大友館(おおともやかた)

大友館の基本情報

通称・別名

所在地

大分県大分市顕徳町3

旧国名

豊後国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

大友氏泰

築城年

不明

主な改修者

主な城主

大友氏

廃城年

遺構

(発掘調査:庭園跡、掘立柱建物跡)

指定文化財

国史跡(大友氏遺跡)

再建造物

説明板

周辺の城

上原館(大分県大分市)[0.9km]
府内城(大分県大分市)[1.3km]
津守館(大分県大分市)[2.3km]
賀来館(大分県大分市)[5.8km]
鶴崎城(大分県大分市)[7.0km]

大友館の解説文

大友氏遺跡(おおともしいせき)は、大分県大分市顕徳町一帯にある大友氏館(大友館)跡を中心とする中世の遺跡。2001年8月13日に「大友氏館跡」(おおともしやかたあと)として国の史跡に指定された後、2005年に旧万寿寺跡地区が追加され、「大友氏遺跡」に改められた。

概要
中世に豊後国守護となった大友氏の大友氏泰は、現在の大分市市街地の東部、大分川の河口であった付近(現在の大分市顕徳町)に館を構え、この館を中心とする大友氏の城下町は府内と呼ばれた。中世の府内は東西約0.7km、南北約2.2kmに及び、その中心となる大友氏館は一辺約200mの四辺形で、典型的な守護館であったと推定されている。

最盛期にはほぼ九州一円を支配した大友宗麟はキリスト教を保護し、明との貿易や南蛮貿易を行った。戦国時代の府内は、大友氏の城下町として、また、外国との貿易港として栄え、1557年には日本で初めての西洋式の病院が開設され、1580年にはコレジオ(神学院)が設置されるなど、南蛮文化が花開いた。しかし、フロイスの『日本史』によれば、府内は1586年(天正14年)の島津家久の侵攻の際に焼き討ちに遭い、壊滅したとされる。

1990年代後半から行われている大友氏遺跡の発掘作業では、15世紀から16世紀にかけての庭園遺構や整地層、掘立柱建物跡等が発見され、大型の建物の存在が推定されている。また、周囲からは明との貿易や南蛮貿易によってもたらされた華南や東南アジアの多数の陶磁器や、キリシタンの遺物であるコンタツ(ロザリオ)やメダイ(メダル)が出土している。出土した陶磁器の多くには、炎熱の痕が認められ、大友氏館周辺が焼き払われたことを物語っている。

旧万寿寺跡
万寿寺は、1306年(徳治元年)に大友貞親によって建立された大友氏の菩提寺で、大友氏館の南東(現在の大分市元町)に位置していた。禅宗様の伽藍配置を持ち、門前に五重塔が建立されていたと伝えられている。室町時代には十刹に数えられるなど、高い寺格を持つ寺であった。1586年の島津氏侵攻の際に焼失し、現在の万寿寺は1631年(寛永8年)に北方約500mの金池に移転し、再興されたものである。

旧万寿寺の遺構からは、「紅地金襴手宝相華文碗」(こうじきんらんでほうそうげもんわん、国内初出土)や「褐釉陶器水注」(かつゆうとうきすいちゅう、国内で2例目の出土)といった貴重な陶磁器等が発掘されている。

大友館の口コミ情報

加藤豊後守清正様[2012年09月30日]
大分と言えば、大友宗隣ですがかなり横暴らしく、家臣の言うことを聞かず女好きだったそう。
それを裏付けるように出土品から金を施した赤漆のお椀や、他にも中国やアジアなどの高級な陶器が出てきてます。
それでも、南蛮文化を切り開き大分の歴史を変えたのでそれは、素晴らしいと思います!

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