寿能城(じゅのうじょう)

寿能城の基本情報

通称・別名

所在地

埼玉県さいたま市大宮区寿能町2-155(寿能公園)

旧国名

武蔵国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

潮田資忠

築城年

永禄3年(1560)

主な改修者

主な城主

潮田資忠

廃城年

遺構

土塁?、櫓台跡

指定文化財

県旧跡(寿能城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

土呂陣屋(埼玉県さいたま市)[0.6km]
大和田陣屋(埼玉県さいたま市)[0.7km]
大成館(埼玉県さいたま市)[2.6km]
松野氏館(埼玉県さいたま市)[3.1km]
落合陣屋(埼玉県さいたま市)[4.4km]
御屋敷山(埼玉県さいたま市)[4.7km]
針ヶ谷陣屋(埼玉県さいたま市)[4.9km]
伊奈城(埼玉県北足立郡)[6.0km]
永田陣屋(埼玉県さいたま市)[6.1km]
真鳥山城(埼玉県さいたま市)[6.4km]

寿能城の解説文



寿能城(じゅのうじょう)は、埼玉県さいたま市大宮区にあった日本の城。県指定旧跡。

歴史・沿革 

永禄3年(1560年)頃に、岩槻(岩付)太田氏の岩付城の支城として建設された。初代城主は、岩付城主太田資正(三楽斎)の四男(ないし五男)の潮田資忠(母方の姓を名乗った)である。

岩付から見て西方の、見沼の対岸に築城された。氷川神社を後ろにしており、大宮台地のほぼ中央に位置する。かつては北と南に、それぞれ見沼の入江があり、水に囲まれた城だった。大宮台地を挟み、入間川の対岸である河越城との中間に位置する。

太田資正の嫡男氏資が後北条氏方に属して岩付城主になると、寿能城も後北条方の城になる。

天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際、北条に従って小田原に籠城した城主の潮田資忠・資勝父子は4月18日に小田原城にて戦死した。岩付城と寿能城も豊臣方の浅野長政軍に攻められて5月に落城し、家来やその妻子は見沼に身を投げたと言われる。このことから、大正から昭和初めに村人に供養を願って現れた蛍になった姫の話が伝わっている。

その後は廃城となり、徳川家康の治下に一帯の開発が命ぜられ、城址はほとんど失われたが、徳川に下った資忠の子孫である古河藩家老潮田資方が、元文3年(1738年)に、潮田家遺臣の北沢甚之丞(北沢家は中山道大宮宿の有力者となっていた)に、資忠の墓碑を城跡に建てさせた。

1926年(大正15年)3月21日に埼玉県史跡に指定されたが[1]、太平洋戦争時には城址に高射砲が敷設され、遺構の破壊が更に進んだ。なお、この高射砲は当初大宮公園陸上競技場に設置の予定であったが、関係者の反対により城址に設置されることとなった[2]。終戦後は城址の大半が市街化し、1958年(昭和33年)2月16日に城地の中心である墓碑の周囲(現在のさいたま市大宮区寿能町2丁目155番地)が広さ0.387ヘクタールの寿能公園として整備され、同年4月15日開園式が挙行されたが、城址の面影は残っていない。1962年(昭和37年)に、史跡から旧跡に指定変更された。

周辺 

周囲には泥炭層から大量の土器、石器、土偶、漆器などの遺物が出土した縄文時代の遺跡、寿能遺跡がある。

参考文献 

  • 【書籍】「大宮のむかしといま 」 |publisher=大宮市 }}

寿能城の口コミ情報

2024年10月20日 高麗兵部丞頼尚(初陣)
寿能城

寿能公園に本丸跡があり、大きな公園ではありませんがその本丸跡には城主の潮田出羽守資忠の墓が建っております。

2022年07月04日 うっきー
寿能城



大宮公園駅から歩いて登城。城址碑は交番の横にありました。😅ちょっと恥ずかしくて写真を撮るのに躊躇しました。😅

2022年05月05日 マグロ常陸介祐平
寿能城



小さな公園となっています。物見櫓跡いわれている塚の上に城主の子孫で古河藩家老の子孫がたてた潮田資忠の供養塔があります。塚といっても改修された現代の石垣に覆われており、遺構という感じはしません。

2021年04月20日 武蔵守与作兵衛
寿能城



予備知識が無ければ、地域にある普通の公園としてスルーしてしまいそうです。数段の階段分周囲より高くなっていて、中には説明板と潮田資忠氏のお墓がありましたが、城址というより、公園のイメージでした。
すぐ隣がさいたま市営大宮球場で、イベント等も無かったので、駐車場をお借りしました。

2020年12月30日 安房守猫パンチ
寿能城



寿能城は高低差10メートル程、東北南三方向を湿地に囲まれた平城。

古地図によると東方面に出丸がありましたが、市営球場とテニスコート、第二公園が出来て遺構は残って無いようです。北条征伐で豊臣軍武将浅野長吉に攻められますが、城主潮田親子は小田原城に参陣してますから残された城兵も少なくさしたる抵抗も出来ずに落城となったと思います。

戦後、潮田家元家老の北沢氏加藤氏等は帰農し大宮宿伝馬役の中心的存在になります。寿能城から第二公園まで見沼用水沿いを歩くコースは散歩に良いですよ。お正月は氷川神社参拝で大変混雑しますので、車で城攻めは止めときましょう。

2020年10月02日 千賀乃介琉球守次は市場城
寿能城



潮田出羽守の墓の横が本丸跡、児童公園になってます。

2017年01月01日 とん
寿能城

大宮第二公園、大和田公園の側であり、付近は他にも大宮公園や大宮第三公園など大きな公園地帯であり周辺の人たちの憩いの地域です。
ジョギングや散歩などをしながら散策すると気分がより良いかも知れません。城跡付近の説明文も色々充実しており、楽しめると思います。

2016年10月15日 土塁ルイ
寿能城

マップを見るとわかりますが、寿能城、大和田陣屋、土呂陣屋がそれぞれ見沼低地を囲むような台地に立地しています。

このあたりは旧大宮市の住宅地で宅地化され、遺構を探すのも一苦労ですが、機会があれば、寿能城出丸跡にあたる大宮市営球場スタンド後ろの北側通路から周囲を俯瞰されてみることをオススメします。

この3城を訪れたことがある人なら、その距離感や高低差にちょこっと感動することと思います。


2013年09月13日 糸柳釆女正猫紫雨
寿能城

歩くととてもわかりづらい場所にありますが、見つけてしまえば分かりやすいです。

寿能城の周辺スポット情報

 説明板(碑・説明板)

 寿能城跡(碑・説明板)

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