稲垣城
稲垣城([家城城 周辺城郭])
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稲垣城の口コミ情報
2020年12月05日 内記かずりヾ(・ε・。)
稲垣城は家城城の北方約3.5km、南東に延びる標高約105mの丘陵上端部に主郭が存します。南東麓からの比高は35m位でしょか。
行き方は凄く説明し難い…が、リア攻めマップだけで確実に行けると思います。
築城年代は享禄二年(西暦1529年)、築城者は北畠氏の被官であった河原田相模守実秀と伝わります。その子である河原田隆秀の代に蒲生氏郷に攻められ岡本修理亮という内応者を出して落城、稲垣城は岡本修理亮が城主となりました。
初夏という事もあり登城路入口はこの先どんな事になるのやら…みたいに藪ってました。でも城域に入れば散策しやすいお城だと思います。登城路入口から丘陵地形の鞍部を50m位進んで行きますが、既に横矢で射られまくってる状態に後で気付かされることでしょう。
小規模ながら改変も含んでいるとは思いますが、お城の原型はよく留めています。素晴らしいのは主郭周りでして、空堀、土塁、土橋、虎口が明瞭に残っています。特に格好よいのはその空堀の取り回し方でして、主郭西辺の空堀は南辺に曲げて下って帯郭となり、主郭東辺の空堀(土橋付きっす。)は北辺に曲げて下って帯郭になるという…何言ってんだか訳解らん状態になってますが、対角線で何となく対象になってるんす。初めて見る造りに感心することしきりでした。又、主郭は土塁囲みなんですが、主郭西辺の土塁の内側には空堀が設けられており、この部分だけは二重の空堀という感じ…ただ主郭内の空堀だけに何だか別の意図を感じさせるものでした。
夏に行くと空堀内は歯朶植物が群生し、城域は藪蚊の天国になるので冬に訪ねるのがよいでしょう。家城城に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。
※城友さんに教えてもらったお城です。そして余裕で期待を遥かに超えてきました。様々な情報が飛び交う城めぐのネットワーク、めぐら〜の一人として大切にしていきたいものですね。
2020年09月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
とんでもなく素晴らしい稲垣(いなかけ)城を城友さんに続いて御紹介したいところですが、このお城に関するほっこりした口コミをまずはひとつ…
リア攻めを終えて車道からお城の全景写真を撮ってたらお城の直近に住んでいらっしゃる方から声を掛けて頂きました。聞けば稲垣城主であった北畠氏家臣、河原田氏の御子孫とのこと!蒲生氏郷に攻められた後に河原田氏は同地で帰農したということなんでしょか。更に話し込むと、元はお城の中腹にあった城主河原田隆秀の墓石が自邸の庭にあるんだとか!厚かましくもお願いして見せて頂きましたが、お墓の写真はその時のものです。墓石には寛永元年(西暦1624年)の文字が刻まれてますので、隆秀から三代後の子孫が建立したという御子孫のお話も合点がいきますね。
里伝のような地元の方しか知らないような話は机上では学べない貴重な資料でもあります(事実かどうかはともかく里伝になるにはそれなりの根拠があるのだから…奥羽永慶軍記が高い評価を得ているのは替わるものが見当たらない他にそれが理由でしょう。)。聴いた者はそれを記録する必要があるのかもしれませんね。
※写真は他に全景、案内板となります。案内板には「名城(白山町では)」と控え目にありますが、全然自信持ってよいと思うぜ〜少なくとも現況は伊勢屈指の名城だぜ〜
2020年08月17日 梅鉢近江守Silvine
稲垣(いなかけ)城は白山町稲垣にある城で、北畠氏に属した小倭七人衆という地侍衆の城と考えられ、後に蒲生氏郷に攻められこの地を追われたと伝わります。
遺構は舌状の丘陵の西を深い堀切で断ち、四方を囲む土塁を持つ主郭があります。東に虎口と堀切、土橋の3点セットがあり副郭に繋がっています。副郭の先は段になっていますが、植林地でもありどこまでが遺構かは分かりません。主郭の土塁は西側が高く3m程はあり、幅も厚くなっています。また土塁の内側にも堀のように深い窪みが見られるのも特徴的です。土塁の一部には石積も見られます。遺構は明瞭で見応えがありました。
城へはリア攻めマップから、城の北側を走るの道路の途中に「名城 稲垣城」と書いた小さな手書きの看板があり、付近に駐車も可能です。入口からは5分ほどで城域です。