永田陣屋(ながたじんや)
永田陣屋の基本情報
通称・別名
- 土屋陣屋
所在地
- 埼玉県さいたま市西区土屋5他
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 伊奈忠次
築城年
- 江戸時代
主な改修者
- -
主な城主
- 伊奈氏、永田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、横堀(水堀)、長屋門、築地塀
指定文化財
- 県選定重要遺跡(永田陣屋跡)、市指定有形文化財(永田家長屋門及び簓子塀)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
中釘陣屋(埼玉県さいたま市)[2.9km]
大成館(埼玉県さいたま市)[3.5km]
御屋敷山(埼玉県さいたま市)[3.9km]
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落合陣屋(埼玉県さいたま市)[5.5km]
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永田陣屋の解説文
[引用元:Wikipedia「永田陣屋」の項目]
永田陣屋(ながたじんや)は、埼玉県さいたま市西区土屋にある陣屋跡。跡地は埼玉県選定重要遺跡に選定され[1]、現存する遺構である長屋門および簓子塀(ささらこべい)が、さいたま市指定有形文化財(建造物)に指定されている[2]。
歴史
江戸時代初期に伊奈忠次が荒川改修・新田開発の拠点として土屋に陣屋を築いたのが始まりである。陣屋は築かれた後、家臣の永田氏が拝領した。長屋門と築地堀は江戸時代後期の築造とされている。
遺構
郊外に位置しており、さいたま市の市街化の波も軽微であったため、外周を囲む水堀含め、良好な状態で保存されている。昭和時代には長屋門が時代劇の撮影に使われた。
現在も敷地内には永田氏の子孫が居住しており、住居及び医院となっている。遺構は「永田陣屋跡」として1969年(昭和44年)10月1日に埼玉県選定重要遺跡に選定されている。また「永田家長屋門及び簓子塀」は、1999年(平成11年)4月1日にさいたま市指定有形文化財に指定された。
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永田陣屋の口コミ情報
2023年05月28日
昼間の渡し[永田陣屋 その他]
渡し場付近の伝承と言えば、川を境界に対立する勢力の若い男女の悲恋が多い印象があります(演歌のせいか?)
こちらは家康公に労役を褒められた、という言い伝えの渡し場跡でした。
2023年05月28日
金山神社[永田陣屋 寺社・史跡]
プラザの方にあった庚申さまを造成時、こちら金山神社に移したとのことでした。
2023年04月16日 後志守あったらもんだ
永田陣屋
表の県道57号線から1本入った裏通りに面した長屋門が立派で一見の価値あり、永田歯科医院を目印にすると見逃さない。
2023年03月20日 マタローちゃん大宰少弐
永田陣屋
立派な長屋門があるものの、個人の敷地なので入る事は出来ない。門の右端に案内看板がある。また、道路から入って直ぐに2台分くらいの駐車スペースがある。
2022年12月19日 やむ
永田陣屋
永田医院を目印に行くと良いです。永田家長屋門と築地塀は、さいたま市の指定文化財になっている(看板には大宮市のままになっている)。
2022年08月15日 武蔵守じじ
永田陣屋
水堀と長屋門は往時を偲ばせる趣深い佇まいです。勢いよく門の中へ入ろうとしたら、中には普通の民家がありビックリしましたが(^^;;
2022年08月15日 武蔵守マクシミリアン
永田陣屋
県道を挟んで馬宮コミュニティセンターの反対側の小道を入ると、左手奥に立派な長屋門が見えてきます。伊奈忠次の家来で陣屋を構えていた永田家の子孫が今も住んでるそうですので、門の手前でポチるのがいいでしょう。堀も塀も江戸時代からのものらしいです。
2022年05月29日 ruiw0302
永田陣屋
家康公江戸入封早々に着手した利根川荒川の付け替え工事の為に、関東郡代伊奈忠次がこの地に陣屋を築いたのが始まりとのこと。その後、陣屋は伊奈家臣の永田氏が拝領し現在も子孫の方が居住されてる。
実際に行ってみると陣屋そのものは住宅街の奥まったところにあり分かりにくい場所であったが、永田医院の看板が目について見つけるのは比較的容易だった。
陣屋の門まで車で行ってみたが駐車場はなく、門に続く道は堀の側道で車一台の幅がある程度でとても狭かった。
門の前を直進したら通り抜け出来なかった。50mほどバックして門前の空き地で方向転換しなければならず難儀した。門前に車が停まっていて転回出来なければ、元の道に戻るのはとても困難なことになるかも…、近くのお店で買い物でもして車を置かせてもらって少しの時間の見学が無難に感じられた。
門自体は当時のものではないことは勿論のことであるが、関東平野の飛躍的発展の歴史の一コマとして郡代伊奈忠次の功績を偲ぶにあたり感慨深いものが感じられた。
2022年03月06日 きむ刑部少輔
永田陣屋
現在は永田医院という内科·小児科を営んでいる模様。水堀と長屋門が残っていて、市の指定文化財となっています。住宅地横の路地を入っていくので、リア攻めの際は住民の方々や患者さん方にご配慮を。
2021年11月08日 マグロ常陸介祐平
永田陣屋
周囲を囲む水堀とさいたま市の文化財の江戸時代後期創建の長屋門と簓子塀が見事な史跡です。関東郡代伊奈氏家臣の永田氏が陣屋跡を譲られ、伊奈氏改易後も名主として住み続けたとのことでしたが、名主宅としてはあまりに立派なので永田氏について調べたところ、新編武蔵風土記稿に旧家者として記載されていました。先祖は三河の武士で伊奈氏に属して長篠の戦いで軍功を顕し、関東郡代のもと、所々に長堤を築き水利を導き新田開発行った功績により家康に拝謁したとありました。
2021年08月28日 たろ
永田陣屋
陣屋の門や水堀も残っていて、周りの田んぼも昔のスタイルのものもあり、往時の姿を良く留めている貴重な史跡。
2021年05月30日 三男坊.k大学頭
永田陣屋
この辺りは堀がずいぶん浅くなってますが、裏手まで水堀が続いています
2020年10月19日 楠武蔵守正成
永田陣屋
門と築地塀が残っていましたが、想像以上に大きく、迫力がありました。 堀に囲まれた部分が縄張りと思われます。
2015年10月04日 茉莉姫後志守
永田陣屋
JR川越線指扇駅、南口より、大宮駅行きバスで四つ目の『馬宮コミュニティセンター前』下車、徒歩1、2分。
バスはわりとすぐ着くので、乗り越し注意です。
降りたら『←永田医院』という看板がありますので、それを目指せば迷いません。
トイレは馬宮コミセン内、または近くのハードオフ、スギ薬局を。
食事場所もコンビニも近所にはないため、注意です。
案内板は、降りたバス停より陣屋を望む方向の、柿の木の間にあり、日に焼けて読みにくいですが、大きくて立派なので、是非御覧くださいね。
水堀は、私が行った秋は水をたたえていました。季節が違えば、空堀のようになるのかもしれません。
のんびり一周しても10分ちょいくらいですから、長屋門だけで終わらず、ぜひぐるりとお散歩をお薦めします♪
2015年08月09日 まー刑部卿
永田陣屋
コミセンの駐車場を活用すると良い(無料)。コミセンの前の道路を渡って奥に永田歯科の左脇を進むと陣屋門有り。除草していれば見栄え良い。門に近づくと籠が吊るしてあるので見ておくと良い。廻ってみると門の辺りには水濠があるが裏に廻ると干上がり空堀のようになっている。
2013年05月05日 しまさ左大臣
永田陣屋
こちら永田陣屋にて、太田 資正、長野 業正、大道寺 政繁、上泉 信綱を発見