御所ヶ谷神籠石(ごしょがたにこうごいし)
御所ヶ谷神籠石の基本情報
通称・別名
- 御所ケ谷神籠石
所在地
- 福岡県行橋市津積/京都郡みやこ町犀川木山
旧国名
- 豊前国
分類・構造
- 神籠石式山城
天守構造
- なし
築城主
- 不明
築城年
- 7世紀後期
主な改修者
- -
主な城主
- 不明
廃城年
- 不明
遺構
- 列石、土塁、門跡
指定文化財
- 国史跡(御所ヶ谷神籠石)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
馬ヶ岳城(福岡県行橋市)[1.5km]
障子ヶ岳城(福岡県京都郡)[5.5km]
香春岳城(福岡県田川郡)[8.2km]
宇留津城(福岡県築上郡)[11.7km]
岩石城(福岡県田川郡)[12.1km]
鷹取山城(福岡県直方市)[15.0km]
長野城(福岡県北九州市)[15.0km]
豊前松山城(福岡県京都郡)[15.5km]
城井谷城(福岡県築上郡)[16.9km]
鹿毛馬神籠石(福岡県飯塚市)[18.0km]
[大きい地図で開く]
御所ヶ谷神籠石の解説文
[引用元:Wikipedia「御所ヶ谷神籠石」の項目]御所ヶ谷神籠石(ごしょがたにこうごいし)は、福岡県行橋市の南西部のホトギ山(御所ヶ岳、標高246.9メートル)山頂から山麓一帯にかけ外周3キロメートルに亘って花崗岩の切り石と土塁をめぐらせた古代の山城跡。国の史跡。
【概要】
・景行天皇が熊襲征伐の際に、この地に立ち寄ったと伝えられ、景行神社が鎮座している。
・古代に築造された山城で、「日本書紀」「続日本紀」に記載がなく、遺構でしか存在の確認できないものを神籠石(こうごいし)、または神籠石式山城(-しきやましろ)と呼ぶ。
・古代山城(朝鮮式山城)とされることもあるが、築造主体など建設の経緯は一切不明である。そのため、多くの研究がなされており、様々な学説がある。
・門跡七ヶ所(東門・中門・西門・第二の西門・東北門・南門・南西門)、列石十ヶ所、梁行三間×桁行四間の総柱礎石郡などが確認されており、神籠石の中でも、規模と保存状態が良い。
・門跡の中でも中門の規模は特に大きく、水門は高さ7.5メートル、長さ18メートルの二段の石塁である。石材は全て花崗岩である。
・山頂部を底辺北側の谷を頂点とする三角状の範囲(東西[底辺]900メートル、南北[高さ]600メートル、比高差170メートル)が列石と土塁によって造られ、その推定全長は約3キロメートルにもおよぶ。
【アクセス】
・行橋市中心部から車で約15分の位置にあり、福岡県道58号椎田勝山線の津積交差点より南約1キロメートル。なおみやこ町側からのアクセスはできない。[続きを見る]
御所ヶ谷神籠石の口コミ情報
口コミがまだ投稿されていません。