田丸城(たまるじょう)

田丸城の基本情報

通称・別名

玉丸城

所在地

三重県度会郡玉城町田丸字城郭114-1他

旧国名

伊勢国

分類・構造

平山城

天守構造

型式不明[3重/1575年築/焼失(火災)]

築城主

北畠親房、北畠顕信

築城年

延元元年(1336)

主な改修者

主な城主

北畠氏、織田氏、田丸直昌、久野氏

廃城年

明治時代前期

遺構

曲輪、天守台、石垣、横堀(空堀)、門、奥書院

指定文化財

県史跡(田丸城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

斎宮城(三重県多気郡)[5.3km]
松坂城(三重県松阪市)[13.4km]
大河内城(三重県松阪市)[14.8km]
松ヶ島城(三重県松阪市)[15.5km]
一之瀬城(三重県度会郡)[15.9km]

田丸城の解説文

田丸城(たまるじょう)は中世から近世をとおして現在の三重県度会郡玉城町田丸字城郭にあった日本の城。南北朝時代に南朝方の拠点として北畠親房、北畠顕信によって築かれたといわれる平山城であり、三重県指定史跡である。

かつての城内に、玉城町役場および玉城町立玉城中学校がある。桜が多く植えられており花見シーズンには花見客で賑わう。

概要
伊勢神宮を抑える戦略的要衝として争奪戦が繰り広げられたが、1342年(康永元年)、足利尊氏によって落城する。その後、室町時代には伊勢国司となった北畠氏の手によって再建される。北畠家の庶流で、第5代北畠政郷の四男顕晴が度会郡田丸城に入り、田丸氏を名乗った。

戦国時代、田丸直昌は織田信長の伊勢侵攻に伴い北畠具教の養嗣子となった織田信雄に田丸城を明け渡し、信雄に仕えた。田丸城は信雄の居城として1575年(天正3年)に改築され、三層の天守を備えた近世城郭へと生まれ変わり、織田氏の伊勢支配の中心拠点となった。天正4年(1576年)11月には、信長の意向を受けた信雄の命により田丸直昌は、長野具藤、北畠親成ら同族である北畠一門の主だった者を田丸城に招き寄せ、殺害している(三瀬の変)。

1580年に火災で天守を焼失。織田信雄は松ヶ島城へと移った。

天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いののち、松ヶ島城主となった蒲生氏郷の支配下に入る。天正18年(1590年)の奥州仕置において蒲生氏郷が陸奥国会津に移封されると、妹婿となっていた田丸直昌も与力大名として陸奥に移動した。江戸時代初頭には稲葉道通が入り田丸藩となる。稲葉氏転封ののち藤堂氏の支配地になるが、1619年(元和5年)、徳川御三家の一つ紀州徳川家の治める紀州藩の所領となる。

遠江久野城城主であった付家老久野宗成は駿府藩主であった徳川頼宣に付属させられ、頼宣の紀州転封(紀州徳川家の成立)の際にもそのまま付随となり、紀州へ移ってきた。頼宣はこの宗成に1万石を与え、田丸城城主として田丸領6万石を領させた。久野氏は、家老として和歌山城城下に居を構えたため、田丸城には一族を城代として置き、政務を執らせた。久野氏はその後八代続き、明治維新に至る。

また、江戸時代の名奉行・幕臣として著名な大岡忠相が山田奉行時代に起こった、天領(山田領)と紀州藩田丸領の争いの舞台のひとつとなった。

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(154番)に選定された。

遺構
明治維新に伴い田丸城の建造物はほとんど取り壊されたが、天守台や石垣、外堀、内堀、堀切、空堀などの遺構は今も整備されて残されており、他所へ移築されていた富士見門、三の丸の奥書院なども再度移築され、往時の面影を偲ばせる。...

田丸城の口コミ情報

【能鷹】右衛門督かげちゃん様[2017年05月05日]
バイクは、玉城町役場の駐輪場に駐めることできます。ちょうど、サイクリング中の地元のおじさんと駐輪場そばの喫煙所で少し立ち話してからリア攻めしました。おじさん、チャリより大型バイクの方が似合ってそうな気が・・・(笑)

御狐神民部卿双熾様[2017年01月22日]
駐車場は大手門内の玉城町役場の無料駐車場を利用するか城内の玉城中学校前に5台程度の無料駐車場があります。
石垣がとてもいいです!
お堀や門などもあります!上まで登ると意外といい感じです!本当に城跡、石垣など好きな人はイルミネーションをやってない時期をオススメします!
あと近くにある野中屋の黒蜜団子は美味しいので食べた方がいいと思います♪城めぐりのお供にどうぞ(*´∀`)つー●●●●-

修理大夫あさよし様[2016年08月14日]
想像以上に見応えのある立派な石垣群です。城跡アルアルの学校がそびえていますが、その後ろに立派な石垣群が現存しています。役場に車が置けます。役場前の村山さん記念館の資料室に城下町のジオラマ等があり、その裏手には復元建造物もあります。
若い人たちがスマホ片手にたくさんいました。ポケモンかな?

まるき〜遠江守様[2015年11月06日]

城内は綺麗に整備されていてとても歩きやすいですよ(^◇^;)
小高い場所にあるので本丸からは遠くまでよく見渡せて気持ちが良いし
天守台の登り口の石段は不思議な形をしています、両サイドを後から足されたやような扇形に…
コレは写真アップしていますので是非見て下さい…

天守台からは愛知県の知多半島まで見えて天気が良く、条件が良ければ富士山が見える事もあるとか…
西側の石垣に設置されている案内板は日に焼けて文字は読みにくくなっていますねぇ
学校に隣接しているので学生が遊び場にしている事も
所々最近修復されたのではないか?と思われる石垣が(切り口が近代的な道具で割られている)ある。探して下さい〜笑
本丸虎口手前に駐車スペースが5〜6台程度、近くにトイレあり

フラっと立ち寄った城でしたが、かなり見応えのあるお城跡でしたよ〜

尾張守だもんで様[2015年03月23日]
田丸駅から徒歩5分。北ノ丸、本丸、二ノ丸の順に散策。深い堀切で分断された北ノ丸は必見です。

コロ助様[2014年08月16日]
田丸駅から、水堀の横を通って、徒歩7分で搦手に到着。
石垣が本当に立派で、二の丸・本丸・北の丸と回るだけでも、石垣に見入ってしまい2時間近くかかってしまいました。
搦手に公衆トイレがあったのですが、お城の隣が保育園だからか、トイレの男性用・女性用の表示が、クマさん・ウサギさんになっていて微笑ましかったです

OHMSS井村様[2013年03月16日]
 今回は中学校の敷地となっている三の丸側から登攀。八つあった門のうち、唯一現存する富士見門の右手にある遊歩道から入り、遊歩道づたいに本丸の天守跡を目指す。
 このルートは北の丸の帯曲輪にもかかるが、雑木が祓われ、野面積み石垣の雑草にもおおかた人手が入って苔も無いところから、手入れが着実に進んできている事がうかがえる。
 右手の頂を見れば、木立の間から赤い建物が見え隠れ。訊けばお稲荷さんがあるそうだ。
 石垣で固められた二の丸と本丸のかかりでは、紅梅白梅の若木のお出迎えだが、間もなく桜まつりもあるとの事。この閑静な城跡も、華やかに振る舞うことだろう。
 標高52メートルの山城の趣きと、上部の整然とした平城のコントラストが楽しい『平山城』である。
 蒲生氏郷(天正12年から)や藤堂高虎(元和2年から)とも縁のあ 層 った、この城址は県の指定史跡である。ならば三層天守の再建も、あながち夢ではないかも知れない。

あぶり関白援軍感謝様[2013年01月22日]
駐車場は城跡の東側にある玉城町役場を利用しました。そこから徒歩で本丸跡までは5〜7分くらい。石垣は積み直しもされてきれいに整備されています。
役場を挟むように残る水掘りもいい感じです。

半月民部少輔虎陵様[2012年12月19日]
二層の天守は、パイプとシートで造られたハリボテで2ヶ月間限定で存在します。夜にはライトアップされます。

いっちゃんです様[2012年04月05日]
先月ライトアップされていたよ

桑名式部大輔はまぐり〜様[2012年01月18日]
天守を復元するのでしょうか?鉄筋はやめてほしいなぁ

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