松ヶ島城(まつがしまじょう)
松ヶ島城の基本情報
通称・別名
- 細頚城、細首城
所在地
- 三重県松阪市松ヶ島町城の腰
旧国名
- 伊勢国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 織田信雄
築城年
- 天正8年(1580)
主な改修者
- -
主な城主
- 織田氏、津川氏、滝川氏、蒲生氏
廃城年
- 天正16年(1588)
遺構
- 天守台
指定文化財
- 県史跡(松ヶ島城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
松坂城(三重県松阪市)[3.3km]
高城(三重県松阪市)[6.0km]
木造城(三重県津市)[6.7km]
枳城(三重県松阪市)[6.9km]
阿坂城(三重県松阪市)[7.3km]
大河内城(三重県松阪市)[10.3km]
斎宮城(三重県多気郡)[10.9km]
宮山城(三重県津市)[11.6km]
阪内城(三重県松阪市)[12.5km]
津城(三重県津市)[12.7km]
松ヶ島城の解説文
[引用元:Wikipedia「松ヶ島城」の項目]
松ヶ島城(まつがしまじょう)は、三重県松阪市にあった日本の城(平城)。1580年(天正8年)に付近の田丸城が焼失したため、織田信雄が新たに城を築き、松ヶ島城と命名した。県の指定文化財[1]。
概要
伊勢神宮への参宮古道沿いにあって伊勢湾に面し、海陸の要衝にあった。その後、信雄の家臣・津川義冬、滝川雄利が城主となり、最終的には豊臣秀吉の部下・蒲生氏郷が入部した。1588年(天正16年)に松坂城を築いて城下町を移転させるまで、氏郷は飯高郡松ヶ島城を伊勢国南部の統治拠点とした。城下が手狭だったため、同年11月末日付で当城下の町人はすべて松坂城下へ強制的に移住、参宮古道も松坂経由に変更され、松ヶ島城と城下町は廃された。
現在は幅約20m、高さ約2mの台地だけが残り、地中からは瓦片や茶碗片が出土している。後世の松ヶ島村の検地帳には、城之内、城之外、南の丸など城郭に関する地名や市場に基づく地名などが記録されており、往年の城下町がしのばれる。
所在地
三重県松阪市松ヶ島町字城の腰
アクセス
- 近鉄山田線松ヶ崎駅から徒歩15分
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松ヶ島城の口コミ情報
2024年10月30日 RED副将軍
松ヶ島城
蒲生氏郷が松阪城に移るまでの南伊勢支配の拠点🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
1580年に織田信雄により築城。
本拠地であった田丸城が焼失したため織田信雄が新たに築いたのが松ヶ島城であり、家臣の津川義冬、滝川雄利を城主としました。
1582年の本能寺の変の後は羽柴秀吉により配下の蒲生氏郷が入城し伊勢国南部の統治拠点としました。
1588年、蒲生氏郷は松ヶ島城は手狭であったため新たに松坂城を築いて城下町ごと移転をし、松ヶ島城と城下町は廃されました。
見所
現在は、耕作地の中に天守山と呼ばれる小高い丘があるのみです。城跡碑と案内板が立てられ、本丸天守台の跡と考えられています。
周辺の集落内に堀跡や蒲生氏郷邸跡の案内板が立てられており散策するのもオススメです。
2019年03月08日 青コアラ美濃守
松ヶ島城
国道23号の松ヶ島町交差点(両側にローソン)を東に入り、県道699号線と交差する所で前方の細い道に入ります。(かなり狭いので車では無理) 道なりに左の方へ行くと右側に小山があり、石碑と案内板があります。
この小山がかつての天守台の名残とされていますが、周りは畑とビニールハウスで囲まれ、すぐ隣には山盛りの肥料(?)が迫っており、ここに金箔瓦を用いた五層の天守が聳えていたなどとは俄には信じ難いほどです。
松ヶ崎地区市民センターに松ヶ島城のパンフレット(200円)がありますので、それを見て往時を想像しながら歩くのも面白いかもしれません。
駐車場はありません。前述の松ヶ島町交差点から入ると左手にグラウンドが見えますが、そこに広い駐車場とトイレがあります。(松ヶ崎公園) そこから徒歩で12、3分でした。
2011年08月14日 シャア専用ゲルググ尾張守
松ヶ島城
車で行くと、横幅ぎりぎりの道になります
駐車場はないので、農地に…、3分だけ
城址のまわりは畑です。肥やしの香り
2011年03月02日 北畠あきちか
松ヶ島城
松阪市愛宕町の竜泉寺には松ヶ島城の門が移築現存しています。
蒲生氏郷は松坂城を改築する際、松ヶ島城から石材や建造物を移築したとされ、この門は松坂城へ移さず蒲生氏郷が竜泉寺に寄進したといわれています。
あくまで伝承です。
他には松阪市埋蔵文化財センターには松ヶ島城天守の物と伝わる鯱瓦があります。
2010年08月08日 北畠あきちか
松ヶ島城
松ヶ島城は元々、細頸城(ほそくび)といい、伊勢国司の北畠具教 卿が築城した城。それを表記すべき。
松ヶ島城の周辺スポット情報
曽原城(周辺城郭)