沓尾城

沓尾城([宇留津城  周辺城郭])

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沓尾城の口コミ情報

2025年12月20日 宮内少輔星穏


沓尾城は、行橋市沓尾にある標高82mの沓尾山にあります。

築城者は北畠顕吉公で、以後北畠氏の一族である今井祇園社の宮司本郷氏が居城としました。貞和年間(1345~1350年)北畠親房公の孫、信親公は後醍醐天皇の皇子懐良親王を奉じて九州に下り、筑後の大保原の合戦で討死しました。その信親公の子が顕吉公で、本郷を領して本郷氏を名乗り、沓尾に城を築きました。この沓尾城は二男の吉信公に与えられます。吉信公から六代のちの本郷兵庫頭顕季公の時の天文18年(1549)、宇留津城主賀来下記入道公と領地の境界で争いとなり合戦となりましたが、顕季公は敗れて自刃し、沓尾城も落城しました。その後は城主も置かれず、廃城となりました。

現在、遺構はあまり残っていませんが、山頂には主郭と思われる平坦地があります。登城道は巨岩がゴロゴロ。この沓尾山の西麓から松尾神社周辺の花崗岩地帯には石丁場があり、徳川幕府が出した大阪城の天下普請のために、細川忠興公が切り出させた石もここから運ばれています。

参考文献
『行橋市史 中巻』行橋市史編纂委員会編
『豊前国戦国事典』三浦尚編

2021年04月30日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
「豊前国戦国事典」には、築城者は北畠顕吉で根津海上警備のために築城された南北朝時代から戦国時代までの山城だったそうです。

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