針ヶ谷陣屋(はりがやじんや)

針ヶ谷陣屋の基本情報

通称・別名

所在地

埼玉県さいたま市浦和区北浦和2

旧国名

武蔵国

分類・構造

陣屋

天守構造

なし

築城主

中村吉照

築城年

江戸時代前期

主な改修者

主な城主

中村吉照

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

説明板(三郎山の由来)

周辺の城

落合陣屋(埼玉県さいたま市)[1.8km]
真鳥山城(埼玉県さいたま市)[2.2km]
松野氏館(埼玉県さいたま市)[3.3km]
御屋敷山(埼玉県さいたま市)[3.6km]
道場城(埼玉県さいたま市)[3.8km]
領ヶ谷城(埼玉県さいたま市)[4.5km]
寿能城(埼玉県さいたま市)[4.9km]
大成館(埼玉県さいたま市)[4.9km]
大和田陣屋(埼玉県さいたま市)[5.2km]
土呂陣屋(埼玉県さいたま市)[5.5km]

針ヶ谷陣屋の解説文

針ヶ谷陣屋は、岩槻城主であった高力清長の家臣で、後に幕臣として浦和郷の代官を務めた中村吉照が設けた陣屋である。

現在、陣屋跡は完全に市街地となってしまっており遺構などを確認する事は出来ない。

針ヶ谷陣屋の口コミ情報

2024年09月27日 弾正大弼獅々成政
針ヶ谷陣屋



辺りは住宅街で、何の遺構もありませんし、そもそも住所も針ヶ谷ではなく北浦和の地番になります。近くの公園に看板があり、そこに陣屋の記載もありました。

2021年11月03日 監物ミミちゃん
廓信寺[針ヶ谷陣屋  寺社・史跡]

「廓信寺のカヤ」1株は、さいたま市(平成8年3月1日)指定の天然記念物です。

2017年12月20日 野呂利左衛門督休三
針ヶ谷陣屋

【中村吉照開基の廓信寺】
西南西600m程の廓信寺は、中村吉照が旧主の高力清長の菩提を弔うために、慶長十四(1609)年に創建した寺です。
本尊の阿弥陀如来像は元は大坂城で祀られていたものを徳川家から賜ったとされます。鎌倉時代初期の定朝様(平安時代中期に定朝が創始した仏像の様式。平安時代中後期はこの様式が席捲)の仏像で市の有形文化財です。
仁王門の金剛力士像も市の有形文化財ですが2006年の修理の際に内部に墨書があることがわかりました。それによると中村吉照が願主となって元和二(1616)年に安房国(千葉県南部)の仏師に造らせたものだとのことです。
なお、中村吉照の墓の所在は不明ですが夫人の墓が同寺にあるそうです。また幕府から20石を賜っています。

[参考]
木造阿弥陀如来坐像説明板
堂宇改修記念碑
三門(仁王門)金剛力士像(阿形・吽形)平成大修理記念碑
北浦和e街づくり「北浦和の歴史」
さいたま市「文化財紹介 廓信寺木造金剛力士像」

針ヶ谷陣屋の周辺スポット情報

 廓信寺(寺社・史跡)

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