立石陣屋(たていしじんや)

立石陣屋の基本情報

通称・別名

立石城

所在地

大分県杵築市山香町大字立石

旧国名

豊後国

分類・構造

陣屋

天守構造

なし

築城主

木下延由(延次)

築城年

正保3年(1646)

主な改修者

主な城主

木下氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

なし

周辺の城

沓掛城(大分県杵築市)[8.4km]
高田城(大分県豊後高田市)[9.3km]
龍王城(大分県宇佐市)[13.2km]
真玉城(大分県豊後高田市)[13.2km]
日出城(大分県速見郡)[14.1km]
杵築城(大分県杵築市)[16.3km]
時枝城(大分県宇佐市)[17.3km]
吉広城(大分県国東市)[18.3km]
光岡城(大分県宇佐市)[18.8km]
立石城(大分県別府市)[22.0km]

立石陣屋の口コミ情報

2021年05月03日 【〓】遮那王豊前守牛若丸
田染牧城[立石陣屋  周辺城郭]

「日本城郭大系」によると、井戸や掘の跡があるようです。
城は別名馬城城で、城主は田染氏と思われるそうです。

2021年04月20日 【〓】遮那王豊前守牛若丸
烏帽子岳城[立石陣屋  周辺城郭]

(中津市教育委員会発行の城館ガイドブックによると)城郭は急な崖がある南側以外は畝状竪堀で囲まれているそうです。その数も54本あって、大分県内では妙見嶽城(宇佐市光岡城、周辺城郭)と並んで、畝状竪堀の最も発達した城郭だそうです。
「日本城郭体系」には、古荘氏の城跡で、城主の古荘右馬介は天正6年に大友宗麟に従い、日向耳川の合戦で戦死したため、その後は後藤氏の居城になったそうです。

2021年04月07日 堀切凡夫
烏帽子岳城[立石陣屋  周辺城郭]



林道付近に登城路あります。途中で林業関連で昔使われたと思われる小道(途中倒木をくぐります)を通っていくと尾根に出て、南西に行くとすぐに広い主郭です

2014年12月15日 にゃにゃーにょ豊後守
立石陣屋

立石領は、木下家5千石の知行地なのじゃ。
《日出藩3万石から5千石を分知され、旗本交代寄合となる》

日豊本線立石駅の西側、立石郵便局斜め向かいの空地となっておる中学校跡が陣屋跡なのじゃ。
しかし廃校となった「北部中学校跡地」と彫られた立派な石碑はあるのじゃが、立石陣屋の遺構は…なにも無いのう。

☆立石駅から国道を越えた北方に、木下家菩提寺の長流寺があるぞい。
そこには『立石領主墓石群』があり、六代俊昌・七代俊直・九代俊芳・十代俊国らの巨大な墓石が建ち並んでおるのじゃ。


★実は…初代領主・木下延由が、豊臣秀頼の遺児『国松』だったのかもしれぬのじゃッ!

領地を分知する際、日出初代藩主・木下延俊(秀吉の正室北政所の甥)が遺言で四男の延由に1万石を分知するようにと言い残したのじゃ。
が!わずか3万石の小藩が四男へ1万石をも分知するなど当時の常識では考えられぬのじゃ。
しかし日出藩の将来を心配した家老が遺命を破り5千石に変え、のちに切腹…と云う逸話があったのじゃが『豊臣国松』だったのならば、なるほどと云う話じゃ。

さて、どうかのう?


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