上津部田城(こうつべたじょう)
上津部田城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 三重県津市一身田町上津部田
旧国名
- 伊勢国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 不明
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、井戸
指定文化財
- 市史跡(上津部田城址)
再建造物
- 説明板
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-
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上津部田城の解説文
上津部田城の口コミ情報
2024年09月10日 図書頭RedKing
上津部田城
津城からすぐ裏山のような三重県総合文化センターの西側にあたります。津駅からはバスで数分とのことですが、JR紀勢本線一身田駅からも同じ位の距離です。
津の丘に対峙するように浄土真宗高田派の大本山が見事なランドマークの一身田寺内町で四方を環濠に囲まれています。町名の由来も三世一身の法との説もありますが、詳しくはお寺さんで。境内も町内も近世の雰囲気がいっぱい。
さて城主も由緒も不明で峯治城の支城らしいとの両発掘調査結果ですが、津市指定史跡として道路整備に伴い復元されたとのことです。
津城側が表向きだったのでしょうか。いずれにせよ伊勢の中央で志登茂川流域の田園地帯に伊勢街道を見渡していたのでしょう。
2023年09月22日 なるやん!
上津部田城
三重県総合文化センターC -8駐車場から入ります。写真の右側から登り、竹藪越えた上に跡がありますわ。
2022年06月08日 RED副将軍
上津部田城
主郭は土塁が巡り、南側背後は空堀が残っています✨
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代等は不明。発掘調査により古銭や集石、井戸、礎石が見つかっており、戦国時代のものと分かっています。近くの峯治城の支城であったとも考えられています。
⚠️峯治城は応永年間(1394年〜1428年)に佐脇勝久により築城され、1568年に織田信長の侵攻により落城し滅亡。市街化により完全に消失しています。
見所
現在は上津部田城址公園として整備されていますが荒廃気味。主郭の四方に土塁が巡り、南側には空堀を確認できます。空堀は幅10m、深さ4m程度で見応えあります。
行き方は、三重県総合文化センターを目指してください。西側の一画にあり公園化しています。
2021年04月22日 伊勢守ヒロピン
上津部田城
三重県総合文化会館の第8駐車場奥に駐車して道を渡って階段を登れば直ぐ到着☺️
2021年04月04日 能登守さとみっくす
上津部田城
津城の北にある城。なかなか綺麗に整備されている城です。遺構もなかなかいい感じです。土塁の上も歩けます。
2016年04月23日 まー刑部卿
上津部田城
文化センターのCー9という駐車場が一番近いですが車が勢いよく来るため道路横断時は十分注意して下さい。
2012年11月26日 三河守コーキしゃん
上津部田城
三重県総合文化センターの西側にある森が城跡です。
文化センターの駐車場を利用しました。
平山城ですので登り易く、主郭は四方を土塁で覆われていて周りに空堀もあり、結構見応えのあるお城です。
2011年08月26日 北畠あきちか
上津部田城
この城は、バイパスを建設する際バイパスをトンネル状にしトンネルの上に発掘で出土した遺構をそっくり復元するという珍しい整備が施された城。
『伊勢一国旧城跡附』に記された旧上津部田村にあるという3箇所の「御城屋敷跡」の1つであろうが、城主は不明である。
主郭は、地山を削り出した上に盛土した土塁により四方が囲まれ、内側の面積は約600平方メートルで北東に虎口がある。土塁の高さは北側から6メートルある。尾根続きの南側は幅10メートルの広い空堀により遮断され、さらに南へ44メートル離れたところにも幅2メートルほどの溝がある。主郭より一段低い東側には、腰郭状の平坦地がある。
昭和56年に、都市計画道路浜田長岡線工事のため、津市教育委員会により発掘調査された。道路予定部分からは、主郭の虎口に数土建て替えられた門、郭内から掘立柱建物跡などが明らかにされ、土師器の皿、羽釜、常滑窯の擂鉢、大瓶などが出土している(上津部田城址発掘調査報告 平成元年)。
津の文化財と自然を守る会からは、歴史公園として保存が要望され、その方法が検討されている。