春日部氏館(かすがべしやかた)

春日部氏館の基本情報

通称・別名

春日部時賢館

所在地

埼玉県春日部市粕壁

旧国名

下総国

分類・構造

平城

天守構造

なし

築城主

春日部氏

築城年

鎌倉時代

主な改修者

主な城主

春日部氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

岩槻城(埼玉県さいたま市)[4.4km]
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金野井城(千葉県野田市)[7.5km]
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春日部氏館の口コミ情報

2024年05月01日 マグロ常陸介祐平
春日部氏館



春日部八幡神社が城址となります。神社は元弘年間に春日部重行(治部少輔時賢)が鶴岡八幡宮から勧請したとされています。

風土記稿では、八幡神社の境内の小高い所に春日部治部少輔が居城したと伝わり、この辺には寺迹と称するところがあり、彼が居城していた頃に郭内に建立した寺の跡と伝わっていると書かれています(わかりづらい)。

今も残る神社周辺の小高い丘は説明板によると榛名山や浅間山の火山灰に由来する砂丘で、自然地形のようです。貼り付けた写真は、土塁に開口した虎口(写真2枚目)や空堀(写真4枚目)のように見えてしまいますが、それらしく写した無加工のフェイク写真で、遺構ではありません(ごめんなさい)。

神社の北側には、元は物見(見張り台)として使用されたと伝わる巨大な富士塚(写真3枚目)がありますが、江戸時代のもののように思われます(見応えがあります)。

遺構は残っていないようですが、神社及び史跡としては大変良いところです。

北東に1km程の場所にある最勝院に、重行の墳墓があります。南朝の忠臣ということで、大正7年に従四位となっていることがわかります(写真8枚目)。

2024年02月21日 だって右衛門督まさむね
春日部氏館



今は春日部八幡神社になっており、神社の参道のど真ん中にあるご神木を今も大事にお守りされていました。

2023年12月18日 鬼殺隊桃太郎
春日部氏館

神社などになってますが、趣きがあっていいところです。

2022年11月02日 FUKU
春日部氏館

現在は八幡神社、浅草神社❔となってます❗どっちなの。

2022年04月10日 長森原
鎌倉街道(岩槻〜春日部〜奥州)[春日部氏館  その他]



春日部氏は紀氏の一族で平安末頃に関東に土着、源頼朝が旗上げするとこれに従い壇ノ浦合戦に従軍しており、鎌倉幕府創設時からの代々の御家人でした。
「吾妻鏡」にも春日部氏の名前が散見され、たとえば1219年に源実朝が鶴岡八幡宮で暗殺された時にも後列に春日部実平(紀右衛門尉実平)が控えていた事が記録されています。

春日部氏の居館であった八幡神社の一ノ鳥居前にある説明板には、神社前の道がかつての鎌倉街道であり、下総国(春日部は中世では下総国でした)から武蔵国(岩槻)に向かう道であった事が記されています。
この道は鎌倉街道中ノ道の支道で、岩槻で中ノ道から分岐し春日部を経由し高野の渡し(現・杉戸町)で再び中ノ道に合流、古河・奥州方面に向かう道でした。

春日部氏嫡流は宝治合戦(1247)で三浦氏と共にいったん滅びてしまうのですが、春日部氏館の前を通過するこの鎌倉街道中ノ道支道は、その後も相模〜武蔵〜春日部〜古河〜奥州を結ぶ軍道として重要な意味を持ち続けました。

時代は下り室町時代、古河公方が巻き起こした享徳の乱真っ只中の1400年代後半、この春日部氏館前を通る支道が鎌倉街道中ノ道本道と合流・分岐する地点である岩槻に、新たに城が造られました。それが岩槻城です。

岩槻城は元荒川・古隅田川の水運の監視と共に、鎌倉街道中ノ道本道&春日部経由の中ノ道支道を南下して攻めて来る敵を、元荒川を防衛ラインとして迎撃する為に造られた城と思われます。

地形と古街道の組み合わせから考えると、近年の古河公方方の成田氏岩槻城築城説には疑問を感じざるを得ません。

最後の写真はこの街道が古隅田川を渡河する地点に架けられていた「やじま橋」。元文二巳歳(1737年)の銘があり、埼玉県内では現存する最古の橋です。

2022年02月07日 maki156
春日部氏館

春日部稲荷神社・八幡神社が祀られており見応えあるので是非立ち寄って欲しいと思います。

2021年03月23日 かずぴょん武蔵守
春日部氏館



現地は春日部八幡神社と稲荷神社となっています。とても落ち着いた良い神社です。境内にあるご神木はとても立派です。

2017年02月26日 まー刑部卿
春日部氏館

春日部八幡神社を目指していくと警備員付きの駐車場があります。本殿奥にある奥の院(桃山時代の作と云われたが平成7年11月5日夕刻 不審火により焼失し翌年10月復興)の前にある『春日部八幡神社旧本殿』の説明板に神社境内を含む一帯が春日部氏の館跡と云われている、と書かれている。なおすぐそばにある小山は狼煙台ではなく円墳。説明板には更に奈良・平安時代から中世までの複合遺跡の浜川戸遺跡と書かれている。

春日部氏館の周辺スポット情報

 道標石・都鳥の碑(碑・説明板)

 最勝院(寺社・史跡)

 春日部重行墳墓(寺社・史跡)

 馬頭観音型道標(寺社・史跡)

 大光寺(寺社・史跡)

 満蔵寺(寺社・史跡)

 香取神社(寺社・史跡)

 やじま橋(移設)(寺社・史跡)

 慈恩寺(寺社・史跡)

 駐車場入口(駐車場)

 春日部市郷土資料館(関連施設)

 鎌倉街道(岩槻〜春日部〜奥州)(その他)

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