鹿毛馬神籠石(かけのうまこうごいし/かげまこうごいし)
鹿毛馬神籠石の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 福岡県飯塚市鹿毛馬1434-1他
旧国名
- 筑前国
分類・構造
- 神籠石式山城
天守構造
- なし
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 不明
廃城年
- 不明
遺構
- 列石、水門跡
指定文化財
- 国史跡(鹿毛馬神籠石)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
直方陣屋(福岡県直方市)[7.2km]
鷹取山城(福岡県直方市)[8.4km]
笠木城(福岡県宮若市)[8.7km]
香春岳城(福岡県田川郡)[9.8km]
障子ヶ岳城(福岡県京都郡)[12.9km]
高野山城(福岡県飯塚市)[13.5km]
畑城(福岡県北九州市)[14.0km]
益富城(福岡県嘉麻市)[14.6km]
猫城(福岡県中間市)[15.8km]
岩石城(福岡県田川郡)[16.8km]
鹿毛馬神籠石の解説文
[引用元:Wikipedia「鹿毛馬神籠石」の項目]
鹿毛馬神籠石(かけのうまこうごいし、かけのうまこうごういし、かげのうまこうごいし)は、福岡県飯塚市鹿毛馬にある鹿毛馬川沿いの馬蹄型丘陵地に築かれた日本の古代山城(神籠石系山城)。1945年(昭和20年)2月22日付で国の史跡に指定され、2002年(平成14年)3月19日に追加指定されている。
築造年代については諸説あるが、1983年12月から1984年2月にかけて行われた水門跡の調査にて、7世紀前半の須恵器甕の胴部分の破片が出土したことから、7世紀頃に築かれた古代山城という説が一般的である。
概要
列石の大きさは40から80センチメートルである。実戦を考えた石垣としては低い部類にあたる。軽くジャンプして交わせるものである。鹿毛馬神籠石は中近世に見られる城とは異なり、郊外の農村地帯に存在している。
水門跡と呼ばれる遺構がある。軍用の水門であれば周囲を巡る堀を作って人を寄せ付けなくするなど大量の水を流す工夫が必要であるが鹿毛馬神籠石にはそれがない。
参考資料
- 【書籍】「鹿毛馬神籠石 : 福岡県嘉穂郡頴田町所在鹿毛馬神籠石の調査 頴田町文化財調査報告書 第1集 」九州国立博物館 所蔵。
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鹿毛馬神籠石の口コミ情報
2024年06月29日 マグロ常陸介祐平
鹿毛馬神籠石
7世紀前半の須恵器が発掘されているため、7世紀に築かれた神籠石式山城と推測されています。暗渠を通して水を出す水門(写真4,5枚目)や40~80cmほどの一段の列石が山を囲む構造が残っています。また、一部には土塁(写真7,8枚目)も見られます。
列石に使用される石材は、矢穴もなく四角に整えられており、高度な技術を持つ人により作られたものだと感じます。
神籠石については明治以降、山城説と霊域説で対立していたところ、1964年に、佐賀県武雄市のおつぼ山神籠石の調査により、列石背後の版築された土塁と列石前面の掘立柱の発見により山城説が確定的となっています(学会のお城の定義は難解です)。神籠石系山城をお城には感じられないと思ってもおかしい訳ではないですね。
2024年04月04日 ヒデタカ筑前守
赤坂城[鹿毛馬神籠石 周辺城郭]
城跡として登って見ましたが、ボタ山のような感じで遺構らしいものか判断できません。
2022年10月03日 RED副将軍
鹿毛馬神籠石
詳細不明の古代山城🏯
列石が延々と続いています✨
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
詳細不明の神籠石系山城です。
663年、日本と百済の連合軍は白村江の戦いにて唐と新羅の連合軍に大敗しました。
その後、大陸からの侵攻を恐れて築かれた古代朝鮮式山城の一つと考えられています。
見所
国史跡の指定があるだけに駐車スペースや登城路は整備されています。
駐車スペース案内板から直ぐに西水門があり、案内板の通り進むと、やがて延々と続く石列に辿り着きます。
約1350年前のものとは思えないほどの整形された石列がよく残っています。
2021年11月15日 ヒデタカ筑前守
城腰城[鹿毛馬神籠石 周辺城郭]
中世城館跡のようですが体育館になっていて遺構はありません
2012年02月12日 大宰少弐ためぞう
鹿毛馬神籠石
駐車場に資料説明があり、少し離れたところに井戸跡のようなものがあります。