中釘陣屋(なかくぎじんや)
中釘陣屋の基本情報
通称・別名
- 指扇陣屋、山内陣屋
所在地
- 埼玉県さいたま市西区大字中釘
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 山内一唯
築城年
- 元和9年(1623)
主な改修者
- -
主な城主
- 山内氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
永田陣屋(埼玉県さいたま市)[3.0km]
大成館(埼玉県さいたま市)[4.9km]
御屋敷山(埼玉県さいたま市)[6.5km]
川越城(埼玉県川越市)[6.5km]
土呂陣屋(埼玉県さいたま市)[6.7km]
寿能城(埼玉県さいたま市)[6.8km]
大和田陣屋(埼玉県さいたま市)[7.3km]
三ツ木城(埼玉県桶川市)[7.5km]
伊奈城(埼玉県北足立郡)[7.6km]
落合陣屋(埼玉県さいたま市)[8.0km]
中釘陣屋の解説文
中釘陣屋の口コミ情報
2026年03月30日 マグロ常陸介祐平
福田左衛門惟康陣屋[中釘陣屋 周辺城郭]
風土記稿に、陣屋蹟として記載されています。古は福田左衛門惟康というものが住んでいた地といわれ、惟康は同村の名主惣兵衛の先祖といわれているとし、広さは三町(約330m)四方程の地としています。福田惟康はおそらく鎌倉時代の人で、尊卑分脈に文徳源氏の坂戸大夫判官康季の曾孫であり、福田氏の系図では、豊臣秀吉に仕え秀頼の時にこの地に帰農した又左衛門長之の18代前の先祖となっているようです(埼玉苗字辞典)。
お城の名称は風土記稿の記載から「陣屋」となっていますが、実際には帰農した名主の城郭的な構造を持つ屋敷だったと思われます。
屋敷跡は福田稲荷の鎮座する福田稲荷ふるさとの森(今も福田家が所有)とされるようですが、はっきりした遺構は見られません。西側を除き方形に区画され、周囲より一段高い土地となっており、それらしさは感じられます。鳥居の脇には「大宮市福田稲荷ふるさとの森」の案内板が立ちますが、陣屋には触れていません。また、何故か鳥居までの明確な道がなく、南東隅の畦道から入りました。
2025年11月10日 マグロ常陸介祐平
金子山城[中釘陣屋 周辺城郭]
淡島神社(写真1枚目)付近が城址となります。高野陣屋とも呼ばれ、金子氏または高野隼人の居城とされますが、詳細は不明です。東に約600m程の福田稲荷神社付近には豊臣氏の遺臣と伝わる「福田左衛門惟康陣屋」があり、高野隼人も豊臣氏の遺臣と推測する見方もあるようです。
山という表現は適切ではありませんが、周辺に比べると、こんもりとした高台になっており(写真2,3,6,7枚目)、淡島神社の西側には空堀が見られます(写真4,5枚目)。東側の民家を挟んだ畑は、2m近く高くなっており(写真8枚目)、現在は真四角ですが曲輪だった可能性があるようです。
淡島神社の西側は、住宅地となっていますが、堀底には大量のタヌキのため糞がありました。
2021年05月15日 マグロ常陸介祐平
中釘陣屋
陣屋跡付近をウロウロして見ましたが、遺構や石碑、案内板などは見当たりませんでした。近くには陣屋の主である山内氏の菩提寺の妙玖寺があり、陣屋の初代山内一唯公と一族の墓があります。住職の山内氏は一唯公の御子孫との事でした。
2020年08月01日 源臣大三四幸祉守宏三
中釘陣屋
近くに、 山内家の墓所でもある妙玖寺があるでござる。なかなかの名刹でござる。
2015年10月14日 上尾堀の内安房守
中釘陣屋
秋葉神社より数百メートル離れた北西部一帯(中釘929周辺)が陣屋址になります。秋葉神社の境内は含みません。
現在はほとんどが耕作地となり、明確な遺構(土塁、堀)は見受けられませんでした。
舌状台地先端に設けられた周囲より一段高い地形と陣屋北側に流れる小川が往時を偲ばせています。
2011年10月16日 pika北見守
中釘陣屋
山内一豊の甥である一唯が築いたとされています。










だが一唯はのちに嗣子のなかった本家の土佐藩山内家に養子として入ったため、この陣屋は廃止された。
現在、跡地は宅地や畑となっており遺構を確認することは出来ない。