻により津田一安、織田信包が入城。滝川一益の譜勢により五重天守、小天守に石垣造りで堀が巡る城郭に改修したとされます。
豊臣時代になった1595年には豊臣家臣の富田一白が入城。
1600年の関ヶ原の戦いでは、前哨戦の安濃津城の戦いの舞台となり、富田信高は東軍に付いたため西軍の毛利秀元・長宗我部盛親軍3万の軍勢が攻め寄せ、津城の大半を焼失。激線の末に木食応其の調停により開城となりました。
1608年、伊予今治藩より藤堂高虎 が伊勢・伊賀に入封すると輪郭式の近世城郭に大改修を実施。以後、明治維新まで藤堂氏の居城となりました。
1871年、廃藩置県により廃城、破却となります。
見所
北には安濃川、南には岩田川に挟まれた三角州に築かれており、両河川を天然の大外堀としています。
現在は西ノ丸と本丸の大部分はお城公園として整備されていますが、南から東側は堀などが埋め立てられており消失しています。西ノ丸と本丸は堀で区切られ土橋が架かっていましたが埋め立てられ繋がっています。
本丸は北西隅に戌亥櫓台、南西に天守台、北と南に多聞櫓台などが残っており、丑寅櫓続多聞櫓跡に三層の復興櫓が復元されています。
藤堂高虎による普請であり、石垣は反りが無いのが特徴です。
往時は戌亥櫓跡の石垣台上にも三重櫓が建っていた様で、広い内濠も当時は更に3倍の広さでありました。
2024年08月26日 山城守吉川
津城
市役所の前にあり、行きやすく綺麗な城址になっています。
2024年04月10日 かつ木工頭お丸
津城
飾らずシンプルで落ち着いた城跡です。石垣と桜が、丁度いい感じでした。市役所の駐車場が近くにあり気軽に来城出来て、お帰りは図書館にも寄って楽しめます。
2024年02月21日 ナァロ蔵人頭
津城
藤堂高虎の石垣は素晴らしいが、それ以外は現代化され過ぎていて残念な城だった。庭園らしきものも櫓も体裁のみ。せっかくの遺跡をもっと大事にしてほしい。ちなみにここには御城印はなく、津駅に置いてあるとのこと。
2024年01月28日 ようこ姫
津城
藤堂高虎公の銅像が印象的な、のどかな感じの公園になっています。城跡内に高山神社があり、こちらは訪れる人もひっきりなしでした。戦国時代の津城を思いながら歩いてみました。
2023年10月01日 鼬政宗
津城
津新町駅から歩いて10〜15分くらい。藤堂高虎侯を祀る高山神社は意外に小さく、社務所が開いている時間がかなり限られているみたいです。土曜16時でもダメでした。
2023年05月28日 飛騨守マックイーン
津城
駅から遠いようなのでタクシーを利用。1300円くらいでした。本丸は小さい公園になっていますがあんまり…。お堀と石垣がいいのでぐるりと回って、最後に髙山神社を参拝して徒歩で津新町駅へ向かいました。津新町駅は踏切を渡る必要があります。
2023年05月06日 たくや丸
津城
津城近隣のセンターパレスの地下1階に津城の模型があります。場所は津中央郵便局の向かい側です。津城から歩いて五分ぐらいです。
2023年03月20日 後志守日本三景を観に行こう
津城
城造りの名主。藤堂高虎が築城しただけあって石垣と堀が立派でした。津駅からだと歩くと40分以上かかるので、お勧めできません。
又、名古屋名物として有名な・天むす千寿・は津が発祥です。
本店は、津城から歩いて10分くらいなので是非お立ち寄りください。
2023年01月16日 たぬき内匠頭
津城
街の真ん中にあり、少し開発が進んでいるのが残念ですが、迫力のある石垣を見ることが出来ました。
2022年08月07日 国府左京大夫城介
四天王寺[津城 寺社・史跡]
聖徳太子が建立した四つの四天王寺の一つ
【歴史】
飛鳥時代に起きた丁未の乱において、物部守屋との戦いに臨むにあたり、聖徳太子は戦陣にて四天王尊像を刻み、「次の戦で勝利を得たら、四天王を祀る寺塔を建立するから勝利をお与えください」と誓願をたてました。その結果、見事物部守屋を打ち破ることができたので、誓願どおりに四つの四天王寺を建立しました。その内の一つが、津市にある四天王寺と伝わっている。
その後、度々の兵火によって焼失と再興を繰り返していたが、安濃津城に入った織田信包や、津城に入った藤堂高虎によって再建がなされた。加えて、寛永14年(1637)には二代藩主藤堂高次によって、寺領が寄進された。
【遺構・文化財】
山門(寛永18年に建立)
梵鐘(古来の鐘は、安濃津城攻めにて西軍により鉄砲の弾として溶かされた)
織田信長・信包の生母である土田御前の墓
藤堂高虎の正室・久芳夫人の墓
藤堂高虎と正室の肖像画(重要文化財)
聖徳太子像(重要文化財)
三面大黒天(織田信長も祈願した) 他
【感想】
聖徳太子が建立した伝わるお寺ですが、織田信長や藤堂高虎とも縁の深いお寺です。
土田御前や藤堂高虎夫人のお墓をはじめ、藤堂高虎の肖像画などを見学することができます。
また、お寺にしては珍しく写真撮影が自由にでき、重要文化財の仏像や肖像画を撮影することができます。
津城からも近く、津城を訪れるのであれば、是非このお寺も参拝してください。
【アクセス】
①津駅より県庁方面へ行くバスに乗車し、県庁前又は塔世橋で下車し、徒歩3、4分。
②津駅より徒歩10分。
③津城より徒歩15分。
【写真】
①表門
②山門
③藤堂高虎の肖像画
④藤堂高虎夫人の肖像画
⑤聖徳太子像
⑥三面大黒天像
⑦土田御前墓所
⑧藤堂高虎夫人墓所
2022年06月25日 在来線男右京進
津城
御城印は駅前観光案内所で売っています。観光協会が津、桑名、松阪、伊賀上野、亀山、玉城、鳥羽7城のスタンプラリーをやっています。パンフレットがきれいな写真を載せています。半年に1度リッチなプレゼントが当たるみたいです。石垣は立派でした。しかし城跡は公園だか、庭園みたいになっていてなんだかがっかりしました。
2022年06月25日 特にありません
津城
公園の中心からぐるっと石垣が見えます。藤堂高虎の城に解説は要りません。しか、この季節の登城は暑い。熱中症にご注意ください。
2022年06月05日 ゆらキング⭐️左衛門佐信繁
津城
街のビルの間に隠れて石垣がみえます。高山神社の裏が公園になっていて中央に藤堂高虎の像が立っています。
2022年05月10日 兵部卿スーさん
津城
伊賀上野城ほど高くはないですが、藤堂高虎ならではの高い石垣が見どころです。織田信包時代の津城最古の野面積みや打込みはぎ、切込みはぎ、谷積みなどいろんな種類の石垣が見られます。土日曜日はボランティアの方々が説明をしてくださいます。
2021年12月06日 しいたけ
津城
行って良かったです。津市営お城東駐車場にある『津まんなかガイド詰所』に続名城100選のスタンプ、パンフレットがあり、利用いたしました。石垣っていいな。
2021年09月26日 成瀬隼人正
津城
石垣の高さに圧倒されます。特に本丸の堀側は見事な算木積みと打ち込みハギ石垣が最高でした。やっぱり築城の名手藤堂高虎の縄張りは素晴らしい。
2021年03月27日 【城郭道】たっきー
入徳門[津城 遺構・復元物]
西の丸にある入徳門。1820年、10代藩主、藤堂高兌が建てた藩校、有造館の講堂の正門です。1971年、この地に移築、保存されています。
入徳門の軒丸瓦には『蔦紋(藤堂紋)』が刻まれています。
2021年03月27日 【城郭道】たっきー
東の丸[津城 遺構・復元物]
お城前公園辺りが東の丸かと思われます。模擬櫓がよく見えます。かつては本丸から土橋で繋がって東の丸を経由して二の丸へ出るようになっていたようです。おそらく、馬出しのような役割があったんですね。
写真はお城前攻略とそこからの模擬櫓と丑寅櫓跡です。
津城のCG(三浦先生監修)を見る限り、東の丸は土塁でできて、建物は無かったようです。
2021年03月27日 【城郭道】たっきー
丑寅三重櫓跡[津城 遺構・復元物]
本丸東にあった三重櫓。その跡地。現在、その近くに模擬櫓があります。その模擬櫓よりも規模は大きく、破風等は少なかったようです。
登って行くことが可能です。又、近くには丑寅櫓の説明板もあります。
高いところ大好きな人は隅から下を見てみてください。津城の本丸の石垣の高さがよくわかります。
(そういえば、そこにはナメクジがいました。)
2021年03月27日 能登守さとみっくす
月見櫓跡[津城 遺構・復元物]
模擬櫓から南の方にあります。階段があり、登ることができます。そこから、たまたま月が見えました。
2021年03月26日 【城郭道】たっきー
駐車場[津城 駐車場]
津市役所隣の駐車場。午後7時まで利用できます。
又、津城西にある津市役所で津城に関する情報があります。津城や藤堂高虎に関するパンフレット、津城の看板等があります。
ここで津城のパンフレットを取って城めぐりするといいかもしれませんね。
2021年03月25日 【城郭道】たっきー
模擬三重櫓[津城 関連施設]
東鉄門枡形の隅にある櫓。1958年に鉄筋コンクリートで建てられました。規模、容姿、位置の全てが異なり、津市のシンボルとして存在しています。もう津城の顔ですね。
かつてここには多聞櫓が建っていました。
近くまで石垣を登って行くことはできますが、中に入ることはできません。櫓にはちゃんと塀が付いてますね。
2021年03月25日 【城郭道】たっきー
津観音[津城 寺社・史跡]
和銅2年(709)に本尊:聖観音菩薩像が伊勢国阿漕ヶ浦の漁師の網に救い上げられたのが始まりとされています。
日本三大観音の一つで『津の観音さん』として親しまれています。
五重塔がなかなか見応えがありますね。QRコードを読み取ると中を見ることができます。
又、御朱印も豊富です。
津城攻略の際に行かれては。
2021年03月23日 犬走りより荒ばしり上総介
津城
高山神社⛩を参拝すれば駐車場も拝借でき、続100名城のスタンプも押せて動きがスムーズ。地酒の高虎の樽が供えてあり、さすが高虎を祀る神社❗️その藤堂高虎の騎馬像の前で一杯やれれば最高🍶😊丑寅櫓もいいけど、この城跡公園を囲んでいる石垣が見事です。
絶対一周しましょう。
2020年12月27日 右近衛中将かじくん
津城
築城名人高虎らしさがにじみ出た高石垣が印象的。守りも堅固でかなり綿密に計算されているのがよく分かります。
2020年12月10日 【城郭道】たっきー
津駅前観光案内所[津城 その他]
津駅前観光案内所で御城印を一枚二百円で購入することができます。津城から少し離れていますが、リア攻めの記念にどうですか。
2020年11月08日 鉄武蔵守紺太郎信繁
津城
高虎公を祀る高山神社さんに参拝者用駐車場有り。続100名城スタンプは社務所窓口で借りる。先人コメント通り御城印は置いて無い為ご注意。駐車場は七五三など参拝行事優先ゆえ、石垣などを堪能したい方は近くの市営駐車場を使われるべきかと思います。お参りを済ませ鳥居の背後からすぐ津城天守台跡 埋門側に早く行けます。因みに埋門のある石垣ですが当時は多聞櫓が建っていたらしい。その手前には犬走の遺構の低い石垣。さらにその手前は広い内堀が広がっていた。
2020年09月20日 戸沢夜叉九郎正樹
津城
今回は続百名城スタンプが目的で4度目の登城です。ご城印は城から少し離れた津駅前観光案内所にあるのでご注意を。
2020年08月09日 VTR美濃守シゲ名城オフ会
津駅前観光案内所[津城 その他]
こちらで津市観光協会発行の御城印頂けます
一枚200円
津駅東口アスト立体駐車場30分無料で駐車出来ました、御城印購入時間十分有ります
津市の観光パンフレットやお城関連のお土産も有ります
2019年10月18日 とうちん
津城
県庁所在地の街中にある城跡ですが、訪れる人が少ないのか、雑草と鳥や犬の糞だらけ。
藤堂高虎像も公園の端っこに追いやられた感があり、石垣も崩れそうな部分が沢山で名将の城としてはとても残念な整備状況です。
2019年05月07日 みめぐり
津城
天守台の石垣☆上部、下部で積み方や石の種類の異なる石垣など…天守台は面白い石垣が見られます!
2019年04月24日 みめぐり
津城
本丸の石垣☆藤堂高虎の反り返しの少ない算木積みやたくさんの石垣を堪能しました(°▽°)
2017年11月08日 織田上総介晃司
津城
今回、津城のそばにある高山神社の一般参拝者駐車場に停めさせていただきました。
契約者用の駐車場もありますので気をつけてください。
築城の名手・藤堂高虎の津城は反りのない石垣が特徴(伊賀上野城も同様)
かつては幅100mもある内堀を要し城の縄張りも高虎らしい工夫があったそうです。
現在は入徳門のみが城郭関係の建物ですが、丑寅三重櫓と戌亥三重櫓が復元されると壮麗な姿を見せるものと思われます。
2016年03月19日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
津城
伊賀上野、鳥羽、松阪、三重県城郭ラリー最後の城は津城です。4ヶ所の城を巡りスタンプを集めたら4城のバッジがもらえると聞いたので勢いこんで来てしまいました。
しかし、他の3城に比べて規模は松阪に及ばない、高さは伊賀上野に遠く及ばない、
往事を連想させるのは北内堀かな。外苑に水中ポンプの制御装置があり露出配管が成されてました。
堀の水は北から吐き出し南側に流れています。白鷺が舞い降り、鯉が優雅に泳いでます。
城の東側に最大1000円の駐車場あります。
トイレは東の太鼓櫓跡横にあります。
東鉄門前に復元櫓がありますが、私のイメージと少し違う感じがします。
信長の弟、信包が城主だったが高虎が大改修したとのこと。
残念ながら信包の逸話はないかとあちこち散策しましたが発見できませんでした。
勢いこんで来てみたが、何か物足りない。城内に歴史博物館なんかができないものかと思いました。
高山神社でお話聞いたら戦災で殆ど燃えてしまったと溜め息混じりに話されてました。「覆水盆に返らず」 残念です(>.<)
2016年03月16日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
津城
石垣が見事です。ただし門跡に隅櫓を復興したのは失敗だったかも。隅櫓跡の石垣は遥かにでかいです。本丸は思ったより小さい気がしました。
2014年08月07日 コロ助
津城
最寄り駅は近鉄線の津新町ですが、青春18切符だったのでJR津駅で下車。徒歩30分弱で津城に着きました。
蝉時雨、牛蛙の合唱、ゲートボールをされる方達の歓声など、とても賑やかな所でした
城跡にある高山神社の御朱印には「伊勢津城址鎮座」の文字に高石垣の印が押してあり、石垣好きとしては嬉しかったです
2014年04月01日 とも
津城
市営お城東駐車場の係員さんに、津城の説明パンフレット(コピーしたもの)をもらいました。
2013年04月19日 はせちゃん弾正忠
津城
4/20に発掘調査現地説明会が実施されるとのこと
石垣改修の痕跡が確認されたようです
2012年10月08日 kagolin
津城
バイクでプチツーなう。静かなところ。
2012年01月18日 桑名中務大輔はまぐり〜
津城
日本一短い名前の城・・・たぶん
2011年04月25日 三河守コーキしゃん
津城
津城の見所の一つ、石垣と堀の間にある犬走りがあります。
2011年04月08日 古楽侍従広家
津城
近くにある高虎を祀った高山神社の絵馬は必見。
2010年07月25日 徳川内大臣源朝臣康武
津城
[武将像]藤堂高虎像
本丸跡に甲冑騎馬像が鎮座。同じ像が生誕地である滋賀県甲良にあり。
愛媛県今治城に平服騎馬像あり(今治城参照)。
津城の周辺スポット情報
入徳門(遺構・復元物)
内堀石垣(遺構・復元物)
丑寅三重櫓跡(遺構・復元物)
戌亥三重櫓跡(遺構・復元物)
伊賀櫓跡(遺構・復元物)
玉櫓跡(遺構・復元物)
天守台(遺構・復元物)
埋門跡(遺構・復元物)
月見櫓跡(遺構・復元物)
太鼓櫓跡(遺構・復元物)
東鉄門跡(遺構・復元物)
西の丸(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
西鉄門跡(遺構・復元物)
水堀跡(遺構・復元物)
西の丸二階門跡(遺構・復元物)
土橋跡(遺構・復元物)
東の丸(遺構・復元物)
武器庫跡(遺構・復元物)
下馬大腰掛(遺構・復元物)
北多聞櫓跡(遺構・復元物)
東多聞櫓跡(遺構・復元物)
南多聞櫓跡(遺構・復元物)
内堀跡(遺構・復元物)
本丸御殿跡(遺構・復元物)
土橋跡(遺構・復元物)
内堀(水堀)(遺構・復元物)
高虎公銅像(碑・説明板)
高山公遺訓碑(碑・説明板)
碑(碑・説明板)
津城(周辺城郭)
高山神社(寺社・史跡)
阿弥陀寺(寺社・史跡)
津観音(寺社・史跡)
専修寺(寺社・史跡)
福満寺(寺社・史跡)
報恩寺(寺社・史跡)
密蔵寺(寺社・史跡)
三重縣護国神社(寺社・史跡)
四天王寺(寺社・史跡)
北畠満雅卿忠烈遺跡(寺社・史跡)
津駅前観光案内所(御城印)
高山神社社務所(スタンプ)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
有料駐車場(駐車場)
模擬三重櫓(関連施設)
お城西公園(関連施設)
お城公園(関連施設)
お城前公園(関連施設)
津駅前観光案内所(その他)