芦刈城
芦刈城([時枝城 周辺城郭])
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芦刈城の口コミ情報
2022年07月02日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
隣接する中洲城跡に赴いた時に偶然見つけた城跡です。
現在は芦刈家の墓地となっているようです。
芦刈城としては「大分の中世城館」や「日本城郭大系」、また「豊前国戦国事典」には記載されていません。しかし、「大分の中世城館」ではこの場所ではないですが特定出来ない城として推定地が大まかに載っていること(しかしこれについては他の城跡でもちょくちょくありますがミスプリントの可能性が高いです。地図上の所在地と所在地の住所が一致しないからです。)、また「豊前国戦国事典」の説明文や「日本城郭大系」の大まかな地図と説明文がこの芦刈城の位置関係と大体一致することから、ここは沖洲城(奥洲城)ではないかと思います。
それで以下に沖洲城に関する説明を記載します。
「大分の中世城館」には現状は宅地となっており、以前は土塁と堀があったこと、またここが「上の土居」と呼ばれていたようです。
「日本城郭大系」によると、貞応元年、芦刈実重が豊後に下り、下毛郡の地百五貫を賜り大友氏に属したようです。永禄9年、高尾城攻めに参加した芦刈実蕃は麻生摂津守の首を討ち取り、大友義鎮に献じ、恩賞に預かったとありました。
城跡は日豊線柳ヶ浦駅のすぐ北方の高台にあったようですが、今は水田となっていると記載されており、「日本城郭大系」が発行された当時は水田だったみたいです。同じような記述は「豊前国戦国事典」にもありました。