四日市城
四日市城([時枝城 周辺城郭])
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四日市城の口コミ情報
2021年10月26日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
「大分の中世城館」によると、渡邉氏の切寄で、文書上の名称は四日市切寄で、小倉城という別称もあるようです。直ぐ側に小倉の池というのもあるので納得です。
「日本城郭大系」には、肥前の鬼子岳城主であった渡辺光守が流浪して四日市に居住し、その子和泉守光政が大友氏に降り統政は許されたようです。
一族が多く、これを四日市切寄衆とか渡辺寄合衆と呼んだそうです。天正15(1587)年、渡辺統忠は島津征伐の三好秀次の軍に従って薩摩に入ってます。
天正17年、黒田長政は中島氏の籠もる中島城(高家城)を攻略し、次に渡辺統政とその一族500人が立て籠もる四日市城に向かい、一隊は糸口山に、長政の本陣は城を眼下に見下ろすように専一山に布陣していたようです。
城主統政は統房・統貞ら80騎で長政の本陣へ突入したので長政は退却、しかし時の勢いとともに抗し難く和睦し、人質と誓紙を出して戦いは終わったとありました。
ちなみに、現在四日市陣屋を含む一帯が四日市城の城跡かもしれないとありましたが、その後この地に四日市城があったことが「大分の中世城館(2003)」で判明したようなので、時代と共に調査が進み理解が深まるのは良いと思いました。
現在城跡は高速道路の一部になっていたり、宅地や畑地となっています。