中津城(なかつじょう)

中津城の基本情報

通称・別名

扇城、小犬丸城、丸山城

所在地

大分県中津市二の丁

旧国名

豊前国

分類・構造

梯郭式平城

天守構造

独立式望楼型[5重5階/1964年築/RC造模擬]

築城主

黒田孝高

築城年

天正15年(1587)

主な改修者

細川忠興

主な城主

黒田氏、細川氏、小笠原氏、奥平氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、横堀(水堀)

指定文化財

県史跡(中津城跡)

再建造物

模擬天守、二重櫓、塀、説明板

周辺の城

唐原山城(福岡県築上郡)[5.1km]
旭城(福岡県豊前市)[5.5km]
大畑城(大分県中津市)[6.3km]
光岡城(大分県宇佐市)[12.5km]
時枝城(大分県宇佐市)[12.6km]

中津城の解説文

中津城(なかつじょう)/中津川城(なかつがわ(の)じょう)は、豊前国中津(現在の大分県中津市二ノ丁)にあった日本の城。黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させた。江戸時代の大半は、奥平氏が居城としていた(中津藩も参照)。

構造
周防灘(豊前海)に臨む中津川(山国川の派川)河口の地に築城された梯郭式の平城である。堀には海水が引き込まれているため、水城(海城)ともされ、今治城高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられる。本丸を中心として、北に二の丸、南に三ノ丸があり、全体ではほぼ直角三角形をなしていたため扇形に例えて「扇城(せんじょう)」とも呼ばれていた。櫓の棟数は22基、門は8棟。総構には、6箇所の虎口が開けられた。

中津城は、冬至の日には、朝日は宇佐神宮の方角から上り、夕日は英彦山の方角に落ちる場所に築城されている。また、吉富町にある八幡古表神社と薦神社とを結ぶ直線上に位置する。鬼門である北東には、闇無浜神社(くらなしはま)がある。

天守
天守の存在については不明である。江戸時代の絵図には天守は描かれていない一方、黒田孝高(如水)の手紙には「天守に銭を積んで蓄えた」とあり、天守の存在をうかがわせる記録もある。江戸時代後期の「中津城下図」には、中津川沿岸の本丸鉄門脇に三重櫓が描かれているのみである。

堀・石垣
中津城に残る黒田孝高(如水)が普請した石垣は、天正16年(1588年)に普請された現存する近世城郭の石垣としては九州最古のものである。本丸上段北面石垣(模擬天守北面下)は、黒田氏の石垣に細川氏が石垣を継いだ境が見られる。また、本丸南の堀と石垣は、中津市によって修復、復元されている。ここにも黒田・細川時代の石垣改修の跡を見ることができる。

城下町
扇状の旧城下町には、今でも築城した黒田官兵衛に因んだ「姫路町」や「京町」等の町名が残る。

歴史
天正15年(1587年) - 黒田孝高(如水)が、豊臣秀吉より豊前国6郡12万3000石(一説には16万石・その後の検地で18万石となる)を与えられる。当初、馬ヶ岳城に入城した。
天正16年(1588年) - 黒田孝高(如水)は、領地の中心である山国川河口に中津城の築城を始めた。
同年-熊本の一揆征伐で黒田孝高(如水)が中津城を留守の間に、嫡男の長政は、敵対していた城井鎮房(宇都宮鎮房)を中津城内に引き入れて、惨殺する。城内には、城井鎮房を祀った城井神社がある。
慶長5年(1600年) - 黒田家は関ヶ原の戦い時に、徳川方につき、中津城から西軍の所領を攻めた。長政の戦功により筑前52万石に加増、名島城に転封となり築城が中断される。...

中津城の口コミ情報

五瓜ニ唐花紋内大臣や〜きみ様[2017年05月08日]
私は車で行きました。
駐車場は天守閣裏側のお堀の外と、正面の神社鳥居をくぐりある広場にあります。
天守閣は夕方四時か五時までしか館内に入れませんが、敷地は何時でも入れるから明け方から日没迄観光は出来ます。

中津はから揚げがおいしいです。
飲み屋や定食屋さんでも、個人の持ち帰り店でもおいしいです。

織田左兵衛督晃司1202晴天様[2017年02月14日]
中津城天守は奥平家の子孫が建てたもので(現在は他者に売却)外観は萩城天守をモデルに黒板張りになっている。

コロ助様[2015年05月22日]
中津駅から徒歩20分程で到着。

三斎池近くに置いてある『中津城攻略マップ』が写真が多くて分かり易いです。家康の長女・亀姫が嫁いだことからか良縁成就守りが売られているのですが、販売ポスターに亀姫の絵姿と『祈 逆玉』という素敵なキャッチコピーが書かれていて、思わず笑ってしまいました。

地元のおばさまに、ステンドグラスがオススメと聞いて寄った中津カトリック教会。予想以上に素敵でした。ステンドグラスの図柄の中に、中津城と思われる天守が描かれていました。

水門跡の目の前にある汐湯(\350)は、塩水のお風呂があります。堀に海水が引き込まれている中津城を思いながら、塩水のお風呂につかるのはとても気持ち良かったです。

治部少輔teru様[2014年08月24日]
資料館良かった!
まさかの鳥居強右衛門の資料が拝見出来るとは!!
記念のスタンプも強右衛門とは…やってくれるわ♪

にゃにゃーにょ豊後守様[2014年04月23日]
黒田官兵衛(如水)が築城した城で、日本三大海城のひとつなのじゃ。

ところでの…
官兵衛関連の史跡で、寺町に赤い壁の『合元寺(ごうがんじ)』と云う寺があるのじゃが、なぜ壁が赤いのか?それはのう…
黒田氏と敵対した宇都宮(城井)鎮房をおびき寄せ中津城内で殺害し、それを知った鎮房の家臣が立て籠り全滅させられたのじゃ…。
その時白壁に飛び散った血しぶきの跡がいくら壁を塗り替えても浮かんでくるため、仕方なく壁を赤く塗ったと云う事で壁が赤いのじゃが…
現在の壁の赤色は…ペンキだったのじゃっ!!
Σ(゚□゚)な…なんじゃとーっ!!

しかし寺はこぢんまりしておるが、雰囲気があるのう。
境内の大黒柱に刀の痕が残っておるし、討たれた宇都宮の家臣は合葬し延命地蔵菩薩堂に祀っておるのじゃ。(-人-)
中津城に来た時に、ちょっと寄ってみてはどうかのう?
お願い地蔵に願ってみるのじゃ。


☆その後、騙し討ちを悔いた黒田氏は、中津城内に城井神社を創建し霊を祀ったのじゃ。(移封後も福岡城内にて祀る)

ぷわ様[2012年12月16日]
格好いいです!黒塗りで堀の外から見上げた感じが本当に格好いい!
駐車場は無料です。

加藤豊後守清正様[2012年09月13日]
日本三大水城の一つ。堀の外を歩くことも出来、三重櫓跡と鉄門跡を見ることが出来ます。

加藤豊後守清正様[2012年04月12日]
細川氏の石垣は、石が小さく黒田氏の石垣は大きく、どっしりとしてます。2つの違いから、細川氏は細かく器用な性格のようです。その証拠に、甲冑を得意とし他の大名から甲冑を依頼される程です。この2つの違い是非、見てみては?

中納言M三郎様[2011年08月21日]
中津城は、山国川(現在は支流中津川)に面し、黒田如水が築城、細川忠興が完成させた水城です。今も両時代の石垣が残り対比が楽しめます。また、本丸東側に沿って、五重五階の模擬天守、二重櫓、城壁が設置されています。天守は、東工大の博士の設計による本格的なもので、この地を1717年以降、治めた奥平氏の子孫の方が中心となり民間で成し遂げたのだそうです。熱意に脱帽です。南面の石垣・堀も復元されており、このようにお城が大切に扱われることは、城好きにとって嬉しいことです。天守で『諸候格式表』が入手できます

tomm加賀守様[2010年10月04日]
売却問題ですが、どうやら埼玉の福祉関連会社が建物のみ購入で決着したみたいですね。
敷地はそのままで、展示物は有償貸出になったとか。。。

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