宮山城(みややまじょう)
宮山城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 三重県津市戸木町字敏太
旧国名
- 伊勢国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 木造具政
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 木造氏、蒲生氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(宮山城阯)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
木造城(三重県津市)[5.3km]
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宮山城の解説文
宮山城の口コミ情報
2022年08月29日 RED副将軍
久居陣屋[宮山城 周辺城郭]
津藩の支藩として成立した久居藩の藩庁跡
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
1671年、藤堂高通により築城。津藩祖の藤堂高虎が没してから次男の藤堂高次が津藩を継承しましたが、1669年に隠居。嫡男の藤堂高久に家督を継がせます。同時に高久の弟である高通には五万石を分領し、高通は久居藩を立藩したもの。本来は城主格の大名でありましたが、城を築くことは許可されず陣屋を築くに留まりました。1871年の廃藩置県により久居藩が消滅すると廃城となりました。
見所
現在は、久居中学校と高通児童公園に整備され遺構は消失。公園南側は江戸時代からの地形が残っているとのことでした。雲井川支流が堀代わりに活用されています。
2022年05月03日 ka_zu和泉守
久居陣屋[宮山城 周辺城郭]
現在は高道児童公園や久居中学校の一部となったりして陣屋の明瞭な遺構はは見当たらないが、空堀がのこっています。
2021年06月29日 左近衛中将かめかめ
城山城[宮山城 周辺城郭]
戸木城攻略のために築かれた城。宮山城と良く似た構造の縄張りで、郭を囲う横堀や土塁が良く残っています。
城への入り口は分かりにくいですが、(道はありませんが)丘陵の南東部から入ることが出来ます。あとは、北へ向かい丘陵を上ればそれらしき遺構が現れます。説明板はありませんので事前に調べてから訪城することをオススメします。
2021年06月26日 左近衛中将かめかめ
宮山城
【城の歴史】
木造氏が戸木城の支城として築城。その後、小牧・長久手の戦い時に蒲生氏郷軍に攻められ落城。織田・豊臣により城は改修され戸木城攻めの拠点となった。(現地案内板より)
縄張りは主郭(単郭)を囲う土塁、郭周辺を二重の堀や土塁で防御する構造になっています。
敏太神社の駐車場から5分程で縄張りを見ることができ、訪れやすい城です。
2020年06月30日 近江守Silvine
宮山城
宮山城は、同じく戸木町にある城山城と類似した縄張を持つ城です。遺構はそれほど広くない主郭を、折れのある横堀と土塁で複雑に囲んだ技巧的な作りで、規模の割に厳重な作りである事から戸木城攻めの陣城と言われています。
城へは麓の敏太神社を目指して下さい。駐車可能で、城の説明板もあり神社から山へと階段が続いています。およそ5分ほどで城内にたどり着きます。