代山城(だいやまじょう)
代山城の基本情報
通称・別名
- 山田大隅城
所在地
- 埼玉県さいたま市緑区代山
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 小久保縫殿助?、山田大隅?
築城年
- 室町時代
主な改修者
- -
主な城主
- 小久保縫殿助?、山田大隅?
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
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代山城の口コミ情報
2024年03月08日 弾正少弼のむげん
代山城
車はの写真の車道左側のスペース(霊園の駐車場?)を利用させていただきました。一部樹木が伐採されたところから上に登っていきましたが、小さな社があるだけで特に遺構は確認できませんでした。浦和の森との看板がありましたが、中に入って散策するような雰囲気ではありません。今後の調査と整備に期待したい。
2022年10月16日 マグロ常陸介祐平
代山城
高校野球で有名な浦和学院高校の裏の雑木林が城址のようです。城の裏鬼門を守る厳島神社の向かいには切岸のような斜面がありますが、遺構ではないようです。県道105号線沿いの代山八幡神社の説明板には城に関する記載があります。
2022年03月07日 長森原
代山城
岩槻太田氏の家臣の城と伝わる代山城は、鎌倉から岩槻を経て奥州に通じていた中世の主幹道路・鎌倉街道中ノ道沿いにありました。
南北に鎌倉街道が通る大宮台地から、東に半島状に突き出た台地先端が城跡と伝わり、城の三方はかつての暴れ川、綾瀬川の氾濫原の湿地に囲まれていたと思われます。
代山城はこの低湿地帯を間に挟んで、西側を通る鎌倉街道を望む立地にありました。また城の西側では、街道もボトルネック状に幅の狭まった台地上を通らざるを得ない地形だった為、代山城は街道の監視や掌握に向いた地点を選んで造られていると思います。
また、江戸時代に干拓される以前は、「見沼」という広大な沼地が代山城及び鎌倉街道の西側に広がっていました。そのため往時は見沼の西岸にある寿能城(岩槻城支城)と代山城は、舟を使っての連絡が可能だったと思われます。
中世の代山城は、水陸の交通の要衝地に在ったのも知れません。
水上交通を担っていた見沼は干拓され今は姿を消してしまいましたが、鎌倉街道中ノ道は日光御成街道に姿を変えて、現在も代山城の西を通過しています。
2014年12月20日 武蔵の獅子安房守
代山城
浦和学院の近くですが、野球部は別の所で練習してるようです。
レッズの本拠地も近くにあります。
2011年03月28日 赤いRVR甲斐守@松本
代山城
城跡の周りをカメラを持ってウロウロしていると、怪しまれるかもしれません。何しろ隣では女子高生が部活している…。
代山城の周辺スポット情報
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