時枝城(ときえだじょう)

時枝城の基本情報

通称・別名

所在地

大分県宇佐市大字下時枝

旧国名

豊前国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

時枝惟光

築城年

応永年間(1394〜1428)

主な改修者

主な城主

時枝氏

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

光岡城(大分県宇佐市)[4.7km]
大畑城(大分県中津市)[8.8km]
高田城(大分県豊後高田市)[12.5km]
中津城(大分県中津市)[12.6km]
唐原山城(福岡県築上郡)[13.6km]
龍王城(大分県宇佐市)[15.6km]
真玉城(大分県豊後高田市)[16.5km]
立石陣屋(大分県杵築市)[17.3km]
旭城(福岡県豊前市)[17.3km]
白米城(大分県中津市)[17.5km]

時枝城の解説文

時枝城(ときえだじょう)は、かつて大分県宇佐市下時枝に存在した城。宇佐神宮弥勒寺の寺務方であった時枝氏の居城。

概要
戦国時代には時枝平太夫が城主となっていた。平太夫は反大友氏の急先鋒で、毛利氏や秋月氏らと呼応してたびたび反乱を起こしている。豊臣秀吉による九州征伐の際には真っ先に豊臣氏に降伏し、その案内役を務めるとともに、時枝城を黒田孝高に提供した。時枝氏が黒田氏の家臣となって筑前国に移ってからは廃城となる。のちに時枝陣屋がおかれた。

時枝城の口コミ情報

2021年10月26日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
四日市城[時枝城  周辺城郭]

「大分の中世城館」によると、渡邉氏の切寄で、文書上の名称は四日市切寄で、小倉城という別称もあるようです。直ぐ側に小倉の池というのもあるので納得です。

ちなみに以前「日本城郭大系」で四日市陣屋について調べた際には、この四日市陣屋の前身が四日市城かもしれないとありましたが、その後この地に四日市城があったことが「大分の中世城館(2003)」で判明したようなので、時代と共に調査が進み理解が深まるのは良いと思いました。

2021年07月30日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
宇佐大宮司館[時枝城  周辺城郭]

「大分の中世城館」によると、中世以来の宇佐宮大宮司の居住地として紹介されていました。

2021年07月30日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
立山城[時枝城  周辺城郭]

「大分の中世城館」によると、文書上の名称は大楽寺ノ上ノ要害として記載されているようで、さらに宮成氏の切寄という別称もあるようです。別称から、宮成氏の居城または詰城だったと思われます。

2021年07月28日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
永福寺城[時枝城  周辺城郭]

「大分の中世城館」によると文書上の呼称として
蔀端泉寺ノ上の要害 と呼ばれており、別称では大友氏独特の呼び方である 益永氏切寄 としても知られていたようで、益永氏の居城または詰城だったと思われます。

2021年07月09日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
大原城[時枝城  周辺城郭]



城址の周辺の地図を見ると、周囲を人工的と思えるような川が流れていますが、ひょっとするとこれはこの城の水濠跡か、その名残かもしれません。
立地的に平城と思われますが、仮にこれが水濠だったとすると、中々の大きさをもつ縄張りの城だったということになります。
ただし、立地的には籠城に向いているとは思えず、この地で政務を行うための居城(館)だったのではないかと勝手に考えてます。
また興味深いことに、この城の近くを豊前日向街道が通っていることから、この地に築城したのではないかと思われます。
後程図書館などで調べてみて分かったことを追加記載したいと思います。

2021年06月27日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
尾永井城[時枝城  周辺城郭]

「大分の中世城館」に平田立賀の居城として紹介され、堀と土塁があるようです。

2021年06月27日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
矢部城[時枝城  周辺城郭]

地元では龍ヶ鼻城としても知られています。
「豊前国戦国事典」や「大分の中世城館」によると、応永年間(1394-1428)に矢部近江守高朝が築城したようです。 天正6(1578)年、耳川の合戦で矢部山城守は討死し、黒田氏が入部した時、矢部三郎は黒田氏に降ったとありました。

2021年06月21日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
辛島城[時枝城  周辺城郭]



現在は神社となっていますが、その周囲には水濠があり遺構の一部ではないかと思います。
また鳥居から主郭と思われる辺りに進む途中に燈籠がありますが、それは隠れキリシタンが建てたものであり、その理由としてこの城が大友氏に攻められた際に落城した後に建てられた事が説明板に記載されていましたが、その事からも此処が城であったことを物語っています。

駐車出来そうなスペースがありましたが、出入口なので停めないようにという注意書がありました。道を挟んだ向かい側にローソンの駐車場がありますので買い物をして少し見学することもあるいは可能かもしれません。

2021年05月26日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
辛島城[時枝城  周辺城郭]

「日本城郭大系」には、宇佐宮司辛島並時の居城で、天正14年、大友義統の大軍の囲まれたので、戦わずして宇佐宮に逃亡したそうです。

2021年05月11日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
松山城[時枝城  周辺城郭]

「日本城郭大系」には、城跡の中央付近に一族の位牌を安置した定林庵が建っているようです。
伊予から松山壱岐守が一族を引き連れて、堀や塁を構築して610年間この地に居住したとありました。
天正14(1586)年、城主松山義寛の時に大友義統の攻撃によって落城したそうです。

2021年05月07日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
時枝陣屋[時枝城  周辺城郭]



小笠原長宥が元禄12(1699)年に築城したようです。そして時枝領5000石を治めたとありました。
遺構として石垣と手水鉢が残るとありましたが、手水鉢が何処にあるかはよく分かりませんでした。
石垣の雰囲気が(個人的な感覚ですが)旭城に何となく似てるように感じました。
隣の時枝城には遺構がないですが、すぐ近くなので時枝城をリア攻めする際に立ち寄って見るのも良いかもしれません。

2021年04月25日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
上田城[時枝城  周辺城郭]

現在神社になっています。この城の縄張りに関する説明はありませんでしたが、仮に上田城の名残がかなり残っていたのなら、なかなか良い城ではないでしょうか。
空堀や土塁もかなり高く感じました。
本丸の位置はわかりませんでしたが、それらしき場所には祠がありましたし、それ以外にも曲輪?二ノ丸?らしき場所や虎口のように見えるものもあり、近くにある高森城や山本切寄、山本砦と同じように駅館川沿いは城や砦を築くのに良い地だったのかもしれません。

ちなみに写真は上田城の遺構であればそうかもしれないという感じで見て頂ければ幸いですm(_ _)m

2021年04月23日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
敷田城[時枝城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」には、宮熊城を居城としていた萩原山城守種親が天正(1573-1592)の頃に築城して居城としたそうです。
天正17年に黒田氏に反抗しましたが、後に使者を出して降伏したとありました。

2021年04月23日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
宮熊城[時枝城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」によると、応永(1394-1428)の頃、萩原土佐守房円が築城したそうです。
比高6~10mの台地先端部の、台地を切断するように掘られた掘と、裾を取り囲む水掘に特徴があるようです。

2021年04月23日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
中島城[時枝城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」によると、中島宣長が承久(1219-1222)の頃、または延応(1239-1240)の頃に築城したそうです。
黒田氏が豊前に入った頃に籠城して反抗したようですが、天正17(1589)年に敗れて城主中島統次は自害したとありました。

2021年04月23日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
上田城[時枝城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」には、明徳の頃(1390~1394)、上田左衛門道実が鷹居山に築城したとありました。

2021年04月23日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
荒木城[時枝城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」には、宇佐氏の分流の荒木三河守の居城とありました。
天正14年、大友義統の軍に攻められ焼き討ちにされたそうです。

2021年04月23日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
森山城[時枝城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」には、平家が安徳天皇を奉じて西下し、宇佐大宮司公通の館を行宮としたそうです。
公通が源氏に備えるために築城したとありました。

2021年04月21日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
平清経の墓(入水地)[時枝城  碑・説明板]



直ぐ近くに交差点があり交通量もありますので見学の際には十分お気をつけください。また駐車場等はありません。

2021年04月08日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
四日市陣屋[時枝城  周辺城郭]



この地が幕府天領として統治された時に陣屋が建てられたそうです。

現在はテニスコートとして利用されてます。

保存状態はあまり良いとは言えないと思います。

2021年04月07日 【✾】遮那王豊前守牛若丸
高森城[時枝城  周辺城郭]



高森城は駅館川下流の標高約25mの台地上に立地しています。本丸等の中心部は、南北250mに及ぶ二重の壕と三列の土塁で区画されており、台地が川に張り出した要害の地に築かれています。

天正15年に黒田官兵衛孝高が弟の利高を宇佐郡に派遣して築かせたそうです。

遺構は土塁や掘が一目で確認出来ます。発掘調査によって掘立柱建物が複数、また櫓跡が確認されているようです。全体的に見ると石垣は用いられず、門跡も明確でないなど、中津城に対して一ランク低い造りに徹しているそうです。

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