阪内城(さかないじょう)

阪内城の基本情報

通称・別名

坂内城、(坂内御所)

所在地

三重県松阪市阪内町脇谷

旧国名

伊勢国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

北畠雅俊

築城年

応永22年(1415)

主な改修者

主な城主

坂内氏

廃城年

天正4年(1576)

遺構

曲輪、土塁、堀切

指定文化財

市史跡(阪内城跡・阪内御所跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

大河内城(三重県松阪市)[3.1km]
枳城(三重県松阪市)[7.3km]
阿坂城(三重県松阪市)[7.9km]
高城(三重県松阪市)[8.9km]
松坂城(三重県松阪市)[9.8km]
松ヶ島城(三重県松阪市)[12.5km]
多気北畠氏城館(三重県津市)[12.9km]
三瀬館(三重県多気郡)[13.2km]
三瀬砦(三重県多気郡)[13.8km]
家城城(三重県津市)[15.2km]

阪内城の解説文

阪内城(さかないじょう)は、応永22年(1415)に伊勢を支配した北畠氏の一門・北畠雅俊が築いた城郭である。

阪内城は詰城として山頂に築かれたもので、城跡には曲輪や堀切が残り、碑も建っている。

阪内城の口コミ情報

2024年05月27日 池田紀伊守信輝
阪内不動堂[阪内城  寺社・史跡]

阪内不動堂は、室町時代の阪内城主・阪内氏の菩提寺であった蓮華寺(廃寺)の奥の院であったといわれている。

2020年07月20日 RED副将軍
阪内城



オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1415年に伊勢国司北畠氏の一門・北畠雅俊が築いた城郭。
1576年に七代北畠具義が北畠信雄(織田信長の次男)の謀略によって殺害。阪内城も廃城となりました。

見所
主郭北下の堀切。山頂からの細尾根が二重堀切で分断され両サイドは竪堀が落ちる。周囲は絶壁に近い難所。鋭さはトップ級です❣️

主郭までの登城ルートについて
(チューハイ片手にアップしたので後半は読み飛ばして下さい)
非常に分かり難く、道なりに真っ直ぐ進むと、写真①②のような傾斜45度以上の険峻な山肌を比高200mくらい直登する羽目になるので注意が必要です。
登城ルートは、県道沿いにある「ガイコツ峠・天守」という標識のところから川の左手のコンクリート道を登ります。
少し登るとコンクリート橋があり、フェンスを開けて入ると再度「天守・ガイコツ峠」の古い標識があります。少し登ってまた獣害フェンスがあり、ゲードを通ります。左手に行くとコンクリート道が途切れるところに小さな石碑があり、木にピンクのテープが巻き付いている所があります。非常に分かり辛いですが、ここを右手に登るのが正解です。
見過ごせば、地獄の直登行きで全くオススメしません。苦しみを快楽に変える事ができる異常性癖…失礼、強者は、往時の寄せ手の足軽気分で是非、竹槍を持って甲冑装備で登って頂きたい。山田勝己(自らをミスター佐助とのたまうTBSの呪術師が作ったゴーレム)以上の体力自慢と勝手に認定します。

阪内城の周辺スポット情報

 堀切(遺構・復元物)

 小原西城(周辺城郭)

 阪内不動堂(寺社・史跡)

 登山口(その他)

 入口(その他)

 分岐点(その他)

 入城口(その他)

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