阪内城(さかないじょう)
阪内城の基本情報
通称・別名
- 坂内城、(坂内御所)
所在地
- 三重県松阪市阪内町脇谷
旧国名
- 伊勢国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 北畠雅俊
築城年
- 応永22年(1415)
主な改修者
- -
主な城主
- 坂内氏
廃城年
- 天正4年(1576)
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- 市史跡(阪内城跡・阪内御所跡)
再建造物
- 石碑、説明板
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-
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阪内城の解説文
阪内城の口コミ情報
2024年05月27日 池田紀伊守信輝
阪内不動堂[阪内城 寺社・史跡]
阪内不動堂は、室町時代の阪内城主・阪内氏の菩提寺であった蓮華寺(廃寺)の奥の院であったといわれている。
2020年07月20日 RED副将軍
阪内城
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1415年に伊勢国司北畠氏の一門・北畠雅俊が築いた城郭。
1576年に七代北畠具義が北畠信雄(織田信長の次男)の謀略によって殺害。阪内城も廃城となりました。
見所
主郭北下の堀切。山頂からの細尾根が二重堀切で分断され両サイドは竪堀が落ちる。周囲は絶壁に近い難所。鋭さはトップ級です❣️
主郭までの登城ルートについて
(チューハイ片手にアップしたので後半は読み飛ばして下さい)
非常に分かり難く、道なりに真っ直ぐ進むと、写真①②のような傾斜45度以上の険峻な山肌を比高200mくらい直登する羽目になるので注意が必要です。
登城ルートは、県道沿いにある「ガイコツ峠・天守」という標識のところから川の左手のコンクリート道を登ります。
少し登るとコンクリート橋があり、フェンスを開けて入ると再度「天守・ガイコツ峠」の古い標識があります。少し登ってまた獣害フェンスがあり、ゲードを通ります。左手に行くとコンクリート道が途切れるところに小さな石碑があり、木にピンクのテープが巻き付いている所があります。非常に分かり辛いですが、ここを右手に登るのが正解です。
見過ごせば、地獄の直登行きで全くオススメしません。苦しみを快楽に変える事ができる異常性癖…失礼、強者は、往時の寄せ手の足軽気分で是非、竹槍を持って甲冑装備で登って頂きたい。山田勝己(自らをミスター佐助とのたまうTBSの呪術師が作ったゴーレム)以上の体力自慢と勝手に認定します。
阪内城は詰城として山頂に築かれたもので、城跡には曲輪や堀切が残り、碑も建っている。