日出城(ひじじょう)

日出城の基本情報

通称・別名

暘谷城、青柳城

所在地

大分県速見郡日出町

旧国名

豊後国

分類・構造

平山城

天守構造

複合式層塔型[3重3階/1602年築/破却(廃城令)]

築城主

木下延俊

築城年

慶長7年(1602)

主な改修者

主な城主

木下氏

廃城年

明治7年(1874)

遺構

曲輪、移築櫓、移築門、天守台、石垣、横堀

指定文化財

県指定文化財(日出城隅櫓(鬼門櫓))

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

杵築城(大分県杵築市)[10.4km]
立石城(大分県別府市)[10.9km]
高崎山城(大分県大分市)[12.8km]
立石陣屋(大分県杵築市)[14.1km]
沓掛城(大分県杵築市)[15.9km]
府内城(大分県大分市)[15.9km]
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龍王城(大分県宇佐市)[17.7km]
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日出城の解説文

日出城は、木下延俊を藩祖とする日出藩主木下氏3万石(後に2万5千石)の居城である。別名「暘谷城」とも称され、これは3代藩主俊長が中国の古典『淮南子』或いは『書経』より引用し命名したものという。

歴史
延俊は天正5年(1577)、木下家定の3男に生まれ、細川忠興の妹加賀を正室に迎えており、忠興とは義兄の関係にあたる。家定はもともと平姓杉原氏を称していたが、豊臣秀吉に仕え、また、妹おね(高台院)が秀吉の正室となったことから、豊臣姓木下氏を許されたという。

延俊は父家定とともに秀吉に仕え、天正16年(1588)摂津国駒ヶ林500石、文禄4年(1596)には播磨国内2万5千石を封与された。家定は播磨国姫路2万5千石を与えられ、しばしば大坂城留守居を務めており、延俊は姫路城の城代も務めた。

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦では、忠興の進言にて徳川方に加勢し、関ヶ原に出陣せず姫路城にて西国の兵に備えたといわれ、戦後、石田方残党の小野木縫殿助(重勝)が籠城する丹波福知山城を忠興とともに攻め落とした。その後の延俊の動向は不詳であるが、忠興の論功行賞の上聞を経て、当時忠興の領していた豊後国速見郡内3万石が割譲・封与され、ここに木下氏と日出の関係が始まる。

慶長6年(1601)4月、延俊は家臣中村甚左衛門、山田善右衛門を先発させ、細川氏家臣松井康之より領地を受け取らせ、同年8月に日出への入封を果たした。以後、日出藩主木下氏は、2代藩主俊治の弟延由へ5千石(立石領)が分知されたことで、その所領は2万5千石となるが、江戸時代を通じて転封や改易を受けることなく、16代270年におよび存続する。

慶長6年8月、日出に入封した延俊は、領内藤原村に仮屋敷を構え、日出城の築城に着手した。城の縄張は義兄の忠興自らが行い、石垣は忠興の家臣穴生理右衛門を棟梁に普請が行われた。築城に必要な労力も忠興の命により豊前から動員され、城の北にそびえる鹿鳴越山系の大木がことごとく伐採され木材に用いられた。また、天守は家定の助勢により築かれ、裏門は富来城(現国東市)の扉が転用されたという。こうして翌7年(1602)8月、日出城は概ね築城され、延俊は入城を果たした。

構造
日出城は、南の別府湾に突出する低台地上に築かれた。南端の急崖に本丸を設け、北三方を二ノ丸が囲い、東に三ノ丸、北には更に外郭を配した構造をなす。各郭は堀(内堀・中堀・外堀)により仕切られ、郭境の要所には門が設けられた。

本丸は、藩主御殿を中心に、大手門・搦手門(裏門)・天守・望海楼(久頓櫓)・渡り櫓・月見櫓(金物櫓)・裏門櫓・隅櫓(鬼門櫓)が築かれた。北東隅の城壁は入隅の構造をなし、これは北東の方位が禍を招く鬼門に相当することから、入隅とすることでこれを除ける「鬼門封じ」の性格を強く持つといわれ、ここに築かれた隅櫓(鬼門櫓)も北東の隅を欠いた特異な建築構造を持つ。

本丸南の城壁は、大きく張り出した天守台や望海楼(久頓櫓)櫓台とともに横矢が複雑に掛けられ、後堅固の様相を示す。二ノ丸・三ノ丸には、重臣の屋敷をはじめ、御茶屋、藩校等が設けられ、外郭には家臣や町人の屋敷のほか、城内入口付近に寺社が配された。

遺構
明治4年(1871)の廃藩置県以降、日出藩は廃止、日出城も破却処分となり、天守や櫓等は競売に付せられたが、隅櫓(鬼門櫓)と裏門櫓は取り壊しを免れ移築現存する。本丸跡は明治6年の(1873)暘谷学舎設立以降、学校用地として今日に至る。

現在、本丸跡が『暘谷城趾』として町史跡、『隅櫓(鬼門櫓)』が大分県有形文化財、『日出藩校致道館』が大分県史跡の文化財指定を受ける。

提供:日出町教育委員会文化・スポーツ振興課

日出城の口コミ情報

2021年05月13日 【〓】遮那王豊後守牛若丸
石松館[日出城  周辺城郭]

「日本城郭大系」によると、大友系大神氏の祖の大神朝直は大神庄地頭となり、旧藤原村北之内に居住したが、のちに大神中村に移り館を築いたようです。

2021年05月11日 【〓】遮那王豊後守牛若丸
鹿鳴越城[日出城  周辺城郭]

「日本城郭大系」によると、府内から豊前に通じる要害の地のようです。
天文3(1534)年、大内氏が豊後に侵攻したとき大友軍と激突し、鹿鳴越を経由して府内に進出出来なかった大内軍は、高田浦から引き揚げたみたいです。
また、天正14(1586)年、島津軍に豊後を侵略されている時に、大友義統が龍王城に逃れる際に、ここから合図の烽火をあげたそうです。

2021年05月04日 ドン✙ティファニ豊後守
真獄城[日出城  周辺城郭]

日出町観光協会が発行している「おとなの日出町さんぽ」より
※1部抜粋
鹿鳴越(かなごえ)連山の一角である城山の頂上付近。
別府湾~日出町一帯、晴れた日は四国まで見渡せます。

中世の山城。珍しい荼枳尼天(だきにてん)や地蔵など置かれ、かつては信仰の場所となっていた。

鹿鳴越連山はかつてフランシスコ・ザビエルが大友宗麟公のもとを訪れる際に通ったとされています。

2021年05月04日 【〓】遮那王豊後守牛若丸
真獄城[日出城  周辺城郭]

「日本城郭大系」によれば、標高300mの山上はやや平坦になっており、この辺りが本丸、二ノ丸の跡と伝えられていて、北西には水の湧く所があり石垣の跡らしき箇所も見えるそうです。
大友氏が豊前からの兵に備えるために築城したとありました。

2018年07月20日 織田上総介晃司
日出城

二の丸館(日出町観光協会)に駐車場があります。

日出城址の敷地を日出小学校が占めてますが石垣は見る事ができます。
石垣の上に鐘楼があり時間になると小学生が鐘をつくそうです。
日出城眼下には別府湾が広がってます。

修理復元された隅櫓(鬼門櫓)の内部が公開されて自由に見学できます。
鬼門(北東部)を隅欠した櫓は全国でも珍しく日出城の特徴です。

駐車場のある二の丸館に修理復元された裏門櫓があります。
二の丸館の模擬建造物と思ってる方も多いので注意してください(私も模擬建造物と思ってました。危なかった…)

日出町と言えば「城下かれい」ですが高価なので食べることができません…

2017年01月07日 弾正少弼本舗游斎
日出城

三万石とは思えない重厚な、反りの無い野面積みの高石垣が特徴です。算木積みは場所により完成度の差があるように見えました。
天守台に登るには小学校の校庭を通過しなければいけませんが、大して気にすることはないみたいです。
すぐそばの二の丸館で天守の立面図がもらえます。

2014年05月01日 にゃにゃーにょ豊後守
日出城

日出は、木下家2万5千石の城下町なのじゃっ!
《当初3万石、のち5千石を分知。立石陣屋も参照》

日出(暘谷)城は小藩の城じゃが、その堅固さに驚く事じゃろう。
現在、日出小学校のある本丸の周りを広くて深い空堀が囲っておるからのう。
海に面した南側にある天守台なども見上げるほどの高さじゃぞ。
これら見事な野面積みの技法で構築された石垣は必見なのじゃ!
《穴太衆により築かれたため「穴太積み」と云われておる》
☆目前に広がる別府湾の風景も絶景じゃぞ!

『鬼門櫓』とは全国的にも珍しい北東隅(鬼門の方角)を欠いた櫓なのじゃ。
内部の見学も可能(9:00〜17:00月休・無料)で、日出藩の資料を展示しておるぞい。

城址の前にある観光施設「二の丸館」には駐車場・トイレ・観光案内所・軽食喫茶などがあるので、日出観光の拠点とすると良いのじゃ。
『裏門櫓』が敷地内に移築されておるぞい。
☆暘谷駅から徒歩5分ほどじゃぞ。


★音楽家の『瀧廉太郎』の生家は、ここ日出藩の家老を代々勤めた家柄なのじゃ♪
「荒城の月」のイメージには日出城も含まれていると思うがのう…♪


2012年09月12日 加藤豊後守清正
日出城

初代藩主木下延俊は、関ヶ原の戦功により32万石の大大名になりますが、一説によると朱印状の32万石の『3』をねずみにかじられ2万石になったと言われます。
なんとも皮肉なお話

2011年07月16日 太政大臣M三郎
日出城

『城下ガレイ』で有名だが、城自体は有名とは言えない日出城であり、城巡りの途上、立ち寄る形で訪れました。しかし、一目見て感動。とても気に入りました。現存する本丸は、小学校敷地に改変され、現存建物もありません。しかし、海に突き出す尾根上に選地された本丸は、その根元を大堀切で断ち切り、両岸を反りの無い高石垣で固め、側面にも高石垣を立て、突端部分は石垣と虎口を設置して防御力を高めています。黒褐色の精緻な石垣は、とても美しく雄大で、『木下公…よくやって頂きました』という感じで、私は大好きです


2011年01月24日 加藤豊後守清正
日出城

木下氏は秀吉の側室ねねの甥にあたり、義兄弟であった忠興の助成により築かれたとか。計算高く積まれた高石垣、天守台は実にお見事!眼下に海が広がり、天守が現存していれば眺めは最高だと思います。夏にぴったりです。

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