越ヶ谷御殿(こしがやごてん)

越ヶ谷御殿の基本情報

通称・別名

(会田出羽屋敷)

所在地

埼玉県越谷市御殿町3(地図は石碑の場所を示す)

旧国名

武蔵国

分類・構造

御殿

天守構造

なし

築城主

伊奈忠次

築城年

慶長9年(1604)

主な改修者

主な城主

徳川氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

市史跡(越ヶ谷御殿跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

宇田家屋敷(埼玉県越谷市)[3.3km]
赤山城(埼玉県川口市)[6.3km]
代山城(埼玉県さいたま市)[7.1km]
和井田氏屋敷(埼玉県八潮市)[7.1km]
西袋陣屋(埼玉県八潮市)[9.1km]

越ヶ谷御殿の解説文

1604年(慶長9年)、現在の越谷市増林にあった御茶屋御殿が現在の御殿町に移築され、「越ヶ谷御殿」と称した。この辺りは元荒川沿いの低湿地地帯で、昔は野鳥が多く、徳川家康や徳川秀忠もしばしばこの御殿に宿泊し、民情視察を兼ねて鷹狩りを重ねていた。しかし、1657年(明暦3年)の明暦の大火により江戸城が焼失したために、この御殿を解体し、江戸城の再建に利用された。一帯は一部を除き畑地として開発されたが「御殿」の名はその地名として残り、住居表示施行の際に「御殿町」として正式な地名となっている。

越ヶ谷御殿の口コミ情報

殺三千世界鴉⚡️晋作様[2017年02月06日]
「徳川実記 」慶長九年是年の条に記述がある。

又埼玉郡增林村の御離館を越谷驛にうつされ、濱野藤右衞門某に勤番を仰付らる。(この御殿は明暦三年の災後江戸城に移されかりやに用らる。今も御殿跡といふ地名あり)

同じく慶長十八年には家康が越ヶ谷御殿に滞在した記述が下記のように散見される。

十一月廿日 大御所には岩槻より越谷にわたらせらる。
廿一日 大御所、御鷹狩有て鶴三、鴈十六得給ふ。
廿五日 大御所、鶴、鴈、鴨あまた狩らせ給ふ。
廿六日 大御所、越谷に於て日々御放鷹あり。鶴十九得給ひ、御けしき大かたならず。明日は葛西にならせ給ふべしと仰出さる。
廿七日 越谷より葛西にならせられ、御道にて鶴六得たまふ。

まー宮内卿様[2016年01月11日]
御殿跡の石碑のみ。
公園のようなところに車停められるがあえて300m先のコインパーキングに停めて歩いた。

野呂利駿河守休三様[2015年02月08日]
徳川家康・秀忠が狩猟に何度か訪れており、その際に参詣した寺もあります。
西南西約2キロの元荒川南岸にある大聖寺は西軍討伐を決意した家康が江戸に戻る際、先勝祈願をしたと言われます。家康所用と伝えられる寝具が残されています。
また北西5キロの元荒川南岸の浄山寺にはその場で鼻紙に書いた(右筆に書かせた?)朱印状が残されています。

しー武蔵守様[2013年08月16日]
逆川(葛西用水)が元荒川左岸から伏越で潜り、右岸側の吐け口から噴き出ている珍しい光景を元荒川の右岸堤防から望まれます。堤防側に「越ヶ谷御殿」の史跡があります。

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