家城城(いえきじょう)
家城城の基本情報
通称・別名
- 頭ヶ谷城
所在地
- 三重県津市白山町南家城字上広
旧国名
- 伊勢国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 家城主水正
築城年
- 正中年間(1324〜1326)
主な改修者
- -
主な城主
- 家城氏
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、腰曲輪、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 碑
周辺の城
-
多気北畠氏城館(三重県津市)[12.1km]
阿坂城(三重県松阪市)[12.2km]
枳城(三重県松阪市)[13.0km]
高城(三重県松阪市)[13.2km]
久居陣屋(三重県津市)[13.4km]
長野氏城館(三重県津市)[13.6km]
阪内城(三重県松阪市)[15.2km]
百地丹波城(三重県伊賀市)[16.0km]
木造城(三重県津市)[16.1km]
下山甲斐守城(三重県名張市)[16.2km]
家城城の解説文
[引用元:Wikipedia「家城城」の項目]家城城(いえきじょう)は現在の三重県津市に存在した日本の城(山城)である。
【概要】
北畠家の家臣であり、槍の名手である家城主水頭が居城していた。
城主の家城氏は、北畠氏の当初からの、有力家臣であったといわれる。
城跡は南家城東部の丘陵頂部(標高140m)全体にある。北側の麓から頂部までは200m離れ、東側には頭(こうべ)ヶ谷という名の谷が入り、西側にも広い谷が入っている。麓から頂部までの比高は80mあり眺めはよい。最高所の壇状地を主郭とし、堀切と土塁を挟んで、北東側先端部には長方形の郭が造られており、南側尾根には堀切がある。
【アクセス】
・伊勢自動車道久居インターチェンジより、南西へ約18km。
・近鉄榊原温泉口駅より、南へ約8km。
【参考文献】
・岩中淳之他『定本・三重県の城』郷土出版社、1991年、128項。[続きを見る]
家城城の口コミ情報
2020年12月05日 内記かずりヾ(・ε・。)
稲垣城[家城城 周辺城郭]
最近色々追い付いてなくて城友様に教えて頂いた素晴らしい稲垣城の紹介もまだだった…
以前にも口コミしてるんですが、お城の事はあんまし書いてないので改めて。
このお城の比高は約20m、丘城ぐらいになるんでしょか。北畠氏の家臣だった河原田氏の持分でしたが、蒲生氏郷に攻められ岡本修理亮という内応者を出して落城しました。
今夏にリア攻めしたんですが、登城路入口はこの後どんなことになるのやら…みたいに藪ってました。でも城内に入れば散策しやすいお城だと思います。所謂丘陵地形の鞍部を50m位進んで行きますが、既に横矢で射られまくってる状態に後で気付かされることでしょう。
小規模ながら改変も含んでいるとは思いますが、お城の原型はよく留めています。素晴らしいのは主郭周りでして、空堀、土塁、土橋、虎口が明瞭に残っています。特に格好よいのはその空堀の廻し方でして、主郭西辺の空堀は南辺に曲げて下って帯郭となり、主郭東辺の空堀(土橋付きっす。)は北辺に曲げて下って帯郭になるという…何言ってんだか訳解らん状態になってますが、対角線で何となく対象になってるんす。初めて見る造りに感心することしきりでした。又、主郭は土塁囲みなんですが、主郭西辺の土塁の内側には空堀が設けられてましてこの部分だけ二重の空堀という感じ…ただ主郭内の空堀だけに何だか別の意図を感じさせるものでした。
夏に行くと空堀内は歯朶植物が群生し、城内全域は藪蚊の天国なので冬に訪ねるのがよいでしょう。そう!これからの時期ですよ〜
最後に城友様に感謝感謝!素敵なお城を見る機会を与えて頂きありがとうございます!一時は引退も考えてましたがこれだから城めぐはやめられないぜ〜
2020年09月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
稲垣城[家城城 周辺城郭]
とんでもなく素晴らしい稲垣(いなかけ)城を城友さんに続いて御紹介したいところですが、このお城に関するほっこりした口コミをまずはひとつ…
リア攻めを終えて車道からお城の全景写真を撮ってたらお城の直近に住んでいらっしゃる方から声を掛けて頂きました。聞けば稲垣城主であった北畠氏家臣、河原田氏の御子孫とのこと!蒲生氏郷に攻められた後に河原田氏は同地で帰農したということなんでしょか。更に話し込むと、元はお城の中腹にあった城主河原田隆秀の墓石が自邸の庭にあるんだとか!厚かましくもお願いして見せて頂きましたが、お墓の写真はその時のものです。墓石には寛永元年(西暦1624年)の文字が刻まれてますので、隆秀から三代後の子孫が建立したという御子孫のお話も合点がいきますね。
里伝のような地元の方しか知らないような話は机上では学べない貴重な資料でもあります(事実かどうかはともかく里伝になるにはそれなりの根拠があるのだから…奥羽永慶軍記が高い評価を得ているのは替わるものが見当たらない他にそれが理由でしょう。)。聴いた者はそれを記録する必要があるのかもしれませんね。
写真は他に全景、案内板となります。案内板には「名城(白山町では)」と控え目にありますが、全然自信持ってよいと思うぜ〜少なくとも現況は伊勢屈指の名城だぜ〜
2020年09月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
家城城
家城城の登城路は県道15号線から津市白山消防署西側の脇道を東南に進み城山の方角を目指します。するとお城の西側に城山に接する農道?が付いてますので、この道に面する民家(面するのは1件のみ…Googleマップでも確認出来ます。)まで進みましょう。民家前の獣柵ゲートからお城に入る事が出来ます。自分が攻めた時はこの民家の家主が家の前にいて、お城を見に来た旨を伝えると快くゲートを開けて下さいました。お山はひょっとしたらこの家主の所有かもしれません。先人の口コミにもあるとおり自衛隊官舎脇からも入れるらしいですが、この道を使うと主郭部南西側の林道まで車で行けるという事なんでしょか?ただ比高は70m位で距離も無いので徒歩で登る事を推奨します。水の流れる鞍部を進んで行きますが既に城域でしょう。何かが始まる感がして期待も膨らみますね!
ただこのお城で気になったのは大手道らしきものが見当たらないこと…尾根に取り付くと唐突にお城が始まります。家主の方は「尾根に出て右に行けばお城だよ。」と教えて下さいましたが、左に行ったらどうなのかと疑問に思いまして、帰りはそちらを確認しに進んで行きました。そしたら別な鞍部(お城は自然地形の鞍部や支尾根を幾つも巧みに利用している…下手な空堀や竪堀は必要無い。)に謎な遺構?を発見して疑問が倍増しました。
この鞍部はお山の支尾根に挟まれてますが、支尾根の片側は綺麗に削平され、もう片方は明確な段郭となってます。鞍部は何と言ってよいか解らないけど不思議なぽこぽこ地形っすw月並に言えば多重桝形虎口みたいな感ぢ?崩落石も多数散見され、明らかに人為的な石列もあったりして思わず「ふぁ?」て呟きます。この部分は竹林となっていて竹林特有の崩落も激しいんですが、何かしらの手が加えられた感がありました。当然、後世の改変の可能性も高いのですが、何も出来ない北向きの斜面ではあります。お城の遺構かどうかは永遠に答えが出ないと思いますので、リア攻めする際は是非御自身の眼で判断して下さいまし。
ちなみにこの鞍部を下りて行くと県道15号線に直でぶつかりお山に入れる道も付いてます。城山は県道15号線に200m位接縁してますのでこれが第三の登城路でもありますね。
2020年08月17日 近江守Silvine
稲垣城[家城城 周辺城郭]
稲垣(いなかけ)城は白山町稲垣にある城で、北畠氏に属した小倭七人衆という地侍衆の城と考えられ、後に蒲生氏郷に攻められこの地を追われたと伝わります。
遺構は舌状の丘陵の西を深い堀切で断ち、四方を囲む土塁を持つ主郭があります。東に虎口と堀切、土橋の3点セットがあり副郭に繋がっています。副郭の先は段になっていますが、植林地でもありどこまでが遺構かは分かりません。主郭の土塁は西側が高く3m程はあり、幅も厚くなっています。また土塁の内側にも堀のように深い窪みが見られるのも特徴的です。土塁の一部には石積も見られます。遺構は明瞭で見応えがありました。
城へはリア攻めマップから、城の北側を走るの道路の途中に「名城 稲垣城」と書いた小さな手書きの看板があり、付近に駐車も可能です。入口からは5分ほどで城域です。
2012年11月27日 三河守コーキしゃん
家城城
北畠家臣で槍の名手、家城主水頭の居城です。
青山工業の南の山が城跡です。
駐車場はありませんので適当な路肩に停めました。
自衛隊宿舎横の砂利道を15分程進むと、「家城城入口」の看板があります。
そこからは獣道になり、うっすらと道の様なものを進み、下りかけた所を直登します。
主郭部には物見台の様な土盛りと二重の堀切等の遺構が残っています。
道そのものが分かりにくいので、迷子にならないように注意しながら下山して下さい。
2012年05月13日 信幸隠岐守
家城城
リアル行軍は自衛隊の官舎の横から突入