大畑城(おおはたじょう)

大畑城の基本情報

通称・別名

大幡城、加来城

所在地

大分県中津市大字加来1388

旧国名

豊前国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

緒方惟栄

築城年

寿永3年(1184)頃

主な改修者

主な城主

加来氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

市史跡(大畑城跡)

再建造物

周辺の城

唐原山城(福岡県築上郡)[4.9km]
中津城(大分県中津市)[6.3km]
光岡城(大分県宇佐市)[6.9km]
時枝城(大分県宇佐市)[8.8km]
旭城(福岡県豊前市)[9.2km]
白米城(大分県中津市)[11.0km]
長岩城(大分県中津市)[16.8km]
宇留津城(福岡県築上郡)[19.5km]
一ツ戸城(大分県中津市)[19.7km]
佐田城(大分県宇佐市)[21.3km]

大畑城の解説文

歴史 

構築時期は元暦元年(1185)。源義経が築いたとの伝承がある。戦国期は、在地領主賀来氏の居城。天正15年に黒田氏の攻撃をうけ落城したと伝わる。

遺構の残存状況 

城跡は現在神社地である。特に目立った遺構はなく、周辺より高い地形のみ見ることができる。

情報提供:中津市教育委員会社会教育課


大畑城の口コミ情報

2022年08月14日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
北平城[大畑城  周辺城郭]



「中津市の中近世城館」によると、山頂に神社があり、そこが主郭と考えられているようです。
主郭の北側に大規模な横堀があるようですが、東側は福祉施設建設に伴い大きく改変されていて残念な状況となっているみたいです。

また二次資料に依りますが、本城郭が文中の妙法寺として記されている可能性があり、そうであれば、福島但馬守が妙法寺より二百騎にて野仲勢に攻めかかったという記述がこの北平城だったことになるようです。
どちらにしても強勢を誇る野仲氏(長岩城)を加来・成恒・福島氏らがどのように連帯して破ったのかを考える上で、本城郭の存在は重要であるとありました。

2022年08月14日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
三保山城塞[大畑城  周辺城郭]



「中津市の中近世城館」によると、豊臣秀吉による九州平定時の陣や黒田氏に反した豊前一揆鎮圧拠点の可能性を秘める主要部の土塁を多数屈曲させる陣跡として紹介されています。

また大友義統が天正14年10月3日に豊前の反乱軍を鎮圧するため仙石秀久と宇佐郡へ出陣し、郡の過半の鎮圧に成功していて、それと関連する陣跡の可能性もあるようです。

2022年08月03日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
下深水城塞[大畑城  周辺城郭]



「中津市の中近世城館」には、織豊系の石垣構築技法に影響されたと思われる石垣が残存し、複数の堀切、畝状竪堀、土塁、曲輪、城道がある城塞として紹介されています。

南北140m、東西200mを城域としており、中世に存在していた城郭を16世紀後半頃に織豊系大名が有した技術により改修した可能性があるようです。

城史は存在しないようですが、東麓約750mには在地領主の深水氏の居館跡とされるズリヤネ城(深水城)があり、深水氏は黒田氏の豊前に入るや第一に降りて旗下となると下毛郡誌に記されているようです。

2022年07月31日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
下深水屋敷群[大畑城  周辺城郭]



「中津市の中近世城館」には、ズリヤネ城(深水城)と一体で防備を固めるムラとして紹介されていました。
各々に土塁や堀の地筆が廻る屋敷区画が認められるようで、ここは下深水のムラそのものてあり、在村の領主であった深水氏が支配していたそうです。
深水氏の居城はズリヤネ城(深水城)と考えられ、その他の家臣や一般集落構成員が下深水に居住したのだろうとありました。
その中には春畑遺跡のように方形に堀を廻らせるものがあるなど、戦国期の緊張関係を窺うことができると記載されてました。

現在は工場となっているため敷地に入れませんが、高台にあり防備しやすい立地にあります。
工場への入口は虎口や堀を利用したようにも見えます。「中津市の中近世城館」には一般集落構成員とありましたが、曲輪のようにも見えるので、一定数の守備兵が駐屯するための居住地として利用されていたのかもしれないと思いました。

2022年07月29日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
鬼面城[大畑城  周辺城郭]



「中津市の中近世城館」には、観音山に遺構があり、主郭南に堀切、北に二条の堀切、南東の頂部にも堀切などの遺構があるそうです。
また宇佐と中津の境界を明示すると思われる土塁もあるようですが、本城郭に関する記録が確認できていないため、詳細は分からないようですが、この地域で幕末期に光根城という城郭名称が伝承されており、同一の可能性があることも記載されてました。

2022年05月21日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
山中城[大畑城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」によると、福島城として紹介されていて、藤原純友の天慶の乱(941年)の時、福島長久が築城したそうです。(中津市教育委員会発行の城館ガイドブックによると)福島氏は、大畑城が長岩城主野仲鎮兼に攻撃された時は救援に向かうなど、一貫して野仲氏と対立していたようです。

福島城は勅使街道の南にある若宮神社周辺に比定されていて、南側には幅5~6mと掘が廻っているそうです。小字「平塚」の周囲も幅2~3mの掘が廻っており、若宮神社周辺を中心に掘で囲まれた区画が連続しているようです。

2022年05月13日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
佐知遺跡(出口地区)[大畑城  周辺城郭]



「中津市の中近世城館」によると、発掘調査で遺構が検出されているようで、字中小路に宇佐公翁墓の石碑があり、翁屋敷跡だと考えられているようです。城主は佐知氏と推定されていました。

現地は説明板があるのみで畑地のようになっており、遺構のようなものは見つかりませんでした。山国川沿いに位置しており、縄文時代から用い続けられた重要な地だったようです。

2022年05月04日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
下伊藤田城[大畑城  周辺城郭]

「大分の中世城館」に、犬丸民部が居城としていたようです。ちなみにこの犬丸氏は、城井宇都宮氏の一族である野仲氏の家臣です。

2022年05月03日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
岡崎城[大畑城  周辺城郭]

「大分の中世城館」には、別称が記載されていて地神城とも呼ばれていたようです。天正の頃には田口兵部丞が居城としていたようです。

2022年04月27日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
上伊藤田城[大畑城  周辺城郭]



「大分の中世城館」では、詳細が記載されていませんでしたが、草場城という別称があることを紹介しています。

「日本城郭大系」では草場城として紹介されており、大正時代の開墾前は周囲に堀をめぐらし、高さ五尺ほどの土塁があったそうです。

伊藤田の『善隆寺過去帳』に、草場伊豆守源義景が元亀3(1572)年に死亡とあり、また天正15(1587)年に草場甲斐守源義忠が死んでいるようですが、この年は豊臣秀吉の九州征伐によって島津氏を降し、豊前の地を黒田官兵衛に与えた年で、翌16年に黒田勢は犬丸城を攻め滅ぼしていますが、このとき籠城軍の中に草場五郎の名があると記載しています。

また草場氏は伊藤田氏ともいうようです。

2021年07月28日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
田嶋崎城[大畑城  周辺城郭]

「大分の中世城館」には、成恒の切寄という別称があることを紹介しており、別称にあるように成恒氏の居城であったようです。
そして天正16年に黒田氏に攻められたとありました。

2021年07月28日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
河原田城[大畑城  周辺城郭]

「大分の中世城館」には、万田城という別称があると紹介しています。また文書に記載がある万田切寄の可能性が高いみたいですが、確証はないようです。

2021年05月26日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
犬丸城[大畑城  周辺城郭]



周囲には民家が建てられていて、はっきりとした遺構は見つけられませんでした。
ただ、主郭があったと思われる所の近辺はちょっとした丘のように高くなっていたことや、堀の名残かもしれない溝や、土塁等の面影を残しているのかもしれないちょっとした高低差がありました。
近辺には工場も建てられているため、土塁等の遺構はそれらの資材としてあるいは用いられたかもしれません。

2021年05月26日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
深水城[大畑城  周辺城郭]



ズリヤネ城としても知られ「日本城郭大系」には、下深水城として紹介されていました。
建久7年、宇都宮宗房の四男伊賀守興房が築いたとありました。

城址記念碑には工場建設のため遺構を取り壊した事が記載されていましたが、記念碑の近くに溜池がありました。ひょっとしたら水濠(空堀)の名残かもしれません。

秣城の近くなので、秣城のついでに行くのも良いかもしれません。

2021年05月04日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
中尾城[大畑城  周辺城郭]

中尾城址の主郭と思われる所は現在小さな公園となっていました。回りを樹木が少し覆うような感じで、ここが城址であることの記念碑が立てられていました。
遺構として土塁が残っていましたし、空堀の名残のようなものもありました。また中尾一族のお墓もありました。
中津周辺で少し時間がある時に訪れる候補に良いかもしれません。
すぐ近くに車が駐車できる空地もありました。

ちなみに中津城の模擬天守内で上映されている周辺城郭の紹介ビデオにこの城について言及しています。

2021年04月28日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
八並城[大畑城  周辺城郭]

八並城址というより長者屋敷遺跡を押している感じでした。
現地にある説明によると今も調査中で、ゆくゆくは長者屋敷遺跡として整備していくようです。
八並城としても残して欲しいですが(^^;

2021年04月28日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
八並城[大畑城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」によると、天正15(1587)年、八並右京が居城していたとありました。

また八並城の主郭部には「長者屋敷遺跡」(国指定史跡)と重なっているそうです。

2021年04月26日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
中尾城[大畑城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」には、面積約二町歩東、北、西に掘の跡、松林の中に中尾一族の墓があるそうです。

2021年04月25日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
土田城[大畑城  周辺城郭]



(中津市教育委員会発行の城館ガイドブックによると)主郭と考えられる所が神社のようです。その北側に遺構(横掘と竪堀)が残っているそうですが、南側は工場の建設により残念ながら残ってないようです。
城主は百富河内守兼貞で、長岩城城主·野仲鎮兼の家臣でした。黒田氏が豊前に入部した際には、いち早く従属し、主家であった野仲氏の嫡男が落ち延びて行くのを下関で討ち取ったそうです。「豊前国戦国事典」

2021年04月23日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
妙相寺城[大畑城  周辺城郭]

(中津市教育委員会発行の城館ガイドブックによると)城の周りは掘が巡らされていて、西側の掘は残りが良いそうです。

2021年04月23日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
田丸城[大畑城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」によると、現在の長久寺の境内が城跡だそうです。
天正16年、城主であった福島佐渡守は黒田氏に攻められて落城したそうです。

2021年04月23日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
坂手隈城[大畑城  周辺城郭]

(中津市教育委員会発行の城館ガイドブックによると)城域は、外掘の内側に土塁を、さらに内側には内掘を設けて主郭部を守っているそうです。現在主郭部には神社が建っているので詳細は不明だそうですが、西側は山国川の崖に面し、北側は切岸なっていたと思われるようです。
また「豊前国戦国事典」には、築城者は藍原左京亮とされているそうです。

2021年04月23日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
犬丸城[大畑城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」によると、元暦(1184-1185)の頃、源義経の命令により緒方惟栄が平氏の九州への押さえの城として造った五城の一つとして名前が挙がっているそうです。
天正16(1588)年、犬丸越中守清俊は黒田氏に攻められ落城したとありました。

2021年04月21日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
秣城[大畑城  周辺城郭]



秣と書いて「まくさ」と読みます。かなり状態の良いお城でした。大畑城の周辺城郭として登録しましたが、大畑城と比べ物にならないぐらい良好な遺構が残っています。
写真にあるように主郭と思われるところに今は神社が建っています。
また空掘も軽く人の身長以上の高さがありますし土塁の状態も良いです。
秣城用の駐車場はありませんが、すぐ近くに駐車スペースもあります。大畑城から車で8分程で着きます。

またさらに車で5分かからないところに深水城址(遺構なし)がありますので、ついでに行くのも良いかもしれません。

2021年04月21日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
大畑城



実際に行ってみると、意外と高い土塁?がありました。説明には黒田家が三日三晩かけて落としたとありましたので、国人衆の城としてはそれなりに持ちこたえた城だと言えるのかもしれません。それだけに遺構などが残ってないのが残念です(^^;
写真は城の主郭?曲輪?の一部と思われる台地?の土塁と、曲輪内?主郭と思われるところにあった土塁、虎口と思われる入り口、そして大畑城の説明です。

2012年05月04日 摂津守六文銭のだい!
大畑城

中津の少年院の裏(北東?)にある七宮社の中にある石垣です。ただ、解説が全くないんで、投稿した写真も自信がありませんが、位置情報からすると、ここで間違いないと思います。間違いでしたら、どなたか訂正ください。


大畑城の周辺スポット情報

 秣城(周辺城郭)

 犬丸城(周辺城郭)

 坂手隈城(周辺城郭)

 八並城(周辺城郭)

 田丸城(周辺城郭)

 妙相寺城(周辺城郭)

 土田城(周辺城郭)

 中尾城(周辺城郭)

 深水城(周辺城郭)

 田嶋崎城(周辺城郭)

 河原田城(周辺城郭)

 上伊藤田城(周辺城郭)

 末広城(周辺城郭)

 岩丸城(周辺城郭)

 南立城(周辺城郭)

 下深水屋敷群(周辺城郭)

 鬼面城(周辺城郭)

 三保山城塞(周辺城郭)

 下深水城塞(周辺城郭)

 鴨山城塞(周辺城郭)

 築城屋敷群(周辺城郭)

 池辺屋敷群(周辺城郭)

 岡崎城(周辺城郭)

 岡崎屋敷群(周辺城郭)

 北平城(周辺城郭)

 瑞雲寺遺跡(周辺城郭)

 諫山東屋敷群(周辺城郭)

 諫山南屋敷群(周辺城郭)

 諫山北屋敷群(周辺城郭)

 原口屋敷群(周辺城郭)

 拝香屋敷群(周辺城郭)

 小袋大島屋敷群(周辺城郭)

 臼木屋敷群(周辺城郭)

 佐知遺跡(出口地区)(周辺城郭)

 佐知屋敷群(周辺城郭)

 黒水遺跡(三角地区)(周辺城郭)

 加来居屋敷城塞(周辺城郭)

 加来宮園屋敷群(周辺城郭)

 犬丸川流域遺跡(周辺城郭)

 下伊藤田城(周辺城郭)

 北小枇杷屋敷群(周辺城郭)

 黒川屋敷群(周辺城郭)

 伊藤田田中遺跡(周辺城郭)

 伊藤田中屋敷群(周辺城郭)

 畑中遺跡(周辺城郭)

 福島平塚屋敷群(周辺城郭)

 福島附城(周辺城郭)

 福島仮屋敷(周辺城郭)

 山中城(周辺城郭)

 福島殿山屋敷群(周辺城郭)

 大貞屋敷群(周辺城郭)

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