多気北畠氏城館(たげきたばたけしじょうかん)

多気北畠氏城館の基本情報

通称・別名

多気北畠氏城館[北畠氏館・霧山城]

所在地

三重県津市美杉町上多気他(地図は北畠氏館を示す)

旧国名

伊勢国

分類・構造

城館遺跡群

天守構造

築城主

北畠顕能[すべて]

築城年

興国3年〔南朝〕/康永元年〔北朝〕(1342)[すべて]

主な改修者

主な城主

北畠氏[すべて]

廃城年

遺構

石垣、庭園[北畠氏館]、曲輪、土塁、堀切[霧山城]

指定文化財

国史跡(多気北畠氏城館跡)

再建造物

石碑[すべて]、説明板[すべて]

周辺の城

九曲城(三重県松阪市)[11.5km]
家城城(三重県津市)[12.1km]
菅野城(奈良県宇陀郡)[12.5km]
阪内城(三重県松阪市)[12.9km]
下山甲斐守城(三重県名張市)[15.6km]
大河内城(三重県松阪市)[16.0km]
阿坂城(三重県松阪市)[16.5km]
三瀬館(三重県多気郡)[16.6km]
枳城(三重県松阪市)[16.7km]
三瀬砦(三重県多気郡)[17.6km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)153 多気北畠氏城館

設置場所

北畠神社 社務所[地図

多気北畠氏城館の解説文



霧山城(きりやまじょう)または多気城(たげじょう)は、伊勢国一志郡多気(現在の三重県津市美杉町上多気および美杉町下多気[1])にかつて存在した日本の城。城跡は国の史跡に指定されている(史跡「多気北畠氏城館跡」のうち)[2]

伊勢国司から戦国大名となった北畠氏の本拠地であり、16,000騎を有する大将にふさわしい城郭であった[3]

概要 

多気は伊勢国と大和国を結ぶ伊勢本街道沿いにある交通の要所であると同時に、7つの経路のどれをとっても峠越えとなる天然の要害であった。城郭本体だけでなく、麓の城下町まで含めて、大要塞を成していたとも解釈できる[4]。城下には3,500戸ほどが建ち並び、700人から1,000人の家臣が暮らしていた[5]多気から南西へ16里行けば南朝の拠点である吉野へ、南東へ12里行けば伊勢神宮へ至ることから、どちらで非常事態が発生しても1日で駆け付けることができた。南朝へ米や海産物を運び込む上でも好都合であった[6]。また北朝の都・京都に比較的近いことも利点の1つであった。

城の名前は『三国地誌』・『勢陽五鈴遺響』では霧山城と多気城の両方が用いられている。北畠氏の本拠であり、240年に渡り難攻不落の城としてそびえたっていたが、織田信長勢に攻められて落城した[7]

城郭の構造 

多気盆地の西方にある標高560m、比高240mの山の頂に築城され、南東約1.1kmの麓には多気御所(国司の館)があった。急峻な尾根に2条の堀切を設け、長さ120m×幅30mの範囲に北東郭と南西郭の2郭が存在した[8]。北東郭は三方を土塁で固め、南西郭は北東郭よりも高い位置にあり、四方に土塁を築いていた[9]。このため、南西郭が城の中心核であると考えられる。本丸の近くに鐘撞堂を設けていた。

現代も往時も霧山城まで登ることは容易ではなかったことから、北畠氏は平常時は多気御所に住み、霧山城は詰めの城として使用していた[10]。霧山城を取り囲むように支城が並び、霧山城を守護する経塚屋敷もあった[11]

多気に至る津市美杉町丹生俣からの杉峠と松阪市飯高町赤桶からのしょう路越(「しょう」はたつへんに章)には峠口に砦を、松阪市飯南町上仁柿からの櫃坂峠と津市美杉町奥津からの飼坂峠には関所を、松阪市嬉野上小川町からの白口峠と津市美杉町下之川からの桜峠と津市美杉町八知からの比津峠・漆峠には峠口に監所を置き、外郭としての機能を果たしていた。

城下町の構造 

城下町の戸数は3,500戸であった[12]。現存する記録では、城があった頃の多気の様子を山間の辺鄙(へんぴ)なところとして描いている[13]。天保10年(1839年)の斎藤正謙著『伊勢国司紀略』によると、国司館(多気御所)から南に1町、東に5町、北に10町のところにそれぞれ家臣団の屋敷があり、有力な家臣の藤力屋敷は半町四方(=900坪)であった。寺院は鎮福利院など約20寺が東と北の屋敷の外側に散在していたが、神社は少なかった[14]

霧山城下に居を構えた家臣は複数の史書を照合すると700人から1,000人ほどで、全家臣15,000人のうちの20分の1から15分の1が多気に控えていたことになる[15]。多気御所の左右両側は御犬馬場、御的場、御米土蔵、重臣・内者の屋敷など約200の建物が並んでいた[16]。ほかに市場や御用主屋舗が数か所に分かれて集中し、商工業者も少なからず集まっていた[17]。『多気分野図』を読むと、武士と庶民が混住しているように見えるが、現存する地名を分析すると、庶民は南方や東方に多くいたようである[18]

天正4年(1576年)の霧山城落城により城下町も消えていった[19]が、江戸時代にはお伊勢参りの人々が集う宿場町として再生した[20]。21世紀初頭には「山深いのどかな里」となり、旧家が建ち並ぶ。

歴史 

北畠氏の本拠の建設

南北朝時代初期、北畠氏の拠点であった南勢(伊勢国南部)にある平地の城郭は次々に落城し、北畠顕能は長期戦に耐えうる城として興国3年(1342年)または興国4年(1343年)に、一志郡多気に城を構えた。当時17歳であった顕能は、交通の要所であったことから多気を選んだ。南北朝期の大小数十回に及ぶ戦では、北畠軍は1度を除いて霧山城から出陣していた。その後、出陣の拠点は阿坂城白米城)へ移った。

正平年間になると、南朝方の軍勢は、北畠氏と楠木氏だけになっていた。そして正平3年/貞和4年1月5日(1348年2月4日)、四條畷の戦いで楠木正行が討ち取られ、正行を破った北朝方の高師直は吉野へ攻め入り、皇居に火を放った。急報を受けた顕能は500騎を率いて多気より進軍し、警戒した足利氏は退却した[21]。顕能は弘和3年/永徳3年7月28日(1383年8月27日)に58歳にして多気山荘にて亡くなった[22]

元中9年/明徳3年閏10月5日(1392年11月19日)、明徳の和約にしたがって南北朝が統一された[23]。しかし明徳の和約で約束されていた両統迭立は称光天皇の即位によって破られ、応永22年(1415年)春に北畠満雅は阿坂城から挙兵した[24]。この頃の霧山城に関連する記録としては、正長元年(1428年)7月に小倉宮聖承が京都嵯峨から逃亡し、同年7月16日(8月26日)に室町幕府は多気付近にいることを確認、更に同月19日(8月29日)には少なくとも同月10日(8月20日)から多気より奥にある興津(現・津市美杉町奥津)に潜んでいることを突き止めた、ということのみである[25]。小倉宮は翌正長2年(1429年)3月まで霧山城でかくまわれていたが、その後行方不明となった。

安定期から落城へ

満雅の代までの北畠氏は北朝や室町幕府と対立してきたが、北畠教具は赤松教康を殺害したことで幕府の心証を良くし、文明16年(1484年)4月に9代将軍足利義尚は伊勢神宮への参詣途上で霧山城に立ち寄っている[26]。明応8年(1499年)に霧山城は焼失し、永正3年(1506年)に再建された[27]。時代は下って大永2年(1522年)7月には連歌師の宗碩(そうせき)が霧山城下を訪れ、以下のように記している。同年の10月には、同じく連歌師の宗長が城下を訪れ、2、3日ほど滞在した。

永禄(1558年 - 1570年)末期になると、織田信長が北勢(伊勢国北部)に侵攻してきたため、霧山城に次ぐ要衝であった大河内城へ本拠を移した[28]。『甲陽軍鑑』にも

と記載されている。霧山城には城代として北畠政成を残した。さらに木造城(こつくりじょう)主の木造具政は北畠本家に対して永禄12年(1569年)5月に謀反を起こし、同年8月には信長が木造城入りした[29]。そして北畠と織田の戦闘が阿坂城とその支城の高城、そして船江城を舞台に繰り広げられ、同年8月28日(10月8日)には大河内城の戦いが始まった。この戦いでは、50日に及ぶ籠城戦の末、信長の子・織田信雄を北畠具房の養子にするなどの条件で和睦した(大河内城の戦い)[30]

天正3年(1575年)、信長は具房を隠居させ、信雄を大河内城から度会郡の田丸城へ移した。そして翌天正4年(1576年)11月、信雄は討主に命じて多気郡の三瀬御所を攻撃させ、北畠具教と北畠一族の13人を殺害し、事実上北畠氏は滅亡した。三瀬御所で具教が殺害された直後、霧山城にも羽柴秀吉・神戸信孝・関盛信らが率いる大軍が送り込まれ、城代の政成は必死に防戦したが、城館を焼き払われ、落城した。(三瀬の変)

文化財としての保護

城跡は1936年(昭和11年)に「霧山城跡」の名称で日本国の史跡に指定、山麓の北畠神社にある庭園は「北畠氏館跡庭園」の名称で日本国の名勝および史跡に指定された[31]。市町村合併前の美杉村教育委員会は、1996年(平成8年)度から2005年(平成17年)度まで北畠氏館跡(多気御所)の発掘調査を実施した。2006年(平成18年)7月28日付で、文部科学大臣により史跡の統合・追加指定および名称変更が行われた[32]。これにより、「霧山城跡」と「北畠氏館跡庭園」の2件の史跡を統合し、指定地域を追加したうえで、指定名称が「多気北畠氏城館跡 北畠氏館跡 霧山城跡」と変更された。統合・追加指定後の史跡指定地の総面積は268,906.91m2(うち城跡の面積は15,000m2)となった。

津市教育委員会は津市埋蔵文化センター多気北畠氏遺跡調査分室を設置し、2006年(平成18年)度にも城館跡の発掘調査を行っている[33]

歴代城主 

北畠氏9代が240年に渡って霧山城に拠った。

  • 初代:北畠顕能
  • 2代:北畠顕泰
  • 3代:北畠満雅
  • 4代:北畠教具
  • 5代:北畠政郷
  • 6代:北畠材親
  • 7代:北畠晴具
  • 8代:北畠具教
  • 9代:北畠具房

遺構 

遺構の日常的な管理は、津市より委託を受けた霧山城跡保存会によって行われている[34]。遺構としては堀切や土塁が残り、中世の山城の景観をよく保存している。城跡からは四方に視界が開け、西を見れば雲出川を隔てて伊賀や奈良県の山々、東を見れば眼下に多気の村落と局ヶ岳があり、その奥に伊勢平野が広がる[35]。また、本丸から南東に200m行ったところに鐘撞堂と呼ばれる、堀切を備えた台状地が残る。この台状地は不整形で、低く短い土塁が南西部に見られる。

北畠神社の裏手より尾根伝いに上ると山頂の霧山城に達する。北畠神社からの登山距離は約2km[36]。最寄駅であるJR名松線伊勢奥津駅からは徒歩で約1時間かかる。北畠神社は多気御所の跡地であり、北畠氏滅亡後は真善院となり、明治時代には多気小学校[37]の敷地となった。往時を偲ばせる池泉式回遊庭園(北畠氏館跡庭園)が残る。

さらに、八手俣川(はてまたがわ)の対岸にある美杉町下多気小字六田には東御所(東御所金吾城)という土塁・堀を持つ居館跡がある。発掘調査によって見つかっている館跡には15世紀前半前期と15世紀末と16世紀初頭の2系統があり、前者には日本の歴史上でも古い石垣などが確認されている。

参考文献 

  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 24三重県』角川書店、1983年6月8日、1643pp.
  • 津市教育委員会編『津市文化財年報2 ―平成18年度―』津市教育委員会、2008年3月31日、37pp.
  • 西垣晴次・松島博『三重県の歴史』山川出版社、1974年10月5日、254pp.
  • 美杉村史編集委員会『美杉村史 上巻』美杉村役場、1981年3月25日、974pp.
  • 村田修三編『図説中世城郭事典 第二巻』新人物往来社、1987年6月15日、347pp. ISBN 4-404-01426-0
  • ワークス編『ふるさとの文化遺産 郷土資料事典 24 三重県』人文社、1997年10月1日、235pp.
  • 『三重県の地名 日本歴史地名大系24』平凡社、1983年5月20日、1081pp.
  • 歴史街道構想津安芸久居一志地域推進協議会『みえまんなか学のすすめ』vol.2、2002年3月、79pp.

多気北畠氏城館の口コミ情報

2022年08月14日 多雨主水正古墳
国祖丸山[多気北畠氏城館  遺構・復元物]

キャンプ場内にある展望台。ここは古くから 北畠顕家の墓と伝えられているそう。クヌギの木が広がり、看板もありました。

2022年07月19日 巳之壱
多気北畠氏城館



2022.7月松坂城から368号ルートで行きました。ナビは1時間実際は1時間半かかりました。峠越えは大型車通行止めですが、普通車も止めたほうが良いです。整備されて綺麗ですが、一車線のカーブ多い山道を30分弱走ります。帰りは津城方面に向いました。途中狭い箇所もあるがまだましです。

2022年06月26日 特にありません
多気北畠氏城館



時間なくて霧山城は断念しました。尚、ここに来るのに、ほとんどが松坂ルートを選ぶと思いますが、県道43号で北から、国道368号で東から、両方とも細いので通行はご注意ください。

2022年06月14日 監物すみっこ
多気北畠氏城館



2022年6月13日、松阪からグーグルマップで行きました。道中狭くすれ違えないようなところが続きかなりキツイです。霧山城跡まで登城したかったですが、今回は時間の都合でパスしました。無いと思っていた御城印ありました。

2022年05月04日 左衛門尉遊び人金
多気北畠氏城館



5月3日来訪。11時すぎ名松線にて到着。1両編成車内は座れずでした。伊勢奥津から無料のレンタサイクルがあるのですが、観光案内所へのダッシュが遅れて売り切れ。10台以上はありました。歩きになるのかと思いきや、GWや紅葉の時期だけコミュニティバスがあるらしくそれに乗り、200円で北畠神社まで行けて助かりました。途中長いトンネルがあって脇に細い歩き道がついていましたが、自転車だとチョッと怖いな、と感じました。神社のご朱印は書き置きでした。百名城スタンプ状態ややくたびれ気味です。

2022年03月10日 若狭守kangcheng
霧山城[多気北畠氏城館  周辺城郭]



本日登上したところ、以前掲載していただいてる写真のような看板が減っており、北畠神社裏手から登り最初に現れる曲輪に詰城跡と関連遺跡の看板しかありませんでした。
最初はここが本廓だと思っていたところ、尾根伝いの道が見えてようやく登上出来ました。
冬季期間のため看板をリニューアルしているのか不明ですが、神社からの登坂路で最初の曲輪がゴールではありませんのでご注意を。
お城自体のパンフレットがあると助かるのですが…(麓の看板には標高差しか書いてありません)

2021年11月29日 タケナカ兵部少輔
多気北畠氏城館



車、バイクで大阪から攻める方、細い山道に注意!一方通行とカーブが多い!

2021年11月22日 Yana
多気北畠氏城館

登山道は急な坂が多いですが、階段があり良く整備されていると思います。本丸からの眺めはとても良いです。

2021年11月14日 多雨主水正古墳
北畠神社[多気北畠氏城館  寺社・史跡]

北畠顕能公を祭神とし、例祭日は10/13。

2021年10月09日 Sデストロイヤー安房守
多気北畠氏城館



伊勢奥津から自転車で30分ほどのところにあります。多気北畠氏城館の先に霧山城城跡があります。登山道なので、それなりの格好で来てください。

2021年05月25日 オミト河内守
多気北畠氏城館



麓には美しい枯山水の庭園を備えた館跡、そして険しい山道の先には戦用の城跡。戦国の平時と有事の両面を見る事が出来ます。大人の男性で1時間程度あれば山頂の本丸跡まで登れるかと思います。所々急坂ですが、是非頑張って登ってみて下さい!

2021年05月02日 御勘解由長官
多気北畠氏城館



今回はリア攻めのみで麓の神社だけの訪問です。20年前に霧山城に登ろうとしましたが、途中で断念したことがありました。登山道の途中に杖が沢山置かれていたのですが、その半分位がやけに太くて丈夫そうでした。何故かなと思いつつ周りを見ると「熊に注意」の看板がありました。これはいざという時に熊と戦えとのことと理解し、1番太い杖を手に前に進もうとしましたが、さらに「ハンターの方は登山者に注意して下さい」との看板があり、それ以上先に進む勇気はなかったです。現在はどうなっているかは知りませんが。


2021年04月09日 コネホ中務大輔
多気北畠氏城館



ナビに従い、津方面より名松線沿いに南下する道を使い到着。
北畠神社前に2台ほどの駐車可能な場所がありました。
庭園は季節が良ければ築山等もあり見応えあるのだろうが、伺った時期が悪かったです。

霧山城にも行きたかったのですが、生憎時間がなく断念‥

ちなみに、名松線沿いの道はかなり道路幅狭い上に、所々でカーブなのに車1台分の幅しかなく、かつトラックも通るなど意外に交通量があるので、大型の車の方や運転に自信のない方はお気をつけ下さい。

2021年02月07日 たか大和守チンコ
多気北畠氏城館

松坂側から攻めました。キツイ道です。対向車とのすれ違いがとても大変です。皆さまもお気をつけて攻略してください。

2020年11月08日 鉄武蔵守紺太郎信繁
多気北畠氏城館



松坂から九曲城経由国道(酷道)368号伊勢本街道櫃坂道を車で。鳥居手前JAバンク前の駐車場が使えます。
館跡庭園は三大武将庭園。作庭者は室町幕府31代管領の細川高国。その娘が伊勢国司7代北畠晴具の妻。高国が援軍を頼り娘婿の国司館に逗留していた享禄3年の1530年に作庭したと伝わる。翌年敗死。
庭園は囲われ入るには維持協力金300円を社務所で支払い入園する。庭園は意外と小規模ゆえ直ぐに一周が出来る。紅葉には残念乍ら少し早かった。

2020年10月31日 くぅ三河守ʕ•ᴥ•ʔわんこ
多気北畠氏城館



厳かな雰囲気。。。けれどここまでの道のりが鬼過ぎて(←狭くて急な山道)泣きました!!

2020年09月25日 吉武図書頭大具足虫
多気北畠氏城館

庭園の幽玄美に驚きます。
北畠神社参拝の後は往復2時間弱の霧山城登山。5歳の息子(腕白)でも元気に登れました。最後はご褒美の絶景です。

2020年09月20日 戸沢夜叉九郎正樹
多気北畠氏城館



庭園が幻想的で中世に戻った気分を味わえます。

2019年09月22日 鞍馬中納言TENG
多気北畠氏城館

勢和多気ICから国道368号線で・・・はやめた方が無難です。かなりの酷道です。至る所に落石があり途中で引き返すのは困難ですよーガタガタ((((;;OдO;lll))))ガタガタ

2019年06月08日 雅周防守昌⭐︎☆⭐️
多気北畠氏城館



山頂の霧山城跡までは徒歩で片道約40分で登城出来ます。今日の私は北畠神社にて続百スタンプのみ( ; ; )

2019年05月26日 シバヤン大和守雲外蒼天
多気北畠氏城館



主曲輪から鐘撞堂を望む。敵兵接近では鐘を連呼したのかな?鐘撞堂と主曲輪との高低差はあまりないようです。当日は、友達同士で旗振り遊びしている方もいました(笑)

2019年05月26日 シバヤン大和守雲外蒼天
多気北畠氏城館



右手側の曲輪から奥の下り坂の最終点。ここは何もないが当時はどうなっていたか?
山道を柵で囲い見張り兵が目を光らせていたのかな。

2019年05月26日 シバヤン大和守雲外蒼天
多気北畠氏城館



これは右手側の曲輪。この奥は下り坂に。
今は埋没進む姿ですが、当時はもっと深く切り立っていたと思います。吊り橋がかかっていたかも。北畠家の詰城、渾身の防御力を求められていたはず···。

2019年05月26日 シバヤン大和守雲外蒼天
多気北畠氏城館



主曲輪と虎口。ゴルフ場のグリーンに見える難しいラインやスリーパット以上するよこれは。このアクセスの大変な高地にこの整備清掃された地面。御苦労様です。
皆さんゴミは持って帰りましょう。

2019年05月26日 シバヤン大和守雲外蒼天
多気北畠氏城館



霧山城址。一枚岩の城址は立派です。木陰はこの城址の部分だけ。杉やブナの多かったので夏は蝉の大合唱かな。

2019年05月26日 シバヤン大和守雲外蒼天
多気北畠氏城館



振り替えり霧山城址のある最高点。曲輪の周りは幾つかの桜の木もあります。三分割の曲輪の真ん中でシート広げて寝転がった。
20畳程の広さ、高低差あるアンジュレーションのある主曲輪。

2019年05月26日 シバヤン大和守雲外蒼天
霧山城[多気北畠氏城館  周辺城郭]



霧山城の主曲輪の縄張りはコッペパンを横向きにして三分割にした姿です。ここは左手端の部分、大きな空堀と段差。足元注意です。

2019年05月26日 シバヤン大和守雲外蒼天
霧山城[多気北畠氏城館  周辺城郭]



左手は鐘撞堂の登り口、右手は主曲輪へ。霧山城の縄張りを一言で言うなら、逆さ瓢箪です。ここ鐘撞堂は1つ目の瘤。(主郭はどっちや)と敵兵を惑わす分岐路かと思う。

2019年05月26日 シバヤン大和守雲外蒼天
霧山城[多気北畠氏城館  周辺城郭]



登城途中の迎撃用の曲輪。登城された方になら分かると思います、ここまでの登城路は急坂でヘトヘトになる、疲れて動きの出来ない一本道で狙い撃ち。疲れてヒーハー状態の私もその一人(笑)

2019年05月02日 シバヤン大和守雲外蒼天
多気北畠氏城館



北畠氏詰め城から霧山城への堀切山道。ヘタレ巡らー独り言(俺は既に死地にいる。北斗の拳ならお前はすでに死んでいる)

2019年04月29日 内大臣じじ
駐車場[多気北畠氏城館  駐車場]



北畠神社の鳥居前に2・3台駐車できます。

2019年03月23日 ドラガン尾張守店長
多気北畠氏城館

JR名松線の終点、伊勢奥津駅から。
次の電車が車での2時間一本勝負。
駅で無料電動自転車を貸して頂き、峠のトンネル越え20分で到着。
北畠神社で参拝後、庭園などを散策。
霧山城跡へ登山。
整備された登城道で、歩きやすい。
行きは45分、帰りは20分くらい。
途中、展望場所から北畠氏の巨大な遺構を偲ぶ。
霧に包まれていたが、徐々に晴れる。
鐘突堂跡からの眺めは見事。
本丸跡などは何もなし。
帰りは伊勢本街道経由で、自転車で帰る。
素晴らしきかな、北畠氏の夢の跡。

2019年03月10日 フー甲斐守
多気北畠氏城館

公共交通機関をご利用の方へ
JR名松線伊勢奥津駅下車。
バスは津市のコミュニティバスがありますが、伊勢奥津駅は平日のみ。
伊勢竹原駅からは土日もコミュニティバスがあるようですが、時間が合わず私は断念。
結果、伊勢奥津駅からは無料の電動チャリを利用しました。土日は観光案内所ひだまりで借りれます。一時事故があって貸出してない時期があったようですが、2月から再開したとのことでした。ただ現在も雨天は貸出を中止するそうですのでお気をつけ下さい。私が借りた時は小雨だったので貸して頂きましたが、篠突く雨程度の戻った時点では貸出中止の看板が出てました。貸した方も心配していたようで申し訳無かったです。今思うと案内所に地元の方や駐在さんが集まってたのは私のせいだったかも(汗)私が帰ってきて暫くしてドヤドヤ帰って行ったし。それなら大変申し訳無かったです。
案内所の方はシャイでしたが、良い人ばかりでした(^o^)行かれる事があれば寄ってみて下さい。良い事あるかもしれませんよ(^o^)

2018年12月25日 玉手箱河内守
多気北畠氏城館

①2018.12.24時点で、噂にある通行止めはありませんでした。すんなりと現地に到着。
②休日だったので、JAの駐車場をお借りしました。すぐ横に、公衆トイレがあるので忘れずに。
③まずは、北畠神社内にある氏館跡を散策。発掘調査の案内板あり。フムフム。社務所で、続100名城スタンプ押印を忘れずに。
④庭園見るもよし。見ない人は、庭園横の登山道から霧山城跡へ。目指すは南曲輪まで40分(ハイキングしやすい靴でね)。
⑤途中、詰所跡もあり。是非、詰所跡の曲輪も覗いてください。
⑥南曲輪(鐘突堂?)をみた跡は、北曲輪の本丸跡、矢倉跡を散策し下山。合計90分ぐらいのリア攻め。
⑦帰りは近くの民俗資料館に寄っても良いかも(私は次に寄りたいところがあったのでパス)
北畠神社からのルート以外も、より楽に本丸跡に行けるようですが、それはまた、次回のお話し。


2018年12月11日 玄蕃助がげちゃんⅡ号T型
多気北畠氏城館

多気北畠氏城館跡に向かうもう一つルート県道15号線も美杉町八知地区~奥津地区で台風による土砂崩れで通行止めになっています。迂回路を通ってみましたが、何カ所に”北畠神社→”の看板あって迷う事は無いと思います。但し、途中の老ヶ野地区を通る時、道が大型車1台分の道幅しかなく、すれ違う時は注意が必要です。峠道の傾斜もきついので、此から季節、道路の凍結もあり得るので、ノーマルタイヤで行かない方が良いです。

2018年10月12日 ジャスティ摂津守素盞嗚命
多気北畠氏城館

10/12現在も国道368号通行止めにて、松坂方面からのアクセス不可。
通行止め地図の参考画像をアップしました。

2018年09月20日 きよたか出雲守
多気北畠氏城館

9月20日時点でも、368号は二箇所で路肩崩落のため通行止めのままでした。
津、松阪方面からは、阪内城前の県道29合〜43号経由になるかなと思います。
この道も崩落危険ありな道路のため、注意が必要です。

2018年08月28日 Marky武蔵守
多気北畠氏城館

比津峠側から登城した場合、鐘突堂下の地図の看板から先の下り口が見つけづらく、続いている曲輪の方へ進んでしまう可能性があるので注意。

2018年05月03日 因幡守§㌧㌧㌧§
多気北畠氏城館

奈良県側から攻略しました。
JA三重中央がお休みだったのでそこに車を停めて霧山城本丸を目指してみました。休憩しながら40分程で本丸跡まで行けますが足下が悪くキツい山道です。
軽いノリで行くのはやめておいた方が無難です。
本丸を目指す方はきっちりとした服装、靴、飲み物を持って行く事をオススメします。
私みたいにラフな服装、サンダル、飲み物ナシで登ると後悔します。

2017年10月09日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
多気北畠氏城館

津市ですが、かなり奥地ですね。
お城としての駐車場は無いですね。
ただし、お城の麓は神社で縄張り内なので、神社の駐車場に車は見かけました。

道の駅美杉が近いです。

城は神社とお食事処と庭園と山城からなります。
庭園は神社のお守売り場で300円払い入場です。
見易い看板は内ですが、石の道導はあります。

近くの道の駅に土日だけ来る鹿肉料理のキッチンカーは美味しいです。

2016年05月04日 まるき〜主殿助
多気北畠氏城館

国道368号線、道の駅美杉にて森林セラピーガイドマップの③霧山コースを頂くとアクセスが詳しく書かれています
資料館〜北畠氏城館跡、庭園(北畠神社)共に駐車OK、資料館は無料で中の写真撮影もOKでした。氏城館跡の日本最古の石垣は発掘調査の後埋め戻されている様です。
通常霧山城へは神社横から登城、ここから約3〜40分で霧山城本丸に辿りつける、こちらのコースは当初キツイ登り〜なだらか〜急な登りとなっておるそうです
頂上、本丸からの四方の山々の眺めは壮大で素晴らしい。また大きな堀切が山を分断するかの様に竪堀にもなっていて見ごたえがありました。
今回登ったのは城の北側、県道666号線の美杉ゴルフクラブへ行く別れ道付近カーブミラーのある所に登り口をみつけたのでそちらからの城攻め、急な登りのみですが約13分程で本丸に辿りつけてしまいました… がめっちゃめちゃキツいです。このコースは駐車場が無いので自己責任で…(;^_^A


2016年01月04日 勝之助若狭守
多気北畠氏城館

麓の北畠神社から詰城跡そして山頂の霧山城跡へと城郭が続いています。結構な距離なのでついでで行けるような感じではないと思います。

北畠神社には駐車場もトイレもあるので訪れやすいと思います。
境内に『日本最古の石垣』と言うのがあり興味深いです。

2014年11月23日 大宰大弐あさよし
多気北畠氏城館

麓の神社から本丸まで標高600m距離1500mとのこと。実際行くとまさに大変。気合を入れて行くべし。ただ本丸からの眺めは絶景

2014年08月16日 コロ助
多気北畠氏城館

伊勢奥津駅(家城駅〜伊勢奥津駅は代行バス運行,18切符等のフリー切符で乗車可能)から徒歩1時間程で美杉ふるさと資料館に到着。北畠氏関連の展示や塗り絵付きの散策マップがあります。
資料館から北畠神社へは5分、神社から霧山城址へは45分程。
北畠氏館跡庭園(\300)は思っていたよりこじんまりしていましたが、時間をかけて見に行った価値は充分ありました。他に人が居なくて一人占め出来ました。

2013年08月28日 まったり丹波守
多気北畠氏城館

詰め城からの尾根の先端にあり、両脇は谷から流れる小川があります。天然の掘りとして利用されたかもしれませんね。


2013年05月09日 塩ぽん隼人正
多気北畠氏城館

霧山城の麓に位置し、現在は北畠神社となっています。境内には、細川高国の造作と伝えられる庭園があり、北畠氏の文化水準の高さが窺えます。
公共交通手段がほとんどありませんが、隣接地に駐車城があるので、車での攻略をおすすめします。
境内では、発掘調査も行われ、館跡に伴う石垣や階段遺構が確認されています。出土品は、美杉ふるさと資料館に展示されています。
かつては、館周辺に一乗谷を凌ぐ規模の屋敷地や町が想定されており、中世都市とも言うべき景観であったと考えれられます。

多気北畠氏城館の周辺スポット情報

 霧山城鐘突堂跡・南曲輪(遺構・復元物)

 館跡(遺構・復元物)

 国祖丸山(遺構・復元物)

 霧山城(周辺城郭)

 北畠氏館詰城(周辺城郭)

 六田館(周辺城郭)

 北畠氏館跡庭園(寺社・史跡)

 北畠神社(寺社・史跡)

 北畠神社社務所(スタンプ)

 駐車場(駐車場)

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