中釘陣屋(なかくぎじんや)
中釘陣屋の基本情報
通称・別名
- 指扇陣屋、山内陣屋
所在地
- 埼玉県さいたま市西区大字中釘
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 山内一唯
築城年
- 元和9年(1623)
主な改修者
- -
主な城主
- 山内氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
永田陣屋(埼玉県さいたま市)[2.9km]
大成館(埼玉県さいたま市)[4.9km]
御屋敷山(埼玉県さいたま市)[6.5km]
川越城(埼玉県川越市)[6.5km]
土呂陣屋(埼玉県さいたま市)[6.7km]
寿能城(埼玉県さいたま市)[6.8km]
大和田陣屋(埼玉県さいたま市)[7.3km]
三ツ木城(埼玉県桶川市)[7.5km]
伊奈城(埼玉県北足立郡)[7.6km]
落合陣屋(埼玉県さいたま市)[7.9km]
中釘陣屋の解説文
中釘陣屋の口コミ情報
2021年05月15日 マグロ常陸介祐平
中釘陣屋
陣屋跡付近をウロウロして見ましたが、遺構や石碑、案内板などは見当たりませんでした。近くには陣屋の主である山内氏の菩提寺の妙玖寺があり、陣屋の初代山内一唯公と一族の墓があります。住職の山内氏は一唯公の御子孫との事でした。
2020年08月01日 源臣大三四幸祉守宏三
中釘陣屋
近くに、 山内家の墓所でもある妙玖寺があるでござる。なかなかの名刹でござる。
2015年10月14日 上尾堀の内
中釘陣屋
秋葉神社より数百メートル離れた北西部一帯(中釘929周辺)が陣屋址になります。秋葉神社の境内は含みません。
現在はほとんどが耕作地となり、明確な遺構(土塁、堀)は見受けられませんでした。
舌状台地先端に設けられた周囲より一段高い地形と陣屋北側に流れる小川が往時を偲ばせています。
2011年10月16日 pika北見守
中釘陣屋
山内一豊の甥である一唯が築いたとされています。
だが一唯はのちに嗣子のなかった本家の土佐藩山内家に養子として入ったため、この陣屋は廃止された。
現在、跡地は宅地や畑となっており遺構を確認することは出来ない。