宮山城(みややまじょう)
宮山城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 三重県津市戸木町字敏太
旧国名
- 伊勢国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 木造具政
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 木造氏、蒲生氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(宮山城阯)
再建造物
- 説明板
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-
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宮山城の口コミ情報
2024年11月10日 RED副将軍
戸木城[宮山城 周辺城郭]
激しい籠城戦が行われた木造氏の拠点🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
1554年に木造具政により築城。
木造具政は北畠晴具の三男であり、木造城主でしたが家督を嫡男の木造長政に譲り、隠居城として築いたのが戸木城です。
1569年に木造具政・木造長政父子は、伊勢に侵攻してきた織田信長に属します。その後、北畠氏の家督を継いだ織田信雄に仕えました。
本能寺の変で織田信長が没すると、1584年に織田信雄と羽柴秀吉の対立から小牧・長久手の戦いが勃発。羽柴秀吉の家臣である蒲生氏郷が攻め寄せ、木造長政は戸木城に籠城し、半年に及ぶ激しい戦いの末に和睦が成立して開城したとされます。
その後は庄田町に勢力を持っていた中川庄蔵の預かりとなっていましたが、慶長年間(1596年〜1615年)に廃城となったとされます。
見所
南側は崖地の段丘南端に築かれており、戸木小学校の北側の台地上が城内とされます。現在は宅地や耕作地となり遺構は消失したとも云われますが、小学校西側のヤブに堀が残っている様です。
かつて戸木小学校敷地の発掘調査でも堀が検出されており戸木小学校に石碑と案内板が立てられています。
2024年10月16日 RED副将軍
川方城[宮山城 周辺城郭]
集落に土塁が残存する木造城の支城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
1496年に木造政宗により築城。
木造政宗は、北畠氏一族で木造城の城主であり、川方城は木造城の支城として築いたものです。城主に弟の木造康親を配し、川方氏を称しました。
1584年の小牧長久手の戦いに際しては、豊臣秀吉家臣の蒲生氏郷による夜襲を受けて川方城は落城。川方与左衛門ら15人が討死し、城主の川方隼人佐は戸木城に退いたとされます。
見所
雲出川北岸の台地先端部に築かれています。
現在は宅地化によりほぼ消失していますが、栄松寺から西へ約50mほどの道路沿いのヤブの中に土塁が残っています。
2024年10月02日 RED副将軍
宮山城
蒲生氏郷の改修とも云われる小規模ながら技巧的な山城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築上年代は不詳。天文年間(1532年〜1555年)に木造具政により築かれたと云われます。
1584年の小牧長久手の戦いに際して、木造氏は織田信雄
菅瀬合戦の際には羽柴秀吉家臣の蒲生氏郷が木造氏に攻め寄せ、蒲生氏郷家臣の家所帯刀が風早池の西に陣取り、木造勢は柘植彦次郎、田中道京、海津六郎左衛門、河原田伝次郎らが応戦するも宮山城は落城。
その後、戸木城に籠城した木造氏を攻めるための拠点として宮山城は改修され使用されたと云われます。
見所
敏太神社の北背後にある標高25m程の丘陵上に築かれています。
頂部の主郭は方形で周囲を土塁が巡り東側に虎口が開口し、稲荷神社が祀られています。
主郭東に二郭があり北と南にそれぞれ虎口が開口。周囲は土塁と横堀が巡ります。
技巧的な縄張りであり、木造氏と言うより蒲生氏郷が戸木城を攻めるための陣城として改修したものと考えられるのにも納得です。
2024年09月10日 図書頭RedKing
宮山城
伊勢自動車道久居IC周辺には、R165付近を挟んで将に小牧長久手合戦伊勢版の城跡群が遺ります。久居市指定史跡で主郭付近の土塁等中世の雰囲気です。
近鉄久居駅からのハイキングコース(約7km久居藩城下巡り)が丁度、改訂前の3,000城の久居陣屋跡地(久居藩庁、久居中学校)をポイントにしており、少し脚を延ばして、ここから高速道路を越えて、すぐ大きなスーパーの隣、敏太(とした)神社です。
久居城下案内人の会作成の「木造氏終焉の地久居戸木(へぎ)めぐり」をHPから見られるようお勧めします。
由緒ある風早池と蛇川に挟まれ、河口デルタで有名な雲出川沿いの田園地帯を見渡せたのでしょう。
裏山の大団地や郊外型商業施設とはご縁が薄いのか社殿周辺はともかく、社叢は荒れ眺望も利かず蜘蛛の巣パレードに厚い落ち葉に注意しましょう。
参道への市道は営農用作業道の趣ですから駐車喫茶トイレ等の便益施設は最寄りの大きなスーパーにお世話になった方が良いです。
2023年11月28日 池田紀伊守信輝
宮山城
1554年伊勢国司8代北畑具教の弟具政が、宮山〔標高45m〕に築いた戸木城の支城である。具政は木造家の養子に入って木造城主になったが、戸木を隠居所とした為、戸木御所と呼ばれた。1584年「小牧、長久手の戦い」の際、織田信雄×羽柴秀吉の争いで秀吉方の蒲生氏郷に攻められ落城となる。現在は土塁、空堀が良い状態で残されている。
2022年08月29日 RED副将軍
久居陣屋[宮山城 周辺城郭]
津藩の支藩として成立した久居藩の藩庁跡
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
1671年、藤堂高通により築城。津藩祖の藤堂高虎が没してから次男の藤堂高次が津藩を継承しましたが、1669年に隠居。嫡男の藤堂高久に家督を継がせます。同時に高久の弟である高通には五万石を分領し、高通は久居藩を立藩したもの。本来は城主格の大名でありましたが、城を築くことは許可されず陣屋を築くに留まりました。1871年の廃藩置県により久居藩が消滅すると廃城となりました。
見所
現在は、久居中学校と高通児童公園に整備され遺構は消失。公園南側は江戸時代からの地形が残っているとのことでした。雲井川支流が堀代わりに活用されています。
2022年05月03日 ka_zu和泉守
久居陣屋[宮山城 周辺城郭]
現在は高道児童公園や久居中学校の一部となったりして陣屋の明瞭な遺構はは見当たらないが、空堀がのこっています。
2021年06月29日 左近衛中将かめかめ
城山城[宮山城 周辺城郭]
戸木城攻略のために築かれた城。宮山城と良く似た構造の縄張りで、郭を囲う横堀や土塁が良く残っています。
城への入り口は分かりにくいですが、(道はありませんが)丘陵の南東部から入ることが出来ます。あとは、北へ向かい丘陵を上ればそれらしき遺構が現れます。説明板はありませんので事前に調べてから訪城することをオススメします。
2021年06月26日 左近衛中将かめかめ
宮山城
【城の歴史】
木造氏が戸木城の支城として築城。その後、小牧・長久手の戦い時に蒲生氏郷軍に攻められ落城。織田・豊臣により城は改修され戸木城攻めの拠点となった。(現地案内板より)
縄張りは主郭(単郭)を囲う土塁、郭周辺を二重の堀や土塁で防御する構造になっています。
敏太神社の駐車場から5分程で縄張りを見ることができ、訪れやすい城です。
2020年06月30日 梅鉢近江守Silvine
宮山城
宮山城は、同じく戸木町にある城山城と類似した縄張を持つ城です。遺構はそれほど広くない主郭を、折れのある横堀と土塁で複雑に囲んだ技巧的な作りで、規模の割に厳重な作りである事から戸木城攻めの陣城と言われています。
城へは麓の敏太神社を目指して下さい。駐車可能で、城の説明板もあり神社から山へと階段が続いています。およそ5分ほどで城内にたどり着きます。