鷲ケ城(わしがじょう)
鷲ケ城の基本情報
通称・別名
- 鷲ヶ城、鷲が城、野津原城
所在地
- 大分県大分市野津原愛宕
旧国名
- 豊後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 稙田有綱
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 稙田氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅?
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
賀来館(大分県大分市)[6.0km]
津守館(大分県大分市)[9.9km]
高崎山城(大分県大分市)[10.2km]
上原館(大分県大分市)[10.4km]
大友館(大分県大分市)[11.2km]
府内城(大分県大分市)[11.6km]
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鷲ケ城の口コミ情報
2024年12月02日 城社まにゃ美作守?(武蔵)
鷲ケ城
11/21始めはファミマの後ろ入り草摺り摺りしながら行ったらチェーンで塞がれ来た道をUターンできないのでバックで下がり地図と城の位置で給水設備辺り付近と考え山を周り混んだ先曲がれる道が無いので国道近くスーパー駐車場縁から墓地の横を通るコンクリート製の上る道と、その隣の墓地への道を見つけましたが城山について店員さんに尋ねましたらお客さんに少し詳しい人がいて役場まで行き給水場へ上るルートと立入禁止区間の入場許可貰い更に入口の道路まで車に乗せてくれました。
給水場には、鍵の閉まった鉄門が有りますが脇の藪で抜けられ舗装道路を歩いて行くと25分?位で給水場には着きましたが本丸の位置は給水場より先、藪山に入り道っぽい?土嚢?下った処の笹藪が本丸です。位置を地図で確かめると本丸を更に斜めに進むとスーパーの方に降りられそうなので進みました。笹から杉林榊樒を過ぎると尾根状態杉倒木倒竹色々な急傾斜切岸?を竹や木をとストックを支えに下り捲ると地藏?に似た像が草藪の中に有り更に下ると墓地に出、更に下るとコンクリート製の細道に出、無事にスーパーの駐車場に出られ、スーパーで買い物レジの人に先ほどの方に伝言お願いしました。無事に城へ行けましたとか。ヤブ歩きが苦手じゃない人向けの山城です。
1枚目が給水場付近からの眺め。
2枚目が本丸跡笹の高さは70cm位だったろうか長四角的敷地で思ったより広かった。
3枚目は地藏ではなくお坊さん?の像
4枚目は本丸跡直下で跨いたり踏み割ったり潜り抜けたり少し長く続いたかな?少し忘れました。5枚目は本丸跡7枚目も本丸跡か少しだけ下がった穏やかで少し畝った斜面
6枚目は墓地から急勾配で降りた獣道も無い斜面のゲートを振り返り撮りました。
8枚目はコンクリートの道(墓参用)出る前の墓地ですが竪堀の様に視えます。
尚、給水場への入口入るのは一応、役場で許可貰った方が良いと考えます。
正直、下りに使ったルートはヤメたほうが良い
2022年04月09日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
燕鳥嶽城[鷲ケ城 周辺城郭]
くろとだけじょう と読むようです。「日本城郭大系」では玄鳥岳城として紹介されており、権現嶽城の支城で、狭間鎮秀は平松・向井らの諸将を置いたとありました。
2022年04月09日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
櫟木城[鷲ケ城 周辺城郭]
「日本城郭大系」と「大分の中世城館」で、大友氏の家臣田吹氏の居城として紹介されていました。
2021年05月24日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
田附城[鷲ケ城 周辺城郭]
「日本城郭大系」には、大友能直の家臣、安藤左近将監常宗の居城として紹介されていました。
2021年05月13日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
権現嶽城[鷲ケ城 周辺城郭]
「日本城郭大系」によると、芹川の渓流が大きくカーブして、大分川の本流に注ぐ辺りの断崖上に城跡があるとあります。
天正14年、島津軍の一隊は権現岳を囲んだが、芹川の激流に南北を守られ、寄せ手は討たれるばかりだったようです。狭間鎮秀が夜討ちを計画し挟撃したので島津軍はさんざんに打ち破られたので和睦したとありました。