阪内城(さかないじょう)
阪内城の基本情報
通称・別名
- 坂内城、(坂内御所)
所在地
- 三重県松阪市阪内町脇谷
旧国名
- 伊勢国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 北畠雅俊
築城年
- 応永22年(1415)
主な改修者
- -
主な城主
- 坂内氏
廃城年
- 天正4年(1576)
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- 市史跡(阪内城跡・阪内御所跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
大河内城(三重県松阪市)[3.1km]
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阪内城の解説文
阪内城の口コミ情報
2026年04月10日 尼崎城志摩守一口城主
阪内城
[進軍編]
3/29、大河内城下城後に阪内川と並行する県道29号を西へ向かい阪内城を目指しました。道中、城山が見えてきたので阪内川と前方の桜🌸と合わせて撮影(写真①)📷城山方面へ進んでいくと阪内町案内板(写真②)があり、お城関連の部分をズーム🔍(写真③)まず山城のあった山は天守(てんし)、子ども支援センターさんや阪内神社辺りが城主の館跡で御所と呼ばれていたようです。また滝のイラストが描かれている阪内不動さんには歴代城主のお墓🪦があります。
案内板からさらに城山方面に進むと<天守ガイコツ峠>の看板がありそちらから天守の道標(写真⑤⑥)に沿って進んでいき写真⑦の獣害対策の柵より入城。
当日、松阪駅前の観光協会さんで購入した「松阪の城50選」よりガイコツ峠は勢津集落へ抜ける峠道とのことで生頸谷(こべたに)という激戦の跡を伺わせる地名も残されているとのことでした。山城を訪れる際の駐車場🅿️は子ども支援センターさんの下の広場とのことで山城を訪れる際の駐車場からも山城は写真⑧の通りよく見えています。
※訪城時は山城の方に気持ちが傾いていたので支援センターさんの方にあった坂内御所跡の石碑を見落としてしまいました🥲
2026年04月10日 尼崎城志摩守一口城主
阪内城
[山城散策前編]
進軍編の写真⑦の獣害フェンスから入城後、さらに2つの柵(写真①、②)を通過して天守(てんし)を目指しました。※獣害対策が何重にもしてあるということは、それなりに理由🐻🐗🦌があるということなんだと気を引き締めて熊ベルを鳴らしながら進みました🛎️
道標(写真③、④)があるのでそれに沿って登っていきます。道中、山道(写真⑤)がきつくなり攻め手もしんどいけれど家来たちも辛かったかもと思いながら登っていきました💦山道には所々にステップ(写真⑥)を設けて下さっていたので助かりました🙇🏻♂️天守に近づいていくと天然の岩なのか人手による石積なのが不明ながら石垣斜面がありました🪨
保存会の方々が設けて下さった道標やステップのお陰で無事に城跡碑のある天守(写真⑧)へ辿り着けました🥾参考までに写真①の柵から写真⑧の天守まで私の足で約15分(フェンスの開閉時間込み)でした⏳
2026年04月10日 尼崎城志摩守一口城主
阪内城
[山城散策後編]
天守には<阪内城遺蹟>の城跡碑(写真①)、その裏手には四阿(写真②)が建っていました。四阿付近から天守曲輪の周辺を見下ろしてみると堀切のように見える縄張り(写真③)があったので堀底に下りて探検🧭してみると天守に容易に攻め上がらせないように堀切(写真④)になっていました。また続けて竪堀(写真⑤)にもなっているようにも見えました🤔
下山時には、登山時に素通りしてしまっていた石積の痕跡を感じる斜面とその中から成長する木々の生命力🌲(写真⑥、⑦)を眺めながら引き返しました。
下城後は麓の阪内神社⛩️(写真⑧)をお参り。神社横の子供支援センター辺りが城主館跡だったので有事の際には神社前を通って山城に籠って戦っていたように思われます⛰️
下城後には阪内城の前に訪れた大河内城で出会ったお城ファンの方に教えてもらった阪内城主のお墓がある阪内不動堂に向かいました🚲
2026年04月10日 尼崎城志摩守一口城主
阪内不動堂[阪内城 寺社・史跡]
阪内城下城後に県道29号を西へ進むと阪内不動滝➡︎の道標(写真①)や不動院案内板(写真②)があったのでお不動さんへの坂道を進みました。
歴代坂内城主のお墓(写真③〜⑤)は不動院や滝の手前にありお参り🙏
不動院には吉野朝廷より下賜された御本尊の不動明王が秘仏としてお祀りしてあるとのことでした(写真⑥、⑦)
最後に滝(写真⑧)を眺め激動の時代を駆け抜けてこられた歴代城主が清々しい空気の中で祀られていることが感じられました。
2024年05月27日 池田紀伊守信輝
阪内不動堂[阪内城 寺社・史跡]
阪内不動堂は、室町時代の阪内城主・阪内氏の菩提寺であった蓮華寺(廃寺)の奥の院であったといわれている。
2020年07月20日 ᴿᴱᴰ副将軍
阪内城
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1415年に伊勢国司北畠氏の一門・北畠雅俊が築いた城郭。
1576年に七代北畠具義が北畠信雄(織田信長の次男)の謀略によって殺害。阪内城も廃城となりました。
見所
主郭北下の堀切。山頂からの細尾根が二重堀切で分断され両サイドは竪堀が落ちる。周囲は絶壁に近い難所。鋭さはトップ級です❣️
主郭までの登城ルートについて
(チューハイ片手にアップしたので後半は読み飛ばして下さい)
非常に分かり難く、道なりに真っ直ぐ進むと、写真①②のような傾斜45度以上の険峻な山肌を比高200mくらい直登する羽目になるので注意が必要です。
登城ルートは、県道沿いにある「ガイコツ峠・天守」という標識のところから川の左手のコンクリート道を登ります。
少し登るとコンクリート橋があり、フェンスを開けて入ると再度「天守・ガイコツ峠」の古い標識があります。少し登ってまた獣害フェンスがあり、ゲードを通ります。左手に行くとコンクリート道が途切れるところに小さな石碑があり、木にピンクのテープが巻き付いている所があります。非常に分かり辛いですが、ここを右手に登るのが正解です。
見過ごせば、地獄の直登行きで全くオススメしません。苦しみを快楽に変える事ができる異常性癖…失礼、強者は、往時の寄せ手の足軽気分で是非、竹槍を持って甲冑装備で登って頂きたい。山田勝己(自らをミスター佐助とのたまうTBSの呪術師が作ったゴーレム)以上の体力自慢と勝手に認定します。










阪内城は詰城として山頂に築かれたもので、城跡には曲輪や堀切が残り、碑も建っている。