龍王城(りゅうおうじょう)

龍王城の基本情報

通称・別名

神楽岳城、臥牛城、(龍王陣屋)

所在地

大分県宇佐市安心院町龍王字古城

旧国名

豊前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

安心院公泰

築城年

正安年間(1299〜1302)

主な改修者

細川氏

主な城主

安心院氏、田原氏、大友氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、横堀(空堀)、虎口

指定文化財

市文化財(龍王城の図)、市史跡(龍王城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

日出生城(大分県玖珠郡)[13.2km]
立石陣屋(大分県杵築市)[13.2km]
光岡城(大分県宇佐市)[13.5km]
時枝城(大分県宇佐市)[15.6km]
日出城(大分県速見郡)[17.7km]
高田城(大分県豊後高田市)[17.9km]
立石城(大分県別府市)[18.3km]
大畑城(大分県中津市)[19.9km]
白米城(大分県中津市)[20.1km]
沓掛城(大分県杵築市)[21.5km]

龍王城の解説文

立地 

安心院盆地を見下ろす標高315mの竜王山頂上に立地する。麓の集落(近世の城下町があった場所)が位置する段丘上との比高差は180m、沖積平野(安心院盆地)との比高差は210mほどある。

現状 

山頂部にテレビの中継アンテナが複数立っており、主郭部の平坦面が若干削平され、さらに入口部などでも後世の改変が及んでいる。

構造 

東西に長くかなりの比高差のある頂上部のほぼ中央に主郭を拵え、東西両側にそれぞれ数mの段差を持つ2箇所の大きな曲輪を設ける。

このような基本的構造は天正10年段階の安心院氏籠城段階でできあがっていたと考えられ、この後天正14年の終わりから15年にかけて大友義統が在城した折りにどのような改修を行ったのか、あるいは行わなかったのかについては記録からは不明であるものの細川段階以前と考えられる石垣が一部見られる。

矢穴痕が無く表面をはつっただけのもので、自然の巨石にもたれかかるように積み上げている。これが、大友段階であるとすると文禄2年までの間に龍王城にも手を入れたことになる。

現状では虎口周辺など細川段階の石垣が見られるが、虎口はすべて平虎口で技巧的なものではない。石垣の隅角部も1段しか残らず、山の中腹あたりまで矢穴痕の残る石材が点在していることから、破城されたことが考えられる。

歴史 

若干の疑問が残る「宇佐郡三拾六人衆着到状案」に弘治2年(1556)、「大友宗麟公豊前国龍王山城御在陣中宇佐郡三拾六人衆着到」とあるのが初見であるが、この段階では妙見岳城を廻る動きはあるものの、他に龍王城の動静は知られない。確実なのは天正10年(1582)に佐田弾正忠宛の大友義統の書状にある「安心院中務入道切寄」が初めてである。

これは、天正7年頃から起こった豊前の動乱に呼応して安心院氏が龍王城に立て籠もり反大友の立場を明確に示した際のもので、「切寄」という呼称からこの段階で築城あるいは改修された可能性が高い。

田原紹忍を中心にこれを討ったことから結果的に紹忍の城郭となり、天正14年12月に島津氏に府内を攻め込まれた大友義統は妙見岳城を経由して龍王城に紹忍を頼って逃げ籠もる。そして、この龍王城と紹忍の養子である田原親盛の妙見岳城の2城は、天正15年以降豊前に黒田氏が入っても大友氏に留め置かれた。

このように、龍王城は天正10年に表舞台に登場し、一挙に妙見岳城と並ぶ城郭として扱われる意味は判然としない。

黒田氏が慶長5年に転封すると、その後細川氏が豊前に入部し龍王城を改修する。

情報提供:宇佐市教育委員会


龍王城の口コミ情報

2022年04月24日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
副城[龍王城  周辺城郭]



「日本城郭大系」では[上副城]として紹介されていました。城跡位置は不明ながら[下副城]という城もあるようなので、その城と区別するために[上副城]として表記されていたものと思われます。

「大分の中世城館」では城山として紹介されていた山の主に北側から東側、そして南側にかけて遺構がしっかりと残っています。

北側から登城するなら院内道の駅の駐車場に、南側から攻城されるなら平成令和の森スポーツ公園の駐車場に停めることが出来ます。どちらも無料の駐車場です。

城山の比高やその周囲の開発され具合を考えるとここまで遺構がしっかり残っているんだ?!という驚きを隠せない山城です。
宇佐市には代表的な土の城として光岡城がありますが、その光岡城以上に『The土の城』という感じです。土城好きの方は必見だと思います。
石垣もなければ、まして櫓等もありませんが、土で成ると書く城の成立ちが分かる城です。ここを訪れると土の城に魅了されるようになるかもしれません。

山登りの装備も必要なく、全体を見学するのに40分もかからないと思います。もちろん夏場の場合はそれなりに準備が必要かもしれません。
近くを通られる際はお立ち寄りください。

ちなみにこの副城の近くに院内中学校がありますが、地図を見るとそこに院内町山城という地名が載っています。ひょっとしたらその辺りに下副城があったのかもしれません。

2022年04月20日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
楢本城[龍王城  周辺城郭]



城域に道路が敷かれていたり、畑地になっていたり、しかも最近は残念ながら樹木の伐採が行われていたため大幅に土地の改変が行われている可能性が高いです。

それでも切岸や堀切は見れたと思います。城域の南側を津房川が流れていることや切岸も急だったのでそちら方面の守りは固く感じました。津房川を挟んだ南側は豊後国へと繋がっているため、南からの防御を意識した縄張りだったのかもしれません。

2022年04月18日 龍馬備中守【】
副城[龍王城  周辺城郭]



大分県の宇佐市にある【副城】♪西に恵良川を天然の堀として北西部に大副城、南東に潰山城、更には田口城と城郭が密集したエリアに城郭は存在します♪北側には妙見嶽城(過去口コミ済み)も聳えます♪
この副城は南側からの低山から北に伸びた台地上の先端部に立地しました☆

築城年代は不明ですが天正年間頃に築城されたと云われます☆戦国時代ですね☆
正に戦国時代の城郭に相応しい縄張りを持ち合わせているんです♪

築城主は但馬国出石の城主を務めていた副但馬守☆何故ここに?はイマイチ解らずじまいですが豊前国の院内に流れていて、この副城を構え豊後国・大友義鑑に仕えました☆

副但馬守を継いだ子、副越中守は但馬守宗澄と名を改めていて領民に慕われる様な善政を敷きましたが妙見嶽城主・田原紹忍が主君である大友宗麟に諌言し天正9年(1581年)大友軍は副氏を攻め揚げ但馬守宗澄は自刃して果ててしまいました…

現在公園化されていますが、残る遺構は明瞭にシッカリとその存在感を今に残します☆
連続畝状竪堀群、二重に掘り込まれた横堀、堀切、土塁、虎口に鋭い切岸♪
主郭には副氏の墓所も残ります☆

お手軽に行けてコスパ最高なのにこの素晴らしさ☆副氏が築いた会心の城郭☆
大分県に行かれた際は絶対に行って欲しい城郭の1つです☆損はさせませんよ〜☆

2022年04月08日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
上舟木城[龍王城  周辺城郭]



民家と段々畑になっている感じでした。段々畑は曲輪の名残かもしれません。「大分の中世城館」にも詳細は不明となっていました。

2022年03月06日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
六郎丸城[龍王城  周辺城郭]



「日本城郭大系」には、弘治の頃、津々見源九郎、天正の頃、源次郎宗俊が居城とありました。
「大分の中世城館」では、堀切1条ありと紹介しています。

2022年03月06日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
尾立城[龍王城  周辺城郭]



「日本城郭大系」では尾立館として紹介しています。
臼杵惟長が大友親治に従って豊前に入り、尾立村の田畑・荒地二十八町歩分の知行を受け、仲下に住み、惟長は実如上人の弟子となり、西福寺を建てたとありました。

2022年03月06日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
楢本城[龍王城  周辺城郭]

「日本城郭大系」には、正和年間、岡和泉守成忠が築き、その子式部助の時に滅んだそうです。
成忠は城北に天満宮を勧請し、現存しているとありました。
菩提寺の会毛寺跡には古塔が五、六基あるようです。
「大分の中世城館」では、堀切、切岸で曲輪を造るとありました。

2022年03月06日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
筌口城[龍王城  周辺城郭]

「日本城郭大系」では、大内氏の属臣、筌之口甚左衛門範定の居城として紹介しています。
永享7(1435)年、新開縫殿允が龍王城を攻めたとき、よくこれを防いだので、その功によって深見郷の一谷を賜って筌之口村としたとありました。
文安年間(1444-49)に筌之口日向守清久という者が居城し、その後孫の幸之丞重範は天文3(1534)年、大内氏に属して勢場ケ原合戦に出陣し、大友軍と戦ったようです。帰村した重範は入道となって霊泉寺を建立したとあります。
その後孫は庄屋となって当地に続いたと記されています。館の跡には"局屋敷""射場の本"などの地名が残っているそうです。

2022年03月06日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
畳石城[龍王城  周辺城郭]

「日本城郭大系」には、清原正高の後裔という松木氏の居城として紹介しています。
天文元年、大友義鑑の命を受けて大内氏の家臣糸長隼人を襲ってその居城を抜き、ここに本拠を構え、このときに大友氏に畳石四十町を宛行われたたとあります。
松木和泉守正直は森村の香浄寺伊賀守を攻め滅ぼし、正直の弟主水は日向耳川の合戦に出陣して戦死したようです。
正直の子正春は天正15(1587)年、豊臣秀吉の島津討伐の軍に参加し、後に中津城に入った黒田如水に降ったそうですが、細川氏が中津城に入ってから、後孫は大庄屋となって当地に続いたとありました。

2022年03月06日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
大村城[龍王城  周辺城郭]

「日本城郭大系」では、水車村深見基愛の弟基直を嗣としたとあります。
城跡には内城・外城などの地名が残っているようで、大永3年、深見河内守盛時は大友氏に攻められて一族は滅亡したそうです。

2022年03月05日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
鳥越城[龍王城  周辺城郭]

「日本城郭大系」には、深見河内守の城跡として伝えられているそうで、地名に門口・堀・馬場などが残り、城滅亡後は帰農して鳥越七門と称したとあります。

2022年03月03日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
〆野台城[龍王城  周辺城郭]

珍しい名前の城ですが、「大分の中世城館」によると、主郭に横堀が廻るとありました。

2022年03月03日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
田口城[龍王城  周辺城郭]

「大分の中世城館」や「日本城郭大系」によると、弘治の頃、田口雅楽允が築城し居城としていたようです。

2022年03月03日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
潰山城[龍王城  周辺城郭]

「大分の中世城館」には横堀がある大内氏の家臣、中山氏の居城のようです。

また「日本城郭大系」では天文3(1534)年、勢場ヶ原合戦に出陣した中山内膳正正房は、速見郡大村山に集結していた大友氏の軍を攻めて、大友軍の武将二人を討ち取ったので大内義隆に軍忠状を賜ったとあります。
天文12年、出雲国湯浜合戦に参加した中山重正は戦死したそうです。
後孫の角右衛門は、寛永9(1632)年、中津城主細川忠興に恒松村三十石を賜わり庄屋となって子孫は繁栄したとありました。

2021年12月21日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
龍王城



標高315mですが、途中まで車で登れます。
駐車場もあるので比較的登城しやすく感じるかもしれません。
しかし、侮るなかれ^^;

傾斜がキツく早いペースで登城すると息切れして呼吸が辛いかもしれません。特に東側曲輪から主郭部への虎口は特に傾斜がキツいのでお気をつけください。
それだけ傾斜があるということは帰陣時は特に慎重に下る必要があります。

細川時代、または主郭部にある電波塔を設置する際に整備されたと思われる石段がありますが、落葉が敷き詰められているため石段が見えにくく足を滑らせる恐れがあります。


大友義統が島津軍に侵攻された際に逃げ込んだ城ですが、本城の高崎山城を捨ててまで🤔?と疑問には感じました。
退却する際に高崎山城で籠るには兵を失い過ぎたのか、当主が籠るには城域が全体的に小さく感じました。
しかし、傾斜がキツくて力攻めは難しいと思われる点や、豊前と豊後の境にある重要な城ではありますし、救援に来ていた豊臣軍の少しでも近い城に籠りたかったのかもしれないと、色々と思い巡らすことが出来て楽しかったです。

登城口や駐車場から登城する際に至る所に石がありました。破城する際に出た石垣の名残りかもしれません。

なかなかいい城です。

2021年12月15日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
龍王陣屋[龍王城  周辺城郭]



龍王城の説明板があるところから1,2分程なので近いです。説明板がある辺りに駐車場出来ます。

周囲に民家があるので、説明板辺りからだと見えにくいですが、歩いていくと石垣が見え、写真にあるように、ここが陣屋であったことを示す標柱が建っています。

藪になっていましたが、入れそうな感じでした。石垣の中には矢穴のように見えるものがありましたが陣屋が建てられた時期を考えると、ひょっとしたら龍王城の石垣を転用した跡なのかもしれません。

藩主松平重直公居館跡とある割には整備されていないのが残念でした。

2021年10月22日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
下恵良城[龍王城  周辺城郭]

「大分の中世城館」には寺地までが城跡と記載されていていたように城域は広いです。

その近くから登る階段も整備されていて現在は神社となっています。その階段は急傾斜なので、天然なのか切岸かは分かりませんが、守りやすかったと思われます。また近くを恵良川が流れているので天然の水堀としての機能を果たしていたと思いますし、玖珠方面に抜ける道があるなど交通の要衝地として城の選地としても納得です。

現在の神社があるところが主郭の可能性が高いと思いますが曲輪も広いです。
また立派な天守台のように見える石垣の上に神社があったのは興味深かったです。ただこの石垣は残念ながら恵良城のものではないと思われます。

どちらにしてもここは詰城として用い、麓にある寺付近を居館として用いていたのではないかと感じました。

近くに公民館があるので車はそこに駐車出来ます。

2021年07月30日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
大副城[龍王城  周辺城郭]



「大分の中世城館」によると、副氏の被管佐藤氏が居城としていたようです。ちなみにこの城の読み方は おおぞえじょう で佐藤氏が仕えていた副氏の居城の読み方は そいじょう です。

2021年07月30日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
高並城[龍王城  周辺城郭]



「大分の中世城館」によると、天正年間に高並彦八が築いた城のようで永原城という別称でも知られているようです。

また「日本城郭大系」には、天文年間、若狭守政広は大内氏に属し、その子市次郎(主税助)は大友氏降ったようですが、天正14年に大友義統に滅ぼされています。子孫は代々庄屋であると締め括っていました。

2021年07月14日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
佐田城砦(g)[龍王城  周辺城郭]

「大分の中世城館」では、便宜上佐田城の中心城郭をaとし、この砦をgと表記して説明しています。
この砦は佐田城砦fからさらに鞍部を経て、西南西に伸びる尾根の先端部に位置しているようです。佐田城砦fから伸びる尾根を掘り切り、それと連続して東側から南側、さらに西側と横堀、あるいは横堀状の帯曲輪が繋がって、全体として城域の3分の2を囲い込むことになっているそうです。北西に伸びる尾根は、階段状の曲輪を設けることによって処理しているみたいです。その曲輪群の南西側は横堀から繋がる竪堀で押さえているとありました。南側斜面部にも竪堀が6本認められるようです。曲輪部分は狭い主郭を何段にも帯曲輪が取り巻くもので、明確な技巧性は認められないそうです。
佐田城の主郭へは、おそらく南側の竪堀を登って横堀に入り、そこから帯曲輪に取り付くものであろうとありました。

なお、佐田城砦fと佐田城砦gの曲輪群の間には南側斜面に帯曲輪状の平場が6~8段にわたって造られていて、その最下段の尾根のやや突出する部分には土橋を有する堀切があるそうです。そのため、ここが両曲輪群全体の虎口と考えられているみたいです。

2021年07月14日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
佐田城砦(f)[龍王城  周辺城郭]

「大分の中世城館」では、便宜上佐田城の中心城郭をaとし、この砦をfと表記して説明しています。
この砦は佐田城砦dから西に伸びる尾根が分かれて南西に下り、いったん高まった部分に位置しているみたいです。南東部の一部を除いてほぼ横堀が禅宗しているようです。しかし、周囲の頑丈さに比べ、内部の曲輪部分は広い平坦面を作り出すことが無く、狭いピーク部を中心として帯曲輪を取り巻く形態をとっているとありました。北側の堀切は二重になっており、外側の東寄りに土橋を持っていて、ここが虎口のようです。

2021年07月14日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
佐田城砦(e)[龍王城  周辺城郭]

「大分の中世城館」では、便宜上佐田城の中心城郭をaとし、この砦をeと表記して説明しています。
この砦は佐田城砦dから西に伸びる尾根の先端部に位置し、二重の堀切で掘り切った先端部を城域としているようです。両側が竪堀になる二つ目の堀切からは横堀が派生し、南西斜面を固めているとあります。主郭は東西35mで南北10mほどの長方形で、土塁がほぼ巡っているそうです。西側は一段低くなり、その先は堀切のようです。主郭の南北には帯曲輪があり、北側の帯曲輪には土留め用と考えられる石列が端部に認められるそうです。南側の帯曲輪は一部横堀状となっているみたいですが、東端には角を有する高さ1mほどの石積みがあり、何らかの施設があったことが想定できるようです。隅角部は算木積みとはなってないようですが、50~70cmほどの自然石を野面積みにしているみたいです。
佐田城の主郭内へは、佐田城砦cの曲輪群と同様、南側の横堀外側の土塁上を進み、土橋から狭い虎口受けの曲輪に入った後、斜面を登って主郭西側の曲輪に入るものと考えられているようです。

2021年07月14日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
佐田城砦(d)[龍王城  周辺城郭]

「大分の中世城館」では、便宜上佐田城の中心城郭をaとし、この砦をdと表記して説明しています。
この砦は中心の佐田城の主郭から南に伸びる尾根上にありますが、平坦面は何ら加工が無く自然地形のままのようです。しかし、尾根の東側斜面には横堀が二重に設けられていて、西側でも一部横堀があるなど、明らかにこの尾根部から佐田城の主郭の曲輪群への接近を意識した配置となっているようです。

2021年07月14日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
佐田城砦(c)[龍王城  周辺城郭]

「大分の中世城館」では、便宜上佐田城の中心城郭をaとし、この砦をcと表記して説明しています。
この砦は佐田城の主郭から西側に伸びる尾根の先端部に位置するもので、尾根の堀切から連続して、土橋を持つ横堀に繋がるとあります。主郭は南北7m、東西15mほどの長方形で、北西角部が基壇状に約30~50cm高くなっていて、主郭周りには切岸による数段の腰曲輪や帯曲輪を作り、一部は横堀状を呈しているようです。南西斜面には土塁を伴う竪堀が一条入れられているみたいです。
城に至るには、尾根を下って来て、堀切に当たると南から回り込み、横堀外側の土塁上を通って横堀の土橋部分から虎口受けの曲輪に入り、そこから斜面を登り腰曲輪に入ることになるとありました。

2021年07月12日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
佐田城砦(b)[龍王城  周辺城郭]

「大分の中世城館」では、便宜上佐田城の中心城郭をaとし、この砦をbとして紹介しています。
この砦は佐田城の主郭から比高差約100mの谷を隔てた東側400mの、ほぼ独立した山の上にあり、楕円形状を呈する単郭の曲輪の南半に横堀を巡らせているそうです。
横堀は、佐田城主郭との関係を意識するように西側中央で土橋を持ち、曲輪の削平は十分ではなく、周辺は不明瞭な削平段となっていると説明されていました。

2021年07月09日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
大庄屋賀来屋敷跡[龍王城  寺社・史跡]



車を走らせていると、目に立派な石垣が飛び込んで来ました。
ひょっとして余り知られていない、地元の人しか知らない城なのではと期待して車を停めて見に行きました。
結果的には城ではなく庄屋の屋敷でしたが、石垣は規模が小さいながらも美しいものでした。しかも説明板にも記載されていましたが、女優の賀来千香子さんの先祖にあたる方の屋敷跡のようでした。
どちらにしても石垣がお好きな方は、周辺に来られた際に見学されてみてはいかがでしょうか。

2021年07月09日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
佐田城[龍王城  周辺城郭]

(中津市教育委員会発行の城館ガイドブックによると)安心院盆地(豊前)から別府(豊後)に抜ける道と、立石峠(豊後)へ抜ける道が交わる交通の要衝にあります。主郭を中心にして4ヶ所に独立した砦を備えた大規模な城となっています。大友氏の築城技法の中では捉えられない城郭で、黒田氏の豊前入部との関係も疑われているそうです。
「豊前国戦国事典」によると城井郷管迫より移住した佐田親景が、応永6(1399)年、初めて青山に城を築いたといわれているそうです。

「大分の中世城館」には、佐田城全体で考えると、佐田城砦dの尾根を南から真っ直ぐ登るのが佐田城の主郭部に至る最短ルートのようです。

2021年07月03日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
城山城(小城)[龍王城  周辺城郭]



「大分の中世城館」には、大城がある城山と尾根続きの標高300m強の山頂に遺構があり、後世の改変や風倒木被害もなく、良好に残されているそうです。

大城と小城はその構造が全く異なるにも関わらず、虎口の位置からすると、一体的にとらえる必要があり、最終的な改修が小城には及ばなかったと考えられるようです。

矢部から正覚寺を通って佐田に抜ける主要な古道があり、この古道と関係があるようです。

2021年07月03日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
城山城(大城)[龍王城  周辺城郭]



「大分の中世城館」には、標高298.4mの城山(大城)に遺構があり、後世の改変や風倒木被害もなく、良好に残されているそうです。

大城と小城はその構造が全く異なるにも関わらず、虎口の位置からすると、一体的にとらえる必要があり、最終的な改修が小城には及ばなかったと考えられるようです。

石積みや虎口の状況から大城は黒田入部以後に改修を受けたのは間違いないようですが、文書、記録には記載が全くないとありました。

矢部から正覚寺を通って佐田に抜ける主要な古道があり、この古道と関係があるようです。

2021年06月27日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
下恵良城[龍王城  周辺城郭]



「大分の中世城館」には、恵良若狭守頼盛が築城したとして紹介されていました。

2021年05月11日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
龍王陣屋[龍王城  周辺城郭]

「日本城郭大系」によると、寛永9年、細川氏が熊本に移ったあとに小笠原秀政の四男松平重直が入ったそうですが、当時の龍王城は荒廃していて住める状態ではなかったので、寛永11年にここに陣屋を構築して堅固な石垣をめぐらしたとありました。

2021年05月11日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
飯田城[龍王城  周辺城郭]

「日本城郭大系」によると、標高約100m、東に赤井城、南に龍王城を望む位置にあって要害堅固な城だったようです。
飯田氏は代々大内氏に仕えて周防山口に居住していましたが、大内義隆が陶隆房に殺され、さらに陶氏が毛利氏に滅ぼされると、山口から飯田城に帰り、大友氏に仕えるようになったそうです。

2021年04月26日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
櫛野城[龍王城  周辺城郭]



「豊前国戦国事典」によると、木付氏の分流である木付弾正忠茂晴が深見郷櫛野村野村地頭となって櫛野氏と称し城を築いたようです。
櫛野和泉守が築城し、弘治2(1556)年、櫛野弾正忠が居城し、大友氏に仕えたそうです。

また「大分の中世城館」によると、以前は堀があったそうですが現状では確認出来ないようです。川に隣接する平地の城郭とありました。

城跡には石碑と櫛野氏について書かれた説明板があるぐらいでした。
ただ興味深いことに「日本城郭体系」ではここの背後にある山に城跡があるかもしれないという紹介の仕方だったので、ここは防備を施した方形の居館として用いられ、詰城が背後の山にあったのかもしれません。

2021年04月24日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
赤井城[龍王城  周辺城郭]

菩提寺城とも知られる。「豊前国戦国事典」には、築城年代、築城主は不詳とありました。
明応7(1498)年に大友軍が佐田庄に侵攻してきた時、大内方だった佐田氏はこの城や飯田山·佐田山で奮戦したそうです。
また天正15(1587)年、黒田氏が豊前に入部した際には豊後の大友氏を頼ったとありました。
さらに元和元(1615)年にはその当時の豊前国主の細川氏の家臣となったようです。

2020年10月13日 戸次豊前守紹運亮幸盛
副城[龍王城  周辺城郭]

道の駅いんないのすぐ南にあります。専用の駐車場はありませんが、道の駅の他にも上に運動公園があるのでそこにも停められると思います。城の規模は小さいですが、横堀、竪堀、堀切、土塁、切岸と山城(土城)を楽しめます。おすすめは本丸の東側(南東側)です。道の駅側の階段から上がって行くと遺構は横堀くらいのような感じですが、その道を本丸の周りをぐるりと行くと竪堀などが現れます。綺麗に整備されてて見やすいし、入口まで駐車場から3分くらいなので、気軽に楽しめます。

2017年12月08日 柴崎中納言幸助
龍王城

東九州道の安心院ICで下り、左折後、龍王山に向かいます。県道50号を南下すると看板があるので右折して少し登ると龍王城の説明板があります。その前方に立派な石垣があります。説明板の後方に少し下った所には、龍王陣屋の跡があり、「藩主松平重直公居館」の標柱が立っています。石垣も一部残っています。
龍王山城への登山口は、説明板のところからさらに数十m先にあります。

2011年02月12日 June02
龍王城

余談です。
安心院(あじむ)町は、鏝絵(こてえ)を知る人には有名な町です。鏝絵は左官職人が、住人の願いなどを漆喰に描く色彩あるレリーフアートで、民家や土蔵の壁にあります。
広範囲なので時間に余裕があり、興味のある方は、散策しては如何でしょうか?
城下の龍王地区?にも2軒ほどあります。
観光案内所で、地図がもらえます。


龍王城の周辺スポット情報

 大蔵山烽火台(遺構・復元物)

 腰曲輪(遺構・復元物)

 竪堀(遺構・復元物)

 井戸跡(遺構・復元物)

 石垣(遺構・復元物)

 主郭(遺構・復元物)

 東側曲輪(遺構・復元物)

 城下町(遺構・復元物)

 大手門(遺構・復元物)

 橋詰水路橋(遺構・復元物)

 虎口(遺構・復元物)

 龍王城登城口(碑・説明板)

 龍王城説明板(碑・説明板)

 殿山城(周辺城郭)

 赤井城(周辺城郭)

 飯田城(周辺城郭)

 佐田城(周辺城郭)

 佐田城砦(b)(周辺城郭)

 佐田城砦(c)(周辺城郭)

 佐田城砦(f)(周辺城郭)

 佐田城砦(e)(周辺城郭)

 佐田城砦(g)(周辺城郭)

 佐田城砦(d)(周辺城郭)

 潰山城(周辺城郭)

 田口城(周辺城郭)

 〆野台城(周辺城郭)

 鳥越城(周辺城郭)

 筌口城(周辺城郭)

 畳石城(周辺城郭)

 大村城(周辺城郭)

 御沓城(周辺城郭)

 高並城(周辺城郭)

 城山城(大城)(周辺城郭)

 大副城(周辺城郭)

 六郎丸城(周辺城郭)

 城山城(小城)(周辺城郭)

 尾立城(周辺城郭)

 櫛野城(周辺城郭)

 上舟木城(周辺城郭)

 龍王陣屋(周辺城郭)

 下恵良城(周辺城郭)

 楢本城(周辺城郭)

 副城(周辺城郭)

 大庄屋賀来屋敷跡(寺社・史跡)

 龍王城主細川幸隆公廟所(御城印)

 駐車場(駐車場)

 登り口(その他)

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