白米城(まったけじょう)
白米城の基本情報
通称・別名
- 町丈城、平田城
所在地
- 大分県中津市耶馬溪町大字平田
旧国名
- 豊前国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 野中重房
築城年
- 建久年間(1190〜1199)
主な改修者
- 栗山利安
主な城主
- 野中氏、平田氏、栗山氏(黒田氏家臣)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣
指定文化財
- 県史跡(平田城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
一ツ戸城(大分県中津市)[9.0km]
長岩城(大分県中津市)[9.6km]
唐原山城(福岡県築上郡)[10.4km]
大畑城(大分県中津市)[11.0km]
光岡城(大分県宇佐市)[13.2km]
旭城(福岡県豊前市)[14.0km]
中津城(大分県中津市)[15.4km]
城井谷城(福岡県築上郡)[16.8km]
日出生城(大分県玖珠郡)[17.4km]
時枝城(大分県宇佐市)[17.5km]
白米城の解説文
白米城の口コミ情報
2024年11月03日 大納言Z周防守369
白米城
現在大手門付近に、イノシシ🐗・シカ🦌が付近に出没するということで、防護扉が設置されているので、城郭に入る際は扉を開けて入るようになっていいます。また出る際もしっかり扉を閉めるようになっています。
2023年11月13日 如水
白米城
緩い上り坂が少し足にきますがすぐに到着。綺麗にしてあるのは地元の方々のおかげですね。
2023年09月18日 織田上総介晃司
白米城
白米城(平田城)専用の駐車場とトイレがあります。
南台の主郭にパンフレットが置いてあります。これで石垣の位置を確認できます。
大河ドラマ「軍師官兵衛」放送時には多くの方が訪れて下草刈りなど整備もされていたであろうと思われるが、今は訪ねた時期が悪かったのか(2020/09/17)草は伸び放題。下手に斜面に降りると足をとられたりやぶ蛇や蜂を刺激するパターンがあるので上から眺めるのみとなります。(それでも北隅石垣だけは近くまで行きました)
しかも北台は害獣フェンスが張り巡らされて中には入れません。辛うじて墓地から北台の石垣を眺めるのみ…
耶馬渓渓谷や青の洞門があるので観光には困らない
2023年03月19日 蜂谷豊前守八ッ橋
白米城
少し山を登りますが整備され休憩所もあります。眺め良し!
2022年08月09日 RED副将軍
白米城
勝手に難読城選手権大会優勝🏆
オススメ度 ★★★★⭐︎
白米城(まったけじょう)と読みます✨
違う食べ物同士でややこしい💦
ちなみに三重県の白米城は(はくまいじょう)と読みます。
読めないからか、現地では地名の平田城でのぼりが立ってます。
由来は、当地は米どころであることから白米城となったみたいですが、読みは地名の「町丈』(まったけ)からで漢字と読みが連動していないのでややこしくなった様です。
豊前中南部に勢力を張った豪族で長岩城を居城とした野仲氏の支城。
1588年、秀吉による九州平定により黒田長政の大軍により長岩城とともに落城。
その後は黒田二十四騎のひとり栗山利安の居城となりました。
1601年、関ヶ原合戦の功績により黒田氏は筑前名島へ転封し、それに伴い廃城となりました。
見所
南台に残る主郭石垣は黒田氏時代のもの。
南台は城址碑、忠霊塔が建てられ、全周に石垣が残っていました。
北台にも大規模な郭群と石垣が残るらしいですがヤブと獣害柵に阻まれ見送り。
長岩城に6時間、一ツ戸城に2時間、馬場城に1時間、更に中津城、旭城と歩き回ったラストだったので気力も時間的にも限界…💦
冬期にゆっくり再訪をしたい山城。
2022年05月22日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
築久江城[白米城 周辺城郭]
「大分の中世城館」には、この城の詳細は紹介されてませんでしたが、尾屋敷城という別称があるようです。
2022年04月08日 山縣三郎右兵衛尉昌景
白米城
初のリア攻めなのに写真が…削除かな。景色も綺麗でトイレも駐車場も完備されて来やすい場所でした。
2022年03月16日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
高城[白米城 周辺城郭]
「日本城郭大系」では、築久江城を築いた野仲重房か、あるいは重房が天正9(1581)年、長岩城を築いて移った後に、その一族を居住させたと思われるとありました。
この城跡のある山脈は、山国川と山移川の分水嶺をなすもので、西端は築久江城がある山で終わっていて、構築物は見当たらないが、西の尾根に一条、東の尾根に二条の切割があるばかりで、城地も狭く、多くの兵士が籠城するのは困難という事です。
ただ、山頂からは耶馬渓の谷を眺望することができるので、烽火をあげるのには便利なところと思われるそうです。この城も築久江城も攻撃を受けた記録はないともありました。
2021年07月29日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
馬場城[白米城 周辺城郭]
「大分の中世城館」によると、天正年間に山移一族の居城として紹介されていました。また盾城、館城という別称でも知られているようで、山移の平野より10m弱の比高差がある丘陵上にあり、もと中学校用地であったため削平を受けている可能性が高いとありました。
2021年07月29日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
鷹丸城[白米城 周辺城郭]
「大分の中世城館」によると、豊前相良氏が居城としていたようです。
2021年04月26日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
馬台城[白米城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、大友氏の侵攻に対して、大内方の拠点の城の1つだったようです。
天文2(1533)年頃、大内氏の武将であった屋形宗諸が在城していたとされているそうです。
2021年04月26日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
小友田城[白米城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、小友田氏代々の居城で、三尾母川が山国川の本流に合流する細長い丘陵上にある平山城でした。
野仲氏に力があった時は従っていたそうですが、天正16(1588)年に黒田氏に降って開城したそうです。
2021年04月19日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
白米城
現地では白米城址というよりは平田城址として知られています。
標高も100mちょっとということや南台は道が整備されているためとても簡単に登城出来ました。しかし、私が行った時には鳥獣避けの柵が張り巡らされて北台には残念ながら行けませんでした。南台にも黒田時代の石垣がありましたが、遺構は北台の方が良さげです。
2020年12月30日 さすらいの征夷大将軍慶誾尼☆寧
白米城
白米城(まったけじょう)は平田城となってた…中津城から日田インター方面に走り、平田郵便局とyショップを右折後は平田城の幟が至るところにあり迷うことはなかった。舗装された綺麗な駐車場も数台分ありました
2020年10月25日 tradewind中務卿
白米城
平田城と旗がたくさんたってます。
小高い丘で回りが見渡せて、幹線道にも近く城にはうってつけの場所です。
2020年10月02日 ( *¯ ³¯)っ旦
白米城
この城、一つのために行くのは疲れると思いますので耶馬渓観光、温泉を兼ねて行かれるのが良いとおもいます。黒田官兵衛の時代の石垣ですが、大河が終わってからは手入れされていません。初秋に行っても草、笹がボーボーで何もわかりません。上まで登ってかろうじてわかる程度。
本丸の反対側も城でしょうが、個人の山なのか単に獣害対策なのかネットか張られていたりします。どれが遺構なのか、後世のものなのかわかりにくいうえに説明板も無く、探索するなら縄張り図は自分で用意しましょう。見所は切岸です。見事に垂直に切られていまして、これだけは見事です。
少しだけ見れる黒田時代の石垣、下からでないと見れない見事な切岸!これだけだと思ってください。
トイレは
・お城登口のところの無料駐車場
・お城から少し離れて川の角の所の整備された空き地にある消防団倉庫裏側
の二ヶ所にあります。
大河ブームが去ってからはトイレも掃除の頻度は少ないようです。
2020年10月1日現在です。
2017年01月08日 右兵衛督本舗游斎
白米城
現地には所々案内板があるので迷うことはないと思います。駐車場も完備です。
城域は大きく北台と南台に分かれます。この城は江戸時代になると使われなくなったようで、黒田氏が築いた石垣がそのまま残っています。
南台はかなり整備が行き届いています。まずは低い石垣がお出迎えしてくれますが、こんなもんかと侮るなかれ。北側に回ると高さ3mほどの見事な野面積みの石垣が見られます。隅石まで残ってて大満足です。
北台にも同規模の石垣があると案内板にありましたが、未整備で時間の都合もあり、今回はパス。全体が整備されれば有名なお城になれるのでは?官兵衛に間に合わなかったのかなぁ。
2014年11月09日 越前守obstetrics
白米城
栗山善助の子大膳が出生した城とのことですのぼりがたくさんあがっていました地元では平田城との方が一般的なようです
歴史
構築時期は建久年間(伝承)。戦国期は、在地領主野仲氏の居城。野仲氏は城番として平田氏を置く。黒田氏入部時に攻撃され落城。その後、平田城は黒田家の重臣栗山利安に与えられ、石垣作りの城へ造りかえられたと考えられる。
遺構の残存状況
城域は二つの丘陵に及ぶ。南側の忠霊塔のある丘陵斜面には、16世紀末の石垣がある。算木積みが未発達な点など中津城跡と共通する特徴がある。築石部は布目崩し積みとする。
北側の斜面にも石垣が一部残る。また、戦国期の名残と考えられる削り出しの土塁もみることができる。