三瀬館(みせやかた)

三瀬館の基本情報

通称・別名

北畠具教三瀬館、三瀬御所

所在地

三重県多気郡大台町上三瀬字大戸地1012他

旧国名

伊勢国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

北畠具教

築城年

元亀2年(1571)

主な改修者

主な城主

北畠氏、森氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、横堀(空堀)、堀切

指定文化財

県史跡(北畠具教三瀬館跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

三瀬砦(三重県多気郡)[1.0km]
阪内城(三重県松阪市)[13.2km]
九曲城(三重県松阪市)[14.3km]
大河内城(三重県松阪市)[14.3km]
多気北畠氏城館(三重県津市)[16.6km]

三瀬館の解説文

三瀬館跡は、上三瀬の北側にある鎌止山の裾野にあり、北畠具教は、裾野をほぼ三段に改修し、館の敷地を作った。

そして、ここに館を築き、松阪の大河内城から移った具教は、天正4年(1576年)に謀殺されるまでの4年間、居住していた。

しかし、敷地のどこに、どのような造りの家に具教が住んでいたのか、資料が発見されていない現在では、明らかではない。

館跡の西と南側には、万一の防備に役立つ深い谷川が流れていて、東と北側は山の急斜面になっている。

また、南側は開けており、三瀬一帯と宮川を隔てて舟木や度会の山々を見渡せることができる。

青年のころに具教は、当時「剣の達人」と言われた塚原ト伝から「一の太刀」の秘伝を受け、師匠の卜伝との居合わせでは、互角だったという話も残っている。

このように武道に秀でた具教にとって、名門の流れをくむ北畠家が、日に日に凋落していくのは我慢ならないことだった。

具教、熊野街道が通り、宮川流域の山深い要害の地(上三瀬)に館を築いて移り住み、機会があれば北畠の勢力を復興しようと、いろいろと画策したようである。

当時の伊勢地方の戦乱の様子を書いた「伊勢軍記」に、具教の三瀬隠居のことが次のように述べられている。

「具教卿は城を多気郡三瀬に立て、之に居住し給う。故に三瀬御所と号す。此谷、宮川の上、大杉山にありて、熊野、吉野、川上に続きて嶮難無双(たいへん山が深く険しいこと)の地なり。兵乱あるときは此の山中に入らんが為なりと言う。」

具教の三瀬隠居は単なる隠居ではなく。北畠氏復興の決意を胸に秘めてのことだったようである。

情報提供:大台町教育委員会事務局

三瀬館の口コミ情報

三河守コーキしゃん様[2012年03月13日]
「上三瀬バス停前」信号を左折すると案内板があります。
館前に駐車スペース有
館は階段状になっていて胴塚などがあります。
遊歩道を登って物見台まで行くと三瀬の町並みが一望できます。

古楽侍従広家様[2011年04月08日]
北畠具教の終焉の場所

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