中津城(なかつじょう)
中津城の基本情報
通称・別名
- 扇城、小犬丸城、丸山城
所在地
- 大分県中津市二の丁
旧国名
- 豊前国
分類・構造
- 梯郭式平城
天守構造
- 独立式望楼型[5重5階/1964年築/RC造模擬]
築城主
- 黒田孝高
築城年
- 天正15年(1587)
主な改修者
- 細川忠興
主な城主
- 黒田氏、細川氏、小笠原氏、奥平氏
廃城年
- 明治4年(1871)
遺構
- 曲輪、石垣、横堀(水堀)
指定文化財
- 県史跡(中津城跡)
再建造物
- 模擬天守、二重櫓、塀、石碑、説明板
周辺の城
-
唐原山城(福岡県築上郡)[5.1km]
旭城(福岡県豊前市)[5.5km]
大畑城(大分県中津市)[6.3km]
光岡城(大分県宇佐市)[12.5km]
時枝城(大分県宇佐市)[12.6km]
宇留津城(福岡県築上郡)[14.1km]
白米城(大分県中津市)[15.4km]
長岩城(大分県中津市)[18.1km]
城井谷城(福岡県築上郡)[21.3km]
一ツ戸城(大分県中津市)[23.1km]
日本100名城・続日本100名城スタンプ情報
番号・名称
- (続)191 中津城
設置場所
- 中津城内[地図]
中津城の解説文
中津城の口コミ情報
2024年09月19日 右近将監炒飯餡掛之丞大盛
中津城
中津駅の観光案内所で道順を教えて頂くのが安全かと思われます😃そんなに分かりにくい道順ではありませんが、曲がる角が結構あるので😅残っている遺構はそれほど多くありませんが、見どころは結構あるお城ですね😄
2024年09月02日 まるく
中津城
小さいながら立派なお城でした。400年前も海沿いは今と変わらなかったのかな?っと思いました。また貴重品も沢山展示しており見応えありました。
2024年05月21日 百舌鳥
中津城
黒田官兵衛の建てた城として興味があり、伺いました。第一印象は〝ちっちゃい”。建築物は、細かいところまで、行き届いて、丁寧に作られていると思いました。
すぐ近くに、福沢諭吉記念館もありました。
2024年04月17日 まりん兵部少輔
中津城
中津駅の改札口のそばに観光案内所跡に地図などがあるので貰って行くと便利です。徒歩で15分位で着きます。スタンプは中津城の中にあります。
2024年02月25日 武田参議信清
中津城
場内には黒田官兵衛城印や奥平家グッズが豊富な売店があります。
2023年05月09日 装鉄城大膳大夫乱怒
中津城
中津駅から歩いて15分ほど。街のあちこちに石垣が残り、それを散策するツアーが楽しみです。
2023年02月24日 きむねこ
中津城
中津城のすぐ近くに無料駐車場があるためかなり便利でした。チケットは周辺施設とのセット券を販売してましたが、城メインならば単独券で十分。個人的にはまずはお城の周りを1周し、黒田と細川時代の比較などを石垣を堪能してから登城することをオススメします。
2022年10月21日 伊豆守尚人
中津城
それほど大きさはないわりに見どころは多く何よりとてもよく整備されており感じ入りました。棲みついていたガチョウが9月に天に召されましたとの看板も貼ってあり、地元の方々の愛情の大きさ深さが感じられとてもかんじうしました。
天守はじめ各建物や石垣も十分楽しめました。
2022年07月27日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
おかこい山[中津城 遺構・復元物]
現地の説明板によると、九州の城で惣構の土塁が残っている箇所は現在(2014年版)のところ確認されていないそうです。
「中津市の中近世城館」によると、土塁内部は土と石の層が互層に堆積している様子が窺え、人為的につき固められたと考えられる土質の固い箇所を内包していたとありました。
この箇所の土塁が他地点のものより規模が大きい理由は、南西方向からの侵入防止や、川に近い位置関係から洪水対策などを目的としたものと考えられるそうです。
また構築された時期としては、戦時を強く想定した可能性が高く、黒田期か細川期に存在したことは間違いないと考えられているみたいです。
それで上記の点を考えると、構築されたのは黒田期ではないかと個人的には思いました。黒田氏が豊前に転封された時は、国人衆の多くから歓迎されておらず、反乱も多かったので、そうしたものを警戒しつつ中津城を築城しなければならなかったと思うので、おかこい山を構築して防備を固めつつ城を築いたのではと思いを馳せることが出来ました。
現在の中津城は本丸が城として整備されていますが、このおかこい山を見学すると本来の城跡の広さを実感出来ます。近くには空地もあるのでそこに少しの時間駐車して見学出来ました。
2022年07月20日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
小畑城[中津城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」には、小畑氏代々の居城で、保延のころ、小畑宗重、天正のころには小畑甚兵衛が居城し、野仲氏に属したとありました。
2022年07月20日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
沼田城[中津城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、保延のころ、宮永佐兵佐衛義成が居城していたようで、天正7(1579)年2月、城主宮永大膳烝に至って野仲勢に亡ぼされたとありました。
2022年07月20日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
蠣瀬館[中津城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、蠣瀬城として紹介されており、建武の頃(1334-38)、蠣瀬又次郎入道が官軍に従い、玖珠の凶徒を討ったとあるそうです。大内氏支配下の天文7(1538)年、蠣瀬対馬守は大家郷司に任じられたとありました。
2022年07月16日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
石神城[中津城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」には、天正の頃(1573-92)、小畑甚兵衛が居城したとあり、小畑甚兵衛は黒田軍に加わり池永城攻めで一番乗りをしたと伝えられるとありました。
2022年06月05日 千葉相模守早雲
中津城
駐車場は薬研堀を挟んで天守の目の前。いきなりメインディッシュのお出まし😆不意打ちをくらい、心構えが出来ていないッ😅これも官兵衛の謀か?😆という訳で写真も天守が中心。
本丸、二の丸、三の丸は三角形を呈し、中津川が斜辺、水堀が残る二辺を成す。城下を囲む総構の城だったそうです。
1.本丸から見た天守。
2.五重天守と二重櫓。
3.薬研堀越しに見た天守。
4.椎ノ木御門の一部が残っています。扇型にカーブを描く石垣だったようです。
5.本丸南面の水堀。
2022年05月21日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
福永城[中津城 周辺城郭]
「大分中世城館」によると、湯屋弾正少弼基信の居城と紹介していました。「日本城郭大系」では、瑞泉寺の地域が城跡と伝え、裏門・前堀・前垣などの地名があること、また湯屋屋敷というのは福永城・福成城・福光城の三城と古記録にあるので、支城として福成城・福光城があったものと思われるとありました。
2022年05月07日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
土屋敷遺跡[中津城 周辺城郭]
「中津市の中近世城館」によると、城主は逢間氏で発掘調査で堀が検出されたとありました。
現地にある説明板ではその堀は中世のもので大規模なものだったことが記されていました。
近世には庄屋屋敷があり、かつてはその門や中津藩主が鷹狩の際に立ち寄る「お成りの茶屋」という築庭があり屋敷跡の井戸が敷地内で見ることができると「中津市の中近世城館」で説明されています。
現在は如水コミュニティーセンターとして整備されているのでその面影はほとんどありません。
ちなみに黒田官兵衛が石垣原の戦い等に向けて軍勢を揃えて出陣した如水原としても知られている地です。
駐車場に困ることはありません。
2022年05月07日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
如水原[中津城 碑・説明板]
九州の関ヶ原とも称される石垣原の戦い等へ出陣する際に、この如水原で軍勢を揃えたと説明板にもありました。
ちなみにこの地は土屋敷遺跡ともなっていて、中世の屋敷の大規模な堀跡と考えられる遺構が発掘された場所でもあります。
黒田官兵衛はこの地に床机を置いて腰かけて命令を出したという記述が黒田家譜にあるらしく、当時は遺構が残っていて陣城のような役割を担えていたのかもしれません。
現在は如水コミュニティーセンターとして整備されているので遺構はよく分かりませんが、駐車場は広いのでその点は心配いりません。
2022年04月28日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
一ッ松城[中津城 周辺城郭]
「大分の中世城館」によると、薬丸河内守重正と一ツ松六郎兵衛清氏の2人が城主として挙げられていましたが、時期についての記載はなく、城名から考えると一ツ松氏の城で、薬丸河内守はその家臣としての城番、または他勢力による統治下の城代だったのかもしれません。
2022年04月25日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
宮永城[中津城 周辺城郭]
「日本城郭大系」によると、貴船神社の東にあり、この地を古くは沼田と呼ばれていたそうです。宮永佐兵衛尉義成の居城で、天正の頃は宮永大膳丞が居城としていて、長岩城主野仲氏に滅ぼされたとありました。
2022年04月12日 尼崎城駿河守一口城主
中津城
口コミが遅くなりましたが4月2日に中津駅から歩いて登城してきました。駅を出るとすぐに福沢諭吉翁がお出迎えしてくれました。お城までの道中、大手門跡の石垣に遭遇しました。在りし日の中津城の広大さを体感しました。石垣に守られて勉学に励む小学生達を羨ましく思ってしまいました🏫
中津城に登城するのは、大河ドラマ軍師官兵衛の年以来でした。当時は続100名城が出る前でしたが今回スタンプ帳に押印してきました。
登城する際、タイミング良くボランティアガイドさんに出会い城内を説明して頂きました。中津城最後のお殿様が長篠の戦いにゆかりのある奥平家ということで長篠の戦いの絵屏風が展示してありました。絵屏風をよく見ていると家紋から名だたる戦国武将を発見でき楽しかったです。
また、なぜ県境に築城したか質問したところ昔は今の北九州から宇佐にかけてが豊前の国だったということです。中津城がほぼ豊前の国の中心であったから中津城に築城したとのことで勉強になりました。
翌朝、中津を発つ際、駅のホームからよく見ると日本一長い鱧のイスの写真左側からお城の上部の屋根を発見出来ました✌️
2022年03月15日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
法華寺城[中津城 周辺城郭]
「日本城郭大系」には、福岡県田川郡の岩石城主高橋長幸の幕下小城源六兵衛重道の居城とありました。
『豊前古城記』には、「小城氏代々居城、本姓臼杵也」とあるようで、天正7(1579)年、長岩城主野仲鎮兼は坂手隈城を攻略して、小城氏の法華寺城に迫ったようですが、城主小城定久はこれをよく防いだので野仲軍は退却したそうです。
城跡は「台」といい、馬場口・馬場野・大門などの地名が残っているようです。
2021年12月29日 直江山城守優介
中津城
すぐ隣に中津川があり、ここから掘りに海水が引き込まれていたことを想像すると、なるほど水城なのかという気がしました。黒田時代と細川時代の石垣が駐車場のすぐそばにあり、目を引きます。天守(資料館)内に黒田官兵衛の兜レプリカがあり、家族はかぶって喜んでいました。
2021年10月29日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
中津城西門跡[中津城 遺構・復元物]
矢穴がある割石を多く利用した立派な石垣が残っていた西門跡でした。石垣がお好きな方ならぜひご覧ください。
駐車スペースはありませんので、中津城に停めて歩いて行くのが無難です。
そして説明板を良く見ると以前に書いてたものを消して転用しているのが分かります。唐原山城の石垣を転用した中津城のことを思うとこれも粋です。
2021年10月22日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
広津城[中津城 周辺城郭]
城跡は天仲寺公園として整備されています。
駐車場は分かりづらかったのでなんとなく登って写真であげた全体マップの現在地付近に停めました。
城跡には小笠原長次等の墓があったり、天仲寺古墳というのもありました。これは九州最古の円墳と説明板にあったと記憶しています。小笠原長次の墓から古墳に行けるという標識もあったので行って見たかったのですが、整備が行き届いてなく、今回は断念しました。ただ下からも登れる道があり、そこから行けたかもしれません。
城としては周囲には空堀らしきものや切岸があり曲輪も見受けられました。写真であげたところが本丸で、小笠原長次の墓があるところが二の丸ではないかと思いますが、土地の改変もあったことが天仲寺古墳の説明板にあったので、定かではありません。
二の丸と思われる箇所は眺めもよく、中津城も見えました。
城域全体にある木々の感じから夏場は虫除けは必須だと感じました。
2021年10月22日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
小笠原長次の墓[中津城 碑・説明板]
広津城に登城した時に偶然見つけました。綺麗に整備されていました。
2021年09月09日 [隠岐守]たびたび
駐車場[中津城 駐車場]
ここは第3駐車場。ここから勘兵衛時代の石垣と細川時代の石垣が見れます。さらによいことに、川に出られます。さらに、すぐの土手に、中津城のビューボイントがあります。
(中津城訪問の際は、ここ、第三駐車場がいいと思います。)
2021年07月28日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
鴻の巣城[中津城 周辺城郭]
「大分の中世城館」には、名和伯耆入道寂心(刑部丞)が居城としていたとありました。
現在は曲輪を利用したと思われるテレビ中継基地局があります。堀や土塁等は確認出来ませんでしたが高台に立地しているので、一部切岸が少し残っているかもしれません。
また、高台にあるので見晴らしも良く、特に北西の中津城方面の動きは分かりやすいのではないかと感じました。
ただ、東側は高低差がなく守りにくい縄張りだと感じましたが、その方面には土屋敷遺跡があるので、ひょっとしたらそれが出丸のような役目を果たしていた可能性があります。
駐車場はありません。
2021年07月28日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
中臣城[中津城 周辺城郭]
「大分の中世城館」には、城名にあるように中臣氏が居城としていたようです。
2021年07月10日 ( *¯ ³¯)っ旦
中津城
遺構としては小さいですけど
黒田官兵衛時代の石垣も残っていますし、
石垣には刻印もあり、
私的には駅から近いので、これだけで十分に楽しめました。
2021年06月17日 戸次豊前守紹運亮幸盛
宇賀貴船神社[中津城 寺社・史跡]
豊前の国人・宇都宮鎮房の娘である鶴姫と侍女13人が黒田官兵衛によって磔にされ、鶴姫らの霊を祀ったとされている神社です。
吉富郵便局から200mほど海側に歩いた所に幟があるので、その幟を右に入った所です。
すぐ北側に広い駐車場みたいなところがありますが、神社専用の駐車場ではないみたいです。
山国川の河川敷か中津城の駐車場に停めて行かれるのがいいかと思います。
中津城から歩いても20分くらいだったと思います。
2021年05月26日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
池永城[中津城 周辺城郭]
鬱蒼とした林の中に佇む感じでした。
説明板がある小路を奥に進むと車1台ぐらいは停めれるスペースがあります。その奥にある空き地は駐車可能かは分かりません。
あまり整備されているようには感じませんでしたが、曲輪・土塁・切岸・水堀等は残っています。主郭があったと思われる所は現在神社となっています。
城跡として紹介されている所は小さいですが、少し離れた所にも土塁のように見えるものがあるので当時はそれなりの大きさだったのかもしれません。
2021年04月26日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
広津城[中津城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」には、本丸、二ノ丸等の跡が歴然として残っているそうです。
天慶5(942)年6月、藤原純友が筑紫において叛乱を起こした時、その征伐のため源経基が要害の地として築城し、その臣、源蔵人行家に守らせたとありました。
天正15(1587)年、黒田官兵衛が中津城に入城すると、城主広津鎮次はその旗下に馳せ参じて開城したそうです。
広津城を破却した時に大手門を中津城の西門にしたとの記述があるようです。
2021年04月23日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
末広城[中津城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、正行寺の境域一帯が城跡となっているそうです。
築城者は末広正行とされているそうです。
「日本城郭大系」では、永添の正行寺の境域一帯が城跡で、堀の一部が残存しているとありました。
天正7(1579)年、長岩城主野仲鎮兼は下毛郡の兵を率いて坂手隈城を攻略し、次に末広城を囲んだため、城主末広対馬守正行は野仲氏に降り開城したそうです。
正行は剃髪し名を妙玄、その子四郎も妙秀と改めたと紹介していました。
2021年04月23日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
池永城[中津城 周辺城郭]
(中津市教育委員会発行の城館ガイドブックによると)小字「城屋敷」内には長さ80m、基底部幅10m、高さ3.5mの土塁が残っているそうです。
また「豊前国戦国事典」によると、天正16(1588)年、黒田軍がこの城を攻めるため寒江堂を本陣として野村、栗山の両将が吹上坂より、また、井上、後藤の両将が金丸から攻め、城主池永左馬頭重則は奮戦したが敗れて自刃して落城したとのことです。
2021年04月10日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
武家屋敷跡[中津城 寺社・史跡]
屋敷は取り壊されていますが、この屋敷の間取りを石などで再現しています。
2021年04月10日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
合元寺[中津城 寺社・史跡]
大河ドラマの「軍師 官兵衛」でも描かれた黒田家の黒歴史の舞台となった場所の1つです。
合元寺(ごうがんじ)は1587年(天正15)、黒田官兵衛孝高によって建立されました。
深紅に塗られた壁があるため、別名・赤壁寺とよばれています。(三国志の赤壁の戦いを連想される方もおられるかもしれません)
豊臣秀吉の時代、豊前の城井谷を拠点としていた宇都宮鎮房(しげふさ)を騙し討ちにし、この寺を宿舎にしていた家臣たちも全員討ち死しました。その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き出るため、ついに赤壁に塗り替えたと言い伝えられています。当時の激戦の様子は現在も境内の大黒柱に刀の痕が点々と残されているそうです。
2020年12月29日 さすらいの征夷大将軍慶誾尼☆寧
中津城
続百名城スタンプ設置場所は模擬天守受付を入り、売店のカウンター上においてあります。
料金 大人(高校生以上):400円
子供:200円
営業時間 9:00~17:00
休館日 年中無休
尚、黒田官兵衛資料館はコロナの影響で閉館中です近くには、福沢諭吉旧居もあります合わせて観覧されてはいかがでしょうか…
★中津唐揚げが有名ですよね♪
お昼ご飯はテイクアウトし無料駐車場の車の中で黒田時代と細川時代の石垣を眺めながら食べました〜
2020年09月16日 がむがむ37
蛎瀬口[中津城 遺構・復元物]
単なる小川に見えますが中津城の外堀だったそうです。その名残です。
2020年09月11日 大一大万宮爺
中津城
中津城、電車で行くなら中津駅観光案内所のレンタサイクルをお勧めします。
2019年05月04日 小豆_釆女正
駐車場[中津城 駐車場]
第1〜第3駐車場があり、全て無料です。
第3駐車場からの天守が眺めがよくおススメ。石垣も近くで見学できます。
2019年05月04日 小豆_釆女正
中津城
綺麗なお城です
天守は400円で見学可能、展示物は奥平家のものが多かったです。
黒田家の資料は、敷地内の黒田官兵衛資料館で見学できます。
2018年09月21日 じょーうん隠岐守
中津城
中津城模擬天守の中の売店にて、中津城登城符が300円で販売してます。登城符は御城印とほぼ変わりがありませんので、御城印集められてる方は、ご購入をおすすめ致します。
2018年07月22日 織田上総介晃司
中津城
中津城天守は奥平家の子孫が建てたもので(現在は他者に売却)外観は萩城天守をモデルに黒板張りになっている。
中津市は唐揚げの街で、至るところに唐揚げ屋があります。
唐揚げ、チキン南蛮、とり天といい大分・宮崎は鶏肉好きには天国ですが鶏には地獄だろうなぁ…
2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
中津城
私は車で行きました。
駐車場は天守閣裏側のお堀の外と、正面の神社鳥居をくぐりある広場にあります。
天守閣は夕方四時か五時までしか館内に入れませんが、敷地は何時でも入れるから明け方から日没迄観光は出来ます。
中津はから揚げがおいしいです。
飲み屋や定食屋さんでも、個人の持ち帰り店でもおいしいです。
2015年05月22日 コロ助
中津城
中津駅から徒歩20分程で到着。
三斎池近くに置いてある『中津城攻略マップ』が写真が多くて分かり易いです。家康の長女・亀姫が嫁いだことからか良縁成就守りが売られているのですが、販売ポスターに亀姫の絵姿と『祈 逆玉』という素敵なキャッチコピーが書かれていて、思わず笑ってしまいました。
地元のおばさまに、ステンドグラスがオススメと聞いて寄った中津カトリック教会。予想以上に素敵でした。ステンドグラスの図柄の中に、中津城と思われる天守が描かれていました。
水門跡の目の前にある汐湯(\350)は、塩水のお風呂があります。堀に海水が引き込まれている中津城を思いながら、塩水のお風呂につかるのはとても気持ち良かったです。
2014年08月24日 治部少輔teru
中津城
資料館良かった!
まさかの鳥居強右衛門の資料が拝見出来るとは!!
記念のスタンプも強右衛門とは…やってくれるわ♪
2014年04月23日 にゃにゃーにょ豊後守
中津城
黒田官兵衛(如水)が築城した城で、日本三大海城のひとつなのじゃ。
ところでの…
官兵衛関連の史跡で、寺町に赤い壁の『合元寺(ごうがんじ)』と云う寺があるのじゃが、なぜ壁が赤いのか?それはのう…
黒田氏と敵対した宇都宮(城井)鎮房をおびき寄せ中津城内で殺害し、それを知った鎮房の家臣が立て籠り全滅させられたのじゃ…。
その時白壁に飛び散った血しぶきの跡がいくら壁を塗り替えても浮かんでくるため、仕方なく壁を赤く塗ったと云う事で壁が赤いのじゃが…
現在の壁の赤色は…ペンキだったのじゃっ!!
Σ(゚□゚)な…なんじゃとーっ!!
しかし寺はこぢんまりしておるが、雰囲気があるのう。
境内の大黒柱に刀の痕が残っておるし、討たれた宇都宮の家臣は合葬し延命地蔵菩薩堂に祀っておるのじゃ。(-人-)
中津城に来た時に、ちょっと寄ってみてはどうかのう?
お願い地蔵に願ってみるのじゃ。
☆その後、騙し討ちを悔いた黒田氏は、中津城内に城井神社を創建し霊を祀ったのじゃ。(移封後も福岡城内にて祀る)
2012年12月16日
中津城
格好いいです!黒塗りで堀の外から見上げた感じが本当に格好いい!
駐車場は無料です。
2012年09月13日 加藤豊後守清正
中津城
日本三大水城の一つ。堀の外を歩くことも出来、三重櫓跡と鉄門跡を見ることが出来ます。
2012年04月12日 加藤豊後守清正
中津城
細川氏の石垣は、石が小さく黒田氏の石垣は大きく、どっしりとしてます。2つの違いから、細川氏は細かく器用な性格のようです。その証拠に、甲冑を得意とし他の大名から甲冑を依頼される程です。この2つの違い是非、見てみては?
2011年08月21日 摂政M三郎
中津城
中津城は、山国川(現在は支流中津川)に面し、黒田如水が築城、細川忠興が完成させた水城です。今も両時代の石垣が残り対比が楽しめます。また、本丸東側に沿って、五重五階の模擬天守、二重櫓、城壁が設置されています。天守は、東工大の博士の設計による本格的なもので、この地を1717年以降、治めた奥平氏の子孫の方が中心となり民間で成し遂げたのだそうです。熱意に脱帽です。南面の石垣・堀も復元されており、このようにお城が大切に扱われることは、城好きにとって嬉しいことです。天守で『諸候格式表』が入手できます
2010年10月04日 tomm加賀守
中津城
売却問題ですが、どうやら埼玉の福祉関連会社が建物のみ購入で決着したみたいですね。
敷地はそのままで、展示物は有償貸出になったとか。。。
中津城の周辺スポット情報
おかこい山(遺構・復元物)
蛎瀬口(遺構・復元物)
石垣(遺構・復元物)
雄熊山烽火台(遺構・復元物)
中津城西門跡(遺構・復元物)
水門跡(遺構・復元物)
鉄門跡(遺構・復元物)
椎ノ木門跡(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
二の丸(遺構・復元物)
三の丸(遺構・復元物)
大鞁櫓(遺構・復元物)
三層櫓跡(遺構・復元物)
生田門(遺構・復元物)
黒御門跡(遺構・復元物)
東側の石垣(遺構・復元物)
御用屋敷跡(遺構・復元物)
金谷口(遺構・復元物)
薬研堀(遺構・復元物)
小笠原長次の墓(碑・説明板)
如水原(碑・説明板)
獨立自尊の碑(独立自尊の碑)(碑・説明板)
中津城旧地図(碑・説明板)
池永城(周辺城郭)
末広城(周辺城郭)
広津城(周辺城郭)
鴻の巣城(周辺城郭)
中臣城(周辺城郭)
法華寺城(周辺城郭)
蠣瀬館(周辺城郭)
宮永城(周辺城郭)
沼田城(周辺城郭)
乙名屋敷群(周辺城郭)
石堂池遺跡(周辺城郭)
土屋敷遺跡(周辺城郭)
是則切寄(周辺城郭)
是則西ノ畑屋敷群(周辺城郭)
一ッ松城(周辺城郭)
定留遺跡八反ガソウ地区(周辺城郭)
定留遺跡赤松地区(周辺城郭)
福永城(周辺城郭)
市場遺跡(周辺城郭)
諏訪城(周辺城郭)
中尾屋敷群(周辺城郭)
上池永矢筈遺跡(周辺城郭)
中原屋敷群(周辺城郭)
中原遺跡(周辺城郭)
上如水屋敷群(周辺城郭)
小畑城(周辺城郭)
石神城(周辺城郭)
宇賀貴船神社(寺社・史跡)
合元寺(寺社・史跡)
武家屋敷跡(寺社・史跡)
城井神社(寺社・史跡)
奥平神社(寺社・史跡)
中津大神宮(寺社・史跡)
自性寺(寺社・史跡)
寺町(寺社・史跡)
黒田官兵衛資料館(御城印)
中津城内(スタンプ)
多機能トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
中津市歴史博物館(関連施設)
模擬天守(関連施設)
二の丸公園(関連施設)
中津城公園(関連施設)
中津市歴史民俗資料館(関連施設)
歴史
構築時期は天正16年(1588)。天正15年、豊臣秀吉による九州攻めの論功行賞により、重臣の黒田官兵衛が豊前国の6郡を与えられる。翌、天正16年、黒田官兵衛は中津城の築城に着手。慶長5年(1600)の筑前転封に伴い同地を去る。替わりに細川氏が入部。その後、幕末までに小笠原氏、奥平氏と城主が代わり廃藩置県を迎える。
遺構の残存状況
黒田期の石垣は、本丸南西部、西側の山国川沿い、本丸北側に見ることができる。その特徴は自然石を巧みに利用したもので、隅角部は算木積みが未発達である。また、川沿いの石垣は唐原古代山城の石材を転用しており、興味深い。本丸北側の石垣は向かって右側が黒田氏、左側が細川氏の構築と伝わる。細川期は、本丸南西部の黒田期の石垣に1.2m積み増し石垣を上部へ拡張する。細川忠興の隠居名:三斎を冠した池もある。また時期不明ながら城内側へ土塁を拡張していく様子を露出展示している。