川越城(かわごえじょう)

川越城の基本情報

通称・別名

初雁城、霧隠城

所在地

埼玉県川越市郭町2他

旧国名

武蔵国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

築城主

太田道真、太田道灌

築城年

長禄元年(1457)

主な改修者

松平(長沢)信綱

主な城主

扇谷上杉氏、後北条氏、酒井氏、堀田氏、長沢松平氏

廃城年

明治3年(1870)頃

遺構

堀、土塁、御殿、移築物3棟

指定文化財

県有形文化財(川越城本丸御殿)、県史跡

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

河越館(埼玉県川越市)[3.7km]
砂久保陣場(埼玉県川越市)[4.5km]
大堀山城(埼玉県川越市)[6.4km]
中釘陣屋(埼玉県さいたま市)[6.5km]
永田陣屋(埼玉県さいたま市)[7.7km]
三ツ木城(埼玉県桶川市)[7.9km]
城山砦(埼玉県狭山市)[8.5km]
石戸城(埼玉県北本市)[9.5km]
難波田城(埼玉県富士見市)[10.1km]
大成館(埼玉県さいたま市)[11.0km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

19 川越城

設置場所

川越城本丸御殿受付窓口[地図

川越城の解説文

川越城(かわごえじょう)は、埼玉県川越市にある日本の城。江戸時代には川越藩の藩庁が置かれた。別名、初雁城、霧隠城。関東七名城・日本100名城。通常、川越城の名称を表記する場合、中世については河越城、近世以降は川越城と表記されることが多い。

概要
武蔵野台地の北東端に位置する平山城。1848年(嘉永元年)に建られた本丸御殿の一部が現存する(埼玉県有形文化財)。かつての城は、現在の初雁公園から川越市役所に至る広さであった。大半は失われ、二の丸跡は川越市立博物館・川越市立美術館、三の丸跡は埼玉県立川越高等学校となっているが、高校の南に、小高い丘の「富士見櫓」跡(埼玉県指定史跡)が残り、頂に御嶽神社と浅間神社が建っている。川越城には天守はなく、宇都宮城の清明台櫓と同様に、城の中で一番高い所にあった富士見櫓が天守の代わりをしていた。富士見櫓は三層と考えられている。

中世から近世にかけて改築がなされ規模を大きく変えた。藩政時代には、酒井忠勝・松平信綱(知恵伊豆)や柳沢吉保など、幕府の要職についた歴代藩主が多く、幕閣の老中数7名は全国でも最多の藩の1つであり、江戸時代中期までは「老中の居城」であった(中期以降は親藩)。

別名
初雁城
 城内の三芳野神社に「初雁の杉」があった。毎年同じ時期に北から初雁が飛来し杉の真上で三声鳴き三度回って南に飛び去った、という故事による。太田道灌が川越城築城祝いで開いた宴の折も初雁が来て鳴いたことから道灌が「初雁城」と命名したとされる。3代目の初雁の杉が神社の社殿裏にある。
霧隠城
 城内に「霧吹きの井戸」という井戸があり、普段は蓋をしておくが危急の際は蓋を開くと霧が城を隠したという伝承による。井戸は移築され、現在は市立博物館の前庭にある。

歴史・沿革
室町時代
室町幕府より関東の押さえとしておかれた鎌倉府は、鎌倉公方足利氏と、その補佐役である関東管領上杉氏との内部対立が生じ、1454年に公方が管領を殺害するに至り、関東を戦乱の世とした享徳の乱が勃発、鎌倉府は壊滅し、公方は古河に拠点を構え、関東を二分した(古河公方)。 武蔵国は上杉氏と古河公方の対立の最前線となったため、足利氏の勢力(古河城関宿城忍城など)に対抗する上杉氏の本拠地として、1457年(長禄元年)、扇谷上杉氏の上杉持朝は、家宰の太田道真、太田道灌父子に川越城(河越城)の築城を命じ、自ら城主となった。また、南方の下総国との国境に江戸城も築城させ、道灌が江戸城主となった。さらに、両城を軍事道路(後の川越街道)で結び、古河公方への防衛線を構築した。

道灌の築城方法は、「道灌がかり」という「連郭式縄張り」で、子城、中城、外城など独立した曲輪を連ね、周囲に高さ二間ほどの土塁を築く。曲輪の間には堀を巡らし、飛橋と呼ばれる橋で連結、各入口には土橋、引き橋、食い違い虎口や横矢がかりなどの仕掛けを作った。敵が侵入しても中城に拠って防げる構造だった。城郭はおよそ5万坪、8門8櫓を構えた。 新編武蔵風土記稿によると本丸南西の20mの高台に富士見櫓を築いたのも道灌である。また三芳野神社が祀られた天神郭も造られた。城の北に赤間川(現新河岸川)が流れ、さらに北を入間川・越辺川などが流れて外堀の役割を果たす。城の南は遊女川(よながわ)の湿地帯であった。武蔵野台地の北端の丘陵に位置し、東方を睨んだ自然の要害に位置している比高5~6mの平山城である。
築城に際しては、太田道真主導説(北条五代記や永享記など)と太田道灌主導説(霊岩夜話や太田家記など)の2説ある。築城後、西に太田道真屋敷が、城の北西に太田道灌屋敷が築かれた。

太田道灌は乱の収束に尽力し、名声を高めたが、それを恐れた主君扇谷上杉定正により暗殺された。上杉家内も内部分裂と抗争を繰り返し、長享の乱となる。 扇谷上杉氏の当主・上杉朝良が居城する河越城に対抗して、1497年(明応6年)に山内上杉氏当主・上杉顕定は河越館に上戸陣を構築、古河公方の足利政氏を招いて7年間も睨みあった。...

川越城の口コミ情報

2020年09月22日 ロボーティ掃部允
川越城

富士見櫓と本丸御殿をリア攻め。富士見櫓は階段が立ち入り禁止になっており断念も本丸御殿を堪能。入館料100円は安い!

2020年09月21日 坂の上の蜘蛛
川越城

高知城とここしかない現存本丸御殿は、ある意味、現存天守より貴重な遺構だと思います。
職員の人に聞いた話しでは、川越城はもとから天守はなかったそうで、この現存本丸御殿が川越城と言いでしょう。

2020年08月23日 清水伊豆守興聖
川越城



休館日がありますが、その際100名城スタンプは市役所でもらえるそうです。木造の本丸御殿はこの酷暑でも涼しかった。

2020年06月20日 松之助尾張守
富士見櫓跡[川越城  遺構・復元物]

2020.6.20現在、富士見櫓に登る階段が立入禁止になっています。
ですがぐるっとまわると神社に続くコンクリートの階段があり、そこから富士見櫓に登れます。

2020年03月21日 まりも
川越城

川越市のHPによると、本丸御殿は新型コロナウイルスの影響で3月末まで閉館だそうです。日本100名城スタンプも本丸御殿では押印できないので気をつけてください!

2019年11月20日 北条内蔵允氏直
川越城

本丸御殿が見事でした。
中の門堀跡や大手門跡を巡る時は車を近くの駐車場にとめて徒歩で回るのが良いですね。

2019年09月21日 清老頭左京大夫天和
本庁舎6階観光課[川越城  スタンプ]

本丸御殿休館日はこちらで押せます

2019年08月12日 あおっち兵庫助
川越城

バスを利用して春先に2度目の攻城。現存の御殿内にスタンプあります。周辺も静かで縁側でのんびりしました。

バスで移動して行けば、時計台や蔵造りの町並みもみれるので一日散策できます。私は喜多院にも寄りました。

2019年06月23日 野呂利左衛門督休三
時の鐘[川越城  その他]



徳川家光時代の老中・大老の酒井忠勝(寛永四[1627]年-十一年。若狭小浜に転封)によって初めて建てられましたが、何度か焼失し、現在のは明治二十七(1894)年の再建。「残したい日本の音風景百選」(環境庁)に選出されています。

2019年06月23日 野呂利左衛門督休三
喜多院[川越城  寺社・史跡]



慈眼大師天海を祀る慈眼堂の裏に歴代住職墓。正面に立つ石塔婆は天海の物。この奥には南北朝時代の板碑も2基ある。なお慈眼堂と歴代住職墓のある場所は古墳とも言われている。

2019年06月23日 野呂利左衛門督休三
喜多院[川越城  寺社・史跡]



慈覚大師円仁が平安時代前期の天長七(830)年に創建した星野山無量寿寺の仏蔵院が起原です。北院とも呼ばれ、今の喜多院になったのは慈眼大師天海の時です。

鎌倉時代になるまでは今の新河岸川より南は無量寿寺の影響下で、河越氏の勢力も及んではいませんでしたが、畠山重忠が討たれた元久二(1205)年に兵火に遭ったと伝えられています。

その後、復興を遂げ、鎌倉時代後期の永仁四(1296)年に伏見天皇により、関東の天台宗の総本山とされたそうです。しかし天文六(1537)年の河越合戦(北条氏康でなく氏綱の時の)で再度兵火に遭ったそうです。この頃まで無量寿寺の中心は今の中院(ただし場所は現在と違い、今の仙波東照宮のある位置にあった)でしたが、天海が徳川家康の信を得ることで喜多院の寺運は興隆し、こちらが中心となりました。

寺領は七百五十石、境内は四万八千坪に及び、寛永十五(1638)年の火災では江戸城紅葉山の御殿が移築されるなどの保護を受けています。しかし、明治になり徳川家の保護を失うと、寺域は東照宮を含めて一万四千坪に縮小し、家康の遺骸が日光に遷される際に4日間法要を行った阿弥陀堂などの建物も失われています。また多宝塔など境内の縮小により建物の配置も江戸時代と変わってしまったものもあります。

2019年06月23日 野呂利左衛門督休三
蓮馨大姉の墓[川越城  寺社・史跡]



北条氏の河越城代の大道寺政繁の母の墓。蓮馨寺の名前はこの方の法名に由来します。なお、蓮馨寺開山の感誉は大道寺政繁の甥で、増上寺の住職も務めるなどしています。蓮馨寺は江戸時代には関東の浄土宗の僧侶養成機関の関東十八檀林に列せられています。また小江戸川越七福神の福禄寿の寺でもあります。

2019年06月23日 野呂利左衛門督休三
此の道喜多院西外堀の址[川越城  碑・説明板]



今の喜多院は仙波東照宮込みで一万四千坪(およそ4万6千㎡)ですが、かつては四万八千坪(およそ16万㎡)あったそうです。その西側の境域の堀がこの通り沿いだったそうです。なおこの通り、外堀通りというみたいです。

2019年06月23日 野呂利左衛門督休三
浮島稲荷神社[川越城  寺社・史跡]



川越城七不思議の片葉の葦の碑。この辺りに生える葦はすべて片側にしか葉が生えなかったといいます。地形的な要因によるそうですが、こんな伝説もあります。ある時、川越の城主が戦に敗れ、姫と乳母は夜陰に紛れて城を落ち延びることになりました。今とは比べ物にならないほど暗い夜、姫は誤って七つ釜に落ちてしまいます。年取った乳母は姫を助けあげることはできず、姫は葦の葉をも掴んで這い上がろうとしますが、葦の葉はあえなくちぎれてしまい、やがて姫は溺れてしまいました。それ以降、この辺りに生える葦は片側にしか葉をつけなくなったと言います。

2019年06月23日 野呂利左衛門督休三
浮島稲荷神社[川越城  寺社・史跡]



神社の前の池。七つ釜の名残か。
この辺りは七つ釜の沼と低湿地帯で、伝説では築城は困難を極めたとか。なかなか普請が捗らない中、太田道真(息子の道灌とも)の夢枕に龍神が現れ、明朝この部屋に最初に来た者を人身御供とせよと告げます。翌朝、部屋に最初に現れたのは娘で、娘いわく、自分が人身御供になれば普請が進むと龍神に夢で告げられたと。しかし、道真は娘を閉じ込めます。もちろん普請は進みません。ある晚、娘は部屋を抜け出して七つ釜に身を投げます。それからは嘘のように普請が進み、城は完成したとされます。

2019年06月23日 野呂利左衛門督休三
浮島稲荷神社[川越城  寺社・史跡]



城のすぐ南にある神社。平安時代前期に慈覚大師が無量寿寺(喜多院、中院)を創建する際にここに遷したとも、河越城築城の際に勧請されたともいいます。この辺りは川越城周辺で最も標高の低い部分で七つ釜と呼ばれる沼や低湿地がありました。七つ釜は川越城七不思議の片葉の葦、人身御供の舞台です。

2019年06月23日 野呂利左衛門督休三
田郭の堀跡[川越城  遺構・復元物]



写真は空き地でできた隙間から。ポイントはその撮影地点に設置。もしかしたらここからはそのうち見られなくなるかもしれない。なお、ここからもっと東に行ったらしく新河岸川そばからでも見ることはできる。手前の高まりが田曲輪。その奥の緑が本丸の三芳野神社。田曲輪の手前に窪みがあるが、それが堀の名残。田曲輪の上に立つのは川越市最古の給水場の郭町給水場。水源は2本の井戸だそうで、博物館の霧吹きの井戸、ここから少し南の浮島稲荷神社(七つ釜の伝説)と、水の豊かさが覗える。

2019年06月23日 野呂利左衛門督休三
田郭の名残[川越城  遺構・復元物]



現在の三芳野神社参道正面入口と富士見櫓跡下を結ぶ南北の道路周辺が田曲輪跡。その道の北側が本丸の堀跡。ポイントはその道路から一段下った場所。今も田曲輪の高低差の名残を見ることができる。

2019年06月23日 野呂利左衛門督休三
土塁[川越城  遺構・復元物]



ポイントの北側にある土塁。こっちは見た目通り南北方向に走っている。それとこの道の間には堀があった。天神門を通った城下の人々はこの道を通って三芳野神社に至った。

2019年06月23日 野呂利左衛門督休三
土塁[川越城  遺構・復元物]



三芳野神社は本丸の中にありますが、さらにその周囲を土塁が囲繞しています。そのため、当初の本丸を同神社とみなす説もあります。写真はポイントの南側の土塁。現況だと南北に走っているように感じるが、実際には東西方向の土塁。

2019年06月22日 野呂利左衛門督休三
三芳野神社[川越城  寺社・史跡]



三芳野神社の創建は平城天皇の大同二(807)年とされています。
享徳の乱の初期の長禄元(1457)年に川越城が築城されるとその鎮守とされ、徳川家康が関東に入った翌年の天正十九(1591)年に社領二十石を賜り、江戸幕府直々の管轄の社として代々の将軍や川越城主からの奉納や保護を受けています。

寛永元(1624)年に川越城主の酒井忠勝による修築を皮切りにしばしば改修・修繕されています。明暦二(1656)年、松平信綱が城主の時に江戸城二の丸東照宮が移築されたとされます(なお、この翌年に江戸城主要部も焼失する明暦の大火が起きている)。これ以降は大きな改修はないようですが、現在の外観になった改修は大正十一(1922)年に屋根を銅板葺にした時です。

寛永元年の社殿は明暦の改修で境内内の外宮に、明治五(1872)年に氷川神社内の八坂神社に移築されています。

この社殿の裏に川越城七不思議の「初雁の杉」があったそうです。

2019年06月22日 野呂利左衛門督休三
鴉山稲荷神社[川越城  寺社・史跡]



河越城を築城した頃の話。太田道真が櫓から西を眺めたところ鬱蒼とした林によって富士山が見えなかったとのこと。それを切り開かせたところ、石祠と「源家勝平 怨敵退散 子孫繁栄 大願成就 守護 承安三癸巳天四月十七日 願主河島武盛」と書かれた願文が見つかったとか。これを吉兆として仮宮を建てたのが始まりだそうです。
承安三年は平治の乱から11年後、源頼朝らが挙兵する9年前で、西暦の1171年です。

2019年06月22日 野呂利左衛門督休三
経ヶ島弁財天[川越城  寺社・史跡]



室町時代にこの地の地頭が、今の新河岸川のたびたびの洪水を憂いて、経塚を築いて祀ったといいます。その後、河越城が築城されると裏鬼門(南西)にあたることから太田道灌から尊崇されたといいます。小江戸川越七福神でもあります。

2019年06月22日 野呂利左衛門督休三
田曲輪門跡[川越城  碑・説明板]



田曲輪への入り口の門の跡を示す標柱です。適地がなかったようで、実際よりは少し北よりの本丸堀の中に建てられています。南大手門を通った三芳野神社参詣の城下の衆は、ここを通って最後の関門の天神門に向かいました。

2019年06月22日 野呂利左衛門督休三
南大手門跡[川越城  碑・説明板]



川越城の南大手門は第一小学校の敷地にありました。城下の人々が三芳野神社に参拝する時はここから城に入り、田曲輪門に向かいました。この門の前にも丸馬出がありました。丸馬出の東側の入り口の道筋が今も細い路地で残っています(もう一枚の写真のクリーニング屋のところの奥へと向かっている道)。

2019年06月22日 野呂利左衛門督休三
栄林寺山門(蓮池門移築)[川越城  遺構・復元物]



栄林寺は、江戸幕府最初の川越城主の酒井忠利の伯母が、今の元町一丁目に創建した寺です。

写真の山門が、明治二(1869)年に移築された川越城二の丸にあった蓮池門です。
門脇の塀の裏に記されていますが、現在の門扉は当時のものではないようです。


2019年05月25日 i-Just
富士見櫓跡[川越城  遺構・復元物]



富士見櫓からは、天気が良ければ東京スカイツリーが望めます。今でも冬になればその名の通り富士山のてっぺんを見ることができます。

2019年05月17日 野呂利左衛門督休三
二の丸・三の丸の北側ライン[川越城  遺構・復元物]



今も高台になっています。道のあたりに二の丸と三の丸の境の堀がありました。三の丸の北側のラインは特別支援学校の敷地の南側にも見ることができます。


2019年05月17日 野呂利左衛門督休三
札の辻[川越城  その他]



高札場のあったことからこの名があります。現在はポケットパークになっており、川越高校卒業の関根伸夫氏のモニュメント(写真の)や、川越出身の彫刻家の橋本次郎氏の「日射し」が置かれています。橋本次郎氏は市役所前の太田道灌像の作者でもあります。

2019年05月17日 野呂利左衛門督休三
川越城大手門跡[川越城  碑・説明板]



市役所の辺りに大手門と丸馬出がありました。太田道灌像と慶応三(1867)年の川越城図の碑があります。太田道灌像の作者の橋本次郎氏は川越高校の前身の川越中学(旧制)の出身。

2019年05月17日 野呂利左衛門督休三
川越市立博物館[川越城  関連施設]



江戸時代の川越城と城下の模型などがあります。もちろん河越館にまつわる展示もあります。

2019年05月17日 野呂利左衛門督休三
霧吹きの井戸[川越城  遺構・復元物]



川越城と七不思議の一つに数えられています。敵が迫ると霧が吹き出て城を隠したとか。そのために霧隠城の異名も。城跡の南にある郭町給水場は二本の井戸を水源としていますが、こうした水の豊かさは、新河岸川が三方を取り巻く台地ならではなのでしょうか。

2019年05月17日 野呂利左衛門督休三
三の門跡[川越城  遺構・復元物]



今は城内を真っ直ぐに道路が突っ切っているが、昔は紆余曲折があった。手前のアスファルト舗装が当時の道筋に合致。堀に挟まれた通路だった。で、道と合流する辺りに三の門。

2019年05月17日 野呂利左衛門督休三
八幡郭跡[川越城  遺構・復元物]



この通りの辺りに八幡郭の西側堀が。八幡郭にあたる川越高校の敷地は少し高くなっている。太田道灌がこの曲輪内に川越八幡宮の分霊を祀ったことが名前の由来。

2019年05月17日 野呂利左衛門督休三
外郭南側のライン[川越城  遺構・復元物]



写真は少し北側から。左からの道が合流するあたりが落ち込んでいるが、外郭の南側のラインにあたる。外郭の堀は江戸時代前期に掘られたらしい。2018年度にここより少し西で江戸時代の堀とは別の中世の堀が見つかっているが、12mしか発掘していないため河越城の物とは断定していない。なお、この中世の堀は江戸時代初期に埋められている。

2019年04月30日 独眼竜中務卿めろん
富士見櫓跡[川越城  遺構・復元物]



付近では一番の高台にあった富士見櫓跡。富士山が見えたのでしょうね。20190430

2019年04月24日 大納言弾正尹魔太郎
富士見櫓跡[川越城  遺構・復元物]



この高台の上に川越城一の高さを誇った富士見櫓が建てられていました。

2019年04月24日 
中ノ門堀跡[川越城  遺構・復元物]

中ノ門堀の特徴は、城壁側とその反対側の法面勾配が異なる点だそうです。城壁側60°、反対側が30°だそうです。


2019年04月24日 
中ノ門堀跡[川越城  遺構・復元物]

中の門堀跡は、川越城からちょっと離れた場所にあります。天下が収まって間もない時代だったので、戦いを想定して造られたそうです。

2018年10月13日 大納言織田晃司
川越城

川越城前と隣に駐車場があります。
ただ、本丸御殿や美術館など利用施設から利用証明の印鑑をもらってください。

富士見櫓跡は住宅街にあって見落とす可能性があります。

川越市の観光で喜多院と時の鐘がある蔵造りの町並みがあります。
どちらも川越城本丸御殿からばらけてるので、時間に余裕の無い方はどちらかにしぼりこんだほうがいいです。


2018年08月18日 上総介愛洲久忠
川越城

公共交通機関を利用して川越城へ向かわれる方に、市内周遊バスのご利用をおすすめします。
川越駅西口から発着するボンネット型のレトロバスと、川越駅東口から発着する路線バスタイプの2種類があります。
西口からだと均一料金で@200、東口からだと博物館まで片道@190かかりますが、西口からの小江戸巡回バスは一日フリー乗車券@500、東口からの小江戸川越一日フリー乗車券@300でお得です。
どちらも小江戸協賛店で割り引の特典があり、レストラン、カフェ、お土産品、見学施設などで有効です。
喜多院はじめ時の鐘など見どころ沢山の小江戸の街歩きにいかがでしょうか。

2018年01月23日 ねこいんこ右京亮
川越城

本川越駅からだとわかりやすいです。
本川越駅東口に出て左へ。倉の街並み方面へ。
倉の街並みを見て、時の鐘を過ぎたら信号を右に曲がり、市役所と太田道灌さんの像を横目に進むと右手に中の門堀跡。さらにまっすぐ行くと、左に博物館(天海さん木造を間近で見れたり、川越城下の再現ジオラマがみられます。)右に駐車場に入る道があるので右へ進むと川越城前につきます。
川越城前の道を進んでいくと(車は多分無理)突き当たりに案内板があるので、案内通りに右へ行くと富士見櫓跡があり、道は学校で突き当たるので左へ曲がり学校沿い道なりに右折し、信号を左、まっすぐ行き道なりに左折すると右手に賑やかな通りと通りに入る小道があるので小道から通りへ、手押し信号を渡ると、成田山と奥に喜多院(江戸城から移築された客殿や天海さんのお堂とお手植えの槇など正直お城より見所が多いです)。
喜多院のどろぼう橋を渡ったら左へ行き、突き当たり右にまっすぐで本川越駅です。
この行程で3時間くらい?
川越駅から本川越駅へは東口出て左へ、2つ目の信号を右へ行くと本川越駅。
あっちの方みたいに適当に歩くと大体迷います。


2017年05月08日 至誠一貫やすし修理大夫
川越城

川越市には、十字路が2つしかありません。城下町を迷子になりながら、堪能してみて下さい。

2017年05月08日 浜スタ守護胆振守カナリア
川越城

川越城に行くまでに道に迷って、住宅街の中をうろついてた私...
川越城は川越駅よりも本川越駅の方が近いので、JRで行く際は、まず本川越の駅へ歩いた方がいいです。
この城の堀跡は古江戸の町の方にあります。

2017年01月22日 天下泰平右京大夫
川越城

近くにある喜多院もいいてすよ。江戸城から移築された客殿や仙波東照宮など川越城の南の守りに相応しい遺構も見られました。

2017年01月05日 【単騎駆】右衛門督かげちゃん
川越城

都市開発とかで遺構は、あまり残ってないです。本丸御殿と富士見櫓跡と水堀の一部分しか残ってないです。”小江戸”をぶらぶらしたついでに寄ってみる程度で充分です。

2016年02月26日 武田胆振守信玄餅
川越城

本丸御殿休館日に来てしまいましたが、100名城スタンプは市役所5階の観光課で無事に押せました。小さいサイズもありましたのでご安心を!

2015年10月23日 石田大蔵卿いしのすけ
川越城

本日、行ったら、休館でした( ;∀;)

100名城スタンプは、市役所の5F 観光課にあるとの看板が本丸御殿前にありましたので、行ってみました

スタンプは、大小あり、日本城郭協会のスタンプ帳に収まるものもありました。

シャチハタで、インク補充したばかりなのか、かなり、インクが濃かったです。
気をつけたつもりだったのに、対面の八王子城のところにくっきり、写ってしまいました( ;∀;)

あて紙を持参したほうがいいかもしれません。昔、6年ほど住んでいた川越ですので、懐かしかったです!

2015年08月11日 永眠武蔵守釋 葱進
喜多院[川越城  寺社・史跡]

川越の喜多院に、江戸城の「家光誕生の間(客殿)」「春日局化粧の間(書院)」を含む別殿が移築されています。寛永15年の川越大火で境内焼失した後、家光の命令で移築させたそうです。

蛇足ながら、喜多院境内では厄よけだんごが売られています(1本100円)

2015年08月11日 永眠武蔵守釋 葱進
川越城

市立博物館では、学芸員による定時解説が2回(平日)~4回(土休日)行われています。(他の時間帯も支障なければ個別対応可とのこと)
太田道灌の築城から明治期にいたる川越城と蔵の街の歴史を中心に、展示物を使いながらの解説となります。

2015年05月06日 城ノ内山城守夏葉
川越城

本丸御殿で入手したクリアファイルは、表は御殿の写真と城の縄張り、裏は全国の百名城のリストと日本地図がデザインされた優れものでした。

2015年02月15日 武蔵の獅子安房守
川越城

ウォーターボーイズの舞台となった県立川越高校が隣にあります。ちなみにここは県内no.2の進学校です。

2013年09月24日 鶴亀仙人
川越城

川越城は毎週月曜日(ハッピーマンデーの場合は翌日の火曜日)と第4金曜日が休館日なのでご注意下さい。
私はまんまと休館日に来てしまいました(^^;)
休館日でもスタンプは駐車場のおじさんから小片に予め押したものなら貰えます。
また、市役所の観光課に行けばスタンプがありますが、本物よりデカくスタンプ帳のマス目からはみ出るサイズです(>_<)
本物にこだわる方は開館日にお越し下さい。


2013年06月07日 オーロラブレス
川越城

川越城に行ったあとはうなぎがいいですよ!いちのやがオススメ!

2013年02月18日 すかんぴん左馬助
川越城

本丸御殿の駐車場は博物館等の五館共通で無料です。
駐車場にトイレはありますが、本丸御殿の中にもありました。
ここから富士見櫓跡と中ノ門堀跡も徒歩圏内です。
また本丸天神曲輪の三芳野神社は川越城築城以前からのもので、現在の社殿は三代将軍家光の幕命で酒井忠勝が寛永元年に建てたもの。ここは童謡『とうりゃんせ』が生まれた所と言われています。
車を停めたまま、川越観光のメインの蔵造りの一番街も歩いて行かれます。
また、本丸御殿の大広間には天下三槍の一つ結城家の御手杵の槍のカバー?(レプリカ)が展示されてます。川越藩の参勤交代時の馬印だったそうです。

2012年04月11日 傾奇揚げ仙兵衛
川越城

本丸御殿前の駐車場は無料ですが門限があります

2011年08月03日 かつおぶし武蔵守
川越城

ドラマ「JIN-完結編-」の撮影で本丸御殿が使用されたようです。

台本も展示されていて、河越藩でのワンシーンを読むことができました

2010年07月25日 徳川内大臣源朝臣康武
川越城

[武将像]太田道灌像
川越市役所前に鎮座。

2010年07月22日 徳川内大臣源朝臣康武
川越城

中ノ門堀は土塀も復元整備され、平成22年春から公開されています。写真アップしました。
また、現在本丸御殿の保存修理工事が進んでおり、見学できません。

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