木造城(こつくりじょう)

木造城の基本情報

通称・別名

木造御所

所在地

三重県津市木造町字城

旧国名

伊勢国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

北畠顕俊

築城年

正平21年〔南朝〕/貞治5年/(1366)

主な改修者

主な城主

北畠氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁

指定文化財

市史跡(木造城阯)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

久居陣屋(三重県津市)[4.0km]
津城(三重県津市)[6.6km]
松ヶ島城(三重県松阪市)[6.7km]
高城(三重県松阪市)[7.1km]
阿坂城(三重県松阪市)[8.3km]
枳城(三重県松阪市)[8.6km]
松坂城(三重県松阪市)[9.6km]
上津部田城(三重県津市)[9.6km]
安濃城(三重県津市)[13.6km]
大河内城(三重県松阪市)[14.8km]

木造城の解説文

雲出川北岸、木造集落の北側の平地にある。鎌倉時代から室町時代の頃は、初めは平家領、のちに京都久我家の荘園になり、北畠氏の一族が代官を務めていたこともある。

応永22年(1415)北畠満雅の蜂起に際しては弟雅俊が城を守り、幕府追討軍に攻め落とされると幕府方の北畠俊泰が入り、のち、木造氏を名乗ったという。

明応元年(1497)北畠氏の内部抗争により落城し、和平後の享禄元年(1528)木造正宗により新たに城が造られ、古城は寺院興正院に転用された。

永禄12年(1569)の織田信長の伊勢侵攻には木造氏は信長方につき、弟信雄に仕えた。天正12年(1584)信雄と豊臣秀吉が対立すると、秀吉方の蒲生氏郷に攻められる。木造氏一族は西方の戸木城に集結して籠城戦となる。天正14年の信雄と秀吉の和平後、木造氏は北勢の田辺城(北勢町)に移った。

城跡は、木造集落の北の畑に古城の大きな土塁の一部が残り、さらに北方の新城の一部にあたる小高いところに「木造城址」の石碑が建てられている。

「勢州一志郡木造之図 天正十二落居之頃」(木造 引接寺蔵)には、集落全体が長方形に堀で囲まれ、北端の内堀の中に居館、その西側に家臣柘植三郎左衛門の大きな屋敷が描かれる。ほかの家臣の屋敷地も多数見られ、寺院、市場、鍛冶などもある。

現在は田畑、住宅地になるが、それでも路地や水路に当時からの地割りがよく残る。

情報提供:津市教育委員会


木造城の口コミ情報

2022年05月26日 RED副将軍
木造城



北畠三家のひとつ、木造氏の居城🏯

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

1366年、北畠氏一族の北畠顕俊によって築城。木造氏を名乗り居城としました。
木造氏は、大河内氏、坂内氏とともに北畠三家と呼ばれる重臣です。二代 木造俊康は、足利将軍と親しく北朝方に付き、本家北畠氏の南朝方と対立。

1569年、織田信長の伊勢侵攻の際は、織田信雄が北畠氏の養子となり家督を嗣ぐことで和解。養子を迎えるとは聞こえが良いですが、事実上の家督乗っ取りです。木造氏も織田信雄に従いました。

織田信長が本能寺で没すると、1584年には羽柴秀吉の命で蒲生氏郷が南伊勢を支配し松ヶ島城に入城。しかし、当主の木造具康は蒲生氏郷への臣従を拒み対抗。激しい抗戦の末に落城。木造具康は尾張に落ち延び織田秀信に仕えました。主を失った木造城は廃城となった様です。

見所
田園地帯の中に土塁の一部と思われる土盛に、案内坂と城址碑が建っているのみです。

2022年04月28日 ka_zu和泉守
木造城

田んぼの真ん中に、塚のような感じで存在します。

2021年06月29日 伊勢守ヒロピン
池ノ谷砦[木造城  周辺城郭]

前方後円墳を利用した砦 平坦地と堀切が見られます。

2016年04月23日 まー刑部卿
木造城

周りは畑、駐車場はないため農道に路駐。遺跡かと思うほどの丘で石碑は御子孫の書。

木造城の周辺スポット情報

 古城土塁(遺構・復元物)

 池ノ谷砦(周辺城郭)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore