松野氏館(まつのしやかた)
松野氏館の基本情報
通称・別名
- 御蔵陣屋
所在地
- 埼玉県さいたま市見沼区御蔵大ヶ谷戸1399
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平城
天守構造
- なし
築城主
- 松野資信
築城年
- 江戸時代
主な改修者
- -
主な城主
- 松野氏
廃城年
- -
遺構
- 土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
大和田陣屋(埼玉県さいたま市)[3.1km]
寿能城(埼玉県さいたま市)[3.1km]
針ヶ谷陣屋(埼玉県さいたま市)[3.3km]
土呂陣屋(埼玉県さいたま市)[3.6km]
代山城(埼玉県さいたま市)[3.9km]
落合陣屋(埼玉県さいたま市)[4.1km]
大成館(埼玉県さいたま市)[4.9km]
御屋敷山(埼玉県さいたま市)[5.5km]
真鳥山城(埼玉県さいたま市)[5.5km]
領ヶ谷城(埼玉県さいたま市)[6.2km]
松野氏館の解説文
松野氏館の口コミ情報
2021年02月08日 三輪左近衛少将直虎
中丸城[松野氏館 周辺城郭]
春日氏は藤原氏の後裔を称し、歴史に登場するのは南北朝時代のことで春日行元が足利尊氏に従い北朝方として戦っています。この頃の居城は上尾市内にあった菅谷北城だったのかもしれません。戦国時代は岩槻太田氏の有力部将でしたが主家とともに北条氏に仕えており、北条氏が滅ぶと徳川家康に召し抱えられて幕臣となりました。
中丸城とその一帯はほとんど開発の波に呑み込まれています。春日神社だけではなく南東に広がる台地上が城域ですが、最初の訪問ときにはもう既にびっしりと住宅が建ち並び再訪時には春日神社の周辺までも真新しい宅地が増えていました。小さな社の裏側に回ると埋もれてしまった堀の痕跡が見て取れますが、これもいつしか風化してしまうことでしょう。
2019年05月06日 主税助鬼羊
松野氏館
狼煙一覧を見てここを知りました。私の本名は松野といいます。私のルーツは熊本細川藩なのですが、いつかぜひ訪れたいと思いました。それまでここが保存されていたらいいなぁと思っています。
2016年05月09日 討幕の志士尾張守⚡️晋作
松野氏館
宇都宮氏の支族で、武蔵に移住した松野助信がこの地に館を構えて太田道灌に仕える。(松野氏館)
子の助正は太田氏房の家臣として小田原征伐で浪人となるが、ほどなく家康旗本になる。
子の資信が寛永2年に200石を賜って旧領であるこの地に陣屋を構えた。(御蔵陣屋)
ということは助正の代はここに居住していたのか?など細かい疑問は残る。
助正が家康から賜った本領安堵状でもあればいいのだが・・・
後北条→徳川旗本という典型パターンの一例である。
松野氏は主家の没落後、浪人していたが徳川家康が江戸に入った際に召し出され旗本となったとされる。
現在、館跡は宅地開発で大部分の遺構が消滅しており、土塁の一部が残るのみとなっている。