大河内城(おかわちじょう)

大河内城の基本情報

通称・別名

大河内御所

所在地

三重県松阪市大河内町城山他

旧国名

伊勢国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

北畠顕雅

築城年

応永22年(1415)

主な改修者

主な城主

大河内氏、北畠具教、織田信雄

廃城年

天正4年(1576)

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切

指定文化財

県史跡(大河内城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

阪内城(三重県松阪市)[3.1km]
枳城(三重県松阪市)[6.8km]
松坂城(三重県松阪市)[7.3km]
阿坂城(三重県松阪市)[7.6km]
高城(三重県松阪市)[8.2km]
松ヶ島城(三重県松阪市)[10.3km]
斎宮城(三重県多気郡)[13.4km]
三瀬館(三重県多気郡)[14.3km]
三瀬砦(三重県多気郡)[14.8km]
田丸城(三重県度会郡)[14.8km]

大河内城の解説文

大河内城(おかわちじょう)は、三重県松阪市大河内町城山にあった山城。城は丘陵の北端に築造されており、東に阪内川、北に矢津川、西側と南側には深い谷が入り自然の要害であった。
概要
応永22年(1415年)、南朝の伊勢国司北畠満雅が両統迭立を履行しない幕府に対する挙兵の際に、備えとして築城。弟の北畠顕雅を入れた。これにより顕雅は、北畠氏諸流・大河内氏の祖となった。

顕雅は、兄・満雅をよく助け活躍したが正長元年(1428年)、満雅が討ち死にすると、その子・教具はまだ7歳であった為、顕雅が職務を代行し、足利義教との和睦交渉を纏めた。

伊勢北畠氏からは大河内、木造、坂内、田丸、星合、岩内、藤方、波瀬の諸氏が分かれ出て、それぞれ御所と称した。
木造御所は北畠庶流の筆頭であったが、木造御所は度々幕府側に付き、宗家と対立した。その為、田丸御所(田丸城)・坂内御所(坂内城)・大河内御所・(大河内城)の三家が北畠三御所となり、なかでも大河内御所は代々筆頭とされ、宗家が絶えたときは、これを継ぐ立場であった。

永禄年間、前伊勢国司であった北畠具教が、織田信長の伊勢侵攻に対し、嫡子・具房と共に多芸の霧山城(北畠神社)より大河内城に本拠地を移し、永禄12年(1569年)8月28日より籠城戦を行うも、信長の次男信雄に北畠の家督を譲る条件で和睦し、10月3日、具教、具房親子は城を退去した。

天正4年(1576年)、信雄が南伊勢を統治する拠点を田丸城に移したため、廃城となった。

大河内城の口コミ情報

2020年06月22日 内記かずりヾ(・ε・。)
脇谷城[大河内城  周辺城郭]



脇谷城は大河内城の南西約0.9km、山塊尾根上のピークの一つに位置します。お城には二つのピークがあり、西のピークが主郭、細尾根を挟んで東のピークにも郭があります。この配置だけでも十分格好いいでしょ。

お城への行き方ですが、まず脇谷集落にある脇谷集会所を目標に設定して下さい。到着したら吉祥寺ていうお寺を探しましょう。辺りは田んぼに家屋が点在してるような場所なのですぐに見つかるかと思います。吉祥寺の丁度北側、田んぼの畦道を抜けた所に獣柵ネットの開口部がありますので、これが登城路入口となります。左右を支尾根に挟まれた谷間の鞍部を進んで行きますが、どこからお城に入って行くのか判らなくなると思います。自分は直感で左の支尾根に取り付きましたが、右がたぶん正解なんでしょか。左の支尾根を直登するとなんとびっくり、広めの削平地に崩れ落ちた御堂?がありました。よく見りゃここへ通じる階段も付いてるじゃないすか、確かめる気にはなれないけど別に行き方があるように思えますね。この削平地の北側に登り土塁のような道が付いてますので、これを適当に進めばお城のある東西に延びた尾根に取り付く事が出来ます。そして尾根に出たら東に進みましょう、お城まであと少しです。又、脇谷城を越えたらそのままリア攻めマップのスポット「泉ヶ久保城」に到達出来ますので、合わせて参考にして下さい。ちなみにこの御堂?のある削平地、元は砦だったんじゃないすかね?行けば誰でもそう思います。谷間の鞍部(水が出てます。)といいこの辺はそそられる地形ではありますね!

お城は素晴らしいです。伊勢のお城なんてそんなにリア攻めしてないですが、この辺のお城は下手に郭を設けるんじゃなく、竪堀や空堀を上手く主郭周りに配して寄せ手を誘導し、主郭部の高い切岸からの射線に入れる事を主眼としてるように思えます。兵を分散させる事無く少ない力で最大限の効果を求める感じでしょか、技巧的でよく考えられてると思います。写真にすると訳わからんですが、ここは現地に赴いて主郭部を一周してもらいたいところです。

Googleマップにも載ってませんが、山城マニアを唸らせること間違い無し!先達様も書いておられましたが、松阪山城会さんが発刊する「松阪の城50選」は極めてコスパ高し!1000円+送料で通販されてますので、松阪のお城を訪ねる際は是非御一読を!

2020年06月21日 内記かずりヾ(・ε・。)
泉ヶ久保城[大河内城  周辺城郭]



泉ヶ久保城は大河内城の南西約0.8km、山塊尾根上のピークの一つに位置します。現在は大河内城とは伊勢自動車道で分断されていますが、大河内城から南西に向けて泉ヶ久保城→脇谷城の順に尾根伝いに続いており、大河内城をメインとする城砦群の一つとして考えるとよいかもしれません。ちなみにこの辺の山塊はちょっとそそられる地形が沢山あって、少し頑張れば新たな発見が色々出来るかも…

お城はプアーな部類に入るかもしれないですが、主郭周りには浅いけど堀切があり、南西側の堀切を越えた所にはかなりの高低差を持つ大堀切があって見所です。が、写真はものの見事に失敗したのでここは現地で確認してみて下さいまし。ちょっと変わってるのは主郭でして、背丈の低い雑木の合間を腰を屈めながら抜けると、土塁と言うよりは土壇ていう感じの小さな盛土が付いてます。これ上から覗くとぽっかりと穴が開いてるんです。そう、ポカリスウェットです。天水を溜めたのか狼煙台なのか知らんけど、意表を突く遺構の存在に誰も居ない山の中で思わずほっこりすること間違い無いでしょう。又、お城は単郭かと思っていましたが、北西側にあるピークも郭だったかもしれません。この場所から北側に向けて少しだけ下ると、竪堀様の地形とそれに付随する土塁状の盛土が確認出来ます。ただこれを遺構として見るのは早計と言うものでしょうか…

行き方はこれから作成する脇谷城のリア攻めマップを参照して下さい。このお城単独での訪問はちょっと厳しいと思う(比高も大してありませんが、面倒ではある。)ので、実に素晴らしい脇谷城とセットで行くのがよいでしょう。事実上お城は同一尾根で隣接しています。

伊勢のお城はまともな縄張図が無い(探せない。)ものが多いんですが、このお城もそれに当てはまります。城域の判定すら難しい部分もありますが、大河内城の裏側?を覗くつもりで探索すると色々楽しいかもしれませんね!

2020年03月08日 富士丸尾張守黒之介
駐車場[大河内城  駐車場]



搦手門前にも駐車場はありますか、道幅狭くワイドボディ車は厳しいです。引き返すのも大変でした。駐車場には看板があります。

2020年01月07日 尾張守だもんで
大河内城



大河内城の遺構はイマイチですが、すぐ近くの大河内地区市民センターには是非訪れてみてください。職員の方に北畠氏の歴史と史跡について詳しく教えていただきました。松阪市周辺は織田による伊勢侵攻はもちろん、南北朝期からの城がいっぱいです。そんな城をいくつか巡りたいという方にオススメなのが松阪の城50選という雑誌です。市民センターで購入できます。カラー刷りで紙質も良好。これで1000円はお買い得です。ただし、そのなかには藪で城域の一部に足を踏み入れるのが困難な城もあります。神山城がそうでした。次回は伊勢寺や滝之川をめぐってみます。写真は神山城の主郭手前の土橋です。

2019年06月20日 シバヤン丹波守雲外蒼天
大河内城



西の丸跡。多分上から見たらおむすびのような形やと思う。右奥に社がありこれまでに亡くなった方々の慰霊を。左奥から右奥は坂内川に挟まれて天然の堀に。北から二股に分かれた坂内川の中洲丘陵にあるのがこの大河内城。現在は国道で分断されているが、中洲いっぱいに縄張りが広がっていたと想像されます。それなら一万近い兵士を収容出来る事は可能と思えます。四万の織田軍に一万の北畠軍が戦ったこの地。

2019年06月20日 シバヤン丹波守雲外蒼天
大河内城



まむし谷。西の丸と主曲輪を繋ぐ橋、安全性でコンクリートですが、ここは木製の架け橋やったと想像したら往時が偲ばれる。谷の幅は六~七メートルらあるかな。北畠具教は敵勢を入れない為にこの谷にマムシを放ったとの伝わってます。

2019年06月20日 シバヤン丹波守雲外蒼天
大河内城



まむし谷。深さは人間3人分かな?、遺構ごとに絵馬があるこのお城(笑)。ここには火縄銃を構える兵士!(いいよ!この絵馬かけたあなた、その通り!この谷に落ちた敵を釣瓶撃ちじゃ!)

2019年06月20日 シバヤン丹波守雲外蒼天
大河内城



主曲輪の顕彰碑から更に北へ進む。真っ平らかと思ってたら三段の段差が見て取れる。高低差をつけることで弓隊が攻め上がる敵勢を狙い撃ちしやすいという利点あり。
ここ大河内城籠城戦では北畠には五人張りの強弓の武者の逸話もあり、射殺された織田兵も数多あったと思う。

2019年06月20日 シバヤン丹波守雲外蒼天
大河内城



主曲輪。大河内城籠城戦の顕彰碑が中に聳え立つ。侵略者に対し寡勢でもって二ヶ月にわたり支えたとある。名門北畠家の意地を見せた郷土の誇り。

2019年06月19日 シバヤン丹波守雲外蒼天
大河内城



主曲輪下虎口に跡。石垣の積み上げた石はどれもこれも丸い!坂内川からの物と思われるが安定感がどうかな?と思います。
二人が前後籠に乗せてここまで運んで来たのかなと工事現場を想像しました。

2019年06月19日 シバヤン丹波守雲外蒼天
大河内城



広い広い馬場跡です。兵溜りの役目もしていたと想像します。兵舎や厩舎や厨に厠とここが足軽、侍大将クラスの方の詰所だったと。東西南北に目を光らせる見張り番が歩哨として寝ずの番とか···思いは次々と。

2019年06月18日 シバヤン丹波守雲外蒼天
大河内城



馬場跡入口。薮に包まれつつ往時の凛々しさ厳しい戦火を生き抜いた姿を見る思いです。ここ大河内城は落ちなかった北畠具教の城です。

2019年06月18日 シバヤン丹波守雲外蒼天
大河内城



馬場跡目指す途中に二本の竪堀が···。城の大小に関わらず何気ないところに罠があるものです。気づかなくて命を落とす兵士達。

2019年06月17日 シバヤン丹波守雲外蒼天
大河内城



井戸跡。大手口の石垣右手前の側溝越えた所に井戸跡があると聞いて見つけました。埋没しかけてますがどうにか···。樽桶一つ入るぐらいの小さめです。この上の馬場の乗馬の為に使われたのかな。


2019年06月17日 シバヤン丹波守雲外蒼天
大河内城



山道を進むと右手に大手門の石垣。この石垣のおくに馬場跡。ここも大河からの石を使った石垣。角のとれた丸い石は城主北畠具教の面影とリンクするのは考えすぎか?
この石垣右手前に井戸跡も遺っています。

2019年06月17日 シバヤン丹波守雲外蒼天
大河内城



念願叶い大河内城に。今日は大手門からのリア攻めです。川沿いを北へ進み赤煉瓦の塀を左が大手門です。石垣があると聞いて期待膨らみます。

2019年06月16日 シバヤン丹波守雲外蒼天
大河内城



南曲輪内の石囲いの役行者···摩利支天にも見える顔立ち。楠木正成は兜の中に摩利支天の小像を込めていたと楠木神社で聞いた事がある。仏教の守護神の摩利支天···太陽の神、実体なく傷つく事なく、焼ける事なく傷つくこともない。その神通力の加護を受けようとの思いから曲輪内に安置か···。

2019年06月16日 シバヤン丹波守雲外蒼天
大河内城



南の曲輪内。社の右側に役行者を祀られてました。織田信長の部隊長の滝川一益を撃破し信長とは2ヶ月の籠城戦でも落ちることなく耐え抜いた北畠具教。養子信雄を迎えて講和という条件で開城したが···。

2019年06月16日 シバヤン丹波守雲外蒼天
大河内城



大河内城南の曲輪。織田軍の来襲に備えた北畠氏。石垣はゴツゴツした感はなく坂内川から引き上げた石を利用したのではないかな。坂内川は別名大河(おおかわ)とも云われその内側にある城から大河内城と云われる。故に読みは(おおこうちじょう)ではなく(おかわちじょう)との事。

2017年04月02日 あと2城副将軍マイリバ
大河内城

搦手口の途中に駐車スペースがありますが、ミニバンクラスでは入れそうにないため、西蓮寺さんにお断りして、駐車場を使わせていただきました。
堀切(まむし谷)、西ノ丸の土塁など遺構も残っています。
本丸には解説板&石碑も設置されているほか、剣豪大名には似つかわしくない手書きの北畠具教絵馬が数点飾られています。

2011年05月29日 June02
大河内城

舗装されている搦手口から、二ノ丸、本丸を経て、西の丸まで15分弱の手頃な平山城?です。
でも、織田軍の力攻めを二度も撃退した城郭なんですよね。
本丸跡への登城道は、遺構の石垣が覗き、古道の風情あり癒しを感じられます。
圧巻は、本丸跡と一段高い西の丸跡の間にある堀切と谷です。西の丸登城道から望む矢津川迄の谷は、『なるほど』と思える天然防御施設として実感します。
写真は、西の丸土塁をアップさせて頂きました。国道166号線に説明板があり、隣の『ふれあいセンター』では、説明書が頂けるそうです?

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