五箇篠山城
五箇篠山城([三瀬館 周辺城郭])
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五箇篠山城の口コミ情報
2022年08月07日 RED副将軍
北畠氏滅亡後、北畠具親と旧臣達が再興を目指した拠点⚔
二重堀切が見事です✨
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。
南北朝時代は、北畠氏の支配下にあった様で南朝方に付き、1343年には伊勢国守護の仁木義長が攻め寄せた記録が残っています。
室町時代になると、北畠氏家臣の五箇氏が居城としていた様ですが、謀反を起こすも滅ぼされてしまいます。その後は北畠氏家臣の野呂氏が入城し代々の居城としました。
1569年、織田信長による伊勢侵攻にて野呂氏は九鬼氏と対峙するも敗れて滅亡。
1576年に北畠氏は、信長の三男である織田信雄を養子に迎えることで和睦。信雄は北畠具豊と名乗り、事実上の乗っ取りで北畠氏は滅亡。すると北畠具教の出家していた弟が北畠具親と名乗り、北畠氏再興の兵を挙げますが、北畠具豊(織田信雄)により鎮圧されます。
1582年に本能寺の変で信長が没すると、再び北畠具親は五箇篠山城を改修して北畠氏再興の拠点として挙兵しました。しかし、2日で五箇篠山城は攻め落とされ再興は叶いませんでした。
見所
櫛田川南岸の標高137mの丘陵上に東西に曲輪を並べた連郭式山城。
各曲輪は深い堀切で分断され、特に主郭東側の二重堀切は中央に瘤状の高まりが残る珍しい構造です。
行き方は、ゆとりの丘を目標に設定して下さい。広い駐車場もあり、公園として整備されています。
登城路も整備されており10分程度で気軽に登ることができます。
2021年03月11日 左近衛中将かめかめ
多気町立勢和図書館前または、野球場横の駐車場に車を停められます。その脇に登城口があり、10分程で主郭下の虎口に着きます。虎口を入れば主郭、入らず帯郭らしき所を直進すると素晴らしい遺構があなたを待ってます。特に東端にある堀切は生唾もんです。帯郭は途中で途切れますが行く価値ありです。
帰りも同じ道を通ることをオススメします。本来の登城路はこっちだろと勝手に推測して2郭南辺りから下りると大変なことになりますので(でも楽しかった)。
写真は左から1,2・・・,8 になります。
写真1:麓にある竪堀
写真2:土塁に囲まれた主郭
写真3:城郭東端の郭下にある竪堀
写真4:城郭東端の郭西にある強烈な堀切
写真5:3郭と4郭間の堀切
写真6:堀切に見えるがよくわからん
写真7:主郭下の切岸
写真8:主郭下の段郭
2020年08月16日 梅鉢近江守Silvine
五箇篠山城は多気町古江の比高70mほどの低山に築かれた城で、北畠氏家臣であった野呂氏の居城と伝わります。
城へは多気町立勢和図書館を目指していけば、図書館の向かい側に駐車場と登城口、説明板があります。10分もかからず主郭にたどり着けるでしょう。
城は小高いこの山上を堀切で分割し、東西4つの曲輪を並べる形です。西端の曲輪のみ二段になっており、西に土塁が、東には二重堀切も残るため、主郭と考えられます。主郭は木も伐採されよく整備されていますが、東に行く程に雑木林となり、遺構の確認が難しくなります。季節によっては主郭東の二重堀切も草に覆われて確認困難です。