杵築城(きつきじょう)

杵築城の基本情報

通称・別名

木付城、勝山城、台山城、臥牛城

所在地

大分県杵築市杵築35

旧国名

豊後国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

型式不明[階層不明/1591年築/焼失(落雷)]、独立式望楼型[3層3階/1970年築/RC造模擬]

築城主

木付頼直

築城年

明徳4年(1393)

主な改修者

主な城主

木付氏、前田氏、杉原氏、細川氏、小笠原氏、松平氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(水堀)

指定文化財

国史跡(杵築城跡)

再建造物

模擬天守、石碑、説明板

周辺の城

日出城(大分県速見郡)[10.4km]
安岐城(大分県国東市)[10.9km]
吉広城(大分県国東市)[11.9km]
沓掛城(大分県杵築市)[12.2km]
府内城(大分県大分市)[19.4km]
佐野鞍懸城(大分県豊後高田市)[19.8km]
鶴崎城(大分県大分市)[20.5km]
高崎山城(大分県大分市)[20.5km]
大友館(大分県大分市)[20.5km]
立石城(大分県別府市)[20.8km]

杵築城の解説文



杵築城(きつきじょう)は、大分県杵築市杵築にあった日本の城。城跡のうち麓の藩主御殿跡は大分県の史跡に指定されている[1][2]。また、城郭があった台山地区と藩主御殿地区は、国の史跡に指定されている[3]

概要 

杵築城は、室町時代初期に木付氏によって八坂川の河口にある台山(だいやま)の上に築かれた。台山は、北は高山川、東は守江湾に囲まれた天然の要害である。連郭式の平山城で、台山を空堀により4区画に区切られていた。

戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの舞台となり、江戸時代には杵築藩の藩庁が置かれた。

城跡のうち台山上の部分は、公園として整備され[4]、天守台跡に資料館と展望所を兼ねた模擬天守が建てられている[5]

歴史 

木付氏は当初鴨川の竹ノ尾に城(竹ノ尾城)を構えたが、明徳5年(1394年)に、木付頼直が杵築城(当時は木付城)を築き、城を移した[6]

戦国時代、島津氏の大軍に攻められるが、城主木付鎮直が籠城して抗戦の末これを退けた。しかし、後に主君の大友義統が文禄の役での失態の責めを負って豊臣秀吉により改易されると、当主木付統直は自刃し木付氏も滅びた。

杵築を含む豊後国は豊臣家の蔵入地となって前田玄以、宮部継潤が奉行を務めた後、慶長元年(1596年)に杉原長房の所領となる。同年の震災(慶長豊後地震)と、慶長2年(1597年)の暴風雨によって天守などが損壊したため、長房は慶長2年(1597年)に台山北麓に居館を移した。慶長5年(1600年)2月には細川忠興の所領となり、重臣の有吉立行を城代として置いた。慶長6年(1601年)には松井康之が城代となっている。

天守は慶長13年(1608年)6月に落雷で焼失したが、その後、再建された。2017年(平成29年)に行われた調査では再建後の石垣が確認されている。また、文献の記録から、再建天守は3重の層塔型であったと考えられている。慶長20年(1615年)に一国一城令が発せられると、台山の主郭部は破却され、城郭機能は台山北麓の居館(後の藩主御殿)に移された。

寛永9年(1632年)、忠興の子・忠利が熊本藩に移封となると、替わって小笠原忠知が入った。正保2年(1645年)には松平英親(能見氏)が豊後高田藩より3万2千石で封じられた。能見氏のもとで平地への移転が完了し、台山の城郭は17世紀末までに廃止された。元禄7年(1694年)4月に杵築を訪れた貝原益軒は『豊国紀行』に「木付に城なし、町あり」と記している[7]

正徳2年(1712年)、幕府の朱印状に「木付」と書くべきところが「杵築」と記されていたため、幕府に伺いを立てた上で「杵築」と表記するようになり、従来、木付城と表記されていたこの城も、杵築城と表記されるようになった。

遺構 

台地上の台山地区には、城山公園が整備されている。本丸の天守台跡には3層の模擬天守が建てられ、資料館及び展望所として利用されている。2017年(平成29年)に国の史跡指定を目指して行われた発掘調査では、土塁や堀切りが確認され、大友氏による豊後国支配が終焉を迎えた文禄2年(1593年)から、慶長20年(1615年)の破却に至るまでの城郭の変遷が明らかとなった。

山麓の藩主御殿地区は、杵築神社、旧杵築中学校、旧杵築市立図書館一帯に位置しており、堀、石垣、庭園の遺構が残されている。旧杵築中学校の校舎建て替えに伴い2010年(平成22年)から行われた発掘調査で、校庭から藩主御殿跡が発見され、2016年(平成28年)2月23日に県の史跡に指定された。

また、旧城内城鼻地区に旧船形屋敷が現存し、現在は民家として利用されている。

杵築城の口コミ情報

2023年06月08日 尼崎城阿波守一口城主
杵築城



[城下町散策編]
5月19日杵築城🏯下城後に城下町を散策。場所は写真①②を参照願います。
勘定場の坂(写真③)を上がり能見邸(写真④)や大原邸(写真⑤)など時間的なこともあり入館はしませんでしたが武家屋敷の雰囲気を味わいました。
城下町散策で最も印象に残ったのは日本で唯一のサンドイッチ型城下町でした(写真⑥)。北側の酢屋の坂の上から(写真⑦)と南側の保屋の坂の上から(写真⑧)風景を撮ってみました。
北台と南台の両武家屋敷が谷間の商人の町を挟んでいるからサンドイッチ型城下町と言われるようです。
当日案内して頂いた方に素晴らしいスポットを紹介してもらい感謝の1日でした‼️

2023年06月08日 尼崎城阿波守一口城主
杵築城



[登城編]
5月19日登城(写真①)。天守の横の石碑(写真②)の漢字は<木付城址>となっていました。お城で頂いたパンフレットを読むと「正徳2年(1712)、三代藩主重休(しげやす)の時、六代将軍徳川家宣からの朱印状において<木付>の文字が<杵築>になっていたので、幕府に伺いをたて、以来<杵築>と表記するようになった。」とありました。
お城の展示品は写真③の通りでしたが私が印象に残ったのは、石田正澄公の兜(写真④⑤)と浅井長政公の次男の万菊丸着用の具足(写真⑥⑦)でした。お城のガイドの方に解説をして頂きましたが石田正澄の兜は関ヶ原の戦いの直後の佐和山城攻めで宮部家が頂いた戦利品とのことでした。宮部家が支えるお殿様が国替えで杵築に来たことから現在杵築城にあるとのことでした。次に浅井長政公の次男の万菊丸についても解説をして頂きました。今回初めて長政公の次男の存在を知ったのですが、万菊丸の母親はお市の方ではなく別の方で浅井三姉妹の江と同い年くらいだったようです。2点とも現在の滋賀県ゆかりのもので現在大分県に展示されているのも歴史の流れや浪漫を感じさせられました。
下城後、城下町散策をして当日案内して頂いた方に海とお城をセットで撮れるスポット(写真⑧)も案内して頂きました。

2022年04月17日 猫ピコ
杵築城



海沿いの岡にある小さな城です 全体的に整備された公園に城があると言ったほうが良いでしょう 天守の近くまで車で行けますが城下の街は道が狭いので大きな車だと少々 苦労するかもしれません 街を上げて城を大切にしていると感じられるとても愛されてる城です

2022年03月12日 タコちゃん
杵築城

お城エリアが、城下町風になっているお城の入り口まで、距離があり、バスで移動しました。時代村風で、面白かったです。

2022年03月11日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
軒ノ井館[杵築城  周辺城郭]

「大分の中世城館」には、屋号で「政所」、「北政所」があり、屋敷ノ回りには一部土塁上の高まりあり、と紹介していました。

2021年12月30日 数珠丸恒次権大納言ヒロティー
杵築城

天守は模擬ですが、石垣等良好な状態です。景色もよいです

2021年07月31日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
生桑城[杵築城  周辺城郭]

「大分の中世城館」によると、生桑寺の西にある山城で、規模は小さいが切岸や堀切によってコンパクトに守っているようです。尾根続きの鞍部は両側から削りこみ、幅1mほどを通路状に残しているそうです。

2021年06月29日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
杵築城



車で天守の近くまで行けます。無料駐車場もあります。

確かに日本一小さな城です。行って見ると納得です。
珍しい城門が入り口になっていますが、多分この城門も天守と同様に模擬だと思います。資料の説明によると一国一城令で破却されたとあったのでそのように判断しました。ですので天守台も怪しい感じです。
以上のような状況なので城郭としては縄張りを楽しむという感じでしょうか。また立地場所と小振りな城ゆえの難攻不落さという感じを堪能できるかもしれません。
しかし、小さな天守に展示している鎧兜等は見応えがあります。興味深かったのは、浅井長政の次男の甲冑や石田三成の兄の兜等です。

車で5分前後の位置にある武家屋敷や城下町の資料館は見応えがあります。その資料館には家康に一度は献上した馬印がありますし、江戸時代の杵築城周辺の模型や家老として仕えていた屋敷もあるので、それらを全体で楽しむという感じが良いかもしれません。

ただ個人的に残念だったのは、何処に行くにも標識等が分かりにくいので少し迷いやすいのと、城門を潜った先の郭内に所狭しと乱雑な感じで五輪塔がありました。室町時代のものが多数ありましたが、元々城郭にあったものではなく、杵築市内の至るところから寄せ集めたようで、個人的には城郭としての雰囲気を壊しているように感じました。

難攻不落の城ですので行ってみる価値はあるのではないかと思います。

2021年05月12日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
深江城[杵築城  周辺城郭]

「日本城郭大系」によると、天正14(1586)年、島津軍が豊後に侵攻して深江城を攻めたようです。城主大神鎮勝は城を脱出して助かりましたが、文録の役に出陣して戦死したとありました。

「大分の中世城館」によると、大神氏の居城で、亀甲城や一戸城という別称もあるようです。

2021年05月12日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
真那井城[杵築城  周辺城郭]

「日本城郭大系」によると、応永20(1413)年5月、城主渡辺長門守が大友氏への謀叛の噂が立って攻められ、深江城に逃げたようです。その後、叛意がないことを深江城主大神親増が弁明して赦されて旧領を回復出来たそうです。

2021年05月07日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
美濃崎台場[杵築城  周辺城郭]

「日本城郭大系」によると、嘉永3年、幕府の海岸防備の命令で設けられた台場の1つのようです。
豊後灘を一望できる所に石垣をめぐらし、3mほどの高さに土壇を築いているとありました。

2021年05月07日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
竹ノ尾城[杵築城  周辺城郭]

「日本城郭大系」によれば、今は雑木林となっているが、北東は断崖、南は大堀をめぐらしていたそうです。
木付氏の祖、親重が築いてその後、能重、貞重、頼重の4代145年間にわたって居城となり、応永元年(1394)に木付城(杵築城)に移ったようです。

2021年05月04日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
台山城[杵築城  周辺城郭]

「日本城郭大系」によると、杵築地方を開いた木付親重(1225-1285)は大友氏第2代親秀の六男で、建長元年将軍に謁して従五位に叙せられ、木田村台山城を創築したとありました。
鷹山の北に高山川(鷹山川)が流れ、東と西は険しい崖で、この台地から南西に次郎丸の丘陵が連なる要害の地だそうです。
高山川に望む北辺には"大石垣"と呼ばれる地があって、今でも石垣が残っており当時の施設の一部として使われた可能性があるようです。

2020年11月04日 たまぴー大宰少弐
杵築城

再建された天守閣ですが、小さくてもなかなかの風情があります。残念なことに石垣とかはどこからどこまでが再建されたものかわかりません。詳しい表示が欲しいです。

2020年08月07日 ハイランダー
杵築城

7月31日から、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、当面の間、臨時休業とのことです。
御城印は杵築観光案内所で売ってます。


2019年05月04日 ブラックホース
杵築城

17時閉館のはずでしたが、17時20分でも門が開いており30分を過ぎても入館ができました。


2018年07月24日 飲んだくれ大和守ジョニィ
杵築城

本丸のトイレは綺麗で、ウォシュレット付きでした。

2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
杵築城

ここはお城であり、近くの海岸はカブトガニが来る場所です。

このお城は遠景から見て、それから敷地に入るのがいいですね。

駐車場はありました。


2017年02月14日 織田上総介晃司
杵築城

私の好きな撮影ポイントは八坂川沿いからの遠望です。風景とマッチして美しい。
天守正面から撮影される方が多いですが、私個人的には入口の戸と木製の看板が観光用模擬天守を思わせてしまうのであまり撮影しようとは思わない。
でも、天守内の展示物は歴史的価値観のあるものが多く、天守からの眺めは素敵です。

武家屋敷とセットで観光してみては…

NTT西日本のCMにも登場してました。

2017年01月09日 右兵衛督本舗游斎
杵築城

島津を退けた名城としての遺構はそこまで見所があるわけではないですが、模擬天守に登ると立地で得した城なんだな、というのが良く分かります。
そしてこの模擬天守を侮るなかれ。先人が紹介されている展示品の他に、甲冑(足軽用、背中は無し)や兜の現物を試着できます。アルミや紙製の甲冑にうんざりしているあなたにはピッタリですよ。

2014年05月01日 にゃにゃーにょ豊後守
杵築城

杵築城は模擬天守なのじゃが杵築のシンボルとなっており、ここから八坂川・守江湾が一望できる眺めは壮観じゃぞ! 駐車場有。

『坂道の城下町』
杵築は南北の高台に武家屋敷、その真ん中の谷間に商家があるため「サンドイッチ型城下町」と云われておるのじゃ。

杵築といえば『酢屋の坂 と 志保屋の坂』なのじゃっ!!
向かい合う対の坂道で、写真などでもよく紹介されておるぞい。
『勘定場の坂』には富士山の形をした踏石があり、石段の上から24段あたりにあることから「西(二四)の富士」と云われておる。探してみるのじゃ!
☆くの字に曲がっておる「飴屋の坂」の下に駐車場・トイレ有。

北台武家屋敷
『大原邸』長屋門をくぐると茅葺屋根の風格ある家老屋敷を堪能できるぞい。
「磯矢邸」「能見邸」「藩校の門」なども見所じゃ。
南台武家屋敷
「中根邸」や「きつき城下町資料館」。武家屋敷ではないが「一松邸」からの眺望などもおすすめなのじゃ。
東には寺町もあるぞい。

武家屋敷通りは土塀の続く町並みが江戸時代の風情を感じさせるのう…♪
杵築は、ゆっくり散策できる穴場の城下町じゃぞ!


2012年05月29日 大膳大夫マイリバ
杵築城

城そのものよりも縁あって展示されているモノが凄いです!
石田三成の兄・正澄の兜、浅井長政の次男・直政の甲冑なんてヨダレものです(^q^)

2012年02月14日 加藤豊後守清正
杵築城

武家屋敷や石畳は当時のまま残されていて、名所にもなっています!少京都とも言われてます。

2011年06月10日 加藤豊後守清正
杵築城

杵築の元になった木付という名字があるみたいです。

杵築城の周辺観光情報

大原邸

松平藩家老を務めた大原家の屋敷。情緒あふれる堂々たる茅葺屋根をはじめ、長屋門から重厚な玄関構え、優雅な回遊式庭園などのこの建物は杵築随一の武家屋敷です。

塩屋(志保屋)の坂

南台武家屋敷と商人の町をつなぐ杵築を代表する坂で、富豪・塩屋長右衛門が、南台の坂下で塩屋を営んでいたことがその由来となっています。

酢屋の坂

北台武家屋敷と商人の町をつなぐ坂で、時代劇やTVドラマでもよく使われるスポット。反対側の塩屋の坂とのコントラストは絶景です。

奈多海水浴場

杵築市の東端に位置する奈多海岸は「日本の白砂青松100選」「日本の快水浴場百選」にも選ばれた美しい海岸。南北2キロにわたる砂浜は東九州随一の海水浴場で、シーズン中は多くの海水浴客でにぎわいます。

きつき城下町資料館

杵築城下の模型や、先人たちの残した貴重な文化財を展示・紹介しています。城下町の歴史や文化をわかりやすく知ることができます。

情報提供:杵築市商工観光課

杵築城の周辺スポット情報

 天守(遺構・復元物)

 武家屋敷-大原邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-中根邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-能見邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-磯矢邸(遺構・復元物)

 藩校の門(遺構・復元物)

 杵築城下町(遺構・復元物)

 南台武家屋敷(遺構・復元物)

 北台武家屋敷(遺構・復元物)

 藩主御殿跡(遺構・復元物)

 台山城(周辺城郭)

 竹ノ尾城(周辺城郭)

 美濃崎台場(周辺城郭)

 生桑城(周辺城郭)

 真那井城(周辺城郭)

 深江城(周辺城郭)

 軒ノ井館(周辺城郭)

 中根邸(寺社・史跡)

 佐野家(寺社・史跡)

 大原邸(寺社・史跡)

 能見邸(寺社・史跡)

 磯矢邸(寺社・史跡)

 一松邸(寺社・史跡)

 杵築城(御城印)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 きつき城下町資料館(関連施設)

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