宇留津城(うるつじょう)
宇留津城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 福岡県築上郡築上町大字宇留津(地図は石碑の場所を示す)
旧国名
- 豊前国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 緒方惟栄
築城年
- 元暦年間(1184〜1185)
主な改修者
- -
主な城主
- 緒方惟栄、加来氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
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馬ヶ岳城(福岡県行橋市)[10.3km]
旭城(福岡県豊前市)[10.6km]
御所ヶ谷神籠石(福岡県行橋市)[11.7km]
中津城(大分県中津市)[14.1km]
唐原山城(福岡県築上郡)[15.3km]
豊前松山城(福岡県京都郡)[16.2km]
障子ヶ岳城(福岡県京都郡)[17.0km]
城井谷城(福岡県築上郡)[17.7km]
大畑城(大分県中津市)[19.5km]
長岩城(大分県中津市)[19.9km]
宇留津城の口コミ情報
2024年08月24日 星穏
野ノ仲城[宇留津城 周辺城郭]
野ノ仲城は宇留津城から北西に2kmの所に位置します。応永年間には八田氏が、天正年間には宇留津城城主であった加来氏の家臣、一万田左近が居城していました。
天正十四年(1586)、豊臣秀吉の九州平定の際に黒田官兵衛らの攻撃を受けて宇留津城とともに落城したとされています。
現在遺構は残っていませんが、大正時代まで外濠や土塁跡が残っていたようです。周辺には、土居ノ内、矢倉下、上小路など城跡に関係する地名が残り、野ノ仲城があったと推定されています。
八田の若武将と竜神姫との恋の伝説があり、ひっそりと龍神社が祀られていました。
2022年04月23日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
参勤交代お休み場[宇留津城 碑・説明板]
偶然見つけました。小倉から中津を経由して宇佐神宮へと続く中津街道で、この場所にお茶屋が並んでいて道中の休憩所として賑わっていたようです。
駐車場はありませんが、離合するためか少し広くスペースをとっている所にあるので交通の邪魔にならないように配慮して見学出来ます。
2022年04月23日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
宇留津城
現在城址は須佐神社となっていて、残念ながら遺構も消滅してしまっています。
堀の名残などもあるかもしれないと思いつつ周囲を散策しましたが、官兵衛が苦戦したとは思えない長閑な感じでした。しかし、城址の周囲には田んぼが広がっているので、当時から湿地として難攻な城だったことを匂わせてくれます。
須佐神社の駐車場に停めることが出来ます。
2021年04月30日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
法然寺城[宇留津城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」には、法然寺の境内に位置した平地の城館。
天正15(1587)年、黒田官兵衛がこの寺を仮の居所としたそうです。
2021年04月30日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
沓尾城[宇留津城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」には、築城者は北畠顕吉で根津海上警備のために築城された南北朝時代から戦国時代までの山城だったそうです。
2021年04月30日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
元永城[宇留津城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、築城者は北畠兵部少輔で北畠氏代々の居城となった戦国時代の山城だそうです。
城址は神社となっていました。そのため石段など整備されているので登城しやすかったです。
一部大雨被害からの復旧がなされていない箇所もあり、立入禁止区画等ありましたが(2022年4月22日現在)、地元の方の散歩コースとしても利用されている感じでした。
主郭と思われる頂部には神社があり、堀切を挟んで副郭がありました。
また登城する間にそれなりに大きな空堀や、神社への道として利用している大きな竪堀も見受けられました。
途中まで車で登れますし、そこに駐車場として利用出来る広いスペースもあります。
ちなみに主郭と副郭を区切る堀切辺りに、猪が筍を掘り出したと思える跡もあったので用心されてください。
中々良い感じの山城でした。
2021年04月30日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
覗山城[宇留津城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」には、平安時代の山城とありました。
築城者は高瀬種忠で、天慶の乱の頃に築城されたようです。
2021年04月30日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
茶臼山城[宇留津城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」には、船迫窯跡公園にある小規模な山城とあり、沿革等の詳細は不明なようです。
2021年04月30日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
広幡城[宇留津城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、鎌倉時代に宮原忠将が築いたそうです。
それから、城井鎮房が出城として修築し、家臣の瓜田春永を城代として置いたようです。
天正15(1587)年に黒田軍の攻撃を受けた時には降伏し落城したとありました。
城跡には岩丸山の尾根道に沿って土塁が残っているそうです。
2021年04月29日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
赤幡城[宇留津城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、神社の背後に城跡はあるようです。
城井谷の防衛の最前線の城だったようです。
天正15(1587)年、黒田氏の家臣、母里太兵衛と小河内伝右衛門の軍勢に攻められ落城したとありました。
2021年04月28日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
釜倉城[宇留津城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」には、築城者は北条太郎とありました。
天正16(1588)年の黒田氏との合戦の際に、城井氏の出城として使われたそうです。
2021年03月24日 龍馬備中守【】
沓尾山石切丁場[宇留津城 寺社・史跡]
福岡県の行橋市にある沓尾山の石切丁場☆現在・山には沓尾松尾神社があってコレは苅田松山城主様の杉弾正弘信氏を祀ってます☆
この沓尾山の巨石群は平尾花崗閃緑岩と火成岩で出来ていて境内には「獅子岩」や「烏帽子岩」と名付けられた奇岩が沢山あります☆
コレだけの巨石が沢山転がっている為やっぱりありますね♪石切丁場☆
至る所にノミの痕跡(矢穴)が残ります♪
江戸時代からの石切丁場は石垣の石達に使用されました☆ここから切り出された石材群は【大坂城天下普請】の為に小倉藩主・細川忠興の命で海路で大坂へ運ばれて使用されていました☆
あの石はどこから来たんだろう?そんな疑問も払拭されました♪
2012年11月09日 きたろう三世
宇留津城
公民館に石碑と説明板がある。須佐神社に土塁があるが関連はわからず、遺構は無い様子。かつての堀は水田になっているので、雰囲気は味わえた。5㎞程度南西に行くと城山桜公園(馬場城)があり、堀切や曲輪等の遺構が残る。