沓掛城(くつかけじょう)
沓掛城の基本情報
通称・別名
- 田原城
所在地
- 大分県杵築市大田沓掛
旧国名
- 豊後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 田原直平
築城年
- 鎌倉時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 田原氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
佐野鞍懸城(大分県豊後高田市)[8.6km]
吉広城(大分県国東市)[9.9km]
杵築城(大分県杵築市)[12.2km]
高田城(大分県豊後高田市)[12.5km]
真玉城(大分県豊後高田市)[13.1km]
佐田城(大分県宇佐市)[15.7km]
日出城(大分県速見郡)[15.9km]
安岐城(大分県国東市)[16.2km]
富来城(大分県国東市)[17.4km]
岐部城(大分県国東市)[18.3km]
沓掛城の口コミ情報
2022年05月20日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
田原家五重塔[沓掛城 碑・説明板]
国指定重要文化財となっている1339年に建立された田原家五重塔です。沓掛城主田原直平のものとして伝わっているそうです。直ぐ近くに車を停めれるスペースがあります。
2022年03月10日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
蕗政所[沓掛城 周辺城郭]
「大分の中世城館」には、山裾に堀と土塁で【コ】字形に囲まれた区画があり、背後の山には2条の堀切があると紹介されていました。
2021年05月09日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
鉄輪ヶ城[沓掛城 周辺城郭]
「日本城郭大系」によると、天正14(1586)年、島津義久の豊後侵攻の際に落城し、城主吉弘鎮勝、鎮興、鎮方、紹和らの一族は討死したとありました。
一説によると、丹後の田辺家貞が豊後国東に入って築城したそうです。
「大分の中世城館」には、金輪城、越井城としても紹介されていました。
2021年05月04日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
大内城[沓掛城 周辺城郭]
「日本城郭大系」には、田原氏第5代氏能が築いたと伝えられているようです。
城跡は平坦な山上にあり、堀·古井戸·庭園の跡があるそうです。
2018年04月01日 にゃにゃーにょ豊後守
沓掛城
大友氏最初の分家で、強大な勢力を誇った田原氏の本拠地…国東半島。
その半島の真ん中辺り、杵築市大田(旧大田村)を通る県道31号沿いの田原小学校近くにある【田原家五重塔】案内板で曲がり、橋を渡った正面の小山が沓掛城址なのじゃ。
石碑の向かいの登口から真っ直ぐ斜面を登り、【大神宮入口】の手書き板がある木の右方の一段高い場所が主郭じゃ。
どうやら大神宮は、主郭に祀られておる小さな祠のようじゃな。
石垣…と思った箇所があったが、そこは炭窯跡だったらしいのう。
主郭の周囲は土塁、堀、曲輪などが確認できるぞい。
☆田原家五重塔
城址麓の道路を少し北上した所にある、高さ4mほどの石塔じゃ。
延元四年(1339年)に建立された沓掛城主 田原直平の供養塔と伝わる国指定重要文化財なのじゃ。
☆白鬚田原神社
県道31号沿いにある『どぶろく祭り』で有名な神社なのじゃ。
毎年10月17、18日に行われ、どぶろくが振る舞われるぞい。
祭りは、氏子たちが造ったどぶろくを五穀豊穣を願い神様に捧げる神事で、和銅三年(710年)から1300年以上も続いておるのじゃ。