松野氏館(まつのしやかた)
松野氏館の基本情報
通称・別名
- 御蔵陣屋
所在地
- 埼玉県さいたま市見沼区御蔵大ヶ谷戸1399
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平城
天守構造
- なし
築城主
- 松野資信
築城年
- 江戸時代
主な改修者
- -
主な城主
- 松野氏
廃城年
- -
遺構
- 土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
大和田陣屋(埼玉県さいたま市)[3.1km]
寿能城(埼玉県さいたま市)[3.1km]
針ヶ谷陣屋(埼玉県さいたま市)[3.3km]
土呂陣屋(埼玉県さいたま市)[3.6km]
代山城(埼玉県さいたま市)[3.9km]
落合陣屋(埼玉県さいたま市)[4.1km]
大成館(埼玉県さいたま市)[4.9km]
御屋敷山(埼玉県さいたま市)[5.5km]
真鳥山城(埼玉県さいたま市)[5.5km]
領ヶ谷城(埼玉県さいたま市)[6.2km]
松野氏館の解説文
松野氏館の口コミ情報
2024年03月09日 武蔵守のむげん
松野氏館
城址は鎌倉公園として整備されている。北側に車を寄せて停められるスペースあり。ただ遺構としては切岸や竪堀らしきものが見えるものの、藪だらけで立ち入り禁止区域もあり、全てを見る事は出来ませんでした。
2024年01月26日 オチョ
松野氏館
大宮駅東口の6番のバス停から東新井団地行きのバスで団地南バス停で降りるとすぐです。バスの本数が多いのでリア攻めしました。
2023年05月28日 左近衛中将五郎八(いろは)姫
松野氏館
大宮駅東口6番バス乗り場から国際興業バス「東新井団地」行きに乗り「団地南」下車。運賃は260円。バス停を降りてから坂道を上がります。
2023年04月19日 後志守あったらもんだ
松野氏館
宅地開発された一画に、一部が公園として残されているが、雰囲気はすれど縄張り図がないので遺構を確認することはできない。
2023年03月26日 noble権中納言弥勒菩薩
松野氏館
強雨の日に敢えて攻城。北側に土塁、堀跡あり、と書いてあるが、さっぱり分かりませんでした(泣)。天気良ければ、藪に突入することもできただろうに、ちょっと残念!
2022年10月03日 猛牛右近衛少将虎猫繁
松野氏館
鎌倉公園内の館跡という事で、公園の名前につられて車でリア攻めしました。住宅街でしたが道が狭く転回スペースもない公園にどん詰まりになってしまい大変でした。以外に難攻不落。
2022年07月23日 伊達 幸村
松野氏館
館跡は公園になっていて土塁や説明板などあります。トイレも完備されています。
2022年07月23日 おかぴー
松野氏館
土塁、横堀、説明板あり散歩するのも良い。
2021年12月01日 マグロ常陸介祐平
松野氏館
鎌倉公園が館跡となっています。昭和60年に設置された案内板には40mの土塁が三方を囲み二方に空堀が遺構として残っているとの説明がありますが、現在は失われています。史跡として館跡の他、鎌倉街道と縄文遺跡の案内板があります。
2021年10月03日 楠木摂政五郎丸
松野氏館
大宮駅東口 国際興業バス 大01.02.10(野村證券前から発車)にて、南中野中央バス停留所で攻略。バスは一時間に10本程度あり。
2021年09月24日 副将軍お城エリコ
松野氏館
大宮駅東口から東新井団地行きで団地東バス停🚏🚌下車¥240。進行方向に歩いて行くと左手に、こんもりとした 森が有ります。この高台に鎌倉公園が有り、ここが松野氏館跡です。
2021年07月29日 けんけん右京大夫まる
松野氏館
現在は住宅街中の公園となっていました。公園に駐車場はございません。
2021年06月27日 たろ
松野氏館
丘の上に築かれた館、現在は分譲住宅になっており痕跡は残っていないようです。
2021年02月08日 三輪左近衛少将直虎
中丸城[松野氏館 周辺城郭]
春日氏は藤原氏の後裔を称し、歴史に登場するのは南北朝時代のことで春日行元が足利尊氏に従い北朝方として戦っています。この頃の居城は上尾市内にあった菅谷北城だったのかもしれません。戦国時代は岩槻太田氏の有力部将でしたが主家とともに北条氏に仕えており、北条氏が滅ぶと徳川家康に召し抱えられて幕臣となりました。
中丸城とその一帯はほとんど開発の波に呑み込まれています。春日神社だけではなく南東に広がる台地上が城域ですが、最初の訪問ときにはもう既にびっしりと住宅が建ち並び再訪時には春日神社の周辺までも真新しい宅地が増えていました。小さな社の裏側に回ると埋もれてしまった堀の痕跡が見て取れますが、これもいつしか風化してしまうことでしょう。
2019年05月06日 刻印爺弾正忠抱杏葉
松野氏館
狼煙一覧を見てここを知りました。私の本名は松野といいます。私のルーツは熊本細川藩なのですが、いつかぜひ訪れたいと思いました。それまでここが保存されていたらいいなぁと思っています。
2016年05月09日 蓬左の武将尾張守⚡️晋作
松野氏館
宇都宮氏の支族で、武蔵に移住した松野助信がこの地に館を構えて太田道灌に仕える。(松野氏館)
子の助正は太田氏房の家臣として小田原征伐で浪人となるが、ほどなく家康旗本になる。
子の資信が寛永2年に200石を賜って旧領であるこの地に陣屋を構えた。(御蔵陣屋)
ということは助正の代はここに居住していたのか?など細かい疑問は残る。
助正が家康から賜った本領安堵状でもあればいいのだが・・・
後北条→徳川旗本という典型パターンの一例である。
松野氏は主家の没落後、浪人していたが徳川家康が江戸に入った際に召し出され旗本となったとされる。
現在、館跡は宅地開発で大部分の遺構が消滅しており、土塁の一部が残るのみとなっている。